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「なぁ、知ってるか?」

「平和島静雄の"あの"噂」

「前にも似たような話があっただろ」

「ここ数年見る事のなかった年下の彼女?」

「別れたんじゃなかったのか?」

「それが、つい最近並んで歩いているのを見たって」

「1番最初の目撃情報は、確か切り裂き魔が出てきたあたりの……」

「静雄が段ボール肩に背負ってて」

「当時コンビニで見た奴も多いらしい」

「その時俺の友達が『平和島静雄、彼女とコンビニなう』って!」

「おい、まじかよ」

「色々なところで結構呟かれてたぞ」

「過去ログ残ってるか?」

「ほら、ダラーズの掲示板にも……」



♂♀



トムさんと別れ、1人歩く帰り道。冷静になって色々な事を考えた。今思い返せば俺とみさきの間には様々な事があった。本当にもう駄目かと思った事もしばしば。それでも俺はみさきの事が好きで好きで、飽く事なく彼女を求め続けしつこい程に追い続けた。もし今のような関係になれていなかったとしたら、俺はどうなっていたのだろう。想像は容易だがしたくもない。

考え過ぎて軽く頭痛を催し始めたそんな時、背後から聞こえてきた賑やかな声。



「あ、シズシズじゃん」

「! えと、あんたは確か門田の……」



――……狩沢?

――いや、狩崎だっけか?



なかなか目の前の人物の名前を思い出せず、頭の中を必死に模索する。人の名前を覚えるのはあまり得意じゃあない。首を傾げる俺を見て察したのか、彼女はケラケラと笑いながら自らを狩沢だと名乗った。しかしいつも一緒にいるはずの門田たちが今日はいない。どうやら1人で買い物を満喫していたらしく、満面の笑みを浮かべながら両手に紙袋を持っている。溢れんばかりの服が詰め込まれた巨大な紙袋からは一体何に使うのだろう猫耳のカチューシャが見え隠れしていた。



「丁度良いところに!ねえねえ、ちょっとお願いがあるんだけどさぁ」

「?」

「ちょーっとだけ頼まれてくれない?勿論、タダでとは言わないよー?」



いかにも怪しげな表情を浮かべ、チラリと横目で俺を見る。こういうタイプの人間からの頼まれ事というものは、正直全く想像もつかない。もしここに門田でいてくれたのなら、きっといつもみたいに軽く頭を叩いたりなんかして制してくれていただろうに。残念な事に、今この場に彼女を止めてくれる者は誰もいない。

快く頼み事を聞いてやれる程の仲でもないが断る理由も見つからない。かつて同級生であった門田の取り巻きという、遠くも繋がりがあるだけに冷たく接する気にもなれなかった。こうも気軽に話し掛けてくれる人間は本当に僅かで、だからこそ面食らってしまった反面内心嬉しかったのかもしれない。取り敢えず話だけでも聞いてみよう、場合によっては断ればいい。しかし彼女が大袈裟な素振りで天に掲げたそれを見て、暫し言葉を失ってしまった。



「じゃじゃーーん!」

「……?」

「これ、おニューの執事服!コスプレ仲間に貰ったはいいんだけど、私にはちょいと大き過ぎてねー。そこで長身でスタイルの良いシズシズに……」

「!?おいおい、ちょっと待てって!そういう事は俺なんかよりも、それこそ門田とか遊馬崎?に……」

「そりゃあ勿論頼んだわよう。まぁドタチンに断られるのは想定内だったとして、ゆまっちは今イベント用の彫刻制作に没頭中で」

「(彫刻……?)」

「それがゆまっちの2次元に浸る為の大切な資金になる訳だから、邪魔するのも何だか悪いのよねぇ……」
「……」

「お願い!もうこんな事頼めるのシズシズしかいないのよ!普段シズシズってばバーテン服だし、絶対シックリくると思うの!」

「いや……、悪ぃけど、俺……その……」



さて困った。助けを求めるように辺りをキョロキョロと見渡すが、やはり助けてくれそうな者はいない。相手に決して悪意がない事は分かっていたのでイラつく事はなかったが段々と厄介な方向へと事態が転がっている事に気付き、ぐいぐいと押し付けられたその紙袋を無理矢理と言えど受け取ってしまった。思っていたよりもずっしりと重たいそれをまじまじと見つめる。

