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回想


「何度も言うけど、俺は君が思っているほど良い人なんかじゃあない」



そう念押しした彼は続ける。



「正直に話すよ。今更隠してたって、どうせそのうち知ることになるだろうしさ」

「……どういう意味ですか……?」

「本当は薄々と気付いてるくせに」



やはり、そうなのだろうか。私の推測が正しければ、あの時見た手紙の差出人は恐らく目の前の彼。そうとなれば、全てに対して辻褄が合う。しかし、それは同時に臨也さんのしようとしていたことを認めなくてはならないということ。私はそれを受け入れて尚、彼と今まで通り接することができるだろうか?もしこの仮説が本当なら、臨也さんは私にとっての最愛の人を本気で殺すつもりでいたということになる。



「うまい具合に物事を撹乱させて、もし駄目でも引き金1つ引けばいいやって思ってた。出来るだけ自分の手は汚したくないからね。ただ、あいつに限ってはそのくらい致し方ない」

「計画は順調だった。あとは止めを刺す最後の段階の時……そこに現れたのが君だった。まさかシズちゃんみたいな化け物を助けるような輩がこの池袋に存在したなんてね、想定外の展開に正直驚いたさ」

「そこで俺は考えた。どうせヤツを殺すなら、人の優しさを知ってしまった後の方がよりエグいんじゃないかってね。人の優しさに飢えていた時期でもあったから尚更、単細胞なシズちゃんのことだし、もしかしたら君を好きになってしまうんじゃないかって可能性も生まれた訳だ。その方がさ、ヤツも死ぬ時未練タラタラになるだろう?どうせ殺すんだ。最適な頃合いが丁度良い」

「……引いた?ははっ、そりゃそうだよねえ。俺だって、自分でも非情じゃないかと思うくらい酷いことを言っている自覚はある。みさきのことだって、初めは都合の良い駒としか思っていなかったんだ。……でも、今は違う。みさきは色々な意味で俺を裏切ってくれたよ」



「嫌われる覚悟でここまで話した。さぁ、どうする?酷いヤツだと罵って、俺のことを怨むかい?」





♂♀



現在
池袋 高級ホテルの一室


どうせならいい部屋を、と臨也さんらしいこだわりの末、辿り着いた場所ーーそこはランチ時にはブッフェを行っており、宿泊客以外にも多くの客で賑わう某有名ホテルである。いつか見た雑誌の特集に大きく掲載された写真そのままの豪華な内装、きらびやかなロビーに一瞬気が遠くなる。まるで常連であるかのようにカード1枚で直様部屋に通されてしまう臨也さんが、まるで庶民から掛け離れた遠い人のように思えてしまった。一見ラフそうな身なりに見えて、実は上等な服を身に纏う臨也さん。あからさまに金持ちであることを見せないだけで、実はとんでもない資産家だったりもするのかもしれない。

廊下の遥か向こう側にまで綺麗に敷かれた赤い絨毯は、足裏に感じる感覚だけで相当上質であると分かる。土足で歩くのが申し訳なくなってしまう程。勿論、そんなことお構いなしの臨也さんは前へ前へと進んで行く。乗り込んだ先のエレベーターで彼が指す階は、なんと最上階。



「!!?」

「ここ、結構良い眺めなんだよねえ」

「あのっ、臨也さん分かってます!?こんな高級ホテルで、しかも最上階!!?」

「ここは仕事の取引先が経営してる施設だから、結構利用させてもらってるんだ。完璧プライベート目的で来たのは今回が初めてだけど、カード見せたら快く通してくれたよ」

「へ、へぇ……凄いですね……」



このままだと普通の感性の境い目を見失ってしまいそうだ。高級ホテルの内装にただただ圧倒されながら、いかにも造りの良さそうな扉の前まで辿り着いた。恐らく、このホテルで1番高価なスウィートルームだと思われる。扉はカードスキャン型の全自動式。外部からの防犯対策はばっちりだ。ーーということはつまり、1度入ってしまったら、内部からも易々と出ることができないということである。深読みすればする程、躊躇する気持ちが高まってしまう。全てから遮断されたこの個室で、私は一体どう振る舞えばいいのだろう。

