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辺りに漂うアルコール臭はどうしようもなく吐き気を催し、鋭いというよりは激しい鈍痛がズキズキと頭を打ち鳴らす。同時に身体をどっと襲う気だるい感覚。

風邪を引いた時とはまた違った辛さに苛まれつつ、私は今の自分の状況に内心悲鳴をあげた。これはよくある『お酒を飲んだら逆に呑まれて大変なことになってしまいましたパターン』だろうか。いや、よくあるというのは漫画やドラマの中だけの話であって、現実にしょっちゅうあっては困るのだけれど。だけど初めて体験するこの感覚は所謂二日酔いの症状とよく似ており、昨夜の記憶がビールを口にした途端綺麗さっぱり消えてしまっている事を考慮すると、やはり私は見事お酒に呑まれてしまったのだと思う。その証拠に現在どうしようもなくダルい。



「……」



しかも、半裸だし。同じく半裸のシズちゃんにぴったりと密着した肌はほんの少し汗ばんでおり、やっぱりお酒特有の匂いがした。静かに寝息を立てているものの、シズちゃんの頬がほんの少し赤い。一体どんな過程で私のみならずシズちゃんまでが酔ってしまったのだろう、記憶が全て飛んでしまっている私の脳ではいくら捻ろうと無駄である。

寝起きなりに様々な思考を働かせてみたがどうにもならず、次第に脳が働き始めてきた頃、ようやく羞恥という名の感情がムクムクと芽生え始めてきた。顔が熱くなるのを感じる、しかしシズちゃんはアルコールが入っている分暫くは起きそうにない。その上私の背中へと回された筋肉質の両腕はがっちりと固定されているわで、本当は今すぐにでも飛び退きたい気持ちを抑え、私は仕方なく彼の寝顔に退いてと訴え掛ける事にした。当然それが睡眠中の人間に伝わるはずがない。



「シズちゃん」

「……」

「……ねぇ」

「……」

「……」



こうして彼の穏やかな寝顔を見るのはこれで何度目の事だろう。2人で眠るといつだって先に目を覚ますのは私だ。『池袋最強』なんて大袈裟な異名で呼ばれ周りに恐れられている彼だけど、それはきっとこんなにも無防備で可愛らしい寝顔を見た事がないからだ。確かに不器用なところもあるけれど、例えるならば大型犬。臨也さんなんかは化け物だって吐き捨てるけど。

別に今の状態が本気で嫌な訳じゃあない、だけどいくらなんでも恥ずかしいものは恥ずかしい。もしこのタイミングでシズちゃんが目を覚ましてしまったら、私は一体どんな顔して「おはよう」なんて言えばいいのだ。いっそのことこのまま狸寝入りをして、シズちゃんが離れてくれるのを気長に待った方がいいのかもしれない。そんな矢先にシズちゃんの長い睫毛がピクリと動くもんだから、神経質になっていた私の身体はそんな些細な微動にもいちいち大袈裟な反応を示した。



「し、シズちゃん!」



とうとう耐えきれなくなった私は、声を大にして名前を呼びつつ身を捩らせたりしてみた。そこでようやくシズちゃんはゆっくりとした動作で瞼を開く。しかしいざこの状況に陥ってしまうと、何から話すべきか戸惑ってしまう。なんせお互い半裸なんだし、もしかしたら酔った勢いで……なんて最悪なパターンが頭を過る。そんな私の表情を見てシズちゃんは何かを察したのか、片手で頭をわしわしと掻きながらこう言った。



「一応先に言っておくが、最後まではヤッてねーから安心しろ」

「!? さ、最後まで"は"ってなに!?」

「つか、先に誘ってきたのはみさきの方なんだからな」

「!!!?」



――誘った、て私が!?

――一体シズちゃんに何したの私……!!?


♂♀



顔を真っ赤に染め上げて涙目で、困惑するみさきを見ているとついからかってしまいたくなる。結論から言うと、俺は最後の段階まで手を出せなかった。これは確かな事実だ。いや、事実本気でヤッてしまおうかとは思っていたのだ。しかしそう上手くいく訳もなく。

遡ること数時間前――



「あんッ、シズちゃん……もっと……」

「……」



くそ何なんだこいつ可愛いな、なんてことを考えながらムラムラとしている自分に気付く。だって好きな女にもっと、なんて可愛い声で言われてしまえば、そりゃあ男なら誰しもが興奮してしまうに決まっている。

ゴクリと小さく喉を鳴らし、みさきの片足を持ち上げる。今すぐにでも脱がしてしまいたい衝動を抑え、これからの展開を想像すると思わず口端が緩むのを意識せずにはいられなかった。



「いいのか?1週間は我慢しろって言ったのは、どこのどいつだったっけか?」

「ン……、知らな……」

「惚けんなよ、そう言ったのはみさきだろ?それとも……俺の好きにしていいのかよ」

「……ん……」



卑怯だって分かってる、だって今のみさきは俺の言葉なんて理解していない。それを良いことに上手い具合利用してしまおうと考えてしまうあたり、どんなに罵られたって仕方のないしょうもない奴だ。そこまでしてみさきとヤりたいのかと問われればやはり素直に頷くしかない。寧ろ今日まで我慢した俺の頑張りを讃えて欲しいくらいだ、なんて図々しい事を考えてみる。



