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それから長い長い時間を掛け、セックスでお互いがイッた頃には朝日が顔を出していた。とはいえこの時期の朝方は暗い上に寒い、なにしろ2月であるが故。しかし行為を終えたばかりの身体は汗ばみ、互いの身体を密着させている分には寒さを凌ぐには十分だった。



「今日のシズちゃんしつこかった」

「もっとしつこくシてやろーか」

「……いい。もう疲れた」



にやりと笑うシズちゃんから不満げに口を尖らせつつも顔を背ける。正直かなり気持ち良かった、それだけに体力の消耗も比例してかなり激しい。それを表情で悟られてしまうのが何だか悔しかったのだ。頑なに顔を見せようとしない私を不満に思ったのかシズちゃんは無理矢理こちらを向かせようとするが、やがて諦めたように両手を後頭部へ回すとゴロンと横になって天井を仰いだ。数度長い睫毛をしばたかせ、不意にポツリポツリと言葉を漏らす。



「俺なりに考えてみたんだけどよぉ」

「?」



やけに真剣な声。一体何を話すつもりなのだろう、顔を背けつつも耳を傾ける。



「池袋(ここ)から離れねぇ?2人で」
「……はい?」



思わず声が裏返ってしまった。それはあまりにも唐突過ぎる誘い。つい先程耳にした台詞を頭の中で何度も何度も繰り返す――が、やはりどう考えたって今の台詞はあまりにも衝撃的過ぎた。考える事を止め、一旦思考回路をリセットする。



「……聞いてんのか?」



暫し反応のない私の背中をツンツンと指で突つくシズちゃん。その事に関しては特に反応を返せぬまま、私は人差し指を彼の目の前に突き出して言った。



「ごめん、もう1回」

「や、だから。2人でどっか遠くに……」

「遠く!?」

「場所指定する訳じゃねぇけど、出来るだけ池袋から離れた場所のがいいか」



これからの事なんて恐らく彼の中でも明確な判断は下されていないのだろう。むくりと上半身を起こし、あーでもないこーでもないと云々かんぬんを繰り返す。

初めは冗談か大袈裟な例えだと思った。何より唐突過ぎたから。しかし彼の横顔を見る限り到底嘘を吐いているとは考えにくい。やや時間を置いてから心配になって聞いてみた。シズちゃんがこんな突拍子もない事を口にするのは初めてだ。



「どうしたの?急に」

「……別に。ただ、何かあってからだと遅ぇだろ」

「逃げるって事?」

「逃げるっつーか……そう言われると聞こえが悪ぃな。ほとぼりが冷めるまで身を隠すって意味で」



それを逃げると言うのではないかと、私は少し強めの口調で言い返した。シズちゃんが私の身を案じてそう言っている事くらい理解してる。しかし切り裂き魔と直接関係のある私が此処から逃げ出す訳にはいかないのだ。犯人は既に分かっている――となると、残りは彼女の居場所と目的だ。目的なんて、何となくの検討はついているのだが。

残された時間は限り無く少ない。躊躇している間に被害者は雪だるま式に増え続けてゆくだろう。シズちゃんだって狙われる可能性は十二分にあるのだし、最悪の事態が訪れる前に私が何とか食い止めなくては。



「駄目だよ。行けない」

「なんでだよ」

「なんでって……まだ色々と解決してないでしょ」

「色々ってなんだ」

「ぅ」

「ちゃんと話すって約束だよなぁ?吐け」

「ま、まずはどこから話したら…… !?」



その時、違和感。まだまだ火照った身体を襲う異変。



「や、やだっ……ずる……んぁ」

「約束破る方がずるいだろうが。早く言わねーとやめねぇぞ?観念しろ」

「観念、って……!」



背中から抱き着かれ、背後から伸びてきた両手が敏感な突起を掴む。性を感じさせる動きで円を描くように揉み下される。耳元で小さく囁かれ、ぞわぞわと全身の肌が泡立った。始終ニヤニヤと口元に笑いを貼り付かせた彼の表情は見ずとも想像するのは容易い。

何を言っても動きを一向に止めようとしない彼の両腕をぐいぐいと引っ張りながら、私は無意識のうちに大きな声でこう叫んでいた。



「はっ、話すって!ちゃんと全部話すからーー!」





全て、話した。恐らく罪歌の仕業であろうかつての私の過去のトラウマ、贄川春奈の存在と関係――思い付く限り話し尽くしたつもりだ。もしかしたら取りこぼしがあったかもしれないし果たして上手く伝わったかさえも微妙。話し手である私でさえ、自分で何を話しているのか危うく見失ってしまいそうになった程だ。

話し終えた頃にはすっかり陽が昇っていた。少し肌寒い清々しい朝。室内はまだ薄暗いが、カーテンの隙間から日の光が溢れている。



「これで、全部」

「……そうか」



時折窓の外からチチチと小鳥の囀りが聞こえるだけの無音の部屋。都心とは言えど少し外れに位置するこのアパート周辺は比較的人通りも少なく静かな場所だった。しんと静まり返った2人だけの空間で、ふいにカチリとライターを弾く音だけが響く。ゆらゆらと空を漂う煙草の煙をぼんやりと視界端に捉えつつ、一体どんな反応が返ってくるだろうかと相手の行動を待ち続けた。が、シズちゃんは相変わらず煙草を吸うだけで特にこれといった変化を見せない。ただ目線だけは何処か真っ直ぐを見据えており、試しに彼の視線を辿ってみるもその先には薄汚れた壁しかなかった。

