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南池袋公園


そこは驚くほどに静まり返っていた。異常な静寂に包まれた夜の公園は、例え普段見馴れた景色でも不気味に映る。罪歌が現れる気配は未だ感じられないが、それでもざわざわとした胸のざわめきが決して鳴り止む事はなかった。暗闇の中ぼんやりと光る時計盤に目をやり、今頃臨也さんがホテルに帰っている頃だろうと考える。もぬけの殻となった部屋を見て、彼は驚くだろうか。それとも、こうなる事は既に想定の内?肌寒い空気に身体を僅かに震わせながら、私は姿の見えない彼女が来るのを待った。

どれくらい時間が経っただろう。時の経過さえも分からず、ただ気配だけを探っていた――そんな時、自分の中で何者かの声が突然語りかけてきたのだ。普通ではあり得ない現象だが、この感覚を幾度となく経験してきた私には分かる。この声はまさしく"罪歌"だ。



――【あら、驚かないのね】

「貴女がこうして語りかけてきたのも、今に始まった事じゃあないでしょう?」

――【うふふ、それもそうね。分かってるじゃない】

「今、貴女はどこにいるの?」

――【愚問ね。私はずっと此処にいたわよ】
「……質問を変えるね。貴女の"本体"は?」

――【私たちの始祖のこと?さぁ……私にも分からないわ。もう何百年も気配を感じていないもの】

「えッ」



――どういうこと?

――彼女が言っている始祖とは『贄川春奈』のことじゃあないってこと……?

――まさか何百年も昔に贄川さんが生きている訳もないし……



次の瞬間、またもや声が脳内に響き渡る。今度は別の誰かの――しかし、確実に耳にした事のある声が。



――【苗字先輩】

「! 贄川さん!!?」

――【不思議よね。離れているのに、こうして会話が出来るなんて。これも罪歌の力なのかしら?まぁ今はどうだっていいんだけど】

「今、どこにいるの?何をしようとしているの?答えて贄川さん……!」

――【苗字先輩。私、前に言いませんでしたっけ?私は苗字先輩を愛していて、だからこそ先輩の好きな彼ごと愛してあげるって。だけど、どうやら私がわざわざ出向かなくても罪歌の『子』たちが先輩の彼を愛してくれるみたいね……?嫌でも頭に流れ込んでくるわ。この子、平和島静雄をよほど愛したいみたい】

「ッ、贄川さんならやめさせられるでしょう!?斬るのは私だけにして!もう逃げも隠れもしないから……!」

――【それは無理。確かに私は先輩を愛する過程で平和島静雄を斬るつもりでいたけれど、今は罪歌の強い意思が平和島静雄という人間を愛したがっている。罪歌の意思も尊重してあげないと。それに……私、今取り込み中なんです。憎くき恋敵の家にいるんですよ?彼女を始末し終えたら、すぐに苗字先輩も愛してあげますから。もっとも、それ以前に罪歌の子たちが真っ先に貴女を愛しに行くでしょうけど。平和島静雄を愛したら、ね。だって罪歌が平和島静雄を愛したい本当の理由は、苗字先輩にあるんですもの】

「……私、に?」

――【罪歌が全人類を愛したがっているのは、先輩ももう知っていますよね?全人類というカテゴリーに、当然先輩も含まれていたわ。だけど先輩は罪歌の愛を唯一受け入れられなかった人間……その経験から学んだのでしょうね。罪歌は先輩に恐怖を植え付けることで愛することを諦めた。まず平和島静雄という人間を愛し『子』を植え付け、罪歌の『子』と化した彼の身体で先輩を愛そうとしているのよ】

「!!?」

――【今までにない試みよね。けど……素敵。私も早く隆志と1つになりたいわ……この刀で彼と私自身の身体を斬り裂いて、そして何もかもぐちゃぐちゃになって、ようやく2人は1つになるの……】