「足、広げてみ」

「う……?」



一体これから何をするのか分からないとでも言いたげな表情で、それでも素直に従ってしまうみさき。俺はゆっくりとした動作でみさきの下半身へと手を伸ばす――が、みさきがギュッと俺の服の裾を掴んできた事の方が僅かに早かった。



「みさき?」

「えへへーシズちゃんの身体、あったかい……」

「……どーしたんだよ、急に」

「んー……」



そのままみさきは両手を俺の背中へと回し、まるで抱き枕を抱き抱えるようにして顔をスリスリと擦り付けてきた。またもや思いもがけないみさきの行動に純粋に驚きつつも、素直に甘えてくるみさきを可愛いと思う。頭を撫でてやれば気持ち良さそうに目を細め、静かにはにかんだ。次第にウトウトと閉まり掛ける瞳。

きっと寝不足だったのだろう、そういえばあの夜もみさきには長い時間付き合わせてしまったし。そんな事を考えているうちに、気付いたらみさきはスヤスヤと寝息を立てていた。俺の身体に引っ付いたままの状態で。思わず深い溜め息が溢れる。無理矢理引き剥がす訳にもいかないし、こんなに安らかな寝顔を見せつけられると起こしてしまうのも申し訳ない。それに――



「(そういえば俺、みさきの寝顔とか、こんな風に見たことなかったな……)」



だって、俺が目を覚ますとみさきはいつだって起きていてくれたから。目が合った瞬間、顔を真っ赤に染めて慌てて視線を逸らすその様子が堪らなく愛しくて。

だからこそ、そんなみさきの寝顔をじっくりと見るのはこれが初めてだった。気付いたら見惚れている自分がいて、きっと力ずくにやろうと思えば手を出す事も出来ただろうに、結局何も出来なかった――なんて。



「一応先に言っておくが、最後まではヤッてねーから安心しろ」

「!? さ、最後まではってなに!?」

「つか、先に誘ってきたのはみさきの方なんだからな」

「!!!?」



やはり昨夜のみさきはかなり酔っていたらしい。それが残念であったり、寧ろ覚えていなくてホッとしてしまったり。ただ1つモヤモヤとしたものが胸に残っているとしたら、それは完全なる嫉妬。おもむろに俺はみさきの腹部の傷口に触れた。途端ビクリと身体が強張ってしまうあたり、やはり傷は痛むのだろう。勝手に嫉妬して、怒って、小さな事ですぐに動揺してしまう自分を自虐的に笑った。

くっきりと歯形の付いた白い肌は、加虐心を駆り立てる。痛みに歪んだ苦痛の表情が、どうしてこんなにも愛しいと思えてしまうのだろう。どんな表情だってみさきは可愛いのだけれど。



「し、シズちゃん……なんか、痛い……かも」

「ん?あぁ……、それじゃあ、俺が見てやるよ」

「!! ち、ちょっとシズちゃん……!」



密着した肌から名残惜しくも離れ、俺はみさきの上に覆い被さるような体勢に変えた。慌てて胸元を隠そうとするみさきの両手を頭の上で拘束し、ゆっくりと腹部の傷へと顔を近付けてゆく。都合の悪い過去を水で流せるとまでは思っていない。だからこそせめて目に見えるものだけでも、俺はみさきを独占したいんだ。

赤くなったそこに赤い舌を這わせ、ねっとりと舐めあげる。二日酔いのせいであろう激しい頭痛は、良い具合に頭の思考回路を狂わせてくれる。それを理由にするなんて卑怯な話だが、事実酒が身体から抜けきっていない事も事実。それは俺のみに限らず、みさきにも言える事だ。唇を強く噛み締め、双方の瞳をうるわせながら俺を見つめるみさきの顔もほんの少し赤い。いずれにせよみさきが抵抗しない事をいい事に、微かに匂う血の匂いに酔いしれながら鉄の味を舌で感じた。



「怪我してるんだから、消毒、しなきゃな」

「……〜〜ッ!」



チラリと上目でみさきを見れば羞恥で潤んだ瞳と目が合う。あぁ、今日でようやく5日目か。7日間がこんなにも長いものだなんて、



「さて、と」



そろそろ起きるかな、なんて何事もないような口調で言ってみせる。とりあえず今は我慢しろ俺、呪文のように心の中で唱え続けた。

起き上がろうとして、頭が痛くてフラついた。典型的な二日酔いの症状だ。二日酔いになるくらいの酒を飲むなんて、あの時以来。みさきのいない日々に耐えきれなくて、トムさんと自棄になってひたすら焼酎を飲み続けた。焼酎と比べたらビールなんて水のようだといつだかトムさんが言っていたが、それでもあれだけ浴びるように飲んでしまえば酔ってしまうのも仕方がない。ただでさえアルコールに弱いというのだから。



「……シズちゃん、」



俺の名前を呼んで、それきり黙り込んでしまうみさき。俺は敢えて言葉の続きを聞かずに、痛む頭を擦りながらみさきの身体を解放してやった。テーブルの上には昨夜大して食べる事なく残してしまった鍋、そして床には空になったビール缶の数々が転がっている。これできっと冷蔵庫の中もプリンを置くくらいのスペースは確保出来た事だろう。

恐らく今朝の朝食になるであろう昨夜の残り物の鍋の具は、もう完全に冷えきってしまっていた。また煮込み直して温めるとするか。

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