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愛し合う主人公とヒロインが心中、もしくは死んでしまうようなエンディングを迎える悲劇の物語。そこに至るまでの流れがどうであったか、そもそも物語のタイトルすら覚えていないが、2人同時に死を迎えるという衝撃のラストが強く印象に残っていた。しかし、そういった系統の物語に共通して言えることは決してハッピーエンドなんかではないということ。『死』という概念に幸せなんてない。ただただ悲しいものだと思う。それ故、いざ死ぬ時のことを考えてみてもあまりピンと来なかった。



ーーシズちゃんと……死……

ーーいやいや、私は別として、ナイフで刺されても大丈夫なシズちゃんが死ぬの?



と、冗談抜きで笑い話のようなことを考えてしまった。困ったことに、彼が死ぬところをどうしたって想像出来ないのだ。どんなに深手を負おうと、いつだってシズちゃんはケロリとして「こんなの擦り傷だ」なんて笑ってみせる。明らかに擦り傷ではないような大怪我も、次の日には完治してしまう。そんな底知れぬ回復力を目の当たりにしてきたからこそ、私には臨也さんのいうことを想像出来ない。

甘く考えていた。シズちゃんに限って死んでしまうようなことはないだろう、と。思えばその甘い考えこそがいけなかったのかもしれない。いつまでも一緒にいられるものだと勘違いしてしまう。池袋最強と恐れられようと、臨也さんに怪物だと言われようと、シズちゃんは間違いなく人間だ。彼が人の心を持った人間である以上、死という概念を覆すことは決してあり得ないというのに。



「あの、ごめんなさい想像出来ないです。シズちゃんって、死ぬんですか?」

「真面目な顔して面白いことを聞くね。そんなの、知ってたらとっくに試してるさ」

「絶対にあり得ないじゃないですか。シズちゃん、ナイフ刺さらないんですよ?車に轢かれたってピンピンしてるのに」

「……なんだか笑い話にしかならないなあ。ヤツに限って」



思わず苦笑。私は別に笑い話をしようとしていた訳ではないのだが。臨也さんは「まぁ、そういう考え方もあるってことを頭に置いといてよ」と言って、再びワイングラスを片手に取った。気を取り直し、再び飲み直そうと提案する彼に待ったを掛ける。



「わ、私は遠慮しときます!さっきのでもう十分なので!」

「そんなこと言わずにさ、なかなか飲めるものじゃあないんだし」

「いや、割りと本気で頭痛が……!」



たった一口のアルコール分が脳全域に行き渡り、全神経に信号をかける。身体が本能的にこれ以上のアルコール分摂取を拒んでいるようで、改めて己の酒の弱さを身を持って理解した。遠くで地響きが鳴り響いているかのような、そんな感覚すら覚える。

状況は更に悪化。組み敷かれたまま再び迫まれ、背中をソファに押し付けられた私は逃げるに逃げられない。熱のこもった吐息が耳を掠め、思わずふるりと肩を震わす。ほんの少し彼の息が酒臭いことに気付いたのは、それからすぐ。表情には出さないものの、ほろ酔いであることは確かである。ワインは悪酔いしやすいと何処かで聞いたことがあるが、あながち間違ってはいないのかもしれない。



「ああもう!つまみも食べずにワインばかり飲んでるから酔うんですよ!」



とは言うものの、彼に関しては本当に酔っているのか否か。もしかしたら私をからかっているだけなのかもしれないーーと考えれば考えるほど疑心暗鬼になってゆく嫌な自分に気が付いた。



ーーあぁ、私はどうしてこんなにも……



「……〜〜っ! ストーップ!!!」



気付いたら私の足は臨也さんの腹部を容赦無く蹴り上げ、その足裏は見事に彼の峰へとクリニカルヒットしていた。危険から咄嗟に身を守るこの行動を、人は反射神経と呼ぶ。やばい、と頭が認知し始めた頃にはもう後の祭りだった。



「……意外と容赦無いね」

「!!!?ご、ごごごごごめんなさい!!つい、足が!!!」

「はは」

「……へっ!?」

「あははははは」

「!!????」



腹に手を当て、突然笑い出す臨也さん。てっきり怒られるかと思っていた私は面食らってしまい、暫しぽかんとしたまま笑う彼の顔を見つめていた。まるで典型的な作り笑いのような、抑揚の無い笑い声。



「ほんと、思い通りにならないなあ。だから飽きない」



一変。空気というか、彼の纏っていたオーラのようなものが変わってゆく感覚。背中をひやりと流れる感触は多分、これぞまさしく冷や汗。

逃げなくてはいけない時に限って人はどうして足が竦んでしまうのか。それは相手に対しての恐怖故か、目を背けずにいるのが精一杯の抵抗。まるで蛇に睨まれた蛙だ。



「やっぱり、多少強引にならないとかな」



先ほどまでとは比べものにならないくらいの握力が手首を縛る。ズキン、と軋む骨。にんまりと笑う臨也さんの顔が再びすぐ近くにまで迫り、そしてーー





ーー本当に馬鹿ね、貴女。

ーー私のことをフったくせに、こんな男に流されてしまうの?

