>64
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



私が「好き」の意味を履き間違えてる?臨也さんは皮肉っぽくそう言って笑った。心の奥底でそれを否定し切れない私がいるのは事実、悔しいけれど。だから証明してみせるんだ。そしていつか断言してみせる。



「私は正真正銘、彼が好きです」



本来それを今堂々と口にすることができたなら、こんなに思い悩むこともなかっただろう。それが出来ないのは、まだ自分に疚しい部分があるからなのだろうか。

私は自分に自信がない。それ故、自分が絶対に愛されているのだという確証を持つことが出来ない。いつか自分自身に自信が持てたならーーもっとポジティブに生きるこたが出来たなら、きっと今以上に前へと進める。そうなれることを信じ、今はただ自分の選択に間違いはないのだと思いたい。まるで自分を試すかのように『他の異性と付き合う』という選択を快く思わない者もきっといるだろう。普段の私なら、絶対にそう思う。そんな私が彼の提案を飲んだ理由の1つに、期間限定であったという点がある。ダラダラと1人悩みながら過ごすより遥かにマシだと思えたのだ。



ーー【ふぅん、そんな選択肢もあったの。私の好みじゃあないのよね、彼】

ーー【私の愛を受け入れるという選択肢はなかったのかしら?】

「五月蝿いなぁ、ちょっと黙ってて。今真剣に考えてるんだから」

ーー【あら、池袋公園までの行き方を?】

「……」



私の心が命じる。とにかく今はシズちゃんを助けるべきだ、と。だから私はここまで来た。きっと凄まじいことになっているであろう公園前にとっくに到着しているーー”はず”だった。



ーー【貴女、本当に方向音痴なのね】



罪歌はからかうようにそう告げると、ほんの少し笑ったような気がした。刀相手に笑われるなんて人間として如何なものか。

そう、私は悩んでいた。これは人生を左右する大きな決断となるだろう。今目の前で右と左に分かれる分岐点ーーさて、一体どちらを選べば目的の池袋公園へ辿り着くことが出来るのか。罪歌の言うとおり、私は方向音痴である。その上、相当な。決して高校時代に地理の成績が悪かった訳ではないのだ。知識はある、が、実戦には弱い。よくいるではないか。家庭科の知識はあっても実際に料理を作れない輩や、音楽の知識はあっても楽器に触ったことは1度もないという輩など、そう珍しい話ではない。そんな屁理屈で己を言い聞かせては、分かれ道を前に視線を泳がせる。時間帯の影響で辺りが暗いことも加え、視界が悪いという悪環境が私の判断を鈍らせた。目が駄目なら仕方が無い。ここは1つ、感覚で気配を辿っていくしかない。犬のように鋭い嗅覚でーーそれこそシズちゃんのように臭いで人を見つけ出すことは困難極まるが。



ーー【貴女になら聴こえるはずよ。姉妹たちの声が】



どういう意味?尋ね返そうとして、すぐに彼女の言葉の意味が分かった。目を閉じ神経を研ぎ澄ませば、”それ”はより鮮明となる。聞こえるのだ。時折耳にする彼女たちの声ーーしかし今回ばかりは異例だった。普段はただただ人類に対する歪んだ愛情を言葉にしているが、今の彼女たちの言葉から聞き取れるのは相手に対する純粋な「恐怖」だった。恐怖、というよりは戸惑いの方が大きいかもしれない。



ーー【駄目、全然駄目】

ーー【きっと私たちでは力不足】

ーー【愛しきれる自信がないわ】

ーー【どうしたらいいの】

ーー【こんなことって初めて】

ーー【あぁ、みさきさえ愛せていれば!】

ーー【そうよ、彼女さえいれば!】ーー【静雄かみさき、まずはどちらかを愛せていればよかったのよ!】



まさか自分のことが罪歌たちの間で話題に上がっているとは思ってもいなかった。そして、こんなにも取り乱した彼女たちの会話をかつて耳にしたことがあっただろうか。一向に落ち着く気配を見せない。



ーー【ほら、ね?聴こえたでしょう?】



何処か得意げな彼女の声に内心反論したくもなるが、今は優先すべきことを先行すべきだ。聞こえないフリをしつつも(どうしたって内なる罪歌の声を遮断することなどできやしないのだけれど)私は声のする方向へと足を向けた。こういう緊急事態時に彼女の力を利用せざるを得ないなんて、なんて皮肉な話。そう簡単に切り離せないのだと改めて悟る。

近付くにつれ増えてゆく異様な気配。どくんと大きく脈打つ心臓。この先に一体どんな景色が待ち構えているのだろう。彼は無事?怪我はない?大怪我を負っていたらどうしよう?今の私は手当てを施せるものを何1つ持ち合わせてなどいない。行ったところで、やはり臨也さんの言うとおり無意味でしかないのではないか。己の無力さを噛み締めることしか出来ないのなら、いっそこのまま逃げてしまおうか。内なる悪魔の囁きが私にそう語り掛けてきた。なんて達の悪い声だろう。罪歌の愛の言葉の方がよほど耐えられる。



ーー……見えた!



公園に足を踏み入れた矢先、視界に飛び込んできたものはーー頭上より遥か上を真っ直ぐに吹き飛んでゆく人、人、人。次々に折り重なってゆく人の山。それも1つ2つではない。たくさん。



「おりゃああああああああああ!!」

「(! この声……シズちゃん!?)」



声のした方向を見る。たくさんの人々の中心に立つ彼の姿はとても雄々しく、そして何よりも純粋にーー格好良いと思った。見る者によっては恐ろしいとさえ感じてしまうかもしれない。そんな印象を与えてしまうほどに彼の強さは圧倒的だったのだ。





「シズちゃん!」

「!! おま……っ、みさき!?」



一瞬、動きを止めるシズちゃん。その一瞬を罪歌は見逃さなかった。一斉に飛び掛かる罪歌たちに埋め尽くされ、途端に彼の姿が見えなくなる、が、それも虚しく渾身の一撃によって瞬く間もなく四方八方に吹き飛ばされていった罪歌。力の差が歴然とし過ぎており、同情さえ覚えてしまう。こうも見せつけられてしまうと、つい先ほどまであんなに心配していた自分が何とも馬鹿らしくなってきた。私は何をあんなに考え悩んでいたのか。思わず笑ってしまいそうになる。あのシズちゃんに限って、やられる訳がないのに。それなのに、私は。

シズちゃんは私の方へヅカヅカと歩み寄って来るなり、何とも言えぬ複雑そうな表情をしてみせた。何か伝えようと口を開いたかと思いきや、すぐに閉じて考え込んでしまう。ころころと表情を変えるその様子が可笑しくて思わず笑ってしまいそうになるけれど、状況が状況なだけに素直に笑うことができない。話したいことはたくさんあったはずなのに、いざ本人を目の前にすると何も言えなくなってしまった。お互いに話を切り出せず、周りの罪歌を差し置いて暫し黙り込んでしまう。



「お前……やっぱ馬鹿だろ」



先に口を開いたのはシズちゃんだった。早速馬鹿呼ばわりされてしまう。まあ、想像は容易であっただけにカチンともこない。ここは素直に黙り込む。



「どうして来た」

「シズちゃんが心配だったから」

「心配って……俺のことはどうだっていいんだよ。みさきが無事じゃなきゃ元もこうもないだろーが」

「大丈夫、無事だよ。だからここに来た」

「お前、俺のこと嫌いになったんじゃねえのか」

「えっ」

「ほら、別れようって。言ったのは#名前#だ」

「あっあれは……その、つい勢いというか……だってシズちゃん、私の言うこと聞いてくれなかったから……そういうシズちゃんこそ、分かったって」

「あの状況じゃあしゃーねえだろ。他にどう言りゃあいいんだ。俺は女の扱いとかよく分かんねーからよ、気の利いた言葉なんざ期待するだけ損だぜ」

「期待なんかしてないもん。ただ、行って欲しくなかった。これ以上……傷付いて欲しくなかった……」



確かに、シズちゃんは強い。だけど決して無敵な訳じゃあない。刀で斬られれば傷は付くし、すぐに治るとはいえ刺されれば痛い。



「お前が望めば、俺は何だってしてやれるのに」

「だから、ここには来ないでって」

「それは無理だ。第一、逃げ続けたところで何の解決にもならないってのは、#名前#自身よく分かってるはずだ」

「それは……まぁ、確かにそうなんだけど」

「女に守られているようじゃあ格好つかない、だろ?そのくらい想像しろって」

「……そんなの、分からないよ……格好つける必要なんてないのに」



男の人の気持ちが私なんかに理解できる訳がない。そう自虐的に考えていた矢先、私たちを取り巻く状況は突如変化する。

殺気にも似た気配を背後から感じ取り、咄嗟に屈む。次の瞬間、ヒュンッ、と。頭上スレスレで刃物が空を斬る音。確認する隙もないが恐らく、かなりギリギリのタイミングであっただろう。 今のは本当に危なかった。罪歌は間違いなく本気で私を斬るつもりだったのだ。



「私、無視されるのが1番嫌いなの」



手に持った刃物に頬釣りをしながらにっこりと微笑む罪歌からは、禍々しい感情しか感じ取ることができない。シズちゃんに腕を持ち上げてもらったお陰でどうにか立ち上がることに成功する。



「私も混ぜてもらえないかしら?」

「残念。あんたらが入り込む隙なんかねえんだよ、こっちは」

「うふふ……ほんと、羨ましいわぁ。貴方は本当にみさきを愛しているのね。だけど私たちもそう。ズタズタに切り刻んでしまいたいくらい、みさきのことを愛しているから……!」



もはやそれを愛と呼ぶのか、きっと誰しもがそう疑問に感じることだろう。結論からいうと、答えはイエス。何百何千もの人々が「それは違う」と言ったとして、本人が愛なのだと断言する限りその主張は覆されない。受理者がその愛の形を受け取るか否はさておき。それも当然、そうでなくては私はズタズタに斬り割かれなくてはならない。



「貴方から愛してあげてもいいのよ?静雄。だって、貴方みたいに危ない人、好きになってくれる人間なんていない。ねぇ、そうでしょう……?」

「はっ、またそれを言うかよ」



直接聞いた訳ではないが、2人の会話から察するに、恐らく似たようなことを既に口にし交わしていたのだろう。『貴方みたいに危ない人を好きになってくれる人間なんていない』それを改めて再確認するかのような罪歌の口振りに、シズちゃんは苦々しく笑ってみせる。あぁ、なんて酷くも残酷な言葉。

ねぇ、どうしてそんな風に笑えるの?私だったら耐えられない。反論できる自信なんてないけれど、「そんなことない」とムキになって言い返したい。だけどシズちゃんは違った。否定も肯定もしない。ただ、笑う。少なくともこんな自分を愛してくれる存在(罪歌)に巡り会えたことを心の底から喜んでいるかのように。



ーーシズちゃんが誰にも愛されない……?ううん、それは絶対に違う!

ーーだって、私はシズちゃんのこと……!!



「っ、勘違いしないで!」

「みさき……?」

「シズちゃんもシズちゃんだよ!なにそれ、本当に自分が誰からも愛されていないと思ってるの!?じゃあ、家族は?友達は?みんな何かと愛にこだわってるけど、結局のところ『愛』って何なのよ……!」

「いや、それは……つか、なんでお前がキレてんだよ」

「キレたくもなるわよ!だってシズちゃん、なんにも分かってない!!少なくとも私は、シズちゃんのこと愛してる!!」

「んな……ッ!!?お、おおおおお前、いきなりなに言って……!」



途端にシズちゃんが挙動不審になる。わたわたと両手を振ってみせたり、どことなく落ち着きない。そんなことはお構い無しに、私は全てを解放した。恐れていたものから目を背け、蓋を取り払ったのだ。つまりは”自棄”だった。色々とどうでもよくなった。ただ、本能のままに吐き出す。



「誰が何と言おうと、好きなものは好きだもん!理屈なんて関係ないじゃん!」

「いや、だから急過ぎだろ!分かった、分かったから少し落ち着けっ!聞いてるこっちが恥ずかしい……!!」



開いた口を無理矢理塞がれる。シズちゃんの大きな掌は私の顔半分をいとも簡単に覆ってしまった。

振り返り、瞳で訴える。ちゃんと私の話を最後まで聞いて欲しかったのだ。しかし、すぐに何も言えなくなる。シズちゃんがあまりに酷く赤面していたからーー思わず見ているこちらまで赤面。どうやら赤面は移るものらしい。



「みさきの気持ちはよく分かった。……すげー嬉しい……」



その声はどこまでも優しくて、私の心を落ち着かせる。



「じゃあ、尚更倒れる訳にはいかなくなっちまったな。俺は世界一の億病者だから、だからみさきから愛されてるって自信も持てなくて……俺ばっかが一方的に好きなだけなんじゃないかって、何度も何度も考えた。……女々しいよな、笑っちまう」

「……」

「でも、いいんだよなぁ?ようやく俺は認められる。俺自身のことだけじゃなくて、みさきから愛されてるってことも」



目付きが変わる。鋭くて、獣のような目付き。眼光が光る。その様はまるで獲物に狙いを定めるかのよう。



「俺を愛してくれる……しかも何よりも大事な女の前で、倒れる訳にはいかないだろう?」



そう言い残し、再び拳を奮う彼の姿は頼もしくも力強い。今のシズちゃんに勝てる者はいない。相手が例えどんなに特殊な能力をもつ人外であっても、そう言い切れる確信が今なら持てる。恐ろしくも強く格好良い彼の勇姿をこの目に焼き付けながら、一方で次第に弱気になってゆく罪歌たちの言葉を脳裏の片隅で聞いていた。彼を愛しきる自信がない、と。

第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -