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次の日 来良病院


とある病室。扉の前に立ち、いざゆかんと手を伸ばすも思い留まり、何度深呼吸を繰り返したことだろう。一見ただの不審者であるが、幸いこの病室の位置する階は人通りが少ない。臨也さん(やはり呼び捨ては違和感が否めないので、本人の前以外では普段通りさん付けで呼ぶことにする)と一緒に病院まで来たはいいが、彼は突然の電話に駆り出されてしまい、先に沙樹と2人水入らずガールズトークでもしててよ、なんて勝手なことを言い残し、行ってしまったのがおおよそ10分ほど前。臨也さんが自由奔放な人だってことは分かってはいたけれど、まさかここまで無神経だとは思わなかった訳でーー

流石にこのままでは埒が明かないので、意を決して中へ。見るからに重そうな病室の扉は、案外容易く真横へと軽やかに滑っていった。気持ちの整理がつかないまま、呆気なくも面会の時を迎えてしまう。



「……沙樹……?」



恐る恐る名前を呼ぶ。開かれた先は白、白、白ーー白の世界。床も、壁も、天井も、全てが白で塗り固められた世界だった。あまりにも真白なものだから、まるでゲレンデのような眩しさに思わず目が眩んでしまう。

何度か瞼を瞬かせ、ようやく室内を見渡す。彼女は上半身だけを起こした状態でベッドに座り、静かに窓の外を見ていた。こちらに向けられた背からは何も読み取れない。沙樹は私の存在に気付いているのだろうか?もう1度確かめるように名前を呼ぶと、今度ははっきりとした言葉が返ってきた。尚、視線は窓の外に向けられたまま。



「久しぶりだね、みさき」

「……沙樹、もしかして怒ってる?」

「どうして?私がみさきを怒る理由なんて、1つもないよ。来てくれて嬉しい」

「それなら、どうしてこっち見てくれないの」

「だって、今更どんな顔してみさきと向かい合ったらいいのか、分からなくて。久しぶり過ぎて、ちょっと照れちゃうかな」



そう言って恥ずかしそうにはにかむ彼女の姿は、私の知る沙樹そのものだった。何1つ変わってなどいなかった旧友の姿に安堵する反面、まるであの時からピタリと時が止まってしまったのではないかと錯覚してしまうほどの”変わらぬ雰囲気”に違和感を覚える。これは彼女の無邪気さ故か、それともーーいや、考え過ぎか。




「あはは、私も同じこと考えてた」

「だから部屋の前でずっと立ってたんだ?」

「!! 気付いてたの!?」

「臨也さんから電話があったの。10分くらい前、かな。自分は急用ができたから遅れるけど、みさきはもう病室のすぐ前にいるよって。だから私、ドキドキしながら待ってたのに」



なかなかみさきが入って来ないから、逆に待ちくたびれちゃった。そう言うと沙樹はゆっくりとこちらを向き、穏やかに微笑んでみせた。その笑顔は私の記憶に残る彼女の笑顔そのもので、寧ろ不自然なまでの”変わらなさ”は何処か心をざわつかせた。この違和感は何だというのだろう。言葉では言い表せない不安を胸に抱きつつも、私は出来るだけ何でもない風に笑顔を返す。ようやく会えたのだ。話したいことは山ほどあるが、まずはーー



「本当に……会えて嬉しい」



念願の再会に感極まり、堪えていたはずの涙が頬を伝う。音沙汰のなかったこの数年間が沙樹にとってどんなに辛い時間であったか。何はともあれ、彼女は今、こうして私に笑顔を向けてくれている。それが何よりも嬉しくて、安堵の溜め息と共に感情が溢れ出てきた。



「よかったらそこ、座って?話したいこと、たくさんあるの」



差し出されたティッシュ箱を受け取り、促された先のパイプ椅子に腰掛ける。そして私が落ち着いたのを確認すると、沙樹はゆっくりと語り出した。私の知らない空白の時間に一体何があったのかを、全て。

同時に頭を過るのは、昨夜の彼との会話。



それから面談時刻の終了を告げに看護師が病室を訪れるまでの間、沙樹の話が途切れることはなかった。内容を大雑把に説明すると、大抵が「正臣」という名の少年に関するもので、話から察するに、その彼こそが沙樹の彼氏らしい。沙樹は彼氏の名を口にする度に照れ笑いを浮かべてみせた。聞く限りでは順風満帆の幸せなカップルなのではと錯覚してしまいそうになるが、どうやら一筋縄ではいかないようで。タイミングが悪くも話の詳細に差し掛かると同時に面会時間を迎えてしまい、仕方なくも今、こうして私は病院に背を向け歩いている。

