>70
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



あれから何度も身体を交え、火照りが冷めてから冬の寒さを改めて痛感できる頃には既に夜が明けようとしていた。そもそも帰って来た時間帯が遅かっただけに、2人でゆっくりと過ごす猶予など残されてはいなかった。最後に何と伝えればいい?どんな顔をしてこの部屋を去る?刻々と迫り来る別れの時を頭の中で何通りもシミュレーションした結果、どう考えてもシズちゃんが快く送り出してくれるという平和的結末には至らなかった。ならばいっそのこと彼が寝てしまった隙にこっそり抜け出すのはどうだろう。何より、笑顔で別れを告げることなど私には不可能だと思えた。しかしーー根本的な問題が、1つ。

動けない、のだ。私の身体は腰に回された彼の腕によってがっちりとホールドされており、強引に抜け出そうにも力で勝てないということは明確である。何度も白濁色の欲望を受け止めたあそこは今すぐにでも処理しなければならないのに、それができないのはシズちゃんが尚私と繋がったままの所為だ。少しでも身体を動かせば、ぐちゃりと音を立てて擦れ合う性器。精液特有の粘着質な感触に思わず身体が反応してしまう。固く抱き締められているが故に体勢を変えることも出来ず、彼の表情を伺うことさえままならないまま抜け出す試行を繰り返していたところーー



「ようやく気がついたか」

「!? シズちゃん、起きてたの!!?」

「今まで寝てたのはみさきの方だろ。何度呼び掛けても起きねぇし、さすがに起こすのは悪ぃかと思って。で、起きたと思ったら何やらジタバタし出すで面白くてな。……つか、なに反応してんだよ。そんな風にしてるとまたヤッちまうぞ」

「わ、私はてっきりシズちゃんが寝てるのかと……!」

「その隙に逃げ出そうとしてたって魂胆か。バレバレだな」

「……」



見事に言い当てられ、返す言葉が見つからない。何も言わず出て行くことばかり考えていた私は咄嗟に言い訳を模索するも、早々に計画が崩れてしまったことで動揺を隠しきれずにいた。だが、このまま何も言わず黙り込んでいる訳にもいかない。



「えっと、その……抜いてくれない?」




シズちゃんは初め何を言っているのかときょとんとしてみせ、しかしすぐに私の言いたいことに気付くと「あぁ」と言ってニヤリと笑った(気がした)。



「抜いて欲しい?何を?」

「わ、分かってるくせに言わせようとするなんて……!ほんっとシズちゃん最低!!」

「ははっ悪ぃ。みさきの反応があまりに面白いんで、つい」



何も知らないような顔をして普段通りに振る舞うものの、その笑顔の裏側にうっすらと陰があることに私は気付いていた。気を遣わせ無理に笑わせているのだと思うと、チクリと胸を刺す何かを感じる。1度決意したこと全てを放り出したくなるくらいに今はシズちゃんのことで頭がいっぱいなのに、これから私がしようとしていることはあまりにも矛盾だらけでスカスカだ。そもそも私のしようとしていることに、正当な目的(中身)は存在するのだろうか?現実逃避という名の逃げに走り出したい衝動を堪え、感情論だけに流されぬよう一旦目を閉じる。しかし、自分の中で主張してくるシズちゃんの存在を完全に無視できる訳がなく、異物が腹部に残っている感覚をどうにも否めない。



「ちょ、シズちゃん。一応言っておくけど、もう無理だよ私」

「生理現象だ。気にすんな」

「いや、するから!だから抜いてって!」

「なんだよ。一緒にいられる時間が限られてるんなら、少しでも長く繋がっていたいって思うのも悪ぃのか?それとも、みさきは違うのかよ」

「……!」



無意識のうちに聞く者を赤面させてしまうような台詞をサラッと口にしてしまうあたり、なんて達が悪いのだろうと思わされてしまう。そりゃあ、私が素直で可愛い女の子だったら「そうだね」なんてはにかんで笑えたんだろうけれど。



「シズちゃん反則。可愛すぎる……」

「あ?可愛いなんて言われて喜ぶ男がいるかよ」



褒めた(?)つもりが、逆に不機嫌そうな声音で返すシズちゃん。不意に後ろからかぷりと耳を噛まれ、突然の行為に思わず変な声を出してしまった。これではまるで躾のなっていない犬ではないか。



