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外はもう既に暗かった。

突然仕事から帰って来たばかりのシズちゃんに押し倒され、視界が大きく反転する。幸い頭を床にぶつける事はなかったが、予測していなかった突然の衝撃は私をかなり驚かせた。一昨日見舞われた二日酔いの頭がガンガンと痛い、対してシズちゃんは持ち前の回復力で今朝にはすっかり回復してしまったご様子。もう酔ってなどいないはずなのに、何故か彼の身体は熱い。



「みさき、確か今日で6日目、なんだよな?」

「え ……う、うん」

「もう腹痛自体はそんなに酷くねぇんだろ?」

「う、……ん?」



どうしてそんな事を聞いてくるのだろうと疑問に思いつつも、とりあえず起き上がろうと試みるがシズちゃんがそれを許さない。通常生理というものは3日目が1番酷い日であり、場合によって症状に違いはあるのだが痛み自体は薬で誤魔化す事が出来る。今回は薬さえ服用すれば然程酷い症状でもなかった為、6日目となると大した手間もなかった。あの生理特有の気ダルさは多少残っているのだけれど。それをわざわざシズちゃんに説明する必要性も感じられなかったので、こうして今に至る訳である。

何だか嫌な予感がして視線を泳がせてみるが、シズちゃんがそれなら大丈夫だよな、なんて唐突な事を口にするもんだから慌てて彼を押し退けようと胸板をぐいぐいと押し返した。そんな事をしたって無駄な足掻きなのだという事は今まで培ってきた経験で重々承知している。しかし、そうでもしないとシズちゃんのペースに簡単に飲み込まれてしまいそうな気がしたのだ。



「ねぇ、ちょっと退けてってば。冗談……だよね?」

「こんな時に冗談言うかよ」

「む、無理無理!ソファ汚しちゃ嫌だし、いくらお腹は痛くないからって……」

「汚さなきゃいいのか?」

「……は?」



思わず声が裏返ってしまった。だって血って洗っても簡単に落ちないし、というよりはいきなりそんな展開に持ち込まれても心の準備が出来ていない訳で。生理なんてただの言い訳、本当はシズちゃんと正面から向き合う事に緊張しているだけ。どうしたって1年の溝というものは大きいのだ。

そんな事を考える余地も与えてもらえず、よっと、なんて言いながら私の身体を軽々と抱き上げるシズちゃん。ふわりと持ち上げられる感覚、思わずぎゅっと目をつぶる。シズちゃんの肩に担がれていると分かったのはほんのちょっと後だった。やだやだ降ろしてと耳元でぎゃあぎゃあ喚いてみたけれど、問答無用。聞く耳なんて持ってくれない。



「あーもう、いちいちうっせーな」



終いにはこんな言われよう、文句を言いたいのはこっちの方だ。反論しようとして口を開いたのがいけなかった。次の瞬間、ざばんと音を立てて落とされる。一瞬何がなんだか分からなかったけれど、口と鼻からお湯がざあざあと入って来てからようやく理解した。私は、お湯のはった浴槽の中に放り込まれたのだ。服を着たままお風呂に入るのは初めての経験だ。ゆらゆらと揺れるお湯の中、シズちゃんの顔はよく見えない。

もがくようにお湯から顔を出し、噎せ返るように咳をする。しかし呼吸もままならないうちにシズちゃんに深いキスをされた。本気で殺されるんじゃないかってくらいに苦しくて、必死に酸素を取り込もうとする。



「ちょ、苦し……って!」



咳き込みながら何とか言葉を繋ぎ合わせるが、それでもシズちゃんは離してくれようとしなかった。2人で入るには狭過ぎる浴槽の中は身動きが取れず、その上ぴったりと肌に貼り付く濡れた服の感触が鬱陶しい。



