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ネオンの光に照らされた街の中を2人歩く。



「これからどうするの」

「どうするも何も、今から戻る訳にもいかねえだろ」



人間、冷静になって思い返すと「ああすればよかった」だの後悔の連続だ。とりあえず、玄関の扉を外したまま逃げてしまったのがいけなかった。もしかしたら犯行に使われた可能性のある凶器として、玄関の扉を提示されてしまうかもしれない。シズちゃんに限っては他の人も納得してしまうだろう。あわよくば、玄関の扉に男の血痕など残っていませんように……そしてどうか被害者の男が上手い具合に証言してくれますように。気絶こそはしていたものの、あの傷で死に至る事はないだろう。

考えなければならない事はたくさんあるが、とにかく今1番優先すべき事は――



「……寒い」



2月末。もうすぐ3月とはいえ暖かな春とは到底言い難い。特に遅い時間であればある程気温が右肩下がりである事は確かで、あまりの寒さに身を縮込ませてしまう。この時間帯になるとほとんどの店は既に閉まっており、閑散とした風景が更に身も心も凍えさせた。

突然の出来事であったが故に、私もシズちゃんも必要最低限のものしか持ち合わせていない。携帯電話に財布、それ以外は全てアパートに置いて来てしまった。



「このままじゃあ明日の朝には凍死しちゃうよ……」

「とりあえず今夜だけしのいで、明日物件探すしかねえな」

「……シズちゃんは寒くないの?」

「俺、体温高いから」



冷たい風に吹かれながらも温かな笑顔を見せるシズちゃん。多分、私を気遣っているのだと思う。厄介な事に巻き込まれてしまったにも関わらず、私に向ける小さな気遣いが逆に胸へと突き刺さって痛い。彼の優しさが辛くて苦しい。直視出来ずに目を伏せる私の身体を、シズちゃんは何も言わずに引き寄せた。背中からすっぽりと包み込まれるように抱き締められ、隅々まで冷えた私の身体が少しずつ体温を取り戻してゆく。



「冷てえ」

「シズちゃんまで冷えちゃうよ」

「みさきが風邪引くよりかいい」

「お互い様」

「俺は……ほら、丈夫だから」

「嘘だあ。初めて会った日、熱出してたくせに」

「雨ン中ずっといれば誰だって風邪くらい引くだろ」



そんな他愛のない会話をしている間だけは嫌な事も忘れられる。かけがえのないこの一時が私にとっての救いだった。しかし、いつまでもこのままでいる訳にはいかない。確かに身を寄せ合っている分には寒さを凌げない事もないが、身体が人一倍丈夫だと言い張るシズちゃんでさえもこのままでは間違いなく風邪を引いてしまうだろう。明日の朝2人揃って風邪引きでは流石に笑えない。

夜の厳しい寒さを凌ぐ為にも、私はたまたま視界端に映った池袋某漫画喫茶へ入る事を提案した。簡素ではあるが部屋は個別に振り分けられており、仮眠を摂るには十分だ。長年の年月を経て染み着いたであろう煙草の匂いが若干気にはなったが、多少の妥協は必要である。朝までの7時間料金(ドリンクバー付)をカウンターで先払いすると、通された個室はやはり狭かった。大人2人が精一杯。私の低い身長が幸いして、どうにか並んで足を伸ばせる広さだ。決して快適な空間とは言い難いが、居心地は不思議と嫌いじゃあない。



「私って、狭いところ意外と好きなのかも」

「なんだよ急に」

「ホッとするの。シズちゃんといるからかな……これから色々と考えなくちゃいけないのに」

「あぁ……サイカって野郎な。覚えとくわ。イイところ邪魔しやがってよぉ……クソッ」「きっとバチが当たったの!私が嫌って言ったのにシズちゃんがやめないから」

「なんならここで続きヤッてもいいんだぞ俺は」

「!?嘘っ、無理無理!ここ、下手したら会話全部丸聞こえなんだから……!」



狭い個室の壁にぴったりと背中をくっつけ、じりじりと迫り来るシズちゃんから逃げるように部屋を出る。



「の、飲み物持ってくる!」

「あ。俺、苺ミルクな」

「…〜〜ッ!知らない!」



何食わぬ顔して苺ミルクをオーダーするシズちゃんを1人残し、薄暗い廊下を早足で抜けた。そして手に取った右手のグラスにはミルクティー、左手のグラスには苺ミルクを。意地の悪い彼へここぞとばかりに仕返ししてやろうと思っていたのに、どうやら私は何やかんやシズちゃんに甘いらしい。ただ、こうして自分を必要としてくれる存在がどんなに心の支えであるか改めて実感する。もし今私1人だったら、現実に打ちのめされていただろうから。



♂♀



同時に、確実に"街"は壊れ始めていた。音もなく、ただ静かに日常は崩れ去る。



「なーんかさぁ、さっきからパトカー多くない?」

「んね、半端なくヤバいっしょ」

「それにしても、やけに遅くない?」

「ジョーホーシューシューだって。またなんか危ない事に首突っ込みたがってるんだよ」

「情報?なんの?」

「さあ?」



複数の女子高校生たちの横を何食わぬ顔して通り過ぎる。今夜の罪歌の犠牲者はシズちゃんと同じアパートに住む隣人だった。情報を耳にし、真っ先に現場へ向かってみると案の定そこには数台のパトカー。少し離れたビルへと登り双眼鏡を覗き込むと、とある部屋の扉が見事に外されていた。