「(えっ?)」

ーー貴女の愛がその程度だと言うのなら、代わりに私があの男を愛してあげましょうか。

「(!!)」

ーーほら、そうやってすぐ動揺して。やっぱり、平和島静雄が好きなんじゃない。

ーーどうして人間はこんなにも面倒なのかしら。そんなところも愛しているのだけれど。

ーーなんにせよ、私はこの男を好かないの。宿い主である貴女の身体がこの男に穢されるのは絶対に嫌。

ーー私を差し置いて我が主に手を出そうとは、なんて罪作りな男!



無数の彼女の声が脳裏に響き渡り、次の瞬間、銀色に輝く鋭い光が目の前を横切った。



♂♀



同時刻 池袋
とあるコンビニ前


「……猫の餌?」



トムさんは俺がコンビニから出てくるなり、袋の中を覗き込むと首を傾げた。そこには適当に買った今夜の夕食と、猫のイラストが描かれたツナ缶1つ。まさかお前が食う訳じゃねえよなぁ、と本気で口にするトムさんに向かって、俺は全力で否定した。さすがにそれはないっすよ、と。二人揃って二日酔いから立ち直ってからの初日、仕事を終えた俺たちは既に帰路についていた。

これはみさきの分。”猫”の。あれから何度も顔を合わせるうちに、猫のみさきは俺にすっかり懐いてしまった。何かをねだるように俺の足に身を擦り付け、甘ったるい声でにゃあと鳴く。その度に俺は最寄のコンビニへとダッシュし、猫の餌片手に戻るのだった。毎度同じ時間帯に、しかも息を切らしながら猫缶1つ購入してゆく客なんてそういない。とうとうコンビニの店員には顔を覚えられてしまう始末。この間なんか新商品の猫缶を勧められてしまった。



「で、どうせなら事前に買っちまおうと思って。ここ最近毎日会うんすよ。アパートへの帰り道」

「いっそのこと、飼ったらいいんじゃね?つーか、もう飼ってるも同然だろ。あ、お前のアパートじゃあ飼えないんだっけか」

「それもそうなんすけど……飼うとか、縛りたくねぇんすよね。せめてあのみさきには、自由気ままに生きて欲しいんすよ」

「……ん?」

「あ、猫の名前っす。みさき」

「……あぁ、ねこ、ね」



視線を逸らし、腕組みをしながら妙に納得したようなトムさんの反応が若干気にはなりつつ、それでも頭の中ではみさきのことばかり考えていた。もちろん人間の方の。

みさきが臨也の元へ行ってまだ間も無いが、やはり待っているだけというのはもどかしい。本人の意思を尊重してやりたいとは思う。しかし、それと同時に自分の意思は自制しなくてはならない。


「あ。じゃあ俺、こっちなんで」

「おう、みさきちゃんによろしくな。猫の」



ひらひらと手を振るトムさんに別れを告げ、俺は猫缶片手にいつもの帰り道を歩く。一歩、二歩、三歩。あともう少しでみさきのいる曲がり角。今日も俺が来るなりガサガサと足元の草を掻き分けて、愛くるしい瞳でこちらを見上げてくるだろう。

いつもの場所。いつもの時間。いつものようにやって来る仔猫ーー当たり前のことのように今夜だって、また同じことが繰り返されるはずなのに。



ーー……なんだ、この感じ。



野生の勘が働く。

今夜、きっといつもとは違う何かが起こる。



♂♀



たった数分前まで、私は臨也さんとニ人密室に”いた”。これは過去形である。何故なら今、私はこうして一人暗闇の中をあてもなく走っているのだから。

一体何が?未だに頭の整理が追いつかず、疑問ばかりがぐるぐると回る。あの部屋からどう飛び出してきたのかも分からない。あまりにも曖昧過ぎて、結びつかない記憶。これは単に酒酔いのせいではないはずだ。ただ、最後に見たあの鋭い光の正体が一振りの日本刀であることだけは私にも分かった。時代劇でしか目にすることもないような普段見慣れない代物であるからこそ、見間違えるはずがないのだ。罪歌に意識を支配された人間が刃物を持って襲い掛かってくることは知っている。だが、私は罪歌に乗っ取られていなければ、普段日本刀を持ち歩いている訳でもない。だから矛盾しているのだ。まるで私を庇い、臨也さんとの間に境界線を張るかのように突如現れた日本刀の説明がどうしてもつかない。



ーーまさか私の身体からなんて……いや、そんなこと、あり得ない。

ーー第一、あんな大きくて長い刃物、隠し持てる訳がない!!



心の中で葛藤を続け、走り続けること約30分。日頃の運動不足が祟り、既に限界を超えていた私の身体が悲痛な叫びを上げ始めた。筋肉痛という名の、ギシギシと軋むような痛み。ピキン、と何か張り詰めたものが突然切れたような感覚と同時に鋭い激痛が右足に走る。



「ッ、痛!!?」



壁に片手をつき、なんとかバランスを保ちながらへなへなとその場に座り込む。あぁ、事前からこんなに走ると分かっていればヒールなんて履いて来なかったのに。靴屋でスニーカーを買うことも考えたが、何処もシャッターの閉まった店ばかりが目につき、無性に虚しくなってしまった。携帯画面で時間を確認し、今が22時を回っていることにようやく気付く。せいぜいコンビニか居酒屋くらいだ、こんな時間にまでやっている店というのは。

足を止め、改めて思い返す。あの日本刀を気のせいだとは思えない。恐らく、私の中に未だ残る罪歌の意識が具現化したものなのだろう。しかし、それが凶器である以上放っておく訳にもいかまい。こうも私の意思とは裏腹に勝手に出て来られてしまっては、いつか危険物所持違反で捕まってーーいや、そんなことよりも怖いのは、いつかその日本刀で誰かを傷付けてしまうのではないかという恐怖。さっきだって、罪歌は確かに臨也さんへの敵意を剥き出しにしていた。こうして私が飛び出して来なかったら、今頃どうなっていたことか。



「それにしても……何処だろう。ここ」



住み慣れた池袋といえど、なにせ広い。残念なことに、街の隅から隅までを知り尽くせるくらいの知識量をここ数年で蓄えられる程、私の脳は優れていなかった。せめて辺りを見渡すことが出来たら状況も変わっていただろうが、次に太陽の光を拝むことが出来るのは恐らく何時間も後の話だ。

途方に暮れ、壁に背を預ける私の側へと何者かが駆け寄って来る気配。思わず身構えてしまったはものの、人にしてはあまりにも足音が軽快過ぎる。とたた、と音を立ててこちらに向かって来たのは、小さな可愛らしい仔猫だった。首輪をしていない様子から恐らく野良なのだろうが、その割に随分と人間馴れしていると思う。仔猫は私の顔を見て一声鳴くと、まるで構って欲しいと言わんばかりに小さなその身を擦り付けてきた。これまでの仔猫の一連の動作は、大の猫好きである私のハートを射止めるには十分過ぎる程の破壊力であった。



「かっ……可愛い……!」



フルフルと震える両手で仔猫を抱き上げ、暫し見つめ合う。大きな黒い瞳に、野良にしてはフサフサな毛並み。思わず涙目になる私の顔を不思議そうに見つめ返してくる仔猫。このまま連れて帰りたい衝動に襲われるも、帰り道が分からずにどう連れて帰るというのだ。そもそも、今の私が帰るべき場所もよく分からない。



「はぁ……家がないのは、私もあなたも同じだね」



誰に言う訳でもなく呟いた言葉は虚しく響き、当然返される言葉などない。こんな時は例え罪歌であろうと話し相手が欲しいところだが、どうして私が求める時に何の反応も示してくれないのか。



「さっきはどうのこうの言ってたくせに、私から話し掛けたら無視ですか……ふーん。あっそ」



傍から見たら独り言を呟く怪しい人物にしか見えないだろうなと思いつつ、罪歌への不満を言葉にせずにはいられなかった。どうせこんな時間に人など通らないだろうし。

完全に人はいないものだと油断していた矢先、思わぬ反応がすぐ近くから返ってきた。まだ声の発せられた場所から距離が離れてはいるものの、私が聞き間違えるはずがない。だってこの声は間違いなく、確かに、私の名前を呼んでいるのだ。

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