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みさきは怯えていた。もし自分が斬られたら、という意味ではない。罪歌の真の恐ろしさを知り、本気でアイツの身を按じている。恐らくみさき自身まさかここまで罪歌が恐ろしいことをしでかす存在であるということを実感できていなかったのだろうし、正直俺だって想定外。今しがた入ってきた情報によると、各々の離れた場所で同じ手法による切り裂き魔事件が同時刻に勃発しているらしい。なんて大胆な手段だろう!罪歌たちが総動員で一団となり、1つの目的を為そうとしている。そんな凡人の思いにも寄らぬことを実行してしまうあたり、流石妖刀とでも賞賛しておこう。

さて、どうしようと騒ぎ立てる彼女を落ち着かせるには俺はどうしたら良いのだろう。アイツの化け物じみた力を知りながら、そこまで身を按じる必要性が感じられない。とりあえず「大丈夫、どうせ死にやしないから」などと言ってみようかと思ったものの、我ながら説得力に欠けると思ってやめた。ああもう、ほんとに分からないなあ。シズちゃんなんかの何処に心配する要素があるってのさ。



「そうだ……公園。南池袋公園に戻らなきゃ……」



南池袋公園?一瞬聞き間違いかと疑う。聞き取りづらくはあったものの、確かにみさきはそう言った。そこはまさしく、今最も危険であると言っても過言ではない場所だ。指先で器用に画面をスライドさせ、数々の情報から1つの文面を捜し出す。そこには『異常な程に眼を赤く充血させた人々が南池袋公園に集まっていくのを見た』と要約された文章と共にURLが貼り付けられており、その先に繋がっているとある掲示板ではその話題で持ちきりだった。間髪空けずリアルタイムで書き込まれてゆくその様を遠目で眺めながら、その一方で不安げなみさきの動向に目を見張る。一瞬でも目を離そうとなればその隙に彼女は1人で行ってしまうだろうし、そうなったところで手も足も出ない状況に何ら変わりはないからだ。極力、無駄な労力を費やすのだけは避けたい。



「馬鹿な考えだけはよしてくれよ。君が行ったところで何もできない。厳しいようだけど、これが現実」

「ッ、……分かってます。きっと大丈夫ですよね……シズちゃん、強いから……」



俺に話すというよりは、まるで自分に言い聞かせているといったような口振りだった。ここで俺は無意識のうちに「シズちゃんが罪歌なんかに斬られるような柔な人間だったら、俺がとっくの昔に刺してるよ」なんて冗談めいたことを口にする。それを聞いて幾分か安心したのか、みさきは弱々しくも笑ってみせる。

あぁ、こうしてみさきを振り回せるのは良かれ悪かれアイツだけなのだ。ムカつくけれど、それが事実。これからのことを頭の中で模索しながら、俺はみさきの手を取ると廊下の角を曲がった。しかし――



「! おっとぉ」



その先にも暗闇で光る赤い眼を確認。数は2体。後ろから迫って来る罪歌と合わせて計7匹ときた。やはり罪歌に抜かりはない。



「もう、面倒臭いなあ。しつこい人は嫌われるよ?人かどうかも危ういけどね」



――……なぁんて、俺が言えた口じゃあないか。

――なんたって、かれこれもう何年も想い続けているんだからねえ。この俺が!



あと5メートル程の間合いでこちらに刃先を向け、跳躍する1体の罪歌にナイフで応戦。この時、今まで化け物相手に培ってきた反射神経とナイフ遣いが初めて無駄じゃなかったと思わせてくれた。操られているが故に、相手を斬ることに対して微塵も躊躇しない罪歌は、確かに勢いと威勢だけはいい。だが、所詮それまで。いくら罪歌に乗っ取られようと、つい数時間前まで机に向かってデスクワークしていたようなサラリーマンには些か身体能力に無理があるのだろう。可哀想に。きっと明日には全身筋肉痛だ。そんな、やや外れたことを心配してやりながら、ギリギリと軋む音を響かせる手元のナイフにより一層の力を込めた。常に傍観者である自分が、まさかこうして異形と刃を交え合うことになろうとは夢にも思わなかった訳だが。