ふと空を見上げれば、視界一面を覆う淡いオレンジ色の空。もうこんな時間なのか、と、季節故に1日の経過を尚更早く感じてしまう。ところで、臨也さんは一体何処に行ってしまったのだろう。結局、沙樹との面会中に彼が帰って来ることはなかった。携帯に連絡の1つすらない。このまま1人で帰ってしまっていいものかと頭を悩ませていると、突然背後から陽気な声が掛けられた。反射的に振り返り、知り合いか否かを確認する。声に聞き覚えはない。その声の主である少年の顔にも見覚えはーーない。



「? えっと……」

「いやいや綺麗なお姉さん!俺、別に怪しい者ではありません!携帯片手に悩ましげな顔があまりにも美しく見えて、つい!」

「ど……どうも……?」



明るく染め上げた髪。耳にはピアス。ぱっと見、今時の高校生といったところだろう。パーカーを中に着ているだけで随分と雰囲気が違って見えるが、どうやら彼も来良学園の生徒であるらしいことに後から気付く。あまりに唐突であった為、上手く言葉を返せずにいる私とは対照的に、目の前の少年は随分と対話慣れしている様子だ。戸惑う私と、饒舌な彼。当然波長が合うはずもない。



「どうしたんです?こんなところで。まさか迷子?俺が場所まで送りましょうか?そして願わくばそのまま夜の池袋を一緒にランデブーなんてどうでしょう?」

「あ、ありがとう……でも、大丈夫。それよりも君、高校生だよね?遅い時間まで街中にいたら、警察に補導されちゃうんじゃあ……」

「大丈夫ですってー!そこらへんは上手い具合誤魔化し効かせますから!あっ、これでも俺、普段はちゃんと真面目に善良な学生やってるんすよ?お姉さん、大人っぽいっすけど、社会人?」

「大学生なんだ、一応ね」

「はぁ〜……大学!可憐なる大学生!歳上の女性って魅力的っすよね〜大人な雰囲気に包み込まれたい!的な!」

「!? と、歳上の女性って、魅力的なのかな!?」

「おっとぉ、いきなり食い付き良いっすねお姉さん!そりゃあいいでしょう!甘え上手な歳下……友達感覚で気軽に付き合える同い年(タメ)……だがしかし!歳上の女性にしかないもの!ずばり、色気!!」

「いっ、色気!!?」



少年は大袈裟な手振りを混じえ、更に力強く力説を続ける。



「そう、色気!加えて世話上手なんて人は更にベター!男は皆、心の中では女性に甘えたい生き物なんですって!ほら、意外とマザコンな男って多いでしょう!?」

「そ、そうだったんだ……私、男の人のこと、全然知らなかった……!」



何となくではあるが、言われてみれば心当たりはある。シズちゃんも妙に甘えてくるような時があったり、もしかしたら無意識のうちに母親的愛情を求めていたのかもしれない。少年の言葉には相手を納得させてしまうような説得力がある。それ故、まだ出会って間もない相手であるにも関わらず、つい身を乗り出して聞き入ってしまった。高校生の力説に頷きながら聞き入ってしまうというのも、客観的に見れば随分と滑稽ではあるが。



♂♀



同時刻 新宿 とある路地


「まったく、面倒なことになった」



目を瞑り大仰しく伸びをして、鼻からスゥッと息を吸う。そこにある空気は都心の汚れた空気であって、清々しさは当然感じられない。たまには都心から離れた田舎にでも足を伸ばしてみたいものだ、と。そう何度も思うものの、実現に至ったことはない。職業柄、なかなか活動拠点から離れられないというのも厄介な話である。



ーーま、山奥にいてもつまらないしね。シズちゃんなら熊相手に相撲でもしたらいいけど。

ーーやっぱり、愛すべき人間がたくさん行き交う都心(ここ)を離れることはできないなぁ。



そんなことを考えながらチラリと視線を向けた先は、ここに来てもう何時間も時間を費やしてしまったことを告げる左腕の時計。そして、溜め息。仕事柄、取引先からの突然の呼び出しは致し方ない。しかし、みさきがいるとなると話は別だ。今日は病院で沙樹と話した後、何処か食事にでも行こうかと密かに楽しみにしていたものを、こうもタイミング悪く台無しにされてしまうとは。どうやら俺はそのことが思っていた以上にショックだったようで、幾度となく漏れる溜め息もその証なのだろう。みさきと深く関われば関わるほど、自分のこういった人間臭い一面が気まぐれに顔を出す。