「もうっ、いい加減に離してってばー!!」

「チッ、仕方ねぇなあ」



シズちゃんは小さく舌打ちすると、不本意ながらもようやく自身を引き抜いてくれた。ずるりと蓋の役割をしていたものが抜け、正直喪失感が否めないものの、ひとまず自由になった身体を起こすことには無事成功。改めてシズちゃんと真正面から対面し、ようやく見ることのできた彼の表情に不覚にもドキッとさせられてしまった。行為中にかいた汗はだいぶ乾いているものの、1度濡れてしまった彼の前髪はいつも以上に癖が強い。元々癖毛であるが故に痕が残りやすいのだろう。くしゅっと掻き上げられた前髪があまりにも可愛くて、つい伸ばした右手でその髪を撫でてやる。それがよほど心地良かったのか、シズちゃんはそれこそ犬のように大人しく頭をこちらに預けてきた。「可愛い」二度言ってしまいそうになった言葉を慌てて飲み込む。気持ち良さそうに目を細めるシズちゃんが愛おしくて仕方が無い。



「でも、もう、行かなくちゃ」



来たるべき時が来てしまった。それは終わりであると同時に、始まりの時。ふわふわな髪の毛をひとしきり撫で終えた後、名残惜しくもその手を引く。シズちゃんは一瞬悲しそうな顔をしたが、敢えて気付かないふりをした。そうでもしないと、私はシズちゃんを都合の良い動機付けの道具にしてしまう。言い訳は無用。これは紛れもなく私自身が選んだ道なのだ。



「みさき、俺は諦めねぇぞ。往生際は悪い方だからな」

「!」

「決めたんだ、もうずっと前に。俺はみさきを逃がさねぇ。例えお前が何度逃げようが、何処までだって追い掛けて捕まえてやる」

「……あは。本当、シズちゃんって馬鹿だよね。私みたいな人、好きになっちゃうなんて。いっそ、逃げられないように骨でも折っちゃえばいいのにね」

「それ、俺もまじで考えたんだけどな」



物騒な内容をまるで他愛の無い会話のように話す私たちは、普通の人たちからしてみれば異常なのかもしれない。ーーいや、そもそも”普通”なんて存在しないのだ。普通の基準なんて人それぞれであって、どれが正解かなんて誰にも分からないし分かり得ない。だから私の今からしようとしていることだって最善策ではないけれど、少なくとも間違いではないのだと信じたい。

外はもう明るかった。身支度を整え、引かれ合うように彼と最後の口づけを交わす。 




「それじゃあ、行ってきます」



微笑みながら言ったつもりだが、果たして今の私は本当に笑えていただろうか。多分、引き攣っていたのだろう。シズちゃんは最後に何かを言い掛けて、すぐに口を噤んでしまった。ただ、寂しげに、静かに笑うだけだった。

この時、シズちゃんの言おうとしていたことをちゃんと聞き返してさえいれば、私は彼の心の葛藤にいち早く気付いてあげられていたのかもしれない。この時のことを強く後悔してしまう日が来るなんて、当時の私が知る由もなくーーひとまず、たった今この瞬間を持ってして、私たちは1つの終焉を迎えた。ただ、終わりの日と名付けるにはあまりにも清々しく美しい朝だった。



♂♀



「貴方ってまるで悪役よね」

「悪役(ヒール)にだって重要な役割はあるんだからさ。だって、面白くないだろう?悪役のいない物語なんて」



そんな秘書の皮肉めいた台詞に、いつもと同じ返し文句。残りの仕事を皮肉屋な秘書に押し付けて、そろそろ仮眠を取ろうかと伸びをしていた矢先にみさきが来た。



「(おっとぉ)」



出かけた欠伸を噛み殺し、様々な感情を抑え込みつつもみさきのすぐ側まで歩み寄る。ほんの数時間前に顔を合わせていたにも関わらず、今こうして対面する彼女はまるで別人のようだった。心構えが違う、というべきか。ようやくグラついていた不安定な土台を固め、前に進む決心がついたようだ。大切なものを置いてまでここに来たということは、それだけみさきの意思が強いということなのだろう。



「その、遅れてごめんなさい」

「いいよ別に。正直、本当に戻ってくるのかさえ疑っていたところさ。よく来たね」

「ちゃんと戻るって言ったじゃないですか。私」

「みさきちゃんにその意思があっても、シズちゃんがそれを許すとは到底思えなくてねぇ。だって、独占欲強そうだし。況してや俺なんかが関わってくるとなると、過保護なまでに敏感だろう?どうせ奴には気を付けろ、なーんて釘刺されてるんじゃないかい」

