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結局シズちゃんは何もしてこなかった。狭い部屋にそれぞれの布団を無理矢理敷き詰め、就寝の支度を整え終える。若干重たい布団に包まり、灯りを消した暗い部屋で天井を見つめ、あれから色々と考えてみた。芯の強いシズちゃんに対し、あまりにも身勝手な自分。改めて私は子どもなのだと思い知らされる反面、やはりシズちゃんは大人なのだと悟った。4つもの歳の差は馬鹿にできないーーいや、もはやこれは歳の差だけの問題ではない。私だって子どもだからと言い訳できる歳ではないのだ。そんなものは通用しない。

静まり返った部屋。寝息は聞こえてこない。シズちゃんはもう寝ているだろうか?声を掛けてみようとして、やめる。もしここで眠りの妨げとなってしまっては申し訳ない。何しろ彼は疲れているのだろうし、この状況で何から話したらいいものか、正直思いつかなかったのだ。



♂♀



さぁ、どうしようか。あれこれ考えているうちに今に至る。結局何もせずに床に就いてしまった。今更「やっぱり襲ってもいいですか」なんて口が裂けても言えやしない。だって、あまりにも格好悪過ぎる。

何度も繰り返し考えた。本当は触りたい。抱き締めたい。振り返れば色濃い一日であったが、今までよりもっとみさきを好きになれた。恋しくて恋しくて、堪らない程に。しかし力の抑制はできるようになっても、所詮俺は俺のまま。罪歌の前では開き直ってみせたはものの、結局のところ臆病者止まりなのだ。そりゃあ深くも考えてしまうさ。今までたくさん恐れ避けられてきたが、好きな女にだけは嫌われたくない。
自然とそう思ってしまうあたり、感情とは随分と厄介なものだと改めて知らしめられるのだった。こんなものが備わっているから、俺は完全な化け物になれない。いつまでもなり損ないの化け物のまま。



ごそっ

「(……?)」



毛布が擦れるような音と同時に、背中に違和感。何かがぴったりと密着しているようだと視覚ではなく感覚で察知する。大方予想はついたが、それ故、振り返ることができない。振り返ってしまえば俺ですら、自分がどうなってしまうか分からないからだ。こんなにもみさきが密着しているーー隙間なく、しかも同じ布団の中で。



「シズちゃん。起きてる?」



加えて、暗闇の中響き渡る、若干声量を抑えたみさきの声。ヤバい、なんだかゾクゾクしてきた。寒気や悪寒とは違った何かが、完全に休息モードへと切り替わっていたはずの身体中を駆け巡る。

背中にぴったりとくっついていたみさきは俺からの反応がないにも関わらず、めげずに次の行動へとシフトした。一旦離れたかと思いきや、今度は俺の身体によじ登る。おいおい、ちょっと待て。勘弁してくれ。冗談抜きで反応してしまう。本気で静止を掛けようと思い立ったその直後、身体の節がミシリと嫌な音を立てた。どうやら罪歌との乱闘の際に痛めてしまったらしい。さすがの俺でもこればかりは痛い。



「い"っっっ……〜〜っ!!!」

「ありゃ、起きてた?」

「起きてたも……何も……!つか、お前自分がなにしてるか分かってんのかよ!?」

「うーん」



みさきは可愛らしく首を捻り、少し間を置いてから「……夜這い?」言葉の意味分かって言ってんのか、こいつ。



「(夜這い、ねぇ……)」

「あ、今鼻で笑ったでしょ」

「暗くて見えてねぇくせに、なんで分かるんだよ」

「見えなくてもお見通しなんですー」

「じゃあ、今の俺が考えてることも分かんのか?」

「ドスケベなことときた」

「おっ、分かってんじゃねーか」



そりゃあ『夜這い』といえば、そういうことだろ?そこまでみさきも無知ではなかったようだ。



「まさかみさきの方から仕掛けてくるなんてなぁ」

「びっくりした?だって、シズちゃんがヘタレだから」

「おいおい。ヘタレだなんて酷ぇ言い様じゃねーか」



手探りでみさきの太腿を探し当て、撫で上げる。暗闇の中でも、みさきが僅かながらにピクリと反応したのが分かった。「んっ……」ほんの少しくぐもった色っぽい声。すっかりその気になってしまった俺は、横になったまま腕だけを跨るみさきへと伸ばした。服の隙間から両手を入れ、その先にある柔らかな2つの膨らみに触れる。瞬時に期待に高鳴る胸。



