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「おら、起きろっ」
ガバリと布団を引き剥がされ、眠たい眼を擦りながらも嫌々身体を起こす。普段は朝に弱いシズちゃんが何をそんなに急いでいるのだろう。霧の掛かったようなぼんやりとした頭でそんな事を考えてみるが、微かに鼻を擽る香しいかおりに丸ごと意識を持っていかれる。小中学生の頃、遠足や運動会の朝に母が作ってくれたお弁当を思い出す。お弁当といえば定番の厚焼き卵――それに近いような、
「(これは……卵?)」
ほんのりと甘い優しいかおりに誘われ、台所(といっても簡素なものだが)へと向かう。シズちゃんはラフな部屋着に腰エプロンという何ともミスマッチな格好をしており、細い腰に巻かれたエプロン紐の結び目はやや粗雑であった。片手を腰に当て、トレイを片手に持ったシズちゃんの姿はまるでレストランのウェイター。ただし着ている服が部屋着でなければの話だが。
トレイ上には2枚の皿、更にその上には香しい匂いの元であろう卵色をしたドーム型の食べ物が盛ってある。興味本位に覗き込もうと背伸びすると、シズちゃんはまだ駄目だと言ってトレイを空高く持ち上げた。どうやら彼はギリギリまで私を焦らしていたいらしい。
「とりあえず座って待ってろって」
「意地悪だなあ。見せてくれたっていいじゃんっ」
「いいからいいから」
軽く宥められ、大人しく回れ右をして腰を下ろす。よく聞くと台所からはジュウッと肉の焼ける良い音がした。どうやら調理の方はまだ終わっていなかったらしい。思えば、シズちゃんにこうして手料理を振る舞ってもらうのは今日が初めてだったりする。聞くところによると、彼の独り暮らし時代の食生活は決して健康的だとは言い難い、それ故に正直期待はしていなかった。ただシズちゃんが私の為に苦手な早起きをし、こうして朝食を用意してくれている事が堪らなく嬉しくて。それから待つ事5分程度、先程のトレイを片手に持ったシズちゃんが台所からヒョコッと顔を出した。
「テーブルの上、片付いてるか?」
「うん」
「おし、食うか」
「やった!」
待ってましたと言わんばかりに手を叩いて喜ぶ。今度こそ朝食とご対面。目をキラキラと輝かせて心待ちにしていると、そんな私を見てシズちゃんが「んな期待するなって」と忠告した。
目の前に置かれたそれはやはり卵色のドーム型で、すぐ隣には焼いたウインナーとブロッコリーが小洒落た風に添えられていた。ドーム型の中央にはケチャップで器用にも『みさき』と平仮名で書かれており、どうやらこれはオムライスであるらしい。正直期待以上である。一方シズちゃんのオムライスにはケチャップで大きく『おれの』の文字。
「えっ……オムライス?」
「嫌いか?」
「ううん、全然。すっごく好き!ていうか、ちょっと意外でびっくりしたっていうか……シズちゃん、いつの間に料理出来るようになってたの?」
「1人で暮らしてたら料理なんてしねえけど。材料買っても余るし、寧ろ高上がりだからな。まぁ、2人で暮らしてる分には自炊した方が経済的にもいいだろ?いつもみさきが作ってくれるのも悪ぃと思ってたし」
「私が好きでやってる事だもん。気にしなくていいのに」
「そりゃ気にするだろ。いいから、とりあえず食えって。冷めちまうぞ」
確かにそれもそうだ。せっかくの料理も冷めてしまっては勿体無い。手渡されたスプーンを受け取り、まずは1口。玉子は半熟でトロトロとしており、程好い焼き加減だった。お米の炊き具合も柔らかすぎず固すぎず、オムライスには丁度良い。美味しい。お世辞抜きで、心の底から純粋にそう感じた。初めて作ったとは思えないくらいに。そんな率直な感想が思わず口をついていたらしい、それを聞いたシズちゃんの表情が途端にぱあっと明るくなる。
しかし気になる点が1つ。
「白ご飯……?」
「うぐ」
「いや、すっごく美味しいんだけどね?不思議に思っただけ!料理って家庭によってそれぞれだし、シズちゃんのお母さんが作ってたオムライスって、こんな感じだったのかなあって」
「いや、お袋の作ったオムライスのライスは確かにケチャップの味がした」
「……うん?」
「あの、な。そもそも作ろうと思ってたのはオムライスじゃなくて、かに玉だった訳で……」
「(かに玉!?)」
いや、確かに同じ玉子料理ではあるのだが。もう1度オムライスへと視線を落とす。どこからどう見てもオムライス。完全に、始めから意図されて作られた正真正銘オムライスだ。そもそもかに玉とオムライスは調理法が根本的に異なる。何せ、かに玉は中華料理だ。
「かに玉って……あのかに玉!?中華の!?」
「肝心のかにかまを買い忘れちまった。かに玉にかにかまは欠かせないだろ、かにかまは」
なんだか言葉の端々に『かにかに』ばかりで上手く聞き取れなかったが、彼曰く急遽コンビニに行ってみたところ"かにかま"は売っていなかったらしい。確かに卵やウインナーはコンビニで見掛けても、かにかまの姿を見た事はない。
