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――……私、馬鹿だ。



シズちゃんの温かな背中に身体を預け、朧気な意識の中、自虐的にそう思う。まさかこのタイミングで、こんな場所で再会するなんて思ってもいなかったから。

唯一幸いだったのは、シズちゃんが私の事を本当に忘れていたという事。臨也さんから話だけは聞いていたものの、それを自分で確認した事はなかった。だからシズちゃんに声をかけられた時は、不安と期待が入り交じったような複雑な気分だった。前者は「私の事を思い出してしまったのでは」という気持ちに、後者は「私の事を覚えているかもしれない」という気持ち。

結局シズちゃんが私を覚えている事はなかったが、私はそれが1番彼の為になるのだと信じている。余計な心配と迷惑は極限掛けたくない。そもそも薬の最低効果期限は2年だと聞く。少なくとも自然と思い出すなんて事はあり得ないのだ。



――あーあ、昨日お風呂で逆上せた身体を冷やし過ぎたのが原因だろうな。

――元はと言えば、逆上せたりなんかしなければ……



昨夜――ダラーズ初集会の前日、私は湯船に浸かったまま色々と思考を働かせていた。お風呂で考え事をするのは、私の昔からの悪い癖だ。それが原因で、過去にシズちゃんに迷惑を掛けた事もあったというのに。

臨也さんに言われていた事を思い出す。「シズちゃんをこれ以上巻き込みたくないのなら、バッタリ出会う事のないよう気を付けろ」と。早速出会ってしまった。意外と世界は狭いのね。



「(……シズちゃん、あの香水つけてくれてるんだ)」



クリスマスに私がプレゼントした、あの香水。シズちゃんは勿体無いからと言って滅多に付けてくれなかったけれど、それでも未だにその香りを好んで使ってくれている事に安堵した。今もシズちゃんと何処かで繋がっているような気がして、純粋に嬉しかったのだ。

狭いようで広いこの池袋の街で、1人の人間と偶然にも出逢える確率はほんの微々たるもの。それでも再び廻り合ってしまった私とシズちゃん。それを素直に喜ぶべきか悲しむべきか、それによってこの街では一体何が起きてしまうのか――



――……臨也さんに何て言い訳をしよう。



♂♀



次に目を覚ました時にはやけにフワフワなベッドの上で、辺りを見渡すと、そこは見知らぬ部屋だった。同時にシズちゃんの姿が見当たらない事にホッとする。

熱のある身体は未だにダルいけど、今すぐにでもここを出て行かなければ。フラフラと覚束無い足取りで部屋の出口まで歩いて行く。



「おい」

「!?」



ドアまであと一歩というところで、背後から物凄い力で引き寄せられる。危うく転んでしまいそうになるものの、声の主の腕に間一髪のところで支えられた。そのまま、恐る恐る視線を上げる。今考えられる人物なんて――1人しかいない。



「んなフラフラな身体で、1人でどこ行こうとしてんだよ

「あ、あの、……その」

「こんな時間にあんたみたいな奴がほっつき歩いてたら、怪しい奴等にホテル連れ込まれて終わりだぞ」

「……(いたんだ、シズちゃん……)」



どうやら、ついさっきまでシャワーを浴びていたらしい。どうりで見つけられなかった訳だ。腰にタオルを巻いているものの、その姿は限りなく裸に近い。濡れた髪からポタリと雫が滴り落ち、私の頬を濡らした。



「あんたがベッドから起き上がる姿が見えたもんで、慌てて飛び出て来た」

「ご、ごめんなさい……」

「別に構わねぇけど、もう少し自分の身体大切にしろよ。……あ」



それだけ言うと、ふと何かを思い出したように回れ右をし「やべ、シャワー止めてきてねぇや」そそくさとシャワー室に戻ってしまった。そんな彼の背中を見送りながら、私は仕方なくベッドへと戻って腰掛ける。

私の事なんて覚えていないだろうに、それでもシズちゃんはやっぱり優しい。あの様子を見れば、どんなに慌てて来てくれたのか一目瞭然だ。そんな彼の優しさに触れて、ドキンと心臓が脈打つのを感じる。やっぱり私はシズちゃんの事が好きで好きで堪らないのだ。



それからしばらくして、シズちゃんが首からタオルを掛けて、上半身裸の状態でシャワー室から出て来た。正直、目のやり場に困る。何だか妙に気恥ずかしくて、思わず視線を横にそらした。髪の毛をタオルでわしゃわしゃと無造作に拭きながら、シズちゃんが私の方をチラリと見て言う。



「とりあえず今は寝とけよ。まだ顔赤いみてぇだし」

「う、うん……」

「……」

「……」

「……なぁ」

「?」

「俺たち、やっぱり会った事あるよな?」

「……」



――そうだよ。

――忘れちゃったの?



