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「残念。あともう少しだったのに」



罪歌の台詞にぞわりと鳥肌が立つ。ばくばくと忙しなく脈打つ心臓のあたりに手を当て、とりあえずは攻撃を回避できたことに心の底から安堵した。私と臨也さんを除き、今この場にいるのは恐らく3人。正確な数は確認できないが、暗闇でも赤く光る無数の眼がとても印象的だった――



♂♀



「あっはは、かけっこなんて何時ぶりだろう!ここ最近じゃあシズちゃんともまともに喧嘩してないしね」

「……」

「おや、大丈夫かい?随分と息が上がっているようだけど」

「い、臨也さんって……意外と足速いんですね……」

「意外だなんて、心外だなあ。人並みの足の速さでシズちゃんみたいな化け物と渡り合える訳ないじゃないか」



あぁ、成る程。高校時代から培ってきた経験が、彼の今の運動神経に直結しているのか。想像以上に動きが俊敏であるという意外な一面を垣間見、反面それだけ殺伐とした日々を送ってきたのかと突っ込みたくもなった。何故か楽しそうな臨也さんに手を引かれ、行き着いた先は来良学園。高校時代を謳歌(?)した第2の母校であり、同時にシズちゃんや臨也さんの母校でもある。もっとも、彼らが通っていた当時の学校名はほんの少しだけ異なるが。

来神学園。私が越してくる前は、確かそんな名だったと聞く。なんでも"とある2人の問題児"をようやく送り出した際、それを機に心機一転を図る為、敢えて学校名を変えたという裏話もあるほど。その"とある2人の問題児"が一体誰を意図しているかなんて、そんなことは言わずもがな。



「来神……おっと、今は来良だっけ。みさきちゃんも随分と久方ぶりなんじゃないかな」

「さぁ……言われてみればそうかもしれません」

「いたよねぇ。君にセクハラしてた那須島って男教師。殺伐とした高校時代なんかよりも、俺はそっちのが懐かしいね」

「臨也さんがいい歳して制服着て来た時のことですね」

「辛辣だなあ。あの時は助けてあげたじゃない。なかなか似合ってただろう?」



そんな他愛もない会話を交わし、笑い合う。もし――あくまで仮定の話だが――臨也さんとシズちゃんが犬猿の仲じゃなかったら、私たちはこんな関係も築けたのかもしれない。そんなことをぼんやりと考えていると、突拍子もなく臨也さんが「そうだ!」と声を上げた。それは、近々開催されるという来良学園の文化祭に2人で行かないかという提案。話を聞くと、どうやら文化祭は平日と休日それぞれ1日ずつ開催されるらしい。彼は平日にしようと譲らない。例年平日の方が比較的来校者が少ないからだそうだ。確かに他校に通う学生なんかは休日の方が都合が良いだろうし、シズちゃんと行くにせよ、平日は仕事があるだろう。そこまで考えてハッする。そうだ。私たち、別れたんだっけ?よく分からないけど。

悶々とした気分を晴らすように、臨也さんの誘いに笑顔で応える。決してシズちゃんに愛想を尽かせた訳ではないし、彼の誘いに乗ったところでシズちゃんへの裏切りにはならない――はず。何も疚しいことなどしていないのだから、寧ろ堂々としていないと逆に怪しまれる。そんなことを考えてしまうあたり、罪悪感を覚えてしまうのはやはり当然のことなのだろう。



「誰もいない夜の校舎ってさ、なんだかワクワクするよね」

「そうですか?私は寧ろ怖いと思いますけど……まだ小学生低学年の頃、宿題に使う教科書を教室に忘れてきちゃって。仕方なく夜の校舎に1人で取りに戻ったことがあるんです。それが多分、未だにトラウマだと思うんですけど」

「へえ?君って結構根に持つタイプ?ていうか、怖がり?ホラー映画とか観れないでしょ。ホラー映画のCM観ただけでいっぱいいっぱいなタイプ」

「う……」



的中。CMとは本来見る者に「観てみたい」と関心を抱かせる為のものだが、私は違う。観る前から怖いものだと判断した途端に全くもって興味を失う。というより、わざわざ苦手なホラー映画を「怖い」と承知の上で観に行く訳がない。怖い思いをするくらいなら始めから近付かなければいい――いつしかそう思うようになった私が、常に心掛けていたことはなんだっけ?