「いや、だってこれ、すっごく美味しいよ!?くどいようだけど!」
「そうか、それは良かった。それっぽく作ってみた甲斐があったな」
「……もしかして、作ったのは初めて?」
「? 味見はしたぞ?」
もしかするとシズちゃんには料理の才能が秘められているのかもしれない。そんな事を考えながら、私はもう1口オムライスを口へと運んだ。舌で感知する半熟卵のトロトロ具合――やっぱりシズちゃんの作ったオムライスは美味しかった。
朝食を終え、2人分の食器を洗い終えたと同時に何やらテレビが騒がしくなる。想像は出来ていた。案の定切り裂き魔についての報道だった。しかし事件捜査は至って難航しているという現状をニュースキャスターが淡々と告げるだけで、状況は何1つ変わってなどいない。チラリと彼の方を見やる。シズちゃんは食い入るようにテレビ画面をじっと見つめており、ただ小さく「切り裂き魔か」とだけ呟いた。その表情が強張っていくのを感じ、重くのし掛かる空気が居心地悪い。
切り離せない。分かっていた。分かっているから逃げ続けた。結果ばかりを先送りにする私と、何が何でも己の愛を貫き遠そうとする罪歌――どちらの想いがより強いかだなんて、言われなくとも分かっている。
「や、やめようよニュース見るの。どうせ朝から言ってる事は同じなんだし」
「いや、」
「?」
「被害者、とうとう50人超えだってよ」
「……」
押し黙る。
もう、逃げられない。
「お前はどうするつもりなんだ?みさき。……いや、ぶっちゃけどうしたい?」
「……約束は守ってね」
「知らないフリを決め込んでろってやつか」
「うん」
「なら、お前も守れよ。約束。1人でどうにかしようなんて思い急ぐんじゃねえ」
「……分かってるよ」
その数分後、私は見てしまった。以前、お馴染みのチャットルームが『罪歌』を名乗る何者かによって荒らされていたという事を。何度も何度も、まるで狂ったように紡がれ続けた人物の名――『平和島静雄』。
私は確信してしまった。あの時、アパートの前に訪れた罪歌の子の言葉が脳裏の端々に響き渡る。私だけならどんなに気が楽であったか、しかし今はそんな悠長な事を言っていられない。
「あら、やっぱり」
「平和島静雄……貴方が彼女の愛する人……」
その時だった。行き詰まったところへ更に追い討ちを掛けるように、携帯に届いた1通のメール。文面は至ってシンプル、しかしその端的な文字からは送り主の切羽詰まった思いがひしひしと伝わって取れた。
そこにあったものは、恐怖でも不安でもない。ただ寒気だけを感じさせる何かが確かにそこに存在した――
【切り裂き魔に、ダラーズのメンバーが襲われた】
【情報求む 情報求む 情報求む――】
♂♀
チャットルーム
過去ログ 以下内緒モード
{ねえ}
{いつまで無視を決め込むつもり?}
{私はこんなにも貴女を愛しているのに、貴女は応えてくれないのね}
{私が憎い?怖い?}
{それでも私は貴女を愛するわ}
{ねえ、そろそろ終わりにしましょう?}
{長かったわ、この1年}
{貴女を想い続けて、こんなにも月日は経ってしまった}
{恨んでなんかいないわ}
{けどね、もう疲れた}
{疲れたのよ}
{貴女への想いは風化する事なく、積もりに積もって――}
{平和島静雄}
{そう、平和島静雄}
{貴女の愛する人}
{彼の事も愛してあげる}
{だって、貴女の愛する人ですもの}
{私が彼を愛する理由}
{動機付け}
{もう、なんだっていい}
{愛してるわ、みさき}
{みさきの愛する平和島静雄も愛してる}
{みさき}
{苗字みさき}
{平和島静雄}
{私、2人、愛してる}
{愛、斬る、私}
{愛、目的、見つけた}
{みさき}
{苗字みさき}
{苗字苗字苗字みさきみさきみさきみさきみさきみさきみさきみさきみさきみさきみさきみさき苗字苗字苗字みさき}
{平和島平和島平和島平和島静雄静雄静雄静雄静雄静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄平和島静雄}
{愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛}
{苗字苗字みさきみさきみさきみさきみさきみさき静雄静雄静雄平和島静雄平和島静雄苗字みさき}
{愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に愛の為に}
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《あひるさん、見てますか?》
《見て分かる通り、先週から何者かにチャットルームが荒らされていて》
《……物騒ですよね》
《管理人としてこちらの方は対処しますが》
《……あひるさんも気をつけて下さい》
《では》
――甘楽さんが退室されました――