本当は今すぐにでも本当の事を話したい。私の事を思い出して欲しい。シズちゃんは完璧に忘れ去ってはいなかった。きっと何かキッカケがあれば、すぐにでも思い出せる。だけどそれが出来ないからもどかしい。

記憶というのは全てが鎖で繋がっていて、1つ思い出すだけでどんどん連なって思い出せるものだ。思い出して欲しいのに、思い出して欲しくない。どこまでも矛盾しきっている。そもそも、こうしてシズちゃんと2人っきりになってしまうなんて、こういう時どうすればいいのか分からない。



「もし間違ってたら悪ぃんだけどよ。あんた、もしかして『みさき』とかいう名前か?……て、そんな都合よく当たる訳ねぇか」

「! ……あの、どうしてそう思ったんですか?」

「いや、別に根拠なんてねーけどさ。ただ、なんとなく。それっぽいなって」



――……どうしよう。

――でも、名前くらいならいい……よね?



それが見事的中していると伝えると、シズちゃんは心底驚いた様子で「うお、まじかよ」と言って笑った。

多分、私は心の奥底でシズちゃんに思い出してもらいたいと願っている。自分から言い出す勇気がないから、そうやって期待してるんだ。私はいつだってそう。昔から何1つ成長していない。未だにお風呂では逆上せるし、肝心な時に勇気が出せない――ただの弱虫。



「そういえばお前、俺といても平気なんだな」

「……え?」

「いや、……なんか新鮮なんだよなぁ。俺見ても怖がらない奴って。俺、すげー周りに怖がられてるからよ。今に始まった事じゃねぇんだけどさ。子どもの頃はさすがに結構応えたが……もう、今は慣れちまった」

「……」

「ま、今ではこんな俺でもよくしてくれる人はいるし、だからこそ俺なんかがやっていけてるんだけどよ」



自虐的に笑いながら、私のすぐ隣に腰掛けるシズちゃん。まるで吹っ切れたとでも言わんばかりに。その寂しげな横顔を、私はしばらくじっと見つめていた。

1年前はあんなに一緒だったのに、シズちゃんがこんな風に自分の事を話したりする事なんてなかった。結局彼が自分の口から本当の名前を名乗る事すら1度もなかったというのに。「悪ぃな。初対面なのに愚痴っちまって」そう言うとシズちゃんは私をベッドに寝かし、布団を掛けてくれた。



「……あの」



私の呼びかけに、シズちゃんがゆっくりと振り返る。
どうせ無理なのは分かっている。それでも、もしかしたら記憶が残っているかもしれない。ほんの少し期待を込めて私は言葉を紡ぐ。



「どうして、私を助けてくれたんですか?」

「助けるなんて、そんな大それた事じゃないだろ。つーか、いきなり声掛けたのは俺の方だし、驚かせちまったよな」

「い、いえいえ!私の方こそ、いきなり目の前で倒れるなんて……!」

「それに、」



シズちゃんは再びベッドの縁に座ると、小さく微笑みながら私の頭を撫でた。



「放っておけなかった。どうしてなのかは俺にもよく分かんねぇ。けど、たまに思い出すんだよ。俺もこうやって、見知らぬ誰かに助けてもらった時の記憶を」

「……!」

「その日は雨が降っててさ。俺はどういう訳か、すげぇ腹部に大怪我してて、おまけに熱が出るわで散々で。そん時に……確か……」

「覚えてないの?」



シズちゃんの言葉を途中で遮り、お互いの視線を真っ直ぐに合わせる。シズちゃんも、私の真剣な目を見て微動だにしない。初めはポカンとしていたものの、やがて何かを察したように表情を変える。



「そこで会った人の事、覚えてない?」

「……人……?」


――私、だよ。

――私だよ、シズちゃん。



言いたい。話したい。思い出して欲しい。それを目で訴えかけるように、ただただシズちゃんの顔を見つめた。だけど現実は残酷だ。



「……思い出せねぇ」

「……」



――……ほら、ね。

――奇跡なんて、そうそう起こるものじゃない。



「そう、ですよね」



何を期待していたんだろう。馬鹿みたい、私。自分が望んだ事なのに、何を今更後悔しているんだろう。あの時は二度と会えない事までもを覚悟して、自分1人で決断した。それなのにたった1年会わなかっただけで、こんなにも気持ちが揺らいでしまうなんて。

こんな思いをするくらいなら、いっそのこと会いたくなんかなかった。今まで無意識に池袋を避けていたのだって、こうなる事を心の何処かで恐れていたからかもしれない。今はただ悲しくて、零れ落ちた涙を隠すように、表情を悟られぬよう顔を布団の中に埋めた。



「お、おい」

「大丈夫……、です。ただ、少し疲れちゃって……」

「……」



シズちゃんはそれから何も言わず、気を利かせてくれたのか、黙ったまま電気のスイッチを消した。辺りが暗くなった部屋。シズちゃんが近くのソファの上でゴロンと横になったのが分かる。私は静かに瞼を閉じて声を出さずに泣いた。

こうして再会出来ただけでも幸せなんだから。プラスに考えなくちゃ。そして明日の朝になったら、お礼を告げて別れよう。きっともう2度と逢う事もないだろう。私の……大好きな人。



「みさき」



意識が夢の中へと誘われる頃。シズちゃんが私の名前を呼ぶ声がした。……いいや、そんなはずはない。これはきっと夢なのだ。だって現実のシズちゃんは、私の事なんて覚えていない。

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