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2月中旬 夜
とあるチャットルーム
[見ました?さっきのニュース]
[また切り裂き魔の被害者が出たって話]
「私も見ました」
「なんだか本格的に危なくなってきましたね……」
[初めはただのチーム間の抗争だと思っていたんですけど]
【クリスマスにはカップルが被害に遭いましたよね】
【その前には、帰宅途中のサラリーマンなんかが】
[表沙汰になっていないだけで、実はもっと被害者がいるんじゃないかってニュースで騒がれていました]
[こういう時に甘楽さんが何か知っていたりするのですが……]
[今はいない……みたいですね]
【そういえば甘楽さん、それらしき事を数ヶ月前に予言していませんでした?】
「無差別殺人の話ですか」
「幸い死人は出ていないようですが、あながち間違ってはいませんよね」
[不幸中の幸いです]
[しかし、被害者が何も覚えていないというのはどういu]
[あ]
【?】
【どうかされました?】
[今]
[速報入りました]
[たった今1人斬られたようです]
【ええ!?】
【テレビのチャンネル分かります!?】
[えーと、1です]
[今救急車で運ばれているようですが……]
「!」
「もしかしてそれ、サンシャイン通りの裏の辺りですよね?」
[そうそう。その辺]
「すごい人……」
「あ、救急車見えました」
【あひるさん、もしかして現場にいるんですか?】
「はい」
「人の群れでよくは見えませんが……」
[気を付けてください!もしかしたらまだ近くに切り裂き魔がいるかも……!]
「気を付けます」
「あの、セットンさん。ニュースで被害者の安否って分かります?」
[ええと]
[……無事、のようです]
[ただ、左の足首に斬られた痕が残っているみたい]
【無事ですか。それは本当によかった……】
【これで42人目のようですね。切り裂き魔の被害者の数……】
[うう……恐ろしや……]
♂♀
同時刻
サンシャイン裏通り
「また駄目……だったか」
私は携帯を閉じるとそのままポケットの中へとしまい込み、何処までも暗い池袋の空を仰いだ。ついさっきまで被害者の倒れていた場所には生々しい血痕が残されており、その周りを囲うように野次馬達が群がっている。私は人の群れから一歩離れた位置に立ち、暫く様子を伺ってみる。もしかしたら不審な動きをする人物がいるかもしれない。しかしそれらしき情報も結局は掴めず、私は盛大な溜め息を吐いた。これで何度目だろう。微かな気配を辿り、あともう一歩のところで彼女を逃してしまうのは。
ここ最近頻繁に彼女の気配を感じられるようになってきた。恐らく贄川春奈だろう。1人目の犠牲者が出たのは今から半年前、それは皮肉にも私とシズちゃんが互いの想いを伝え合った夜から僅か数十日後の出来事だった。せっかく手に入れた日常は早くも危機に晒される事となり、私も無視出来ぬ問題だと思われた。しかし世間では喧嘩の類だろうとしてあまり大きな事件として取り上げられる事もなく、それから暫くは他の犠牲者が出なかった為特に重要視する必要性も感じられなかった。次第に世間から忘れられてきた頃切り裂き魔は再び姿を現す。消息を絶っては人を斬り今や被害者は40人超え。こうなる事をあんなにも恐れていたというのに、世間への切り裂き魔被害の浸透はあまりにも簡単なものだった。