異常。その一言では言い表せないほどに、彼女の愛は歪んでいた。それは愛する者への一途で純粋な恋心がそうさせているのだろうけれど、既にそれを美しいとは言い難い。穢れなき真っ直ぐな恋心が彼女らの想いを歪ませているとは、なんと皮肉なことだろう。しかし贄川春奈と話をしているうちに分かってきた事が多々ある。罪歌の最終的な目的は、私含む全人類を支配すること。今1番にシズちゃんを愛したい理由はその目的を達成する為であって、斬ることにより支配したシズちゃんの身体を通じて私をも愛そう、と。ややこしくはあるも納得はいく。

確かに、もしシズちゃんが罪歌に支配されてしまったら――罪歌を宿していると知っていながらも、私は彼を拒めないだろう。例え何があっても私はシズちゃんを好きであり続ける。それを罪歌は知っていて、知っているからこそその弱みにつけ込んだ。どうしてそんなに回りくどい事をしてまで私なんかを愛したいのだろう。それはきっと贄川春奈個人の想いも強く反映されているのかもしれない。


――私……苗字先輩の事が大好きですよ?隆志の事もあるけれど……私と隆志を出逢わせてくれて、本当に感謝しているんです。

――もう……愛するだけじゃ足りないわ。最ッッ高に愛してあげる!アナタの事も、"アナタの大切な人"も!私の……この『罪歌』の力で!まとめてみーんな愛してあげる!!



ふと頭を過る、あの時の彼女の台詞。今こうして厄介な事になっているのは、火種の存在に気付いていながらも見て見ぬフリをし続けてきた私自身の責任。あの時完全に鎮火すべきだったんだ。だけどどんなに悔やんだってもう、戻れない。



――【あぁ、隆志……】



恍惚とした贄川春奈の声は次第に遠ざかってゆく。そして再び罪歌の声が歓喜の奇声をあげた。何度も何度も彼の名を呼び、同時に愛の言葉を囁き続ける。そしていくつもの声に紛れ、それでも確かにはっきりとこう聞こえた。「もうじき彼がやって来る」、と。そう罪歌が確信した根拠が分からず「シズちゃんがここに来るはずがない」と自分に言い聞かせる。しかし、それすら根拠などないのだ。

その時だった。すぐ近隣から、聞き間違えるはずもない首無しライダーのバイク音が辺り周辺に響き渡ったのは。シズちゃんも一緒かもしれないという焦りが先行し、気付いた時には身体が勝手に動いていた。バイク音のした方向へ、宙を蹴る感覚で走る。無我夢中で音だけを頼りに、ただひたすら足を動かし続け――



「セルティさんっ!!」



道路を遮るように両手を広げ、形振り構わず飛び出した。急ブレーキを踏む音に次いで、鼓膜を震わせるのは馬の嘶き。僅か数センチという寸前で黒バイクは完全に動きを止めた。あと少し飛び出すのが遅かったら間違いなく轢かれていただろうが、今それを恐ろしく思う余裕などない。



『! みさきちゃん!?』

「ごめんなさい。急に飛び出して……でも、どうしても事情があって」

「その声……みさきか!?」

「……シズちゃん。やっぱりセルティといたんだ」

「お前、なにこんなところでウロいてんだよ!じっとしてろっつったろ」

「シズちゃんこそ、私の話全然聞いてくれなかったじゃない!」

『ストップ!こんなところで痴話喧嘩はやめてくれ!』



セルティにPDA画面を突き付けられながらも諌められ、ぐっと言葉を飲み込む。確かに、今ここでくだらない言い合いをしている猶予など残されていない。シズちゃんも私と同じく言いたい事は山ほどあるようだったが、やはり同じ事を考えたのか閉口し、それでも何か言いたげな目でじっとこちらを見つめてきた。そんな目をされると困るのは私の方だというのに。