今彼は何を思い何を考えているのだろう。その思い詰めたような表情の意味を私は知らない。どうかそんなに苦しそうな顔をしないで欲しい、私は全然大丈夫だから。そう言って笑ってやれば少しは気休めになるのだろうけれど、やはり罪歌の事を話した直後に平然と笑うフリが出来る程私は演技派でも何でもなかった。



「辛かったろ」

「……そんな事ない」

「嘘吐け。眉間にしわ寄ってんぞ」



私の頭を軽く小突き、心配そうに顔を覗き込むシズちゃん。彼の顔を見て無性に安心したのか何なのか、込み上げてくる衝動に堪えきれずいつの間にか涙が溢れていた。



「ぁ……あれ?な、んで涙……」

「ほら、やっぱり無理してたんじゃねぇか」



今までずっと、自分は我慢強い方だって勝手に思い込んできた。私はまだ大丈夫だって平気なフリを装ってきたけれど、シズちゃんの優しさに触れる度に自分が脆くなってしまう。それはきっと心の何処かで彼という存在に頼りきっているから。シズちゃんは昔からいつだってその温かな手で涙を拭ってくれた。そして今も尚溢れ出る涙をシズちゃんが塞き止めてくれる。

池袋最強。彼の力を恐れそう呼ぶ人間は数知れず。だけど彼の手は暴力を振る為のものじゃない、だってこんなにも優しく私に触れてくれるのだから――そんな彼が愛しくて、衝動的に彼の胸へと飛び込む。抱き着くという表現よりしがみつくと言った方がより正確かもしれない。



「なら、尚更お前は身ぃ隠した方がいいだろ。罪歌ってヤツがまたお前を狙うかもしれねぇし……」

「でも、これ以上関係のない人が犠牲になるのは嫌」

「つってもなぁ……」

「シズちゃんだって例外じゃないんだよ?……ううん、きっと他の誰よりも狙われやすいと思う。もしシズちゃんの事が罪歌に知られたら……」



そう、罪歌は私の愛する『シズちゃん』という存在の事を既に知っている。しかしあくまで『私がシズちゃんと呼んでいる人物』との情報しか得られなかった彼女は私の呼ぶシズちゃんという人物を特定出来ず、未だ手出しをしてこないのだと思う。もし私の愛するシズちゃんが彼――平和島静雄だと知られれば、彼女は真っ先にシズちゃんを狙うだろう。しかし幸い未だにバレてはいないようで、試しに切り裂き魔に見覚えがあるかと聞くとシズちゃんはううむと首を捻った。



「……いや、直接見た事はねぇぞ俺は」

「そう。……よかったぁ」

「いや、俺の事はどうだっていいんだ。ぶっちゃけ俺はみさき以外の他人の為にわざわざ切り裂き魔をぶちのめそうだなんて思える程お人好しでもないんでな。被害者の仇を討ってやろうとも思わねぇ。……まぁ、仮に知り合いが切り裂き魔の被害にでも遇ったりしたら考えない事もねぇが」



シズちゃんが私の両肩に手を置き、やんわりと身体を引き離す。ほんの少し痛いくらいにわしゃわしゃと私の頭を撫で回し、前髪を軽く払い除けると額に触れるだけのキスをした。



「今は、みさきさえ無事でいてくれりゃあいいんだよ。だから俺の為にも無茶だけはすんな。俺としては埼玉辺りに……とでも言いてぇところだが、どうせ俺の言う事なんて素直に聞いちゃあくれねぇんだろ?」

「!」

「ただし、これから街中歩く時は当然俺も一緒な」



――"俺も一緒"に……



それは私が最も恐れていたはずの言葉。街中をシズちゃんと一緒に歩いてしまってはいずれ罪歌の目に止まってしまう――何より私の大切な人物であるシズちゃんが狙われてしまう事態を避けたかった私は、自分の居場所を自ら立ち去ったというのに。結局やっている事は矛盾だらけだ。それでも空白の1年を後悔する事はこの先きっとない。離れ離れの1年間が私を精神的に強くしてくれた事を否定する事は出来ないから。

あの1年があったからこそ今の自分がいる。そう思えるのも今この瞬間が幸せである事の何よりの証拠だ。



「じゃあ、1つだけ約束して?例え誰に切り裂き魔の事を訊かれようと、シズちゃんは何も知らないフリをするって」

「? なんで、」

「お願い。これ以上他の人を巻き込みたくないの」



きっと罪歌は私の愛する者ならば見境無しに狙うであろう。それが例え恋愛感情でないとしても、例え親しい友人だとしても――



「私のせいで関係ない人たちが斬られるところなんて、もう2度と見たくない」



罪歌に洗脳された男からの愛を拒絶した結果たくさんの血が流れ多くの犠牲者が生まれた。地を濡らした赤い血は拒絶した私"以外"のもの。肝心の私は目の前で起こる惨劇に怯え、何も出来ずにトラウマだけを背負った。あの頃の無力な自分には戻りたくない。今度こそは自分の手で惨劇を食い止めてみせる、と――この気持ちだけは変わらない。

シズちゃんはやや渋ったものの、みさきは変なところで頑固だよなあ、とやがてため息を吐きつつも了承してくれた。私の気持ちを考慮してくれたのだろう。そんなところもシズちゃんの良いところの1つだ。



「お人好し過ぎんだよお前。そーいうところも好きなんだけどな」



――違うよ、シズちゃん。

――私は私の日常を切り裂き魔なんかに壊されたくないだけ。

――……ずるい人間なの。



「お人好しはシズちゃんの方だよ」


それだけ言うと、私は彼を安心させる為にニコリと小さく笑ってみせた。果たして上手に笑えていたかは定かでないが、シズちゃんの眉がぴくりと動いたのを見て、やはり私は演技派ではないのだと改めて思った。

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