「い、臨也さん……!」

「あー、うん。とりあえず大丈夫だから。しっかしまぁ……さすがにこれ全部相手にするのはちょっとばかしキツイかなあ」



一旦引き、罪歌との距離を確保する。しかしこのままでは直に囲まれてしまうだろう。珍しくも緊迫とした状況に小さく舌打ちし、瞬時に方向転換。手短に近くの教室へと駆け込んだ。

みさきが無事であることを確認し、ピシャリと扉を閉める。教室の扉に備え付けられた鍵を施錠したところで大した保険になりもしないが、少しばかりの時間稼ぎにはなるだろう。教室の中はやはり真っ暗であったが、明かりを点けてしまえば自分から居場所を教えるようなものだ。不完全な密室の中で安心は出来ない。



「参ったなあ。寒いし暗いし、ほんと勘弁」

「すみません臨也さん。私のせいで、こんなことに……」

「いやいや、みさきちゃんのせいじゃないから。何度も言うけど、君は少し謝り過ぎ。どうせなら感謝してもらいたいかな」

「あっ……その、ありがとうございます」

「その代わりと言っちゃあなんだけど、ゴタゴタが片付いたら君には山積みになった仕事を手伝ってもらうよ。君はもう、俺の秘書なんだからさ」



やらねばならないことはまだまだたくさんある。今回の一連の出来事も皆、ある目的達成の為の過程でしかない。だからこそ、こんなところでみさきを刀如きに奪われてはならない。俺の立てた筋書きにみさきの存在は不可欠なのだから。それ故、俺は彼女の胸を抉るつもりで敢えてきっぱりとこう告げる。



「どうする?たかだかこれだけの人数相手で手いっぱいの君に、まだ『シズちゃんを救ってみせる』なんて言い切れるのかな?行くだけ無駄だよ。ぶっちゃけちゃうと、恐らくアイツはそれ以上の数……いや、何倍も何十倍もの数の罪歌たちを相手にしているんじゃないかな。罪歌だって馬鹿じゃあない。あの化け物じみた"ただの人間"を愛することが、どれだけ大変なことかを察知してる」

「私が行ったところで足手纏いにしかならない。そう言いたいんですよね?臨也さんは」

「正直なところ、つまりはそれだ」

「えぇ、勿論分かってますよ。私はシズちゃんみたいな力もなければ、臨也さんみたいに情報力に長けた人材でもない。どこにでもいる平凡な……ただの『苗字みさき』です」



だけど、と彼女は続ける。



「それを理由に何もしない自分を、私は好きにはなれない。……昔から私は、自分を過少評価して生きてきました。自分に自信がないんです。だから『私なんかが愛される訳がない』と何かと決めつけ、異性からの好意に応えようとしなかった。シズちゃんと出逢うまで、私は『愛され方』すら知らなかったんです」

「愛され方?それをヤツが教えてくれただって?"青痣が残るくらい"力任せに拘束されることを……"骨が軋むほど"の抱擁を受けることを、君は普通の愛情表現だとでも言うのかい?だとしたら、それは哀れだね。最近君たちがどうなっているかまではさすがに知らないけど、少なくとも君の身体に残された痕の数々は『暴力的行為』によるものでしかない。……まだ残っているんだろう?傷」

「……」

「その傷を愛の証だと美化してみせる君も、相手を斬ることが愛だと言い張る罪歌も、俺からしてみたら同じだね。そんな君に罪歌をどうこう言う資格はない」

「……臨也さん、なにか誤解していませんか?私はなにも罪歌のしていることを全否定するつもりはありません。臨也さんの言う通り、私には人の愛し方をどうこう言える程の人間ではないし……それは贄川さんにも伝えてあります」

