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そういえば以前にも似たようなことがあったな、と担がれながら思う。シズちゃん相手に抵抗など虚しいと熟知していた私は、そんなことをぼんやりと考えながら暗い夜空を仰ぐ。ぽっかりと浮かぶ紅い月と、いつの間に姿を表した星々の瞬きに一瞬だけ目が眩んだ。冬の刺すような寒さは割りと嫌いじゃあない。澄んだ空気に瞬く星々は一層綺麗にも見えるし、私はどちらかというと夏よりも冬派なのである。しかし冷え性なのはやはりどうしようもない訳で、氷のように凍えた指先はもはや感覚すら死んでいる。



「何処に向かってるの?」



そのたった一言が切り出せない。聞いてしまえば私は拒否しなければならないから。だって私はもうシズちゃんの彼女ではないのだ。理由が何であれ、結果的につまりは”そういうこと”だ。

一人であれこれ考えているうちに、とうとうアパートの前まで担がれて来てしまった私。シズちゃんはお構いなしに階段を登ってゆく。皆が寝静まったこの時間帯では、普段大して気にもならない雑音がやけに大きく感じてしまう。彼の足取りがここへ向かっているであろうことは容易に想像がついた。だから、切り出せなかった。私はここへ戻ってはいけない。戻れない。拒絶の言葉を口にする代わりに、私は最後の抵抗としてぺしぺしと広い背中を叩いてみた。しかし彼は動じない。今度は肩を叩いてみる。効果は意外な形で現れた。



「ぅおっ、冷てぇ!」

「あ、ごめん。首に当たっちゃった?」

「お前の手、冷え過ぎだろ。そんなに寒いか?いや、俺の感覚がおかしいのか……?」

「シズちゃん、体温高いもんね。私冷え性だから、手足の指先すごく冷えるみたい」

「にしても冷てぇな。ちょっと手ぇ貸せ」

「この体勢で?」

「……」



さすがに無理があると思ったのか、シズちゃんは階段を登り終えると私の身体を解放してくれた。ストン、と地に足を着ける。なんだか随分と久々に自分の足で立っている気分。そんな感覚に若干足元がふらついてしまうが、シズちゃんが支えてくれたお陰でどうにかバランスを保つことには成功した。

無言のまま手を取られ、ギュッと強く握り締められる。私の小さな掌はシズちゃんのそれにいとも簡単に包み込まれてしまった。まるで凍ってしまったかのように冷たくなった掌がじんわりと解凍されてゆく。シズちゃんはそのまま私の手を口元に寄せると、白い息を吐き掛けながらゴシゴシと摩擦で温めてくれた。



「とりあえず部屋の中に……って、そーいや石油買ってきてねぇんだった。くそっ」

「え、シズちゃん私がいなかった間ストーブ使ってなかったの」

「気が気じゃなくてよ、それからすぐセルティに呼び出されてな。そしたら罪歌とやらが来やがってこの様だ」

「もうっ、だから私は言ったのに!罪歌にだけは関わらないでって!」

「約束破ったのはお互い様だろ?これでチャラだ。んなことより俺は、これからの話がしたい」

「っ」

「誤魔化すなよ?逃げるのも許さねぇ。今まで曖昧にしてたこと、いい加減白黒つけよーぜ」



極限避けたかった話題が突然口頭に上がってしまった。さて、どう説明すれば良いだろう。円滑に話を進める方法を頭の中で模索する。考えて考えて、だけど思い付かなくて。やはり包み隠さずありのままをそのまま話すのが懸命か。



「あのね、シズちゃん。怒らないで聞いてよ?」



意を決し、切り出す。しかし「実は……」と臨也さんのことを話し出そうとした途端、何故かシズちゃんにその先を遮られてしまった。話すよう促してきたのはそっちのくせに、と口を尖らせる。



「いや、ちょい待て。まずは中に入ってからだ。お前がそーいう顔してる時に切り出す話題は大抵ロクでもない話だからな


「……私、そんなに信用性ない?何度も聞くけど」

「あぁ」

「即答!?」

「言ったろ、気が気じゃねえってよ。みさきのことになるとダメなんだ。俺」

「……」



シズちゃんの言葉はあまりにも真っ直ぐに正直過ぎて、聞いているこちら側は思わず赤面してしまう。赤く染まった頬がバレるのが嫌で、すぐに顔を逸らしてしまった。



部屋に入るとそこは変わり映えのないいつもの風景。今日一日にたくさんのことが起こり過ぎたせいか、その変わりない風景にほっと胸を撫で下ろす自分がいた。なんてことない日常がこんなにも安心できるものだったなんて。罪歌とかいう妖刀だとか、そんな魑魅魍魎とした非日常の中に身を置いていると次第に感覚が鈍ってくるようだ。大抵のことにはもうすっかり馴れてしまったのだけれど。