行ったところで面会時間はとうに過ぎていると分かっていた。みさきの携帯に連絡を入れてみるものの、押し当てた受話器からは呼び出し音が響き渡るだけ。病院か、あるいは事務所か。このまま直帰すべきか悩んでいると、みさきからすぐに折り返しの電話が来た。



「あー、もしもし?」

『ごめんなさい臨也さん!ちょっと話し込んでて、電話に気付きませんでした!』



余程慌てているのだろう。無意識のうちに呼び方がさん付けに戻っていることにいち早く気付くも、ひとまず今は会話を続ける。




「別に構わないけど、誰?沙樹、じゃあないよねえ」

『あっ、えっと、……まぁ、友達?みたいなものです。今日初対面だけど……』

「? まぁ、いいや。とりあえず、池袋の何処かで落ち合おうか。突然留守にしちゃってごめんね」

『仕方ないですよ、仕事なんだから。沙樹とも久々にたくさん話せてよかったです』

「まさか俺がいないことをいいことに、2人して俺の悪口でも言ってたりして」

『! ち、違いますよ!?』

「あはは、嘘嘘。話は後で聞くから」



それから落ち合うカフェを決め、一旦通話を切る。池袋行きの電車に駆け足で乗り込み、その足取りは自然と軽かった。こんなことで浮かれている自分がまるで嘘のようだ。というのも、彼女の前でだけは本当のありのままの自分でいられるような気がしたから。今までは決して弱みを見せようとせず、常に他人との距離を保ってきた。相手に弱みを見せてしまえばそれが命取りになるような世界で生きてきた俺は、実のところ誰1人として信用していなかった。あの長い付き合いになる新羅さえも、依頼した仕事を完璧にこなしてみせる首無しライダーでさえも。では、何故みさきだけ例外なのかーーそれは自分でもよく分かっていない。好きになった理由さえも曖昧で、これからどうしたいのかもよく分からない。



ーーあぁ、なるほど。これが恋とか愛とか、そういう類か。



今までの人生で「必要ない」と自ら切り捨ててきたもの。それが今仇となって、こうして俺を悩ませる。

迂闊だった。軽薄だった。本当に人間のことを知りたいと思うなら、もっと前から俺自信が知っていなくてはならなかったんだ。その、愛だとか恋だとか。正直、みさきとシズちゃんの一人相撲には見ていてイラつくこともあった。互いが相手を想うあまり、悩んでばかりでちっとも先に進めてやしない。馬鹿じゃないの、何が相手の為だよ。本当に好きなら、何もかも捨て去ってでも貫き通せばいいじゃない。



ーー違う。

ーー本当に分かっていなかったのは、どうやら俺の方だったらしい。



どうやら人は恋をすると臆病になる生き物らしい。表面上しか見てこなかった俺は、それを知らなかったのだ。様々な感情を身を持って経験する度に、様々な観点で物事を見られるようになってきたというのも事実。悔しくはあるが、多分、それに気付かせてくれたみさきを特別だと思うのも必然。だから俺は彼女に惚れているというより、「もっと知りたい」という純粋な探究心がある故に、みさきにこだわっているのかもしれない。ーーまぁ、何にせよシズちゃんが嫌いだということだけは変わりようのない事実で、あいつに対する嫌がらせだと言えば、それだけで十分過ぎる動機付けにもなるのだが。

仕方ないだろう。恋だとか愛というものがややこしく、最も扱いにくい品物だということは嫌というほど見てきたのだから。まず手始めに切り離したくもなる。



《次はー池袋ー池袋ー》



気の抜けたような電車のアナウンスが響き渡ると同時に、俺は立った状態で寄り掛かっていた壁から背を離し、他の駅より明らかに多い下車の群れと共に電車から降りた。人でごった返す駅のホームは季節問わず蒸し暑い。人を上から見下ろすのは好きだが、人混みの中にいるのは嫌いだ。無意識のうちに足取りが速くなるのは、それ故一秒でも早くこの場から脱したいという心理状態の表れなのか、それともーー



♂♀



池袋
駅西口方面 とある喫茶店


帰宅途中の学生やOL、居酒屋に立ち寄るサラリーマンたちで賑わった東口とは対照的に、比較的落ち着いた雰囲気を放つ西口は絶好の穴場スポットだったりもする。同じ場所と言えど、まるで全くの別世界であるかのような様々な顔を兼ね合わせ持つ街が、此処ーー『池袋』。そんな街であるからこそ、そこに集う者たちもなかなかの個性派揃いなのかもしれない。身近な人物を例に挙げるとすれば、まず思い浮かぶのはシズちゃんや臨也さん。異様、という意味では首無しライダーだってそう。今日出逢ったばかりの男子高校生だって、そうそういない珍しいタイプだった。変わり者、という意味では、私もそのうちの1人なのかもしれないが。