「お願、息、させて」

「……」



切実な願いはようやく受理され、シズちゃんはゆっくりと私から離れた。しかし浴槽から出ようとするなり腕を強く引かれ、再び身体はお湯に浸かってしまう。



「何か、あったの?」

「……ねぇよ、別に」

「嘘。今のシズちゃん、なんだか変だよ?」

「変?」

「だって、いきなりこんな事してくるなんて」



変だよ。そう口にするよりも早く、シズちゃんが小さく笑ったような気がした。



「変、か。そんなん今に始まった事じゃあないだろ」



その声音や表情は怒っているようでもあり、反応に戸惑う私を見つめながら尚も笑う。目が、笑ってない。



「急にどうしちゃったの?なにかあったなら話して」

「……どうでもいい」

「どうでもって、シズちゃんがよくても私がよくない」

「だからねぇって、理由なんざ。そんな事より、」



伸びて来た腕に捕えられる。逃げられる訳がない、視線を逸らせない。シズちゃんは私を上に乗せると、いつもみたいに後ろからぎゅうっと抱き締めてきた。このままはぐらかされてしまうのも納得がいかず、抵抗してみるものの上手くはいかず。不意にシズちゃんの手がするりと私の腹部を厭らしく撫で上げ、その濡れたシャツを胸元まで捲し上げるとゆっくりとした動作で肌に指を這わせ始めた。

出てしまいそうになった声を必死に飲み込み、目の前の快楽から逃げたくてきつく瞼を瞑る。しかし私が我慢しようとする度にシズちゃんの指の動きはより的確な刺激を与え、快楽から逃げる暇を一切許そうとしない。



「や……ッ、い、いい加減に、しないと……ッひぁ」

「なんだよ。いい加減にしないと……どうなんだ?」



そう言いつつも、相変わらず愛撫は止まらない。振り向いて背後のシズちゃんを睨み付けてみる。心の中では何事もどうにかなるものだと思っていた。だから例えとんでもなく唐突に事態が展開されようとも、きっとどうにかなるだろうと甘い考えが私の頭を支配していたのだ。だけどそんな確信は何処にもなくて、ただ本能のままに快楽を求める内なる自分がそこにいた。

そんな自分が嫌だった、一体私はシズちゃんにどうして欲しいというのだ。やめて欲しい、だけどやめないで欲しい。完全なる矛盾点――それが更に私の頭を困惑させたのだ。ただ1つはっきりとしている事は、この行為が決して嫌なものではないということ。しかし不意に以前のシズちゃんの言葉を思い出し、はっとした。世の中は好きと嫌いで成っていて、どっち付かずの中途半端な感情は存在しないらしいのだと。所謂嫌いではないけど好きでもない、といった感じの極めて曖昧な感情だ。思い返せば私はいつだって大切なこと程口に出せていないように感じる。1年前から、何度も何度もそう考えた。考える度に自己嫌悪に陥った。



「みさき」



シズちゃんに名前を呼ばれた気がした。気がしただけで、もしかしたら呼ばれていないのかもしれない。2度目ははっきりと、シズちゃんが私を呼んだ。やっぱり頭はガンガンと痛い、剥き出しになった腹部の傷がズキズキと痛む。記憶は少し覚束無いけれど、この感覚は以前何度も味わった痛みによく似ていた。忘れる訳がない、忘れられない。

そこで私の思考はプツリと途絶える。首筋に激しい激痛が走ったのだ。反射的に痛いと悲鳴をあげ、しかしシズちゃんが性的な手つきで私の内腿を撫で上げたもんだから本当に痛いのかくすぐったいのか、それとも気持ちが良いのかそれすらも分からなくなってきてしまった。ゆっくりと、上へ上へと肌を滑るシズちゃんの細い指先が焦れったい。



「鳥肌すげーな……感度良過ぎ」



耳元で囁かれ、思わずふるりと身震いする。噛み付かれたであろう首筋からじんわりと痛みが拡がる。鋭い痛みは一瞬で、今は大して痛くはない。そしてふと唐突に、シズちゃんの顔が見たくなった。この体勢からじゃあ相手の表情は見えないから、彼が今どんな表情をしているのかが知りたくなったのだ。私はシズちゃんの名を呼んだけど、いざ口から出てきた声は自分でもびっくりするくらいにか細くて弱々しい声だった。