「あはは……そのまんまです」



苦笑いを浮かべ、改めて「お世話になります」と頭を下げるみさき。久方ぶりに帰ってきたみさきが事務所にいるという感覚に不思議と違和感はない。きっとこれこそが俺の待ち望んでいた日常。彼女と過ごした日々の思い出と共に、忘れ掛けていた様々な感情が蘇ってくる。そこでようやく実感できるのだ。あぁ、やはり俺はこの子に敵わないのだと。

みさきの手荷物は小さなボストンバック1つのみ。ひとまず床に降ろすよう提案し、彼女もそれに従った。どうやら波江もみさきとの再会を素直に喜んでいるようで、てっきり弟以外の人間には興味がないのだと思っていただけに少しばかり驚いた。



「お久しぶりです波江さん」

「貴女も大変ね。面倒な雇い主を持って」

「それは聞き捨てならないなぁ。随分と辛辣なこと言ってくれるよね」



元管理職だっただけに時間にもシビアな彼女は、ふと自身の腕時計に目をやると「それじゃあ私はこれで」とだけ言い残し、早々と身支度を整えるなり事務所を颯爽と後にした。波江の押すタイムカードは決まって正確だ。今回は罪歌の件を踏まえ、次の日の朝方までの勤務になりそうだと予め伝えてあったのだがーーこうして彼女が退勤したということは、俺は結局一睡もせずに朝を迎えてしまったという訳か。寝不足であるにも関わらず、残りの仕事量はえげつないという事実が、俺の頭痛を更に酷くする最大の要因であった。



「臨也さん、もしかして具合悪いんじゃあ」

「お察しの通り、罪歌のせいで酷く寝不足さ。そういうみさきちゃんこそ、目の下にクマできてるよ」

「えっ」

「ふーん?さては、昨夜シズちゃんと……」

「!!!!?」

「……ま、敢えて聞かないでおいてあげるよ。強いて俺も聞きたくなんてないし……」



この眠気を理由にいっそ寝てしまいたいと思うあたり、どうやらこれは嫉妬とかいう感情からくる行動の現れらしい。多分、俺はみさきとシズちゃんの関係を今でも快くは思っていない。化け物のする人間の真似事ほど見ていて苛立つものはない。これは人を愛していると吐かす妖刀らにも総じて言えることである。あぁ、どうしてヤツみたいな化け物がーーと言い出したら切りが無いので、このあたりで自重する。とにかく、極限状態にまで追い詰められた俺の脳は睡眠を酷く渇望しているようだ。睡眠なんて必要最低限でいいものだとばかり思っていたが、今回はそうも言ってられない。

ふぁ、と1つ欠伸を洩らすと、みさきが心配そうに俺を見る。さて、彼女をどうしてやるべきか。来たばかりだということもあった手前、放っておく訳にもいかないだろう。「うーん」暫し頭を悩ませた結果、「みさきちゃんも一緒に寝る?」という結論に至った。別に疚しい意味などない。少なくとも今、は。



「へっ?」

「ほら、2人くらいなら別に寝苦しいことはないだろうし」

「いや、あの、そういう意味じゃなくて」

「いつぶりだろうなぁ、誰かと一緒に寝るなんて。物心ついた頃には添い寝してやる側だったからさ、俺。みさきちゃんも知ってるだろう?俺に騒がしい双子の姉妹がいるってこと。あいつらのことだから当然、すぐには眠ってくれなくてねぇ」

「で、でも私、わわっ」

「それ、ダーイブ」



みさきの言葉を一向に無視し、彼女の腕を取ってずんずんと寝室に向かう。部屋中央に鎮座したベッド前まで半ば強引に引きずって来るなり、背中を軽く押してやるだけで、小さなみさきの身体はいとも簡単にベッドへと派手に沈み込んだ。受け身を取れず顔からダイブしたみさきは「わっぷ」と可笑しな悲鳴をあげる。いくらみさきが軽いと言えど、大人2人分の体重では流石にベッドも軋むようで、俺が端に腰を掛けるだけでぎしり、と小さく軋む音がした。



「はい、おやすみー」

「お、おやすみなさ……い?」



2人並んで毛布に包まり、天井を仰いで寝転がる。こうして上手い具合に流れに任せてベッドに引き込むことに成功してしまった訳だが、まるで状況を理解出来ないと言わんばかりの呆けた顔に、内心笑いを噛み殺すのに必死だったのは内緒の話。

カーテンで遮断された部屋は時の流れを忘れさせてくれる。ガラス板1枚隔たりの先に広がる空は今日も恐らく晴天で、今日も愛すべき人間たちは新たなる1日を迎える。交差点の待ち音に、踏切を走る列車の音。人々の雑踏、騒音、クラクションーー目を閉じれば自然と瞼裏に広がる池袋の変わらぬ風景。昨夜までの異形が起こした物騒な事件なんてとうに忘れ去られたかのように、池袋は平然とただそこに存在するのだ。



