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臨也さんは電車をあまり使わない。いつも池袋までは専用のタクシーを利用している。しかし、ごく稀に見る怪しげな――見るからに一筋縄じゃあいかないような強面の男が運転する黒い車を、私は最近になって頻繁に見るようになった。

この間臨也さんが私を迎えに来た時も、この車に乗ってやって来た。私の通う大学の風景と高級感溢れる黒い車が、あまりにミスマッチだった事を今でも鮮明に記憶している。――しかし



「おや、貴女が例のみさきさんですか」



高級車の後部座席。三十代〜四十代であろう切れ目の男が、私を見るなり薄く笑った。威圧感のあるその男は自らを『四木』と名乗ると、車に乗るよう促す。



「まぁ、そう警戒なさらずに座ったらどうです?なに、事のついでです。事務所まで送りましょう」

「あ、あの……?」

「彼は俺の取引先さ。大丈夫。さすがの俺も、彼らを騙したりした事なんかはないからさ、信用できるよ」

「おや、随分と人を騙してきたような口ですね。もっとも、我らを敵に回したりしたらどうなるかなんて事は……お察しがつきますよね?」

「肝に銘じておきますよ」



臨也さんは僅かに苦笑すると、私の背中をとん、と押した。「乗れ」とでも言いたいのだろう。なんだか自分だけ置いていかれたような状況にムッとしつつ、大人しく車に乗る事にする。

広い車内。四木さんが吸っていたのであろう煙草の匂いが鼻を掠める。煙草が嫌いな私は無意識に嫌な顔をしていたらしく、それに気付いた四木さんが「おっと失礼。煙草は嫌いのようですな」と笑って、車窓を3分の1ばかり開けてくれた。途端に都会の空気が車窓の隙間から入り込み、私の前髪をそよそよと揺らす。



「あの、すみません」

「いえいえ、お気遣いなく。煙草は身体に毒だと言いますしねぇ、私も機会があればやめたいとは思っているのですが……なかなか難しいものです」



そう言って冗談っぽく笑い、片手でぐしゃりと煙草の箱を握り潰す。なんだか高そうな銘柄だ。どうやら中身は空だったらしい。



「それに……みさきさん。私は貴女といつかお会いしたいと思っていました。なんせ、あの非情な情報屋が妙に気にかける唯一の女性なのですから。よく耳にしましたよ。折原さんの口から貴女の名前を」

「……え?」

「ッ!四木さん!」

「おや?折原さん。アンタがそんなに分かりやすく動揺するなんて、よほど聞かれたくない事でしたか」

「……今日は随分と口が軽いようですね」

「失礼。ただ、そちらの関係に少しばかり興味が沸きましてな」

「……」



なんだか気恥ずかしい気持ちになり、助けを求めるように隣へチラリと視線を送ると、そこには顔をほんのりと赤く染めてそっぽを向く臨也さんがいた。窓の外の景色に目を向けたまま此方を見ようともしない。そこで私は彼が照れているのだと気付き、余計に気恥ずかしさが増してしまった。

四木さんは相変わらず「いいですなぁ、若いってのは」なんて言いながら笑っている。初めはただ怖そうな人だと思っていたが意外と話せる人のようだ。車に乗り込んで30分程が経過した頃、タイミングよく運転席の方から野太い声があがる。気付いたらそこは、新宿の見馴れた風景だった。



「旦那。そろそろ目的地に着く頃ですが」

「おっと、そろそろお別れの時間のようだ。少しの間でしたが話せて良かったですよ。みさきさん」

「あの、こちらこそ本当にありがとう御座いました」



車を降り、もう1度ペコリと頭を下げる。臨也さんは「先に事務所に戻ってて」と私に告げると、四木さんの方に再び身体を向けた。



「俺は四木さんと少し話をしたいから」

「? ……分かりました」



妙に緊張感のある声。仲が悪い風には見えなかったけれど、関係上何か重要の事でも話し合うのだろうか?

疑問には思ったものの口にはせず、臨也さんの言う事に従って先に事務所に戻る事にした。きっと2人の会話を聞いたところで私なんかは邪魔になるだけだ。薬で誤魔化してはいるが、それでもフラつく足取りでエレベーターに向かう。ボタンを押すとエレベーターはすぐにやって来た。乗り込んでから、もう1度チラリと臨也さん達の方を見る。



――何かあったのかな。



ここから2人の表情は見えない。ただ車の方を向く臨也さんの背中が視界に映るだけで、色々と考えているうちに、ゆっくりと閉まるエレベーターの扉によって視界を遮られてしまった。

指紋を認識し、ピピピと音をたてて開くドア。私は部屋に入り再びドアを閉めると、真っ先にベッドのある部屋へと向かった。ちなみに、この部屋は臨也さんの事務所の隣部屋であり、私の新しい住居でもあるのだ。大学生になってからとりあえずバイトを始めていたものの、本来の学生ならば、こんなに高価な部屋を借りる事は出来ない。第一、バイトなんかの収入ではすぐに底を尽きてしまう。しかし、臨也さんがバイト先にちゃっかりと連絡を入れていたらしく、膨大な金額と引き替えに、私を再び秘書として雇った。バイトとは言えど、急に辞めれるような仕事ではない。勿論、初めはバイト側も渋ったらしいが、最終的に首を縦に振る結果となる。後にバイト仲間に聞いた話だと、臨也さんは私を辞めさせるためだけに、多額の金額を払ったらしい。おかげで私はお金持ちの令嬢扱いを受ける事となり、誤解を解くのに多くの時間を費やしたのだった。



「……疲れた」



ボフン、とベッドに身体を沈め、手元の枕を抱き締める。ベッドに横になる度にシズちゃんの温もりを思い出してしまう。同時に身体が燃えるようにカッと熱くなり、風邪の熱に加え、更に体温が熱く感じられた。