よく見ると紙袋に入っているものは執事服だけではない。他にも新羅が着ているような白衣や、青い模様の入った渋い着物。その他様々なバラエティにとんだコスチュームが無理矢理パンパンに詰め込まれていた。



「取り敢えずそれ、今週中に全部試着してみてねん!そんで今度のイベントまでに何枚か写真撮らしてくれればそれでおっけーだからさ!」

「え、ちょ、おい」

「大丈夫ダイジョーブ!シズシズ絶対似合うから!」



――似合うとか似合わないとか、そういう意味じゃねぇ!



そんなツッコミも心の中に止まる。拒否する暇さえも与えてもらえず、おまけにキラキラと瞳を輝かせて言うものだから余計に断りづらくなってしまった。そんじゃーねーと暢気に手を振ってその場を去ろうとする狩沢。まるで嵐のようだ。

あ、そうそう。去り際に突然ピタリと止まり、顔だけ此方へ向けてくる。そして彼女が口にしたのは、予想外にもみさきの名前――



「みさきちゃん、元気?」

「!!」

「みんなびっくりしてたよー?しばらく2人でいるところ見たって情報全くなかったのに、最近になってたくさん出回り始めるんだもん。ていうか、私みさきちゃんに会った事ないのよねぇー絶対コスプレさせたら似合うのにぃー」

「ち、ちょっと待て!」

「ん?」

「なんだよ。その、情報って!」

「ありゃ、やっぱシズシズ知らなかった?結構有名なんだよ?kwsk知りたいのならドタチン呼ぶけど」

「? 門田、いるのか?」

「うん。そこのワゴンに」

「……」



まさかこんなにも近くにいたとは。話を聞けるなら誰でもいいが、きっと身近にいる人物の中で門田が1番今の池袋事情に詳しいだろう。真偽は別にして、門田はあのダラーズの中でもかなり上部に位置していると聞く。彼を幹部だと言い張る輩もチラホラいる訳で。

思考をぐるぐると働かせる俺の目の前に突き付けられた人差し指。ハッと我に帰り、目を丸くする。狩沢は更に瞳を爛々と輝かせ、こんな可笑しな取り引きを提案してきたのだ。



「ただし!ドタチンに会うには条件があります!」

「みさきちゃん、どうせならここに呼んでくれない?私、すっごくすっごく彼女に会いたいのよねぇ!」

「あとあと、出来れば個室の別部屋があるところで!」



そして――現在。何故か俺の狭いアパートの部屋には男3人と女1人+たくさんのコスチュームが詰め込まれた巨大な紙袋×5。どうやらあとの3つはワゴンに積んでいたようで、何故か全て部屋に持って行きたいと両手を合わせて懇願された。どうしてこんなものが必要になるのだろうと内心疑問に思いつつ、面倒なので紙袋5つ全て両手に抱えて部屋に持ち込んだ。勿論俺が。こういう時にこの馬鹿力が珍しくも重宝する。

狩沢は「すっごーい!やっぱシズシズってば2次元の素質あるわよ!絶対!」と両手を叩いて喜んだが、俺としてはあまり誉められている心地はしなかった。



「よぉ、まともに会ったのはダラーズ初集会の時以来か?」

「? 俺ら会ったっけか」

「あー……そうだった。お前、あん時アイツ追い掛けてたんだよな……何でもねぇ。むしろ忘れてくれ」

「?」



小声でぶつぶつと何かを呟く門田。あまり聞き取れなかったが、断片的に『ダラーズの初集会』という言葉だけは耳に入った。ダラーズの初集会――それは俺がみさきと再会を遂げた日。



「つか、俺もここに居ていいんすかね?」

「あぁ、そうだ。こいつは渡草っつーんだ。あのワゴンの運転手」

「どーもっす」

「あぁ、ども」



互いに名乗り、軽く挨拶を済ませる。渡草というこの男とは今回が初対面であったが、門田の取り巻きであるだけに俺を怖がる事はなかった。仮に本気で俺を怖がっていたとして部屋まで入っては来れないだろう。