「なんだか臨也さん、変わりませんね。昨夜、あんなことがあったばかりなのに」

「俺は例え何が起ころうと、大抵のことは受け入れられる自信はあるよ。歳の割には随分と色々なものを見てきたからね」

「色々なもの……それって、シズちゃんも含まれているんでしょうか」

「当然。あいつこそが俺の中で最も異形な存在だろうね」

「そうですか?私からしてみれば、臨也さんの方が珍しい部類に入る気がしますが……あっ、別に悪い意味ではないですよ!?」

「あはは、いいよ。俺も自分が変わっていることくらい自覚してるし……ねぇ、みさきちゃん。そもそも”普通”って何なんだろうね?」

「! それ、私も全く同じこと考えてたんです!でも……結局分からず終いでした。多分、そんなもの存在しないんじゃあないかなって」

「それも1つの正解かもね。けど、俺の考える”普通”とはちょっと違うなぁ」

「じゃあ、どんなものなんですか?臨也さんの考える”普通”って」

「君にもいつか教えてあげるよ。きっと」



言っておくけど、一緒のベッドに入って手を出さないなんて今日くらいなんだからね。そう言ってにっこりと意地の悪い笑みを浮かべてやると、みさきは何言ってるんですかと顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。こうして上手く話を逸らした訳だが、果たして俺が彼女に普通とは何か説く機会は来るのだろうか。「いつか」とは言ったものの、そのいつかが本当に訪れるものだという保証は何処にもない。

出来れば教えてあげたいものだ。君が俺の元にずっといてくれると言うのなら、俺はーー



「臨也……さん?」

「ごめん。何もしないとは言ったけど、せめてこれくらいはいいだろう?」

「わ、私、やっぱりシズちゃんのこと……!」

「分かってる。今のみさきちゃんにとっての一番があいつでもいい。けど、今だけは……許してくれないかな」



ーー……馬鹿馬鹿しい。

ーー突然の恐怖心に人肌恋しくなるなんて、まるでか弱い乙女かっての。



頭ではどんなに格好悪いと分かっていても、装いだけでは強がっていられない時もある。孤独でいるのが当たり前だった俺をこんなにも弱くしたのはみさきだ。そんな彼女の身体を強く抱き締め、一時でも安心感を求める俺は間違いなく彼女のことを愛している。例え他の誰かのものになっていようと構わない。到底救いのない恋愛をしてしまったものだと我ながら呆れる。



「この期間は君にとって、シズちゃんへの気持ちが本物か否か確かめる為の恋愛ごっこだろう?なら俺にとっては、少しでも自分に勝算が残されているか否か確かめる為のものなんだ」

「……」

「ねぇ、みさきちゃん。俺は何も君とお手玉したくて一緒にいる訳じゃあない。だから、次目覚める時からは覚悟してよ。何をされても文句の言えない場所に君は来てしまったんだからさ。それを選んだのも間違いなく君だ」



今日から始まる恋愛ゲーム。同時に、俺は池袋中をも巻き込む新たなゲームを企画していた。さぁ、新たな盤を広げよう。過去に1度ゴミ箱に葬った駒たちを掻き集め、再び戦地に駆り立たせるのだ。当の駒たちーー特に王将でもある彼がそれを望んでいるかは別として。

一難去ってまた一難。次々と投下してゆく戦争の火種はまだまだこの手の内にある。俺がそれをやめない限り、この池袋では絶えず何かが起こるだろう。その変化を見ていたいのだ。無論、俺は火の粉の移る心配のない籠の外からの見物といこう。今、自身の立ち位置を変えるつもりは毛頭ない。ただ1つだけ心配事を上げるとすれば、このままみさきが大人しく傍観側に立ち回っていてくれるかという点だろうか。感情移入しやすいお人好しのみさきのことだから、それを上手い具合に調整するのもなかなか骨が折れそうだけど。



「(守るよ。俺が、君を)」



この両腕にすっぽりと収まってしまう程に小さく、か弱い君だけは逃がしてあげる。俺の振り撒く全ての脅威から逃れることの出来る立ち位置は唯二、『俺に近過ぎる位置』もしくは『俺から遠過ぎる位置』のみ。そして、どうか身をもって知って欲しい。君を本当に守ってあげられるのはあいつではなく、この俺だけなのだということを。

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -