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どうしてこんなに噛み合わなかったのだろう。一見単純そうなパズルに見えて、なかなかぴたりとはまらない。幾度もピースを当ててみては、これも違うあれも違うと試行錯誤の繰り返し。もっと簡単だと思ってたんだけどな、なんて。だって知らなかったんだ。人を愛することや、愛されること。私たちはお互いに素人だった。それ故にあまりにも無知過ぎた。パズルのピースの見つけ方なんて誰も教えてくれなかったのだから。

盲点だったのは、答えのピース(真実)は案外すぐそばにあったということ。初めからずっと足元に転がっていたのに、長いこと見落とし続けてた。早速手に取りはめてみる。カチリ、と音がした。そうか、やっぱりこれが答えだったんだ。気付くのが少し遅すぎたけれど。



ーー格好良い。



今はただただ、その一言に尽きる。まるで破壊神の如く罪歌たちを圧倒的な暴力でねじ伏せてゆくその様を私は見ていた。見ていることしかできなかった。今の彼に躊躇なんてものは感じられず、寧ろ吹っ切れたように己の力を限界まで奮う。力を解放する時はいつだって無意識、そして全てが残骸へと化した頃には後悔と懺悔。彼は何度もそうやって繰り返しては自分自身を責めてきた。

しかし今回はそうならないと断言できる。表情を見れば一目瞭然。こんなにも楽しそうに、嬉しそうに、彼は確かに”笑っていた”。私はその傍らで立ち尽くし、その勇ましき勇姿に見惚れていたのだ。



♂♀



同時刻 池袋とある路地


「お互いが想い合っているだけで成立する恋愛なんて、せいぜい高校生までだよねぇ」



誰に聞かせる訳もなく、俺の独り言は虚しくも路地に響き渡る。どうせこんなところに人などいないだろうし、もし聞かれていたとして、今時いがちなクサいポエマーだと思われてそれでおしまいだ。

人と人との繋がりは案外希薄。自分に関わりのない人間のことなんてだぁれも興味を示さない。俺は違うけどね。視界に映る全ての人間が常に観察対象。ただし、今だけは例外。果たして俺は現段階で視界に映る人間たちを人間と認めていいものか。見た目は人間以外の何者でもない、瞳が赤いことを除いては。ただその赤く光る眼に俺の姿が映ることはないだろう。俺は彼らの視界よりずっと上の上ーーつまりは高い場所から悠々と見下ろしているのだから。片手で携帯を操作し、各々の状況把握。確認。順調。口端が緩む。



「ま、贄川春奈の方は勝手にどうにでもなるだろうし……どうせシズちゃんは死んでくれないんだろうしなぁ。刀如きに初めから期待なんてしてなかたけどさ、せめてもっとどぎつくメンタル面をへし折ってもらいたかったよ」



現実は真逆。ヤツを更に奮い立たせたのはやはりみさきというたった1人の存在だった。きっとヤツは全ての人間を敵に回したとしても、みさきさえいればいいとさえ思っているのだろう。しかし、みさきが敵に回るといった逆の発想で考えてみれば、それはなかなかに面白い。俺はそれが現実になり得る可能性を既に見出し始めている。



ーーもうさ、デュラハンだとか戦争だとか、そんなことどうでもよくなるくらいに楽しくなってきちゃったよ。こっちの方が。

ーー今更そんな身勝手な言動が通用するとは思っちゃいないけど……まぁ、上手い具合にどうにかするさ。気張ってちゃあ楽しめるものも楽しめない。



「それで、これからどうするつもり?」

「なるように任せるさ。みさきをこちら側に引き込めただけで俺にとっては大きな収穫になった訳だし、火種が燻り始めていることに変わりはない。あとは高見の見物といこうよ」

「どうでもいいけど、そのにやけた顔をやめてくれない?余程あの子と付き合えるのが嬉しいの。貴方って、案外子どもね」

「否定はしないさ、聞き捨てならないけどね」

「同情するわ」

「……それは誰に対してかな」

「もちろんあの子よ。貴方にいいように利用されて、ボロボロにされなきゃいいけど。あの沙樹って子みたいに」

「あれれ、波江さん。そんなことまで知ってたっけ?ていうか、その言い方じゃあまるで俺が悪者みたいじゃないか。誤解を招かれるような言い方は慎んでくれ。第一、みさきと沙樹や他の子たちは全くの別物だから。俺は沙樹たちの保護者ではあるけれど、それ以上でもそれ以下でもない。仮に彼女たちが自立を望めば、俺は温かく見送るさ。本人にその意思があればの話だけど」