――私、何してんだろ。
――結局誰1人救う事が出来ていないじゃないか。
私が池袋に帰って来たのはシズちゃんを守る為、だけど時々どうしようもなく不安に駆られる。切り裂き魔が数多くの被害者を出している元凶は私自身にあるのではないかと。たくさんの犠牲者の上に私達の平和な日常が成り立っているのだとすれば、果たして今のままでいいのだろうか。考えれば考える程いてもたってもいられなくなり、自分からは敢えて近付こうとしなかった罪歌を追って早1ヶ月半。しかし現に何も解決出来ずにいるのが現状だ。
そんな憂鬱な気分に浸っていた時、ピカピカと青色の光を放つ私の携帯。
「もしも……」
『お前、こんな時間まで何してんだよ!!?』
「え、えーと……星が綺麗だったからつい……」
『その言い訳、昨日今日で2回目だからな』
「……」
誰からの着信か確認もせずに慌てて電話に出てしまったが、どうやらこんな時間にもなっても帰って来ない私を心配したシズちゃんが電話を掛けてきてくれたらしい。彼が心配するのも頷ける。何しろ季節が冬である事も加え、最近は夕方の5時を迎える頃には既に空は暗かった。おまけに切り裂き魔の勢いは日に日に増すものだから、本当に物騒な世の中になったものだ。
今すぐ帰るからと彼を説得し、通話を切るなり慌てて駆け足になる。罪歌の事になると見境無く彼女を追ってしまい、気付いたらこんな時間になってしまったというケースがここ最近増えてきたのも事実。勿論シズちゃんを巻き込む訳にはいかないので、詳細については何も話せていない。打ち明けるにはまだ早い段階だからと何度も自分に言い聞かせ、とにかく今はいち早く帰宅すべく走る速度を若干速めた。風を切ると同時に突き刺さる冷たい外の空気が、素肌には痛かった。
♂♀
数時間前
池袋某ファーストフード店
買った当初はそこまで真剣に読む事のなかった雑誌の記事。そもそも雑誌というものをあまり買う事のない俺がそれを買った事自体が本当に気まぐれ沙汰であった。しかし最近になって思い当たる節が見つかり、昨夜新聞や雑紙に埋もれていたその雑誌を探し当てた。
まさか半年も前に発刊された雑誌に頼るとは――
『貴方は果たして安心できるのか!?〜彼女とのマンネリ化を防ぐには〜』
『Q:彼女と週に何回セックスしますか?』
『A:健全で若いカップルなら週3(24)』
『A:シたい時ならいつでも(21)』
『A:毎日でしょ?(19)』
年齢によって考え方は様々だが、何よりも驚きだったのがどの回答も俺とみさきなんかよりも余程回数が多い事。以前買った雑誌数ページが頭にインプットされてしまうくらい、俺は何度もそのページを読んだ。そして最近覚えた『マンネリ』という言葉。この言葉が更に俺の焦燥を駆らせる。
マンネリ化――それはつまり代わり映えのないものになるという事。いくら大好きな食べ物だろうと毎日食べれば自ずと飽きる、それと同じだ。考えたくもないが、嫌でも頭を過るのは悪い予感ばかり。今思い返せば事に及ぶ時はいつだってみさきから誘ってくる事はなかった。みさきは俺に飽きてしまったのだろうか?そんな女々しい事ばかり考えてる。ここ最近みさきの帰宅が遅いのだって、もしかしたら他の男の元に――
――!? いやいや、みさきに限ってンな事は……!
――つーか、さっきから何疑ってんだよ。俺!