夕食にしては早く、お茶をするには遅い微妙な時間帯であった為か、私以外の客と言えば、腕組みをしうたた寝をしている年配の男性と、参考書片手に勉強に勤しむ女子大生くらいか。そのうち頃合いになれば客数も増えてくるのだろうけれど、私としてはこのくらい静かな方がゆっくりくつろげて好きだった。臨也さんが来るまでの時間、温かい紅茶を啜りながらとある掲示板で時間を潰す。頻繁に顔出しできる訳ではないものの、ここのネット住民たちは気さくで話しやすい人たちばかりだ。大型掲示板とは違い少数の常連で構成されているからこそ、皆親身になって話を聞いてくれる昔馴染みのような存在だった。そういえばつい最近、また新たなメンバーが増えていたような気がする。履歴を見ていて分かったことは、言動からするに女性であることくらい。どうやら悪質なウイルスに感染されていたようだがーー



「罪歌……って、え?」

「お待たせ」

「わ、わわっ!」



いつの間に来ていた臨也さんの顔がすぐ間近にまで迫っていることに驚き、思わず手に持っていた携帯を落としそうになった。



「す、すみません……大きな声出しちゃって」
「あはは、驚いた?まさかここまでいいリアクション取られるとは思ってもみなかったけど」



1つのことに集中すると、他のことが疎かになる。周りが見えなくなってしまうというのも私の悪い癖だ。臨也さんからの着信に気付くのが遅れてしまったのも、あの少年との会話にのめり込んでしまっていたからであって、すぐに気付いたからよかったものの、結局名前も聞けないまま少年と別れてきてしまった。忙しなくその場を後にする私の背に、少年は相変わらず軽い口調でこう言った。



「それじゃあさ、綺麗なお姉さん!今度もしばったり逢えたりなんかしたら、これも運命だと思ってデートしましょうよ!」



今までの経験上、言い寄ってくるような初対面の男に対しあまり良い感情は抱けなかったが、あの少年からはあからさまな下心は感じられなかった。口調こそは軽かったものの、こちら側への敬意は払っている。もし、また偶然にも顔を合わせるようなことがあったらーー「そうだなぁ」一緒にお茶をするくらいならいいかもしれない。

この広い池袋で偶然というものは、案外偶然とは言い切れなかったりもする。特に理由がある訳でもないが、あの少年とはまた何処かで逢えるような気がしてならない。あの少年が言うように、それもまた運命はのだ、と。ならばこれまでの人との巡り合わせ1つ1つも、きっと何かかしら意味を為すものなのだろう。



「この後、どこか飲みに行かない?」

「お酒、ですか?あまり得意じゃあないんですけど」

「奢るからさ、付き合ってよ。なーんか酔いたい気分なんだよねえ」

「……少し、だけなら……」



もともと酒特有の苦味が未だに苦手で、あまり好んで飲むことはない。シズちゃんも同じく子ども舌だった為、強いて買うこともなかった。臨也さんにしても普段紅茶ばかり飲んでいる印象が強い為か、どうにも彼が酒を飲むというイメージには結びつかないのだが。



「えっ、宅飲み?今からお酒を買いに?」

「そこらのバーより、個室の方がくつろげるだろう?どうせ飲むなら、口にする酒にもこだわりたいんだよね」

「それなら、新宿からわざわざ池袋にまで来たのは無駄足だったんじゃあ……」

「まさか!今から事務所に戻ろうなんて誰が言った?適当に一室借りればいいさ。ホテルなんてそこらにある」



ホテル、と聞いた瞬間、ピシリと何かが固まる。しかしここで過剰に反応しては意識していることを悟られてしまうので、敢えて平然とした態度で「そうですね」と言ってみせた。勿論、内心動揺しまくり。



ーーいやいや、別に臨也さん変なこと言ってないし!お酒飲む為だって言ってるし!

ーーホテルって聞いただけですぐにやましい方向に考えるなんて、まるで私が過剰に意識してるみたいじゃない!



単に、酒の為。そう自分に強く言い聞かせながら、私は残り僅かな残りの紅茶を一気に喉の奥へと流し込んだ。途中で噎せ返りそうになるのを必死に堪え、あくまで平然と、平然と。

様々な思いを胸に、私たちは喫茶店を後にする。沙樹に関する疑惑や疑問ーーそれらを踏まえ、彼の真意が一体何なのか、少しでも真相に近付きたい。

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