途端にぴたりと動きを止めるシズちゃん。言葉の続きを待っているのか、それからぴくりとも動かない。しかし腰に回された腕までは離してくれず、体勢を変える事が叶わない私は仕方なく前方に視線を向けながら視界に映らぬ彼に言った。



「お願いだから、」



話して。懇願するように呟いた。だって、何も話してくれないのは寂し過ぎる。



「話したら、楽になれるのか」

「……え?」

「どうせ同じだろ?話したって、どうにもならねぇ事の1つや2つある」

「で、でも、」


そんな事ない、言えたらどんなに良かっただろう。だけど私はそんな自信も実行力も持ち合わせていない。

何も出来ない無力な自分が嫌で、どうしたら少しでもシズちゃんの役に立てるか悩んだ。だからこそ、このまま彼に身を委ねようと思った。そして少しでもシズちゃんが嫌な事を忘れられると言うのなら、何も出来ないよりかは遥かにマシなのかもしれない。意を決して、静かに言葉を紡ぐ。



「いいよ。乱暴にして」

「! ……お前、自分で何言ってんのか……」

「分かってるよ。でも、それでシズちゃんが嫌な事忘れられるなら……いいよ」

「……優しくできるか保証できねーぞ」

「うん」

「……」



強がってなんかない、後悔なんてしない。ただ思ったままの事をありのまま伝えただけ。きっとこうする事が私の本望なのだから――



ふと、自分は一体シズちゃんのなんなのだろうと考えた。シズちゃんは私を好きだと言ってくれるが、私は直接口にした事がない。勿論シズちゃんの事が嫌いな訳ではないし、何とも思わずただ身体の関係を持っている訳でもない。好き、寧ろ大好き。それなのに素直になれないのは、心の何処かでこの関係に不安を覚えているから。シズちゃんは本当に私が好きなのだろうか?お互いの身体の相性が良いだとか、そんな理由で身体を求めてくるだけなのではないか。所謂、セフレとかいうやつではないか。

不安は挙げればキリが無くて、だけどもしそう問い掛けて、はいそうですなんて言われてしまったら私はきっと立ち直れない。それならいっそのこと何も聞かずに今の関係を守り続けようと、傷付きたくない一心で私はいつも逃げてしまうのだ。しかし恋人同士の神聖なる行為を、こうも相手を縛り付けるものにしてもいいものなのか。私だってこんな中途半端な気持ちのまま行為に及ぶなんて嫌だ。



「ねぇ、シズちゃん。私のこと……どう思ってる?」



再び行為を進めようとするシズちゃんに対し、私はやはり前方の壁を見つめながら問い掛けた。

恐れずに進もう。そして向き合おう。もしシズちゃんの答えがいいものではなかったとしても、この数年間伝える事の出来なかった私の想いを今こそ伝えよう。



「……俺は、」

「私は好きだよ」



背中に密着したシズちゃんの身体が動揺して強張るのを感じた。あぁ、好きな人に好きだと伝える事がこんなにも緊張する事だなんて。今まで自分から異性を好きになる事なんてなかったから、今思えばだからこそ自分の気持ちに気付くのも遅かったのかもしれない。



「好き。……大好き」



再び確かめるように繰り返した。シズちゃんは何も答えずに、代わりに私の唇を貪るように塞いだ。首を回して無理矢理顔だけを後ろに向かされ、相手の表情を確かめる隙もなく目の前が一瞬にして真っ暗になる。

このキスは一体何を意味しているのだろう。彼の答えが気にはなったが、今まで溜まりに溜まっていたものがようやくスッと流れていくような、清々しさをも感じていた。ようやく伝えられたのだ。大好きな人に。

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