落ち着きなく辺りをキョロキョロと見渡していると、シズちゃんにどうしたとつっこまれる。別に疚しいことを考えていた訳ではなくて、ただ何処となく緊張してしまっているだけ。シズちゃんと2人きりなんてそう珍しいことではないのに、寧ろそれがついこの間まで日常であったはずなのに。一日のうちに日常と非日常が大きく逆転してしまうほど、今日一日が密度の濃い一日だったと言えよう。しかし余計なことを考えている余計は皆無。やはり無言のままシズちゃんは私を引き寄せ、再び抱き締める。すかさずスルリと彼の手が服の中に入り込み、優しく肌を撫で上げた。ひゃう、と思わず変な声が出てしまう。いくら体温そのものが高いとはいえ、服で完全に防寒された部位を剥き出しの手で触れられるとやはり冷たく感じるものだ。



「つ、冷たい!」

「あぁ、悪ぃ。ちょっとだけ我慢な」

「ちょっ、たんま!やだやだ、寒いし!」



シズちゃんは完全に飢えた獣モードへと突入してしまっていた。私が嫌だと言っている最中、着々と服を脱がしにかかる。やけに手際良くフックを外された下着は呆気なくも床へと落下し、それだけで肌に刺すような体感温度が若干低くなったような気がした。



「じ、冗談でしょう!?ストーブもないこの寒い部屋で!凍え死んじゃう!!」

「じゃあ、尚更早く脱がねぇとな。ほら、雪山で遭難したら裸で温め合うのがいいって言うだろ」

「私たち遭難してる訳じゃないから!ていうか、そんな使い古された漫画みたいな展開なんていらない!!」

「大丈夫。毛布ならあるぞ」



そう言ってシズちゃんはソファの上に無造作に置かれた毛布を手に取り、私の目の前で大きく広げてみせた。呆れて物も言えない私を今度はソファに座らせ、毛布で自分の身体ごと包み込む。確かに毛布は暖かいのだが、これからしようとしていることを考えると気が気でない。寒いからというのも逃げの言い訳の1つなのだが、かわせる見込みはほぼゼロに等しい。シズちゃんの手つきがやらしくなっていくにつれ、頭の中が真っ白に塗り替えられてゆくーー体温とは違う熱が帯びてゆくのを感じ、途端に怖くなった私は逃げるようにぎゅっと目を瞑った。

なんで目閉じるんだよ。真っ暗な世界に彼の不機嫌そうな声だけが響き渡る。口ごもる私に追い討ちをかけるように、シズちゃんは私の頬をムニっとつまんできた。痛い。



「いひゃいって(痛いって)」

「じゃあちゃんと答えろよな。じゃないと今すぐ押し倒すぞ」

「そんなこと言われても、既に押し倒されてるようなものじゃん……ちゃんと話したら開放してくれるの?」

「それはないな」



あっさりとそう返された。どっちみち結果は同じではないかと反論しようとして、やめる。今の彼に何を言っても無駄なのだということは今までの経験上十分熟知している。



「なんつーか、その……赤面するのやめろ。お前の赤面は移るんだよ」

「そ、そんな無理なこと言わないで!だってだって、なんかやけに緊張しちゃって……いっぱいいっぱいなの!」

「……みさきのそれは天然なのか?」

「はい?」

「やっぱり駄目だ。尚更押し倒したくなった」

「!!?」



ずいっとシズちゃんの顔が目と鼻の先まで迫ってくる。思わず仰け反るとゴツンと壁に後頭部をぶつけてしまった。そんな私を見て吹き出すシズちゃん。落ち着きねぇなあと笑いを噛み殺しながら、それでも堪えきれずクククと笑う。余裕な態度が腹立だしくもあり、それでも憎めないのはどうしてだろう。



「みさきは俺のことが大好きなんだもんなあ?なんたってあんな公共の場で……」

「あああああれは!その、勢いだから!なんでそんなににやけてるの!?」


「そりゃあにやけもするさ。俺もみさきのことが大好きだからな」



まるで子犬のように頬を寄せ、かと思いきや不意打ちで耳を甘噛みされる。くすぐったいようなむず痒いような、変な感じ。



「ん……っ」

「スイッチ入ったか?」

「シズちゃんの馬鹿」

「なんとでも言え」



ならば何とでも言ってやろうとするよりも先に、口をシズちゃんのそれでやや強引に塞がれた。長い長いキスをして、一旦離すとまた口づけて、何度互いの唇を交わし合っただろう。とろけるような甘いキスに、もういっそのことこのまま二人で溶けてしまいたいとさえ思ってしまった。