「ひぁっ、冷たい」

「あぁ、悪ぃ悪ぃ。確かに寒いよな、暖房もねぇし」



生憎、この安くてボロいアパートに暖房なんてものは備わっていない。灯油のないオイルヒーターが虚しくも部屋の端に鎮座している。このいい流れをぶち壊しにしてまで灯油を買いに行きたくなかった俺は、己の体温でほんのり温まった布団の中に#名前#の身体を導いた。身長差およそ25センチ弱の小さな身体は、細くて華奢な体型もあって難なくすっぽりと納まってしまう。こうして改めて枕のように抱き締めてみると、本当に彼女は細かった。本気を出せばボキボキと折れてしまいそう。きっと自力じゃあ動けなくなる程に、いや、それで済めばまだいい方だ。間違いなく”壊れる”。



ーー……壊れる?

ーーいやまて、完全に壊しちゃダメだろーが。せめて手足”だけ”にしねぇと。

ーーみさきは自分で歩けない。何もできない。

ーーそうしたら俺は#名前#を……



「……行くのか。今夜あたりに」

「あはっ、やっぱりシズちゃんにはお見通しかぁ」

「臨也の野郎に強要されてんのか」

「ううん、私が決めたこと。でも……ねぇ、シズちゃん。私、今でも悩んでるの」

「悩む?何に」

「本当にこのまま行くべきなのかって」

「じゃあ行くなよ。ずっとここにいればいい」



それが何より安全な選択肢ではないか。そう言おうとして、思い止まった。なにが安全なものか。だって、俺はついさっきまで何を考えていた?みさきを動けなくしてまで繋ぎ留めていたいと、あまりにも残酷なことを考えていたではないか。俺は何1つ変わっちゃいない。力をコントロール出来たとして、その力で好きな女を傷付けては元もこうもない。

守りたいと強く願う。腕っ節だけの問題ではない。強い意思が必要だ、今の俺には。



「……あー……」



天井を仰ぎ、溜め息。あまりにも情けない声に思わず笑った。が、うまく笑えているかは分からない。



「あいつは本当にどうしようもないノミ蟲野郎だ。高校からの付き合いだからな。嫌でも分かる」

「そうだよね。腐れ縁ってやつかな」

「いっそ腐って朽ち果てて欲しいけどな俺的には。……なぁ、みさき。もし……俺がそのクズみてぇなヤツよりもっとクズみてぇなこと考えてたら、みさきは俺を軽蔑するか?」

「えっ……」



本質の見えない唐突過ぎる質問にみさきが面食らったような表情を見せる。けど、みさきの考える『クズみてぇなこと』なんて、きっと高が知れているのだろう。



「どっちか好きな方選べ」

「……どういう意味?」

「アイツのところへ行く前に、今ここで”壊れちまう”か、俺のものになるか。言っておくが、これは脅しなんかじゃねえぞ。俺は本気だ。俺のものになるっつーのも、形式だけの意味じゃねえからな」