携帯を取り出し、みさきに電話を掛ける。狩沢に言われた条件に従おうというのもあるが、この時間帯に帰って来ないのはやはり可笑しいと改めて思ったのだ。



『もしも……』

「お前、こんな時間まで何してんだよ!!?」
『え、えーと……星が綺麗だったからつい……』



昨日も電話越しに耳にした同じ決まり文句。それはみさきが言い訳をしている最も有力な証拠となった。

俺がアパートに帰って来るなりみさきが「おかえり」と微笑んでくれた。それがいつしか当たり前だと思い始めていたのだろう。つい数時間程前のトムさんとの会話が嫌でも頭を過る。モヤモヤとした霧を振り切るように俺は頭を振った。そんな俺を気遣うように、門田が遠慮がちに口を開く。



「ほんと、いつもすまねぇな。毎度会う度狩沢の奴が暴走しちまって。遊馬崎がいない分大人しくなるとは思ってたんだが……代わりと言っちゃあなんだが、俺の知ってる事なら何でも話す。元々お前らにはチーム間の抗争に巻き込んじまった負い目があるんだ」

「あれはお前らのせいじゃねぇだろ。気にすんな」

「そうもいかねぇさ。けじめはきっちりとつけねぇとな。……で、どうしてお前んちなんだ?いや、俺は大して気にならねぇが……色々と迷惑じゃないかと思ってな。何なら露四亜寿司にでも移動して……」

「あー!駄目よドタチン!お店にはこんなに荷物持ち込めないじゃない!」

「……俺、ずっと思ってたんだけどよぉ……狩沢。お前、それをここでどうするつもりなんだ?お前の荷物の重みで運転ダルかったわ……ほんと、まじで」



ぼやく渡草。にも関わらず自分の意見を主張し続ける狩沢。溜め息を吐く門田。

話が大分本題から逸れ始めてきた頃――玄関方面からガチャリと扉が開く音がした。次いで聞こえるただいまの声。電話で会話を交わしてからそう時間は経っていない。きっと急いで帰って来たのだろう。ここは「俺の為に急いで帰って来てくれたのか」と素直に喜べばいいものの、軽く疑心暗鬼に陥ってしまった俺にはそうポジティブな考えに至らない。俺に何かを勘づかれぬよう、慌てて帰って来たのではないか――一瞬でもそう考えてしまう自分を殴ってやりたくもなった。



「あれ、靴がこんなに……誰か来てるの?」



スタスタと此方へ向かってくる足音。俺は複雑な心情を解消出来ぬまま、みさきが現れるであろう方向に目を向けた。しかしみさきは部屋に入って来るなり小さく悲鳴をあげ――真正面から抱きつかれた衝撃に危うく頭から倒れてしまいそうになる。ちなみに俺はこの場から1ミリたりとも動いてはいない。というよりも立ち上がる時間さえなかった。それ程までにほんの秒単位の出来事だったのだ。

――それじゃあ、誰が?



「ちょっとちょっと、どうしよう!早くこの子何とかしないと!」

「どうにかしなくちゃならねぇのはお前だ。狩沢」



そこでようやくみさきが床に押し倒されそうになった原因が狩沢であった事に気付き、あまりにも凄過ぎる早業にただただ感心する他なかった。放心したみさきを抱き締めたまま、狩沢はむんずと紙袋を掴む。俺が持ってもそれなりに重いと感じたあの紙袋をよく軽々と持ち上げられるものだ。



「え……?あの、誰……」

「自己紹介は後々!シズシズは今から男同士の真剣なお話しするらしいから、みさきちゃんはその間お姉さんと遊んでようね!」



始めから彼女のお目当てはみさきにあったらしい。俺とみさきが言葉を交わす間もなく、みさきは狩沢に連れられて別部屋にズルズルと引きずられていった。なるほど、彼女が別部屋を要求した理由がこれか。

ふいに門田たちの方をチラリと見やると、2人は頭に手を当てて深い溜め息を吐いていた。そんな光景を見ていたら、なんだか俺の方まで頭が痛くなってきた。

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