「触らぬ神に祟りなし」



そう、それそれ。敢えて自分から近付かない。あの時だってそうだった。強い雨の日、バタバタと忙しない複数人の足音――当然私は関心を向けない。結果的に私はその後、血だらけのシズちゃんと遭遇することになるのだけれど。



「……て、どうしたんですか。急にそんな諺」

「いや、だってそうだろう?みさきちゃんの場合。人間って欲深な生き物だからさ、騒がしい方向に興味をそそられるのは本能的なことなんだよ。『知りたい』という欲望に忠実でね。例えば罪歌の起こした事件現場なんて、明らかに危険だろう?まだ近くに刃物を持った犯人がいるかもしれない。それなのに野次馬は次々と集まる……ま、中には君みたいな例外もいるだろうけど。例え周りがバタバタと騒がしかろうと、君は動じない。興味を示さない。そして、ヤツと出会ってしまった」

「……? 臨也さん、それ、なんの話ですか?」

「あいつを追わせる人数を予め多くしたのも、周りの目をそちら側へ集中させる為だったんだけどなあ。そうしたら俺は騒ぎに紛れて、あいつにもう一発くらいブチ込めたかもしれない」

「い、臨也さん!だから、それは一体何の話……っ」



本能が告げる。怖い。その先を私は聞きたくない。とても大事な事なのだろうけれど、聞いてしまったら後にはもう戻れなくなってしまう気がして。現状維持を願う私の潜在意識がそうさせているのかもしれない。



「そんなことより、早く出ないと怒られちゃいますよ!」

「怒られる?誰に?」

「えっ……け、警備員?」

「あはは、まさかこんな深夜に見回りは来ないよ。少なくとも、俺が在学していた頃の見回り時間はせいぜい遅くとも23時」「……どうしてそんなことまで知っているんですか」

「さぁて、どうしてだろうねえ?俺が高校生時代から有能な情報屋だったってことの証明じゃあないかな」

「……」



一体どこからそんな情報を仕入れてくるのか、訊いたところでどうせ答えてはくれないのだろう。私がどんなに考えたって、彼の本性を暴くことはできない。正確には"暴きたくない"。世の中知らない方がいいことの1つや2つはあるというが、多分、私にとってそのうちの1つが臨也さんのことなのかもしれない。そんな不信感丸出しなことを考えていたせいか、あからさまな態度がどうやら表情に滲み出ていたらしい。



「なに考えてるのかな。もしかして……俺のこと?」

「!」

「わお、図星?嬉しいなあ」

「な……ッ、なんで臨也さんってそんなに鋭いんですか!?」

「だってみさきちゃん、分かりやすいし。そうやって赤くなっちゃうあたり、ほーんと素直だよねえ」

「……私、今顔赤いですか……?」

「うん」

「うわぁ……恥ずかしい」



妙に暑い暑いとは思っていたが、いざ頬に手をやると確かに異常に熱かった。今感じているこの『熱』を『恋慕』と履き違えてしまいそうで怖い。現に心臓がドキドキと脈打っているのは確かな訳で、説明すら上手くままならない私には言い訳もしようがない。





「俺、みさきちゃんが好きだよ」



臨也さんはそう言った。でも、よりによってどうしてこのタイミング?今まで彼があからさまなそういった態度を見せたことはあっただろうか?偽るのが得意な彼のことだから、わざと表に出さなかっただけなのかもしれない。彼の本音は?目的は?一体何がしたくて私なんかを……?