考える余裕など皆無。促されるがままに部屋へと足を踏み入れ、ひとまず辺りをぐるりと見渡す。想像通りーーいや、それ以上に大きなベッドは明らかに2人分のスペースを確保しており、どう見たって1人用ではない。そもそも寝泊まりに来た訳ではないのだし、そこまで意識する必要もないのだろうがーーどうしたって無意識のうちに視線が泳いでしまう。普段なら気にならないようなことまで気になってしまったり。



「……って、聞いてる?」

「えっ!? えっと……その、……すみません。聞いてませんでした……」

「そんなに固くならなくても。俺、そんなに危険な男に見えるかなあ。何の前振りもなく襲ったりはしないよ」

「ち、違っ、私そんな風に臨也さんのこと見てませんよ!?」

「あ。今、俺のことさん付けした。動揺してる証拠だね」

「……ッ!」



何も言い返せなくなってしまい、ひとまず黙り込んだ。これ以上何か言い返そうと口を開けば、きっとボロが出てしまう。



「ほんと、正直者だなぁみさきは」



臨也さんはそう言って少し笑うと、小さな冷蔵庫からワインの瓶を取り出した。ホテルによくあるルームサービスだ。それにしても、随分と高そうなワインである。彼は手馴れた手つきでワインを注ぎ、真っ赤な液体の注がれたグラスを1つ、私に向けて傾ける。何処と無く警戒しつつ手渡されたグラスを片手に、私は真白なソファに腰掛けた。

今こうして警戒してしまうのもきっと、彼のことを異性として意識しているせいだ。恋慕の感情とは別物だと思いつつも、胸の鼓動が高まることに変わりはない。だから戸惑う。シズちゃんを見る度に感じるこの胸の高鳴りは本当に『恋』なのか、臨也さんに感じるこの胸の高鳴りの正体とは一体何なのか。なんて紛らわしいのだろう、人の感情というものは。考えれば考える程に沼の泥濘に嵌っていくようで怖い。



「なにか悩んでる?」

「悩み、といいますか……私って、面倒臭い人だなぁって。考えたって無駄なことばかり理屈で考えちゃうんですよね」

「いるよねぇ、そういう人。方程式に当て嵌めちゃえばすぐに解けるような問題も、頭で理解しようとするから余計に時間が掛かる」



臨也さんにそう言われ、そういえば自分がかつて文系であったことを思い出す。数学が苦手な訳ではなかったが、ただ単に文系教科の方が成績的に優れていたからという安直的な理由である。言われてみれば確かに、私は昔から頭で理解しないと納得出来ない性格だった。言い換えれば頑固。成る程、どうりで面倒臭い訳だ。



「感情の赴くままに行動できたら、どんなに楽だろう……」

「すぐ近くにいるじゃない。そういう楽な生き方しているヤツが」

「シズちゃん、ですか」

「アイツは見習わない方がいいよ?本能のままに生きてるというか、獣的というか、とにかく理にかなっていない。理屈が通用しないヤツは苦手だ」



臨也さんは鬱陶しげにそう言い放つが、シズちゃんは結構色々なことを考えてる。ただ、一時の感情に流されやすいだけで。



「ねぇ、みさき。さっきの話の続きだけど」

「……」

「実のところ、俺も自分がよく分からないんだ。ただ1つだけ確かなことは、俺はシズちゃんが大嫌いってことさ。そのために君を利用しようともしたし、多分、これからも頭の片隅ではいつだって似たようなことを考えてる。……あぁ、そうそう。あわよくば君を手中に納めたいってのも本当の話。色々な意味でね」