最低だ、好きな女の事さえ信じられないなんて。しかし俺の不安が募りに募っているのは事実。今日の仕事中だって何度トムさんに心配を掛けた事か。雑誌の内容を思い出す度に心在らずな俺を見兼ね、トムさんが相談に乗ってくれると仕事合間に切り出してくれた。
こうして仕事終わりの現在に至る。さて、相談するにもまず何から話したら良いものか。時刻は丁度午後6時。こういった類いの話題を持ち出すにはまだ早い時間だと思われる。非常に話しにくい状況の中、トムさんは何かを察したようで。
「あー……と、あれか?みさきちゃんとの事だろ?」
「! ど、どうして分かったんすか!?」
「いやーははは、お前の顔見りゃあ分かるんだよ」
流石、の一言に限る。
「(やっぱりトムさんぱねぇ……!)」
「で、どうした?恋の悩み多き少年」
「少年って。俺、もう24……」
「ただ単に言ってみたかったんだよ。中学時代、静雄の恋愛沙汰を1度も耳にした事がなかったからなぁ。後輩の恋愛相談を受けるのも、先輩としての立派な役割だろ?」
「す、すんません……」
「つか、みさきちゃんとはそれなりに長い付き合いになるんだろうし、ぶっちゃけ結構踏み込んだ話だべ?場所、変えなくてもいいのか?」
「……まぁ、今の時間帯意外と人数少ないみたいですし、敢えて俺の話盗み聞こうとする奴なんてノミ蟲くらいでしょう」
「あ、はは……シェイク潰れてるぞ静雄」
中身は全て飲み干してしまっていたので、幸い悲惨な事にはならなかった。溶けきったシェイクで汚れてしまった手の平をナプキンで拭き、1度思い出してしまった名前を頭の中から消し去る。気を取り直してごそごそとバッグの中から取り出したものは、例の雑誌。
「お、これ懐かしいな。確か切り裂き魔が出始めた頃の」
「いや、俺が話したいのはこっちなんすけど」
「ん?『マンネリ』?お前そんな事気にしてんの?」
「いや、だって見てくださいよこれ!……その、アレの回数とか、すげー多いんじゃねぇかなって……」
「ま、まぁ、人によるわな……」
「!? と、トムさんも週3とかそれ以上ヤッ……」
「だあああ!取り敢えず落ち着け!な!?ここ、店の中だから!!」
ゴホン。1つ咳払いし、一旦取り繕うトムさん。確かにトムさんは俺なんかよりも色々な面で大人だし経験豊富だし、きっとモテるんだろうなとは思っていたが――2年という年月はこんなにも違うものなのか。ただ単に俺がガキなだけなのだろうか。どちらにせよたった今発覚した新事実はかなりの衝撃になった。
「ちなみに今はフリーだべ?お前くらいの時に付き合ってた女とは、まぁ、人並みにやる事はやってたかもしれねぇが……お前は偉い奴だよ。彼女の為に色々と我慢してるんだろ」
「ぶっちゃけ俺は毎日でも全然いけちゃうんすけど」
「みさきちゃんから誘われる事はねぇのかい?」
「それがないから、あまりがっつけないんすよね……」
「それ、ただ単にみさきちゃんがシャイなだけなんじゃねぇの。あの子お前より年下なんだし、そういう面には疎そうだしよ」
「……トムさんは、彼女さんに誘われる事あったんすね……」
「……」
別にみさきと毎日シたいとか、ただ単にそういうんじゃなくて。互いが互いを必要としている実感が欲しかった。だから彼女に求められた経験のあるトムさんが物凄く羨ましかった。トムさんの言う通りみさきがシャイなだけなのか、或いはみさきが俺に飽きてしまったのだろうか。何がどうであれ後者の方だけは何としても避けたい答えだ。
サブタイトルである『マンネリ化を防ぐには』、要するに代わり映えのないものにしなければいいのだ。つまり性的に刺激になるような様々な体位を試してみたり、性欲を駆られるような変わったプレイに手を出してみたり。そんな事が雑誌には書いてあった。具体的にどう、というのは読者の投稿コメントで様々なものを理解したが、それをいざ試してみようとなると躊躇してしまうストッパーが俺の行動の邪魔をした。吹っ切れてしまったら最後、俺は必ず彼女を傷付ける事になるだろう。例えどんなに頭では承知していようと。
「さっきも言ったが、お前はほんと偉い奴だよ。そんなにみさきちゃんの事が好きなんだなぁ。ただ、少し我慢し過ぎなんじゃねぇの?互いが無理する事なく付き合っていけるのが、本当に相性のいい相手って事だろ。みさきちゃんを生涯のパートナーにする気が静雄にあるのなら尚更な」
ま、確かにお前の体力で毎日となるとみさきちゃんの身体が持ちそうにないだろうけどな。そう言ってトムさんは冗談っぽく笑ってみせるけど、その言葉は俺の中にじーんと染み渡った。
果たしてこのままの関係でいいものかと自問自答してきた日々。多分、俺の中でずっとモヤモヤとしていた正体がこれだ。少しずつでいい、身も心も満たせるような関係を彼女と築いていけたらいい――のだが、それが意外と難しいもので。