「あっははは!益々分からなくなってきたよ!なら、根本的な部分を問おうか。みさきちゃんは何故、"ここにいる"の?君は一体何がしたい?」

「私は……私の平穏を守りたいだけです。シズちゃんと一緒にいたいんです」



そう、それがみさきの唯一の願い。俺がどんなに皮肉ろうが彼女の気持ちは変わらない。変わらないからこそ、簡単に手に入らないからこそ――俺はみさきを諦めきれないのだろう。「吐き気がする」ボソリと呟いた言葉にみさきは首を傾げる。そして一言「何か言いましたか?」、と。俺はすぐに取り繕った笑顔で「何でもないよ」と答える。別に言って聞かせる為の言葉ではなく自然と口をついた言葉だったから、寧ろ彼女の耳に届かなくてよかったのかもしれない。だって格好悪いじゃないか。まるで俺が嫉妬しているようで。



「それにしても、気に食わないなあ。……ねぇ、みさきちゃん。俺に一言『愛してる』って言ってみてくれよ。例え嘘でもいいからさ。そうしたら俺は君のことなんてどうでもよくなるのかもしれない」

「な……何言ってるんですか臨也さん。そんな恥ずかしいこと……無理に決まってるじゃないですか」

「考えてみなよ。君だって俺みたいな恋路を邪魔するヤツは嫌だろう?」

「邪魔だなんて、そんなこと。臨也さんは……」

「俺はねぇ、みさきちゃん。君が思うほど良い人でもないんだ。俺はシズちゃんが大嫌い。だからこそヤツには不幸になって欲しいと常々願っているし、その為に君をどうにかしてやろうと考えたことだってたくさんある。ていうか、現に今がそう。ここで君を滅茶苦茶にしてしまったら、アイツはきっと悲しむよね?」

「……!?」

「さっき言ったこと、冗談なんかじゃないよ。ここは密室。外には罪歌がウヨウヨといる。助けてくれるシズちゃんはいない――邪魔者である俺にとっては絶好のチャンスな訳」



これは賭けだ。俺は『自分が彼女に執着する理由』のうちの1つの仮定を実証しようとしている。手に入らないからこそ欲しい。ならばその逆はどうだろう?いざ手に入ってしまったら案外、コロッと興味を失ってしまうかもしれない。今までだってそうだった。どんなに熱烈な好意を向けられようと、俺は相手を『観察対象』としてしか見たことがない。簡単に手に入ってしまうものに何の魅力も見出だせないからだ。

彼女に詰め寄り、唇を寄せる。びくりと小さく震えるみさきの肩を掴み、逃げることを許さない。もしかしたら罪歌なんかよりも、俺といる方が危険だったかもしれないね。そんな冗談めいた俺の言葉も、彼女にとっては脅しでしかない。



「やっ、やめてください!大声出しますよ!?」

「だから言っただろう?ここで大声出そうが喚こうが、だぁれも助けに来やしない。いつも助けてくれるシズちゃんも、今頃罪歌相手に手いっぱいだろうしね」

「……」

「そんな涙ぐんだ瞳で睨まれたってねぇ、寧ろ逆効果?すごいそそられる」



いつ罪歌たちが強行手段を仕掛けてくるかも分からない中、緊張感が興奮剤となって衝動が俺を駆り立てる。扉1枚という隔たりの向こう側で、たくさんの罪歌の子たちが凶器片手にウロついている――そんな緊迫とした状況が更に気持ちを高揚させているのだろう。

みさきの身体をひょいと持ち上げ、教卓に乗せる。下から覗き込んで見る彼女の表情は、不安、戸惑い、そして僅かばかりの恐怖。その恐怖の対象が罪歌でなく俺自身に向けられているのだと悟ると、俺の胸は心踊るのだった。そしてみさきの唇が躊躇しつつも愛の言葉を紡いだその瞬間――俺の中にある何かが、驚く程呆気なくプツリと切れた。

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テーマ「人外ファンタジー」
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