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ずっと前――それっていつ頃の事なんだろう。もしその中に1年前の期間を含むのだとしたら、私はこの長い間とんでもない勘違いをしていた事になる。臨也さんは人間が好きなのであって、私の事もそういう1つのカテゴリーとしてしか見ていないのだ、と。ずっとそう思ってきたのだから。

何も言えずに臨也さんの目を見つめる。笑ってはいるものの、嘘を吐いているようには見えない。伸ばされた両腕が私を捕らえ、やんわりと優しく抱き締める。



「何も恐れることなんてないよ。ただ、流れに身を任せてしまえばいい」



耳元で囁かれたその言葉がまるで救いの言葉のように聞こえた。今この人の手を取れば、私はきっと幸せになれる。シズちゃんの事で思い悩む事もない。今よりもずっと楽になれる……

だけど、いざ受け入れた後の事を考えてみた。それはまるでシズちゃんを忘れる為に臨也さんを利用しようとしているに等しいんじゃないかって。そんな不純な理由で付き合ったって誰も幸せになれるはずがない。



「初めはアイツの代わりでも構わないよ?まぁ、正直シズちゃんなんかと一緒にされたくはないんだけどね」

「……」

やっぱり臨也さんに隠し事は出来ない。黙りこくる私を見て、何か察したのだろう。まるで追い討ちをかけるように優しい言葉を投げ掛ける。その優しさが余計に苦しい。一瞬でも臨也さんを『シズちゃんの代わり』として見てしまった自分が憎くて堪らない。こんな私が臨也さんの優しさにつけこんでいいのだろうか。

結局のところ私が彼の手を取れないのは、今でもシズちゃんの事が好きだから。優しければ誰でもいいって訳じゃない。シズちゃんじゃなきゃ……駄目なんだ。



「ありがとう臨也さん。でも……やっぱり私、臨也さんに甘えてばかりじゃあいけないと思う」

「俺じゃあ力不足ってことかな?」

「そ、そんなことは絶対にないです!むしろ私なんかじゃ勿体無いくらい!……だけど、やっぱり私……きっとこの先シズちゃん以上に人を好きになれないと思うんです。臨也さんだけに限らず、全ての男の人を」



以前、これと似たような事を私は口にしたことがある。臨也さんの他に、1人だけ。これまでに、軽い調子で遊びに誘う下心見え見えな男はたくさんいた。彼もそういう部類の人間なのだと初めはそう思っていた。

だけど彼は本気で私を好きだと言ってくれた。私を何度も支えてくれた。だからこそ私も本気で応えた。精一杯の感謝を込めて「ありがとう」と同時に「ごめんなさい」を――



「……そう」



臨也さんの腕の力がすっと抜ける。何だか申し訳なくて顔が見れない。気を取り直して何か話そうと、意を決して顔を上げる。しかし次の瞬間視界に飛び込んできたものは――部屋の高い天井と、それを遮る臨也さんの顔。頭がベッドに強く叩きつけられる衝撃に、思わず両目を瞑ってしまう。

暗闇の世界で臨也さんの声だけが聞こえた。つい先程聞いたばかりの、聞き覚えのある言葉が反復される。



「今の君はシズちゃんのものでも何でもない訳でしょ?だったら、今俺が君に手を出したところで何1つ問題ないって事、だよね?」

「……な……ッ」

「君はもう、ただの高校生じゃないんだよ?……あれから、1年経った。立派な社会人も同然だ」



臨也さんの言う事がもっとも過ぎてなかなか言い返すことが出来ない。じりじりと2人の間合いが狭まる。



「分かる?つまり、歳は離れていても社会的立場から見れば俺と君は同等な立場って訳。あの時は少しばかり多めに見ていた部分もあったけど、今回はそういうの、一切抜きだから。……ここ重要」



そう言うなり臨也さんは私の首筋に唇を寄せ――



「分かっているとは思うけど、これが君の望んでいた現実だから」



♂♀



30分前 池袋某所



「……はぁ」



仕事に一区切りついた頃。

シェイクを吸っては溜め息を吐き、ひたすらその動作の繰り返し。これで一体何回目だろう。すぐ隣でトムさんがどうしたらいいものか、と言いたげな表情で俺を見上げているにも関わらず何か反応を見せる気にもなれない。シェイクの中身が底を尽きたのを機に、俺はやっとの事で口を開く。



「人生って、ほんと後悔ばかりっすよね……」

「……まぁ、長いからなぁ人の一生ってやつは」

「多分俺、その長い人生の中で、今朝が1番やっちまった瞬間だったと思うんすよ……」

「ほぉ?」



俺は今、死ぬほど後悔していた。本当は誰かに相談したい。だが何と言ったらいいのかも分からない。……というのも、明らかに俺の行動に原因がある為だ。少女が出て行ってしまった後1人になった俺は、自分の行動を思い返し――とんでもなく激しい後悔に苛まれた。昨夜といい今朝の行動といい、ほんと俺って自分でも意味分かんねぇヤツ。

考えてみた。初対面の男に襲われかけた、いたいけな少女。……駄目だ。1歩間違えればこれは完全なるレイプだ。犯罪の臭いがプンプンしやがる。性犯罪を起こす奴の気持ちなんざ理解したくもないが「つい勢いで」なんて言い訳をしたがる気持ちも分からなくはない。頭で考えるよりも理性が働くよりも先にまず身体が動いた。今朝の俺は間違いなくそんな感じだった。



――そんなに溜まっていたのだろうか……



元々、女に差ほど興味はなかった俺。性欲も人よりは少ない方だと思っていたのに、まさかこんなところで爆発するとは。しかもほぼ初対面の相手に、だ。なんだか自分で自分が心配になってくる。「……そういえば」あのみさきって子……トムさんを知っているような事を口走っていた気が。

果たしてトムさんが本当に彼女を知っているかは定かではないが、もしかしたら顔馴染みかもしれない。家が隣同士だとか何かのキッカケで知り合っただとか。



「すいません、トムさん」

「ん、どーした」
「その……特に深い意味はないんすけど……みさき、て名前に覚えあります?」



それから暫しの沈黙。

俺、何か変なことでも言ったかな、と頭を掻く。この気まずい雰囲気はなんだ。トムさんの顔を覗き込む。



「あの、トムさん?」

「え?あ、あぁ……悪ぃ悪ぃ。お前があまりにも懐かしい名前を口にするからよ」

「懐かしい?」



――……なに、が?



「お前、ビルから落ちた事あったろ?」

「あぁ、そんな事もありましたね」

「その頃からだったよなぁ。静雄がみさきちゃんの事を話さなくなったのは」

「……は、」

「いやぁ、俺も気にはなっていたんだけどよ、言いづらかったっつーか、なんつーか……」

「ち、ちょっと待って下さい!」



トムさんの言った事が本当なら、俺はあの子を昔から知っていたという事になる。だが俺には幼なじみがいた覚えもなければ、それらしき記憶も一切ないのだ。

前髪さえも鬱陶しくて、右手でぐしゃり、と掻き上げる。嫌な汗が頬を伝う。分からない分からない。分からないからイライラする。初めから何かがおかしいとは思ってたんだ。どうして俺があの子の名前を、聞いてもいないのに知っていた?それ以前に、どうして見知らぬ少女を助けたりなんかした?本当に全くの赤の他人なら、身体を突き動かすようなあの衝動を感じるはずもなかっただろうに。



――そうだ、俺は確かに覚えてるはずだ。

――頭は忘れていても、身体が、細胞が、覚えてる?



「静雄ーお前疲れてるんじゃね?」

「そ、そうなんすかね……」

「そうだべそうだべ。いくらお前が頑丈でもな、身体労ってやんねぇとまじでいつか倒れちまうぞ?それにしても、全く、最近この街も荒れてるのかねぇ。物騒な事件は多いし、借金踏み倒そうとする輩は多いし」



そんなため息混じりのトムさんの愚痴に耳を傾けつつも、頭の中では少女の事をぐるぐると考えていた。最後見たあの表情が忘れられない。まるで俺に何か言いたそうな、悲しげな表情。

一体俺に何を伝えたかったのだろう。俺が泣かせたみたいで、後味が悪過ぎる。



「なにかいいストレス発散法とかないもんかねぇ」

「!」





それから、隣でトムさんが「例えばキャバクラなんかで可愛い子ちゃんに癒してもらうとかよぉー」なんて言っていたような気もするが今この瞬間俺の耳には届いてすらいなかった。ただ『ストレス発散』の文字だけが妙に脳へと響き渡る。



――"いい"ストレス発散法……

――……なんだ、俺にはあるじゃんかよ。



「なぁ静雄。今日の仕事はこのへんにして、この後一緒に飲みにでも……」

「トムさん」

「ん?」

「俺、臨也の野郎をぶん殴って来ます」

「あら、そりゃ残念。気をつけ……て、ええ!?」



口をあんぐりと開けたトムさんをその場に残し、俺はとりあえず臨也を殴るために新宿へと足を向けた。俺の記憶が正しければ30分足らずで着くだろう。あれなら確か駅1つ分しかない距離だからな、新宿って。

しかし、臨也を殴ったら本当にこのモヤモヤが解消されるのだろうか。思い出せそうで思い出せない『何か』を、俺はずっと考えていた。なんとなくは気付いている。だけど確信がないから断言出来ない。思い出すという行為自体に、俺は何故かで恐怖を感じていた。

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