「あはは……究極の選択肢。って、笑える話でもないか。でも、私ばっかワガママ言ってちゃあ不公平だもんね」



みさきは何度か納得したように頷くと、大して深刻に考える素振りもなくあっけらかんとした態度でこう答えた。



「とりあえず今日は、壊れるとしますか。私は別に後者でもいいんだけど、それだとシズちゃん、外に出してくれなくなっちゃうしね。それは何かと不便かなぁ」

「……」

「いいよ、シズちゃん。私をーー」



壊して。その一言が合図だった。荒々しくその唇を奪い、舌を絡め取る。いつもは無駄な抵抗をしてみせるみさきも、今回ばかりは素直に応じた。ただ俺のペースに乗せられるどころか、お返しだと言わんばかりに積極的な反撃を繰り出して来る。食うか、食われるかの貪るようなキス。口づける角度を変えつつも相手の表情を伺うと、悩ましく伏せた瞳がやけに色っぽく見えた。

やがてみさきの長い睫毛が僅かに揺れ、それだけで酸素の限界が訪れたのだと悟る。どうやら肺活量の点に置いて、俺の方が断然優位であったようだ。まだまだ離してやるには早過ぎたが、あまりに苦しそうだと流石にやり過ぎかと思われた為、名残惜しくもゆっくりとみさきの唇を解放してやった。頬を染め、胸に手を当てながら呼吸を繰り返すみさき。こちらに向けられた涙目が悔しそうに何かを訴え掛けている。



「はぁっ……お、大人気ないなぁ……私なりに頑張ったつもりなのに……」

「残念だったな。負ける気がしねぇ」

「うぐ……っ!」

「そんなんでへばってたら、到底持ち堪えられそうにねぇなあ」

「そっ、そんなことないもん!私、体力には自信あるんだからね!」

「ははっ、どうだか」



やけに負けん気を見せるみさきがあまりに無邪気で可愛らしくて、他愛のない会話が堪らなく愛おしい。世の中にはどうしたって思い通りにならないものがある。例えばそれは己の境遇であったり、俺の場合は人間離れしたこの力であったり、生を授かったその瞬間から避けられぬものはたくさんある。だが、もし仮に俺とみさきの仲を引き離そうとするそれも「運命」と言い切れられてしまうのなら、そんな運命は糞食らえ、だ。

どうして俺たちは普通に付き合えないのだろう。それとも、世に溢れている恋人たちも何かしら各々に問題を抱えているのだろうか。ただ何も考えずに楽しそうに笑うカップルを俺は今までに五万と見てきた。羨ましいと感じたことはない。ただ、どうして俺たちにはああいう風になれないのかと自問ばかりを繰り返してきた。互いのことだけを考えていればいいーーそんなシンプルな恋愛ができたらどんなに気が楽なことか。ただ俺はみさきと一緒にいたいだけなのに、それすら化け物である俺には許されないというのか。そんなやさぐれた考えが、結果的に俺を更に狂わせた。本当に欲しいと願うたった1つが、手に届きそうで届かない。何を犠牲にすれば手に入れられる?その答えは未だ解明されることなく悶々と頭に残っている。



「私、本当にシズちゃんが大好きだからね」



そんな複雑な俺の心情を汲み取ったのか、みさきがこちらを覗き込んで言った。つくづくみさきは人の心を読み取るのが上手いと感じる。が、このタイミングで普段はなかなか言わないようなことをぺらぺらと喋られても困るのだ。尚更手離したくなくなってしまう。明日の朝を迎える頃にはもう、みさきは隣にいないかもしれないというのに。それを知っているからこそ辛いと感じるし、それこそ『クズみてぇなこと』をしたい願望が次々と絶えないのだろう。

部屋と言えどやはり真冬の空気は冷たいが、布団の中は2人分の体温により程よく温まってきた。ぬくぬくとした心地よい感覚も捨て難いが、布団に包まったままでは身動きが取りづらい。一旦身体をがばりと起こし、己の肌を曝け出す。肌を刺すような寒さではあるが、気持ちの高ぶりがそうさせているのか不思議と苦にはならなかった。脱ぎ捨てたシャツを放り投げ、再び布団の中に潜るとみさきの上に覆い被さる。小さくてか細い身体を抱き締め、彼女への愛おしさに暫し言葉が出てこなくなった。もし俺が行かないでくれと泣いて懇願すれば、みさきは何と応えるだろう。まるで子どもみたいな発想に、我ながら聞いて呆れる。