「それはつまり苗字みさきだけは例外で、彼女の意思とは無関係に手離すつもりは毛頭ない、とでも言いたいのかしら。あの子だけには随分と執着してるのね」



相変わらず淡々と話す波江さんの言葉に俺は薄ら笑みを浮かべる。それにしても、本当に面白みのない女だ。油断も隙もあったもんじゃあない。


「あぁ、こんな時間まで悪かったね。残業手当てはきちんと付けとくからさ、もう帰っていいよ」

「……」

「? 波江さん?」

「いいえ、なんでもないわ」



それだけ言い残し、彼女は身を翻すと颯爽とその場を後にする。何処か引っ掛かるようにも感じたが、大して気に留めることなく俺は再び思考を働かせた。これからのこと、そしてみさきのこと。



ーー……付き合う、か。いつぶりだろう。

ーーそもそも俺が今までに付き合ってきた経験ってのは、あくまで相手を利用する為だけであって……

ーーそりゃあ初めはみさきのことも利用してやろうと思ったさ。まさか彼女自身にこんなにも興味を抱くことになろうとはね。だから面白い。



改めて『付き合う』という言葉を他人の口
から耳にすると、何処か他人事のようにも感じる。我ながら子ども染みている。確かに、俺は少々浮かれ気味であった。楽しくて楽しくて仕方がないのだ。今夜は簡単に眠れそうにない。まるで遠足前の子どものような心境を自嘲気味に笑いつつも、やけにあっさりと素直に肯定している自分がいた。あぁ、そうさ。俺は嬉しいのだ。何年も恋い焦がれてきたのであろう彼女と形式上付き合うことになり、これからの日々を共に過ごすことができるのだから。きっと薄々感じ取っていた日々の渇望や退屈も解消することができるだろう。その先
に何を見出せるのか、俺はそれが知りたい。

これから池袋では更なる乱闘が勃発するだろう。もっと血生臭く大規模な、それでいて実に執念深い。カラーギャングのチーム間の抗争はもはや免れられないところまで迫っている。となると、やはり欠かせないのが”可愛い”来良学園の後輩たちーー恐らく彼らの人間関係を大きく拗らせることになるだろうけど。声に出してみる。悪いね、なんて口先だけの謝罪は誰の耳に届くことなく肌寒い冬の空に消えた。



♂♀



プツン、と何かが途絶える音。たくさん渦巻く声のうち、最もドロドロとしたもの1つが消えた。それは多分、贄川春奈の愛の声。大元の声が途絶えたことによって、それに連なるいくつかの声もやがて薄れていくのを感じた。ポツポツと声が消えてゆく中、1つ、とてつもなく巨大な気配が浮き彫りになる。それは私が今までに感じたことのない声。ただひたすらに混ざりけのない愛の言葉を繰り返しーーその単調さ故に恐怖すら覚える。



ーーこれは……誰?

ーー春奈さんではないということは、彼女以外の罪歌の持ち主が現れたということ……?



一方シズちゃんはというと、相変わらず迫り来る敵を掴み、投げ飛ばし、また殴りーーそれでも初めに比べれば罪歌の数はだいぶ減っているように見えた。心無しか瞳の赤味が引いている。カシャンと何かが落下する音に振り返ると、戦意を失った罪歌たちがその場で力なく俯いていた。やはり、私の知らないうちに向こう側で何かが起きたのだ。気にはなるが、優先すべきはシズちゃんの方。いくら優勢だったとはいえ彼の身体は既にボロボロだ。私としては1秒でも早く安全な場所で休ませてあげたい。



「シズちゃん!罪歌たちの様子が……!」

「あぁ、分かってる!」



減速を掛けた反動で土埃が舞う。シズちゃんもいち早く異変に気付いていたらしい。しかし拳は既に目の前の女子高生へと向けられている。歩行者が突然飛び出して来た時車が急には止まれないように、強大な力を完全に抑え込むのは難しい。減力は出来ても、その力は相手を殴り飛ばすのに何ら不足はないだろう。現時点で罪歌に操られていたのならともかく、相手は我を取り戻した一般人。彼女はハッと我に返ったかと思うと、すぐそこまで迫りくる拳にただただ何も出来ず目を丸くしていた。今の今まで操られていたのだから、彼女からしたら眠りからたった今覚めたばかりのようなものだ。自分が何故、どのような経路を経てここにいるのか分からないのも無理のない話。そしてたった今理不尽にもシズちゃんに殴り飛ばされてしまうかと思われた彼女の運命はーーギリギリのところで最悪の事態は回避できた。本当の本当にあと数ミリというところで、覇気を纏ったシズちゃんの拳はピタリと止まることに成功したのだ。

女子高生は暫し目をぱちくりと瞬かせていたが、やがて自分の状況を把握したのか情けない悲鳴をあげながらその場にぺたりと座り込んでしまう。無理のない話だ。誰だってシズちゃんの拳を真正面から受けて無事でいられる輩などいない。現に、先ほどまで操られていたが故に何度も投げ飛ばされた可哀想な青年A(何やら黄色い布を身につけている)が節々の痛みを青年B(こちらも黄色い布を額に巻き付けている)に訴えている。誰1人として現状を把握できていない。経緯を知る者はシズちゃんと私、2人のみ。



「……ハハ、」


人々が困惑し混沌が渦巻く中、ただ1人笑みを浮かべるシズちゃん。乾いたような笑い声だけが辺りに響き渡る。



「ようやく」

「えっ?」

「ようやく……俺の言うこと聞いてくれたじゃねぇか」

「……」



語り掛けているのは他の何者でもない、己自身。正確にはシズちゃんの最も嫌う己の力に。自分の意思とは無関係に暴走を繰り返してきた暴力が、今、ようやく主の意思に従ったのだ。

ひとしきり笑った後、シズちゃんは気を取り直したようにこちらを振り返る。その表情はまるで何かを成し遂げたかのような、達成感に満ち溢れた顔をしていた。



「なぁ、みさき。1つ頼みがあるんだ」

「? なに?」

「抱き締めても……いいか?その、思いきり。夢だったんだよ。潰しやしないかってビクビクせずに、みさきのことを抱き締められたらどんなにいいかって」

「そ、そんなこと……考えてくれてたなんて。全然知らなかった……」

「言える訳ないだろ。好きな女におっかなびっくり触ることしかできねぇなんて」



少しずつ歩み寄り、互いの距離が徐々に狭まる。改めて顔を見合わせては笑い合い、伸ばされた優しい手に私は身を委ねた。怖くなどない。恐怖など微塵も感じたことはなかった。もし彼の力にこの身が耐え切れなくとも、結果として傷付くことになろうとも、私は彼を責めやしないしシズちゃんへの想いが変わることもないだろう。

恐る恐る腰へと回された2本の腕。シズちゃんは「細ぇな」とだけ告げ、顔を髪に埋めてきた。凍えるような寒さで冷え切った身体が徐々に体温を取り戻してゆくーー



「みさき。お前、やっぱ痩せすぎだろ。ちゃんと食ってんのか?」

「前もそれ、言わなかった?相変わらずシズちゃんは心配性なんだから」

「……」



シズちゃんは何処かズキズキと痛むかのように顔をしかめ、しかしそれ以上何も言わなかった。確かに、私は少しーー痩せたのかもしれない。不安やプレッシャーに押し潰されそうな毎日、日々の疲労が少しずつ積み重なり、結果として気痩せしてしまった。体型には昔から気を使う方だ。にしても少しばかり痩せ過ぎかもしれない、と、鏡に映る自分を見ては考え過ぎだと目を逸らしてきた。そんな私の些細な変化に彼はやはり気付いていた。気に掛けてくれていることが嬉しい反面、ほんの少しの罪悪感。以前シズちゃんは痩せた私に「自分と付き合って、苦労して痩せたんじゃないか」と言ったのだ。そんなことはあり得ないと笑ってみせたが、客観的に見ればそう捉えられてもおかしくない。この歳にもなって自分の体調管理さえできないなんて、情けない話だ。

そんな自己嫌悪に浸っていると、突然ひょいと身体が宙に浮く感覚に思わず声をあげてしまう。米俵を持つように肩に担がれた私はただただ両足をバタつかせることしかできない。



「ひゃあっ、シズちゃん!?」

「そんじゃ、帰ろうぜ。なんせ此処は人が多い。したいことも人目を気にしちゃあ何もできねぇしな」

「ち、ちょっと何言ってるの!ていうか、ストップ!私、帰るとは一言も……」

「あー、何も聞こえねぇ」

「嘘つき!!」



ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべているあたり、聞こえていないはずはないのだ。いくらなんでも耳元でこんなに叫んでいれば誰だって聞き取れる。



「話は場所を改めてから、な?」



そう言うとシズちゃんは人差し指を私の唇に押し付けてきた。感触を確かめるようにプニプニとしつこく触ってくるものだから、つい赤面。照れ隠しにその指先に噛み付いてやった。そんな じゃれ合いのようなやり取りに懐かしささえ込み上げてくる。

まだ全てが終わった訳ではない。寧ろ、始まったばかり。



ーー【羨ましいわ、貴女たちが】

ーー【私たちも貴女を】

ーー【静雄を】

ーー【こんなにも愛しているというのに】

ーー【一方的で何がいけないというの?】

ーー【愛する気持ちはこんなにも強いというのに】

ーー【わからない】

ーー【だけど、愛したい】

ーー【愛してる】

ーー【愛してる】

ーー【愛してるわ、みさき……】



強烈な愛の言葉はやがて薄れ、消えていった。これが私の中の罪歌の消失を意味している訳ではない。きっと彼女は隙を見ては再び現れるだろう。ただ、今この瞬間、私がシズちゃんを想う力が愛の言葉に打ち勝ったのだ。人を愛する気持ちがこんなにも強いとは思いも寄らなかった。今宵、私はようやく理解した。たくさんたくさん時間は掛かったけれど。

私はシズちゃんが好き。だけど、ちゃんと言わなくては。少しの間のさよならと、また再び逢えることを祈って。

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