罪歌、じゃない。これは間違いなく奴の馬鹿力が原因だろう。だが意味もなく公共物を破壊する程アイツも馬鹿じゃあない。普段はさておき少なくともみさきの目の前では。何の為に?恐らく正当防衛か。正当、という言葉の使い道が正しいのかはさておき。



「困るなあ。勝手にちょこまかされると」



罪歌がみさきを狙って本格的に動き出した今、彼女の動向を常に視野に入れておかなければならない。俺は全てを知っていなくてはならない。それは長年の経験と己の意地、つまり簡単に言ってしまえばプライドが無知な自分を許さなかった。無知ほど哀れなものはない。何かトラブルがあった時に後から飄々と現れ、自分が上手く立ち回ったように振る舞い――実際に、その後の美味しいところを持って行く。我ながら卑怯なやり方だ。事実、現れるまで何もしていないのに。

世の中に存在する所謂『予言者』という存在、その殆どが恐らく詐欺師だ。既に現実に起きた事件を、さも昔から予言していたように平然とした物言いで嘘を吐く。それを他人に信じ込ませる事によって己の信者を作り出すのだ。俺のやり方がまさしく、それ。絶妙なタイミングを見計らい、上手い具合で口車に乗せる。



「で、貴方は一体どうしたいの。あのバーテンさんを殺すんじゃなかったの?」

「そんな簡単に言わないでくれよ。出来るもんならとっくにやってるさ、5年くらい前にね」



まるで興味の欠片もないような表情を浮かべ、物騒な事を口にする我が秘書。矢霧波江は仕事に関してはほぼ完璧とも言える人材だった。ただ唯一、血の繋がった弟への異様な程までの執着心を除いては。みさきが俺の元を去り、仕事上どうしても埋め合わせが必要だったのだが――愛想にやや欠けるものの元会社の責任者であったが故に仕事面での出来は非常によかった。


「それで、彼女たちの居場所だけど」

「おや、もう分かったのかい?」

「居場所の推測なんて簡単よ。第一、事件発生から然程経っていないもの。行動可能範囲なんて限られてる」

「……君さ、探偵にでもなれば?人探しとかしてさ、少しは人の為になれるかもよ?」

「生憎、善人ぶるのは嫌いなの」

「あはは、さては帝人くんの事、思い出したでしょ」

「……」



それまで眉1つピクリともさせなかった彼女の表情が僅かに歪む。どうやら図星だったらしい。



「……餓鬼は嫌いよ。現実を何も分かっちゃいない」

「そりゃあヒーローに憧れたりもするさ。まだ高校生なんだから。……いいねえ、若いって。良くも悪くも純粋でさ。大人になると見えてくるんだよねえ、世の中のきな臭い部分とか」

「それ、大部分が貴方の事じゃない」

「辛辣だなあ。とまぁ、この話は置いといて……本題に戻ろうか。もう1度率直に聞くけど……みさきとシズちゃんの居場所は?」



俺の問いかけに波江は再び視線を画面へと戻し、調べあげた結果だけを淡々と告げる。



「漫画喫茶ね。池袋の」

「あぁ、サンシャイン通りの?確かに、この時間帯に開いている店なんて限られてるからねえ。ホテルに泊まれるような金、シズちゃんが普段から持ち合わせているとは思えないし……」

「で、知ったところでどうしたい訳?」

「今はまだ何もしないよ」

「今"は"、……ねぇ」



呆れたようにため息を吐く波江を他所に、俺はもう1度双眼鏡を覗き込む。高い位置から池袋の街を見渡すのは最高に気分の良いものだ。まるで自分が絶対の権力者であるかのような――そんな錯覚に陥る。ただ俺は傍観者、或いはプレイヤーでしかない。盤の駒に己という存在はいないのだ。



「引き続き波江さんは2人の動向をよろしく頼むよ。俺は……別の用があるから」

「どうせロクでもない事考えているんでしょうけど」

「今日はいつになく不機嫌だねえ。もしかして何か……あぁ、もしかして弟くんの事?いいじゃない。弟くんも年頃の男の子なんだからさぁ、デートの1つや2つ。場所は確か……上野動物園だっけ?」

「……知ってたの」

「まあね。波江さんの情報力が如何なものか確かめさせてもらった訳だけど……流石。伊達に長年弟くんを陰から"見守って"きただけある。ここは1つ、簡単な答え合わせをしよう。張間美香が弟くんとの待ち合わせ場所に指定した場所は」

「誠二の部屋の前、でしょう。これで気は済んだかしら?」

「……ご名答。波江さんの情報力がいかに明確か確かめさせてもらったよ。これからも信用出来そうだ」

「随分と慎重なのね」

「首の情報を漏らさない為に、何人もの従業員を容赦なく首にした張本人は誰だったっけ?」



空気がピリピリとしてきた頃、それを誤魔化すように笑ってみせる。身内に敵はつくるべきでない。ただでさえ彼女には、これからも働いてもらわなければならないのだから。

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