「俺も、ちゃんと好きだからよ……心変わりすんじゃねえぞ。あと、もっと食え。細過ぎんだよみさきは」

「シズちゃんは私を太らせたいの?太らせてから……食べちゃうのかな」

「あのなぁ、俺はマジで心配してんだからな!」

「うん、分かってるよ。ありがとう」

「……ったく」



あぁ、そんな風に泣きそうな顔で俺に笑い掛けないでくれ。

感謝なんてするな。俺はそんなに優しい奴じゃあない。



「んっ……」



何も返せず、代わりにキスで返す。もう一度ぎゅっと抱き締めて、改めてその細さに不安になる。



「……やっぱ細ぇよ、お前。俺じゃなくたって折っちまいそうだ」

「そんなに心配?」

「あぁ、色々とな」



不安は尽きない。きっとみさきの両腕両足を?いだところで何にもならないだろうし、口を塞いでしまったところで彼女の可愛らしい声を聞くことが出来ないのはもっと嫌だ。恋愛ってのは面倒だ。どこまでも欲張りになってしまう。こんなこと、みさきと出会うまで知らなかった。

不安がる俺に対し、みさきはのんきに笑う。骨折れちゃったら困るなぁ、なんて、大したことでもないような口振り。



「でも、シズちゃんならいいよ」

「!?」

「なんだか、今なら何されても抵抗出来ないような気がするなぁ……なんちゃって」

「おいおい、こんな時にそーいう冗談はよせ。まじになっちまうだろうが」

「私だって本気だもん」

「……」



ーー今なら、笑って許してくれるのかよ?お前は。

ーー例え俺がどんなにひどいことをしたって、怖がらずに微笑んでくれるのか?



頭の芯が冷える感覚を覚えると同時に、やけに冷静でいる自分に驚く。自分では見ることが出来ないが、瞳の色素がスゥっと抜けていくような感じがした。



ーー……なんだ?この感覚。

ーーまるで身体全身が冷えていくような……



「寒ぃ」

「……シズちゃん?」

「なんか、よく分かんねぇけど……すげぇ寒ぃんだよ……」



普段体温の高いこの俺が、こんなにも凍えるのは一体何故?みさきは心配そうに寒がる俺を覗き込み、両手を伸ばすと「温めてあげる」と言って笑った。その言葉に素直に甘え、身を沈める。彼女の両腕がふわりと首回りに回され、途端、心地好い感触に自然と瞼を綴じた。なんて優しくて、暖かいーー



「ふぁ……ッ、シズちゃ……」



下から潜り込ませた手で肌を撫でる。女性を意識させる滑らかなボディラインをなぞり、指の腹で弾力性のある肌の感触を楽しむ。さすが若さ故の滑らかな肌触りーーなんて、俺も思うことがいちいち年寄り臭い。

くぐもったみさきの声はいつもに増してやけに色っぽくて、もっと聞きたいと気持ちが高まる。しかし心は冷えたまま。ひんやりと、冷たい。別に体温に問題がある訳ではないのだ。みさきの腕の中は勿論温かいのだけれど、やはり何かが冷え切ったままだった。



「まだ寒いの?こんなに寒がるなんて珍しいね、シズちゃんが」

「あぁ……でも、みさきが温めてくれるんだろ?」

「私に出来ることなら何でもするよ」

「何でも……か?」

「うん。どうして欲しい?」



欲しい。今すぐ、みさきの全てが。

この冷えの正体はもう分かっている。己の欲に忠実であるが故に非情になった自分自身ーー認めてしまえば最後、俺は自分で自分を制御出来なくなってしまうだろう。彼女の気持ちなんてお構い無しに。みさきは自身のことを自分勝手だと自虐的に言ったが、結局のところ俺だって同じだ。



「……しようぜ。セックス」



自分の中で何かが切り替わる。

もう、誰にも止められないーー

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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