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金が欲しいのなら、と切り出してきた臨也さんの言葉に顔を上げる。そして互いの目線が交わるよりも先に視線を逸らした。絶対、ろくでもない話に決まっている。彼がイフを提示する時は決まって取引事だ。また以前のようにとんでもない代償を求められては困る。



「どうせそこらの馬の骨とヤるくらいなら、俺の相手にでもなってくれたらいいのに。俺ならもっと多額の金を出せるよ?」

「ッ!だから、お金なんていりません!」

「まぁ落ち着いてよ。俺、前にも言ったよね?たかだか君の歳で稼げる額なんて、社会人からしたらたかが知れている。本当に金が欲しいのなら、それこそ身売りか水商売か……君も外で見ただろう?君と然程歳の離れていない少女が、夜の街で稼ぎに出ているところを。これが現実。もっとも、大学なんか行かずに就職って手もあっただろうけど。今時高卒で雇ってくれるような会社、そうそうないだろうね」



そんな事は知っている。だから私はただなんとなく大学進学を決めたのだ。夢がある訳でもない、やりたい事も見つからない。そんな焦りの渦中、逃げるように大学進学を希望したのだから。そうすれば少なくとも在学中は、無駄な時間を送らずに済む。世間では『学生』というカテゴリーに身を置く事が出来る。幸い学力は足りたし、特に問題なく大学生になった私。そんな私も、もうじき入学して2年を経とうとしていた。

改めて思い直す。本当に?本当に私は大学生になる事で有意義な時間を過ごせているだろうか?大して熱心に勉強もせず、単位取得に差し支えはないものの講義もまともに受けていない現状。今の私は将来に向けて何も出来ていないのでは?ならばいっそのこと、なけなしの額でも働いて稼いでいた方が自分の為になるのかもしれない。それをシズちゃんがどう思うか、それが最大の難点であるが――臨也さんと話しているうちに、稼ぎたいという気持ちが増してゆく。ただ私欲の為ではない。これはシズちゃんとこれからを共に生活していく為の資金だ。



「だから、とりあえず戻っておいでよ。俺の"秘書"に。まだ契約は切れていないはずだけど?少なくとも書類上では」

「! あ……」

「これ見て。君が書いた雇用契約書。期限が切れていない限り、俺と君の関係は結ばれている。俺は今もみさきちゃんの雇主で、兼責任者でもあるって訳」

「でも、私……ずっと放棄していましたよね?これって、違反にはならないんですか?」

「たかが1年じゃない。今時そう珍しくはないよ。会社によっては、病院で鬱と診断されただけで長期休暇を貰う事だってできる」

「だとしても、」



第三者からしたらそれはあまりに可笑しい。本当にそんな事が許されるのか。己の中の良心が叫ぶ。許されるはずがない、と。結局私は誰かに頼らなければ先に進めないのだ。己の無力さと不甲斐なさにただただ何も言えずにいる。そんな私にトドメの追い討ちを掛けるように、臨也さんは薄ら笑みを口端に貼り付かせたままこう言った。



「ねぇ、みさきちゃん。君は少し勘違いをしているね。君は選べる立場にある訳じゃあない。ただ、従来の契約通りにしてくれればいいんだ。君は秘書として俺の元に戻って来なければならない。これは"絶対"。契約破棄は許されない」



目の前に雇用契約書を突き付けられ、俯く。彼は私に拒否権はないと言いたいのだ。元はと言えば、責任は全て私にある。仕事を始めたきっかけも私、それを今更放り投げるなんて無責任にも程があるのでは。そんな身勝手な行動が許されるとは思っていない。やはりここはけじめをつけ、せめて契約期間中は彼の元で働くべきだ。その方が情報も得やすいだろうし、給料に対して不満など何もない。

それなのに、どうして私は首を縦に振る事が出来ないのか――



「そんなにアイツが怖い?」

「……何の話ですか?」

「何って、シズちゃんの事だよ。君はシズちゃんの意思に逆らうのが怖くて、自分を尊重出来ずにいる」

「私が……シズちゃんを?そんな事、ある訳が」

「考えてみなよ。君はどうして躊躇しているんだい?シズちゃんが反対するから、なーんて思ってるんじゃない?」

「ッ!」

「君は罪歌の情報を得たいと思っているし、稼ぎたいとも思う。やろうと思えば出来る事を出来ないのは何故?答えは単純。アイツがそれを許さないからさ」

「ち、違……」

「愛情と同情は履き違えやすい。『私が好きになってあげないとあの人は駄目になってしまう』なんて思った時点で、それはもはや愛ではないね。相手を哀れんだ、ただの同情。その考え方こそが相手を駄目にしていると気付けない。頑なに認めようとしないからさ」



嫌だ、もう聞きたくない。

聞きたくないのに、臨也さんは更に言葉を続ける。
「この2つはとてもよく似ていてね、きっとみさきちゃんも……」

「黙って下さいっ!!」



つい、大声を出してしまった。それでも臨也さんは動じない。ただ相手を見透かしたような目で、静かに次の言葉を待っている。試されているようで内心ムッとするが、ここで感情的になったら負けな気がして、出かけた言葉を飲み込んだ。

彼に対する言葉1つ1つがあまりにも重すぎて、窒息しそうになる。苦しい。どうしてこんなにも胸を抉られたような気持ちになるのだろう。本当の事を言われたから?彼の言葉があまりにも図星を突いていたから?……分からない、分かりたくもない。認めたくないのが本心なのだろう。