「それは……シズちゃんを懲らしめたいから、ですか?」

「それもあるけど、ただ純粋に恋しちゃったんじゃあないかな。多分」



自分のことだというのに、まるで他人事のようにそう話す臨也さんはいつだって和かだ。その笑顔を信じていいものか、胡散臭いと疑惑の念を抱くべきかーー

臨也さんはまるで人の心を見透かすかのような鋭い眼光を放ち、私の心中を突くような言葉を立て続けに並べ始める。



「恋ってのはさ、履き違えやすいものなんだよ。似たような感情なんていくらでもある。『好き』という感情にだって、色々あるだろう?友人に対してであったり、恋人に対してであったり、はたまた人ではなく動物に向けるものだって同じさ。一概に同じ意味での『好き』ではない」

「なら、臨也が私に抱いている感情も、ただ履き違えてるだけなんじゃあ」

「それは君にも同じことが言えるだろう?第一、それを知るために君は今、こうして俺といる訳だし」



そう言うと臨也さんは立ち上がり、唐突に私の腕を引く。逆らえぬ引力に引かれるがままに倒れ込んだ真白なソファに、反動でグラスから零れ落ちた真っ赤なワインがぶちまけられた。それはまるで返り血のように鮮明で、赤く、結局私は一口も味わうことなくグラスの中を空にしてしまった。



「いっ、臨也!」

「ほら、分かる?君のココ、すごく脈打ってる」

「!!!」



ココーーと指し示された左胸に指先を押し当てられ、脈拍は更に速度を増す。同時に身体の至る部分が徐々に熱を持ち始めていることに気付き、あからさまに意識していることを悟られてしまうのがほんの少し悔しかった。しかし実際、何よりも羞恥心が勝ってしまう。そんな私の反応を面白いと思ったのか、臨也さんの行動が徐々にエスカレートしてゆく。胸の膨らみをやんわりと手のひらで包み込まれ、まるで心臓を鷲掴みにされたかのような感覚に張り詰めた緊張感を覚える。決して性的な手つきではなく、私がどう反応を示すかを純粋に楽しんでいるようだ。

含み笑みを浮かべたまま、彼は徐にワインを口にする。喉を何度もゴクリと鳴らし、液体を流し込むその様を、私は見ていることしかできなかった。意識は常に胸へと向けたまま視線だけは逸らさまいと、ただただじっと臨也さんの動向に集中する。油断も隙も見せてはならない、と、今までに培ってきた己の経験がそう告げる。



「君も飲むかい?」



警戒。警報。アルコールを摂取することに対しての躊躇はいくらかあった。今度は経験云々の話ではなく、飲んでは駄目だと本能が告げる。何度も言うが、私は酒が苦手だ。舌先を刺激するほろ苦い味わい。脳を刺激し、思考判断を狂わすーーそして何より、酒に弱いが故に飲んだ自分がどうなってしまうのか、実のところ把握しきれていない。少なくとも、記憶がいくらか欠落してしまうことだけは経験上分かっていた。その欠落した時の流れの中で、自分が一体何をしでかしたかが最も重要であるのだが。

いいです結構です、と首を振るも、臨也さんは美味しいからと頑なに諦めようとはしない。いや、美味しいとか美味しくないだとか、そういう問題ではないのだ。互いに譲らないまま張り合いだけが続き、終わりの見えない戦いは続く。じたばたと往生際の悪い私に対して、臨也さんはとうとう強行手段を打つ。もう1口ワインを口に含んだかと思えば、飲み込まずにそのまま顔を寄せてきた。やや荒っぽく両頬を片手で掴まれ、強引に口を開かされる。まさか、とは思うがーー嫌な予想というものはあながち間違っていなかったりする。激しい取っ組み合いの末、どうしても男女の力の前では屈することしかできず。