――キス、してしまった。

――シズちゃんも意味分かんないけど、私もほんと意味分かんない……



どうして受け入れてしまったのだろう。どうしてキスなんてしてきたのだろう。

頭の中に疑問ばかりが浮かび上がり、解消されぬまま蓄積されてゆく。どうしようもない頭痛を感じ、私は枕に顔を埋めた。何も考えたくない。罪歌の事も、何もかも。全て忘れて楽になりたい。シズちゃんが私を忘れたように、全て忘れてしまえばいいじゃないか。



――忘れてしまいたい。



そう思う度に、あの古傷が痛む。まるで罪歌がそれを許さないとでも言うかのように。その痛みは尋常ではなく、強制的に意識を引き戻されてしまうのだ。目を背ける事など決して許されない、悲しい現実に。

仰向けに寝転がり天井を見つめ、1つ小さなため息を吐く。ふいに誰かが部屋に入って来る気配を感じ慌てて身体を起こした。そこには片手に私の携帯を持った臨也さんの姿。「勝手に入らないでくださいよ」不満げに告げても彼は笑うだけで、何事もなかったかのようにベッド脇に腰掛けた。



「四木さんとの話は終わったんですか?」

「まぁね、そんなに長引くような話じゃなかったし」



2、3口だけ言葉を交わすと、お互い何も口にしないまま時間だけが過ぎる。今まで色々あったけれど、やっぱり私は臨也さんの事を心の底から信頼しているんだと思う。特に気まずくも感じられないし、むしろ側にいてくれる事に、安心感を抱いている自分がいる。



「みさき、……ちゃん?」



――…同時に、

何が悲しいのか、自分でも分からなくなってきた。それでも無性に誰かの温もりを感じたくなって、臨也さんの背中に顔を埋めた。臨也さんは珍しくも戸惑いつつ、それでも私に気を使ってくれているのか背中だけは動かさずに、顔だけをこちらに向けて言った。



「どうしたんだい?」

「……シズちゃんに、会ったんです」

「……それで?」

「私の事、覚えてなくて」

「……」

「分かってます。これは私が望んだ事だから、むしろ喜ぶべき事なのに……いざ直接会って『思い出せない』って言われると……ちょっと、心が痛むかなって」



まるで赤の他人を見るような、あのシズちゃんの目が悲しかった。私の事を知らないんだから、それは当たり前の事なのに。だからこそ最後まで他人扱いして欲しかった。それなのに――



「なにか、された?」

「……」

「……シズちゃんって、本当に本能のままに生きる奴だよね。頭では覚えていないくせして、身体がみさきちゃんを覚えていたんだろうね。……だからこそ、そういう中途半端なところがムカつくんだよ」



臨也さんはそう言い終えるなり、もう1度私の名前を呼んだ。その呼び掛けに反応した私が彼の背中から離れると、臨也さんは身体の向きをこちらへ変え、両腕を私に向けて伸ばす。



「あんな奴、もうやめときなよ。それとも……心のどこかで期待してた?もしかしたら思い出してくれるかもしれないって。でも、実際に会ってみて分かったでしょ?もう、その見込みは限りなく0に近いって」

「……」

「あんな単細胞は放っておいて、きっぱり諦めちゃいなよ。どうせ想い続けたって無駄なんだから。それで君が傷付くくらいなら……新しい恋を探せばいい」



追い討ちをかけるように臨也さんが続ける。それはあまりにも核心をついていて、私は途端に何も言う事が出来なくなってしまった。

しかしその声はどこまでも優しくて、まるで傷付いた私をなだめるようで。



「代わりになる恋愛なんてそんなもの存在するのかな……」

「それはみさきちゃん次第じゃない?……ていうかさ、今の君はシズちゃんのものでも何でもない訳でしょ?だったら、今俺が君に手を出したところで何1つ問題ないって事、だよね?」

「どういう意……」



言葉は最後まで紡がれる事なく、途中で途絶えて私の中に消えた。フッと視界が暗くなり、気付いたら臨也さんの顔が離れていった。

己の唇に、何か柔らかい感触が触れた事に気付く。あっという間の出来事すぎて頭の回転がついて行けない。状況が把握できた頃、そこでようやく臨也さんにキスされたのだと理解した。



「い、……臨也さん!?」

「次抵抗しなかったら、俺その気になっちゃうかもね」

「だ、だから!なんでいきなりこういう事……」

「君が、泣きそうだったから」

「!! ……なッ」

「図星?」

「……ッ!」



――どうしていつもこの人には、考えている事から何までお見通しなのだろう。

――……私に優しくしてくれる理由が、分からない。



「……臨也さんは、どうして私なんかによくしてくれるんですか……?」

「あはは、突然面白い事を訊くねぇ」

「……結構真剣な話なんですけど」



いくら罪歌について知りたいとはいえ、私にここまでしてくれる必要なんてないはずだ。なんせお金もあるし、私以上の人材を見付ける事なんて容易いだろう。



「1つだけ、教えてあげるよ。俺が君によくする理由ってのは、ぶっちゃけちゃうと君の為じゃない。というより……自分の為なんだよねぇ。基本、俺は自分の目的にしか興味はないし、それ以外のものはなんだって利用してみせるよ」

「……だとしても、私が臨也さんの為にしてあげられる事なんて……」

「側にいてくれればいい」

「!?」

「うん、今はそれだけでいいや。出来る事なら、俺は君にシズちゃんを忘れてもらいたいんだよねぇ」



頭の中が真っ白になる。それはあまりにも唐突で、衝撃的な告白だった。



「俺は多分、みさきちゃんの事が好きなんだと思うよ?それも、ずっと前から」

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