どうして私は普通の恋愛が出来ないのか。こうやって何も考えずに愛する人と愛し合
えたならどんなに幸せなことだろう。何がいけない?どうすれば私は普通になれる?過去に犯した過ちが原因であるのなら、それが何なのか私は知りたい。シズちゃんとこうしていられるのなら、私はーー



ーーそうだ。何だってしてみせようと、あの時そう決めたじゃないか。

ーー曖昧にせず、ちゃんと話さなくちゃ。



「私、臨也さんと付き合うことになったの」

「……は?」



想定内の反応。話の雲行きが怪しくなると同時にシズちゃんの表情も曇っていった。やはり彼の前で臨也さんの名を口にすることはタブーのようだ。



「悪ぃ。今、空耳が聞こえた」

「多分空耳なんかじゃないと思うよ。ごめんね、あまりにも突然過ぎて信じられないとは思うけど」

「いやいや、ちょっと待て。お前、それじゃあさっきまでのは一体なんだったんだ?今更全部嘘でしたってんなら、俺だってさすがに怒るぞ」

「嘘なんかじゃない。私はシズちゃんが好き。それだけは信じて」

「そんなんで信じられるかよ。第一、どうしてよりによってあんなヤツと……」

「……ごめん。私、正直人を好きになるってことがいまいちピンと来ないんだ。確信が持てなかったというか……あまり上手く言葉にできないんだけど……」

「そんなん理屈じゃねぇだろーが!んなこと言ったら俺だって……!!あーくそっ、やっぱりロクでもねぇ。ちょっと黙ってろ」

「ほら、そうやって今度はシズちゃんが逃げる!お願いだから話を聞いてよ」

「……」

「絶対絶対、ここに帰って来るから。こうすることが本当に正しかったのかどうかは私にはまだ分からないけれど、意味のなかったことにはさせない」

「つまり、それまで俺に待てと」

「……」



沈黙。それもそのはず、誰だって待たされることを好む訳がない。図々しいお願いだということは分かっていた。随分と勝手な話だと我ながら苦々しく思う。ここで何と罵倒されようと反論できる権利などない。呆れられる覚悟で打ち明けた。あとは彼の次の言葉を待つだけーー俯き、その時が来るのを待つ。しかしその時が来るのは案外早く、思っていたよりもずっとあっさりしたものだったのだ。

第一声は「仕方ねぇな」。都合のいい私の空耳かと思い、えっ、と一度聞き返す。驚くことに顔を上げた視線の先にいる彼の表情は私を怒るようでも軽蔑するようでもなく、とても穏やかなものだった。



「勿論ものすごく嫌だけどな、俺も正直分からないことだらけだ。みさきが好きなことは確かなんだけどよ、どこがって聞かれたらそれは……」



暫し間を置き、彼の出した答えは



「顔?」

「うわぁ……それは喜ばしいことなのかな」

「みさきをみさきだと認識できるのは、ぶっちゃけた話そーいうところだろ。あとは、におい。もしみさきが全くの赤の他人と中身が入れ替わったとして……」

「ちょっとちょっと、なにその何でもありな設定。やっぱりシズちゃん、典型的な漫画の読み過ぎじゃあ」

「そんなこと起こってみないと分からねぇだろ。もしかしたら朝遅刻しそうな時に曲がった角でぶつかった拍子に中身が入れ替わるかもしれねぇじゃんか」

「(だからそれを漫画の読み過ぎだって……)」

「ともかくだ、それでみさきの見た目が全くの別人になったとして、俺はみさきをみさきだと分かってやれる自信はない」

「それは……誰だってそうだと思うけど」

「いや、駄目なんだよそれじゃあ。俺もみさきのことが好きだと言える不変的な理由が必要なんだ。そうでもないと、俺なんかが人を好きになれるはずがねぇ」

「シズちゃんは、人だよ」

「いや、化け物だろ。”これ”は」



そう言って両の掌を見つめ、笑うシズちゃん。しかしその笑みは皮肉めいたものではなく、純粋に溢れた笑みであった。



「俺はこの力を完璧に自分のものにしてみせる。そしたら俺は、ようやく今までの自分と決別できるような気がするんだ」

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