「むぅ……っ!!!?」



柔らかい唇の感触を感じると共に、口内に注ぎ込まれた生温い液体に思わず噎せ返りそうになった。途端、まるでアレルギー反応のようにアルコール分を感知した脳が全神経に警報を送る。危険信号を受理した各々の感覚神経が熱を発し、血液の流れの如く身体中に巡らされてゆくーー

ぼやけてゆく視界の中、勝ち誇ったかのような表情で濡れた口元を手の甲で拭う臨也さんを見た。なんだか悔しくて、これ以上は何としてでも拒もうと唇をぎゅっと噛む。それにしても、おかしい。いくら酒に弱いはいえ、こんなにも早くアルコールが回ってくるものだろうか。しかし私は、ワインの栓を開けてから中身をグラスに注ぐところまでの一連の動作をこの目でしっかりと見届けている。仮に薬が混入されていたとして、入れるタイミングに全く見当が付かないのだ。となると、よほどアルコール分の強いワインなのだろうか。



「知ってる?ここ最近のワインは14度以上なんてものも珍しくない。カルフォルニア産なら15度以上、なんてものもあるくらいだからね。数値を言ったところでみさきには理解できないだろうけど、ワインってのは度数が1%違うだけでかなり様相が変わってくるんだよ?『ワインなんて酒じゃない』なんて言う輩もいるけれど、それはきっと濃度11%あたりの安物しか飲んだことがないんだろうねぇ。最近のワインは度数が高ければ高いほど高級だって志向が高まってきてるらしいし……」

「し、知りませんよそんなこと!第一、そのワインが何処産かなんて見てる訳がないじゃないですか!」

「でも、さ。美味しいだろう?美味しいものは誰かと共有したくなるものさ」

「だからって、強引過ぎ……ッ」



言いたいことはたくさんあるが、これ以上言っても無駄だと口を紡ぐ。クラクラと目眩がするものの、言い返せるくらいの気力と意識は保っていられるレベルだ。



「どいてください」

「嫌だね」

「怒りますよ」

「もう怒ってるじゃない」

「……」

「ねぇ、みさき。この際確かめてみようよ。君のシズちゃんに対する気持ち、とかさ」

「そんな方法があるなら、とっくにやってますよ……」

「好きか否かで考えるからいけないんだよ。この世の中に存在する全てのものを2種類に分けようだなんて、無謀にも程がある」

「じゃあ、一体どうしろと」



「みさきはシズちゃんと一緒に死ねるかい?」



「……はい?」

「付き合うとか、結婚とか、誰とでもやり直しの効くことではないだろう?死ぬってのはさ、誰にでも平等に1度っきりしか訪れない。『一緒に死んでくれ』なんて台詞は、ある意味最高の口説き文句(プロポーズ)かもね。『愛してる』なんて使い古されたような台詞よりもさ」



まぁ、そう感じるのも何処ぞの妖刀が腐るほど同じ台詞を繰り返し使ってくれちゃったお陰なんだろうけど。そう皮肉を込めて吐き捨てた矛先は、恐らく罪歌なのだろう。一瞬だけ見せた彼の表情は嫌悪感に満ちていたが、またすぐに取り繕って話を戻す。



「当然やり直しも後戻りも出来ない訳だけど、そんな人生最大のビックイベントをみさきは誰と迎えたいのか……よく考えてごらん。笑って一緒に逝けるような相手に、君はシズちゃんを選べるかい?」



なんて強引で無茶苦茶なことをさらりと言ってみせるのだろう、この人は。あまりにも極論だと思う、が、一方でやけに納得してしまっている自分がいることに気付く。

つまりは、そういうことなのだ。優柔不断な私にはこれくらい究極の選択を迫られた方が寧ろ丁度良いのかもしれない。想像するにはあまりにも残酷なような気もしなくはないが「……」暫し沈黙の時を経て、それでも私には分からなかった。こんな時、シズちゃんはどう答えるのだろう。迷わず私を選んでくれるのだろうか。

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