色々難しく考えているようだけど、と、またも臨也さんに見透かされハッと我に帰る。もしかして眉間に皺でも寄っていただろうか?だとしたら、物凄く恥ずかしい。出来るだけ平常心を装いつつ、覗き込んできた彼の瞳を逆に見つめ返す。



「物事ってさ、案外簡単なものだよ。単純じゃん。何をそんなに悩んでいるんだい?」

「そうですね……強いて言うなら、私は臨也さんのことがさっぱりです」

「俺?それは君もよく知っているんじゃないかな」

「?」

「俺は人間を愛してる。勿論、君のことも」



そんな台詞も顔色変えずにサラリと言えてしまう臨也さんが凄い。不器用なシズちゃんにはこんな台詞言えないんだろうな、なんて考えながらも思わず苦笑。どうしたって私の頭はシズちゃんのことを考えてしまうのだ。何かと臨也さんと比較してみたりなんかして。





「臨也さんの『好き』と私の『好き』は多分、違うんだと思います」

「確かにそうかもしれないね。人の価値観なんて多種多様……だけど、さ。これはあくまで俺の推測なんだけど、きっとシズちゃんが君を想う『好き』という感情も、多分、ちがう」

「えっ」

「おっと、こんな時にまで化け物の話はやめにしよう。……ねえ、気付いてる?今、ここにいるのは俺とみさきちゃんの2人だけ」

「それは……脅してるんですか?」

「まさか!そう身構えないでよ。俺だって学校という名の神聖な場所で君を犯そうだなんて考えてないし……とまぁ実はというと、そういうプレイも嫌いじゃあない」

「!!? な、ななな何言って……!?」

「えー?だってこんなチャンス、2度とないよ?若いうちから色々と経験しといた方がいいと思うんだ。俺」

「さ、さっき『学校は神聖な場所』って言ったじゃないですかー!」



緊迫とした中、こんなにも大きな声が自分の口から出たことに驚く。まずい、と我に帰った時にはもう遅かった。私の声を聞きつけた罪歌たちの足音が長い廊下を木霊する。足音の数は1人、2人――いや、それよりもたくさん。いつの間に増えていたのだろう罪歌たちは各々の手にカッターや包丁、そしてある者は巨大な鉈を肩に担ぎ込み、じりじりと――まるでゾンビを思わせる気味の悪い動きでこちらに向かって歩いてくるのが見えた。全力疾走で追われるよりは遥かにマシだと思えたが、覚束無いその足取りが返って不気味悪さを醸し出している。



「(これは本当に現実?)」



あまりにも現実味のない光景に度肝を抜かれ、恐怖より寧ろ冷静になってしまった。己を客観視するもう1人の自分が「尋常じゃない」と警告する。分かってるよそんなこと。こんなことってあり得ない。だけどこれは確かに『現実』。試しに右の頬をつねったらやっぱり痛いし、目を覚ましたらベッドの中というお決まりの展開はどこにもない。

罪歌たちを見つめたまま呆然と立ち尽くす私の腕を引き、臨也さんは冷めた目で罪歌たちを見据えたまま「行くよ」と囁く。選択肢はない。今の私たちには逃げることしかできない――?


「待って、臨也さん」

「待てない。罪歌は君を愛したがってるんだから。逃げないと君は愛されてしまうよ?」

「……斬るってことですよね。じゃあ、シズちゃんは?シズちゃんもこうやって今頃狙われてる?」

「大丈夫だよ。アイツは」

「だって、だって。罪歌の気配が今はこんなに……5人"だけ"のはずがないんです。もっともっと、たくさんいるはずなんです。もしかすると……100人くらい」

「それは……どういう意味かな。君には罪歌の子の数まで正確に感じ取ることができるのかい?」

「なんとなく……ですけど。胸のあたりがザワついて……どうしよう。どうしよう臨也さん。やっぱりあの時、もっと私がちゃんと引き留めておけば……!」



怖い、物凄く。身体の震えが止まらない。ついさっきまで感じられなかった罪歌の気配を、今はこんなにもはっきりと感じ取ることができる。時折感じていた漠然としたものとは違う。もっと色濃く、はっきりとした彼女たちの"声"――

どうやら私は罪歌のことを見くびり過ぎていたらしい。短時間で急激に増えてゆく罪歌の声(犠牲者の数)に、今この瞬間、私は初めて彼女を「怖い」と思った。

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テーマ「人外ファンタジー」
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