「何も知らないくせに、知ったような口きかないで下さい。いくら臨也さんでも……怒りますよ」

「それは図星だから?」

「ッ」

「ずっと疑問だった。そもそも、どうして君はそんなにアイツが好きなんだい?アイツ相手じゃああまりにもリスクが大き過ぎるよねえ」

「……」

「逆に考えてみよう。何故、シズちゃんは君の事が好きなのか」

「……へっ」



臨也さんの突然の言葉に面食らう。そんな事、考えた事もなかった。



「それこそ顔、かなぁ。それにしたって、あまりにも単純過ぎない?あの恋愛に無関心だったシズちゃんがさあ。みさきちゃんはシズちゃんの高校時代を知らないから分からないだろうけどさ、かなり殺伐としてたんだから。ぶっちゃけ、優しければ誰でもよかったんじゃない?もし、あの日傷付いたシズちゃんを手当てしたのが他の誰かだったりしたら?たまたまあの場に居合わせたのがみさきちゃんだった、ただそれだけの事だろう?」

「そりゃあ、人との巡り合わせなんて偶然みたいなものじゃないですか。確かに私があの日シズちゃんを手当てしたのは、たまたま通り掛かったからですけど」

「……ほんと、どうしてみさきちゃんだったんだろう。あと数分……いや、あと数秒君の帰りが早かったら……シズちゃんと出逢わなかったのかもしれないのにね。やっぱりあの時、きちんと殺しとくべきだったなあ」

「……何が言いたいんですか」

「分からない?アイツは愛に餓えた化け物だったんだよ。だから、君から施された優しさはあまりにも珍しかったって訳。それを恋慕だと勘違いしただけなんじゃない?本当にアイツは君の事を愛しているのかい?」



臨也さんの声がやや苛立っているのが分かる。やけに説得力のある彼の言葉は私の胸に深く突き刺さった。

シズちゃんが私に執着する理由は何か。確かに彼は愛に飢えていた。怖がらずに接される事をやけに珍しがっていた。それは当時の私が引っ越して来たばかりであったが故に、シズちゃんの事を何も知らなかっただけで――ならばもし私がシズちゃんに纏わる噂を元から知っていたら、何かが変わっていただろうか。傷付いたシズちゃんを見掛けても、怖がって近付かなかった?見て見ぬフリをした?正直、分からない。人間の本質をただの噂話だけで決め付けてしまうのはよくないが、少なからず左右されてしまう事は否めない。



「……話が逸れたね。とにかく、君のそれは愛情じゃない。同情だよ。シズちゃんの執拗な束縛も愛情とは言えない。押し付けるだけが愛情じゃない。君はそこを履き違えている」



何も言い返せなかった。頭が混乱しているのと、臨也さんの言葉の意味を上手く解釈出来なくて。まるで今まで信じてきたもの全てを否定された気分だった。悔しくて、涙が溢れてくる。



「……好き、だもん。同情なんかじゃ……ないです。私は、本当にシズちゃんの事が……」





好き。そう繰り返すよりも先に、臨也さんの掌が私の口を塞ぐ。驚いて彼の顔を見ると、その表情はあまりにも切実なものだった。また人を嘲笑っているものだと思っていた故に、想定外な反応に内心戸惑う。



「それ以上は聞きたくないな」

「……」

「俺、みさきちゃんが好きだよ。俺なら君を守ってやれる。後悔なんてさせないし、それだけの金も権力もある」



彼の言葉には、聞く者を納得させるだけの特別な力があるのかもしれない。この人は私をぬるま湯に浸からせる。どんなに張り詰めた危機的な状況にあったとしても、不思議と緊迫とした気持ちにはならない。そして今の言葉に偽りなどない事を私は知っていて、もし頼めば臨也さんは何だってしてくれるだろう。きっと何処までも連れて行ってくれる。それこそ、彼の持つ財力と権力をもってして。

今の彼なら信じられる――気がした。油断出来ない相手である事には何ら変わりないが、今の表情が創り物でない事くらい分かる。こういうタイミングでこの表情は、ズルい。どうしたらいいか分からなくなる。だけど私には何もしてあげられないし、してあげられる権利さえもない。してあげられる事といえば、それはシズちゃんとの関係を自ら断つ事を意味するのだ――



「俺にしときなよ。アイツなんかより俺の方が、ずっとみさきちゃんを理解してやれる」

「……冗談、ですよね?」

「今、冗談を言えるような状況かい?結構真剣(マジ)な話なんだけど」

「……」



彼の口にする言葉全部、なり止まない胸の鼓動――全て嘘だと思いたい。もし本当に嘘であったらなら、どんなに気が楽だろう。あまりにも臨也さんがらしくないものだから、こちらまで緊張してしまう。あの普段飄々とした人の見せる必死な表情がこんなにも心を揺さぶるなんて、知りたくなかった。知らなければ、こうして後ろめたく感じる事もなかったのに。



「そ、そんな事より、私臨也さんに話があって……」

「君は本当に誤魔化し方がヘタだね。いいよ、とりあえず聞いてあげる。どうせ罪歌の事だろう」

「はい」

「タダでとはいかないよ」

「承知の上で、どうしても知りたい事があるんです」

「承知、ねえ。本当に?もし俺が君の身体を代価として求めたらどうする?」

「諦めて自力でどうにかします」

「じゃあ諦めてどうにかするといい。言っとくけど、この情報は万札3枚に相当するだけの価値はあるよ」

「万札……って、3万!?」

「まだどこにも流していない、とっておきだからさ」



3万という多大な額は、今の私にとってあまりにも損失が大き過ぎる。とてもじゃないが、簡単に支払えるような額じゃあない。手っ取り早く罪歌――贄川さんの居場所を突き止め、一か八か説得を試みようと思っていたのに。無謀なのは重々理解している、それら考慮の上での決断だった。

今まで生きてきた中で培われた知恵の全て、次に何を『すべき』かが試されている。私はどうしたらいいのだろう。そして今、何を優先すべきか。

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