「セルティ。悪ぃが、少し席を外してもらえねえか?」

『……分かった。なるべく早く済ませろよ』

「あぁ、サンキューな」



気を悪くした様子もなくその場を離れようとするセルティに対し、シズちゃんは感謝の言葉だけ告げると私の手を取り、ついて来るよう促した。促されるがまま路地裏へと入り込み、闇夜に紛れてよく見えないシズちゃんの表情を伺う。彼の言おうとしている事は分かりきっている。だからといって、私が成そうとしている事に何の変わりもない。



「……何言っても大人しくしてくれそうにねえな」

「シズちゃんこそ、私が何を言ってもやめない気なんでしょ」

「あぁ」



やけにあっさりと肯定されてしまった。こうも即答されてしまうと、返す言葉も見つからない。



「それに、これはみさきの為だけじゃねえ。セルティの敵討ちでもあるし、俺自身の為でもある」

「……」

「みさき」

「……」

「なにか言えって」

「私が今シズちゃんに言いたい事は変わらないもん」

「みさきは心配し過ぎなんだよ。俺を信じろ」

「……無理」

「即答かよ」



あからさまに不機嫌そうな私の態度に、シズちゃんはただただ苦笑する。今の私はまるで駄々を捏ねる小さな子どもだ。可愛くないって事も重々承知。こうしていると、やはりシズちゃんは歳上(大人)なのだと改めて実感する。だって彼は常に自分以外の人間のことを考えていないようで、よく考えて行動している。私のはただの自分勝手だ。それを自覚しているが故に尚更ここで折れたくない。互いに主張する意見の根本的な部分は確かに合致しているはずなのに、どうしてこうも噛み合ってくれないのだろう。シズちゃんの言う事1つ1つが正論過ぎて、次第に苛立ちが募ってゆく。

互いに意見を譲らないうちにプチン、と自分の中の何かが弾けた。どうしてこんな事を言ってしまったのか私にも分からない。そうまでしてでも彼を止めたかったのか、もう何もかもが面倒になってしまい吹っ切れた結果がこれなのか――



「……もう、いい」


――私はただ、貴方に無事でいて欲しいだけなのに。

――私の言う事を聞いてくれないのなら……



「別れよう」

「……は?」

「シズちゃんがやめてくれないのなら、別れる」

「みさき、お前……本気か?」



動揺するシズちゃん。いきなりこんな事を告げられたのだから無理もない。お願いだから、と懇願する思いでじっと返事を待つ。私だって本気で別れたくて言っている訳ではないのだ。ただ「行かない」と、たった一言シズちゃんの口から聞きたくて。しかしいざ実際に口にしてみると、「別れよう」というたった一言は想像以上に胸がはち切れそうになった。別れる理由など何処にもないのに、どうして別れなくてはならないというのだ。遠回しではあるものの、それだけ私が本気なのだと悟って欲しかっただけなのかもしれない。

しかし返ってきた言葉はやはり、やけに呆気なく――



「分かった」

「……」



――逆に考えてみよう。何故、シズちゃんは君の事が好きなのか。

――ぶっちゃけ、優しければ誰でもよかったんじゃない?もし、あの日傷付いたシズちゃんを手当てしたのが他の誰かだったりしたら?

――たまたまあの場に居合わせたのがみさきちゃんだった、ただそれだけの事だろう?



そうか、その通りだったのかもしれない。臨也さんに突き付けられた受け入れ難い言葉1つ1つが、今はこんなにもすんなりと頭に入ってきた。あの時はついムキになって反論してしまっていたが、よくよく考え直してみると強ち否定出来る話ではなかったのかもしれない。やはり臨也さんの言葉は確信を突いていると改めて実感すると共に、ただ悲しいというよりは悔しいと思った。また、私はこうして拡散する様々な情報に踊らされるのだろう、と。

別れたくないから、行かない。その言葉は彼に言って欲しかったのではなく、もしかしたら心奥底に眠る私の本音だったのかもしれない。今にも零れ落ちそうな涙を堪え上を向く私の視界には、何処か寂しげな表情を見せつつも何も言わないシズちゃんがいた。何故分かってくれないのか。そう目で訴えられているような気がして、咄嗟に目を逸らした。

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