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お味噌汁をずず、と啜りながらシズちゃんがチラリと視線を送る。理由は何となく分かっていた、だけどこんなに清々しい早朝から口にするのもどうかと思い止まる。シズちゃんがここ最近自慰に耽ることが頻繁になってきているというのは薄々と感じていたことだったし、その最中らしき物音や声なんかも耳にしてしまったこともあり。申し訳なくて、だけどどうしようもないので気付いていないフリをここ2日続けてきた。

しかし昨夜シズちゃんの自慰を後ろからではあるが目の当たりにし、気付いたら身体が動いてた。1人で苦しそうにしている彼を放っておくことなんて出来なかったのだ。そういうことに疎い私でも一応それなりの知識はある筈だった。互いの身体を交えなくても、男の人を気持ち良くしてあげられる方法――瞬時に思い付いたのが、女の人が口で奉仕するというフェラ。勿論初めての経験だったし、上手く出来ていたのかはいまいち分からないけれど。



「……昨夜、さ」



ドキリ、思わず心臓が大きく跳ねる。まさか本当にこのタイミングで昨夜の話題を振られるとは。どんな顔をしたらいいのか分からずつい顔を俯かせてしまう。

シズちゃんが箸を持つ手の動きを止め、左手には茶碗を持ったまま話を続ける。



「ちゃんと覚えてるか?」

「う、うん……」

「そっか、寝惚けてた訳じゃあねーんだな」

「……(寝惚けてあんなことする訳ないじゃない)」

「その、悪かった。……いや、サンキューな。こういう時何から話したらいいのか分かんねぇけど、ぶっちゃけここ最近すげー溜まってたし……つまりその、だな……」

「……?」



シズちゃんは言いにくそうに頭をポリポリと掻きながら「あー……」だの何だの続けていたが、やがて意を決したように口を開く。僅かに頬を赤く染め上げて。



「一応聞いとくが……昨夜のアレ、初めてか?」

「! ご、ごめん!下手くそだったよね?私、あの時咄嗟だったし、テク?とかよく分からないし……!」

「あぁ、いや、そういう意味じゃねぇんだ」

「……へッ?」

「そうか。初めて、か」

「???」



ブツブツと言葉を溢すシズちゃん。私にはよく分からなかったけれど、シズちゃんは何だか嬉しそうに見えた。私の目の錯覚かもしれないけれど、もし喜んでくれたのなら私も恥ずかしい思いをした甲斐があったのかな、なんて思えてしまうのだ。思い返せば私はいつだって受身状態で、自分からアクションを起こそうとはしなかった。それは本心が何もない平和な日常を願っているからこそだろう。

だけど、シズちゃんになら何でもしてあげたい。困っていたら助けになりたい。



「つか、ついでに言っておくと、すげー良かった」

「そッ、それは……その、良かった……です」

「……他の奴に絶対ぇするなよ?」

「す、する訳ないじゃん!あんな恥ずかしいこと……!」

「でも、俺にはしてくれたんだよな?」

「……」

「すげー嬉しい」



そう言ってシズちゃんは薄く笑うと、再び箸を持つ手を動かし始めた。静かに朝食を口に運ぶ彼の姿を見て思う。いや、いつだってどんな時も感じてる。この温かな胸の高鳴り――やっぱり私は彼に恋してる。シズちゃんが食べ物を口にする仕草だとか、サラサラと揺れる金髪だとか、目を伏せる際に揺れる長い睫毛だとか、彼の全てに見惚れてしまうのだ。やがて私の視線に気付いたシズちゃんと正面から目が合うが、私はすぐに顔を背けてしまった。



「どうした?全然箸進んでねーじゃんか」

「ううん、何でもない」

「そうか。ならいいんだけどよ……うお、そろそろ時間やべぇ」



時計の針はもうじき8時を指し示そうとしている。もうそんな時間か、シズちゃんが仕事に向かう時間。今日もまた1人の孤独な時間が始まろうとしている、そう思うと何だか無性に寂しく感じた。以前仕事について行きたいとねだったことが何度かあったが、彼はいつだって頑なに首を縦に振ろうとはしなかった。借金収集に向かわなくてはならない連中は大抵が危険でロクでもない奴等だから、と言っていたのを思い出す。

きっと私を危ない目に遭わせない為だということは分かっていたけれど、それでも今は何よりも傍にいて欲しい。私はシズちゃんの腕に自らの腕を絡めると、無言のまま抱きついた。シズちゃんは思わず手に持っていた箸諸々を落としそうになるが、何とか体勢を整え直すと私の顔を覗き込む。



「……そーいう表情(カオ)すんなよ、仕事行きたくなくなるだろ」

「ごめん……」

「今日はすぐ帰って来るから、大人しくしてろよ?」

「……うん」



心底申し訳なさそうな表情を浮かべるシズちゃん。本当は我儘を言ってしまいたいところをぐっと堪え、私はゆっくりと離れると出来るだけ笑顔でこう言った。



「行ってらっしゃい」





シズちゃんが行ってしまった後の部屋は、とても静かで寂しい。こんなんでよくこの1年間耐えきれたものだと内心感心しつつ、誰もいない部屋の中をぐるりと見渡した。1人でいる時間は辛い、シズちゃんの温もりを思い出してしまったから尚更。だけど今自分のすべき事はまだまだたくさんあるはずだ。まずは罪歌の居所を確保すること、次に通り魔事件の全貌を突き止めること。なにがなんでもシズちゃんだけは守らなくてはならない。その為に私は池袋に帰って来たのだ。

未だにシズちゃんに全てを話していないのは、別に話すことに抵抗があったからではない。いずれ自然と話す時が来るだろうと思ったからだ。私はその時その時の状況に応じてればいい。



「……」



1人残されたこの退屈な時間が私はひどく嫌いだった。頻繁に外出するようなことがあればシズちゃんはあまりいい顔をしないし、だからと言って他に1人ですることもない。ちなみに私の大好きな俳優――羽島幽平主演のドラマは明日だったりもするし。結局私は出掛けたいという衝動に逆らえず、シズちゃんに予め渡されていた合鍵で扉を閉めたことを何度も確認すると池袋の街へと繰り出した。

1年という短いようで長い月日が経ち、それでも池袋は変わることなく私を快く出迎えてくれる。いや、もしかしたら私の見ていないところで何かが変わってしまったのかもしれない。ふと私は、以前よりも明らかにカラーギャングの姿が増えていることに気付く。ただし黄色に限るが。例の抗争を機にブルー・スクウェアは余儀無く壊滅し、黄巾賊もかなり弱小化しているかのように思えたのだが。



「(気のせい、かなぁ)」



黄色いバンダナを巻いた若者を遠目に見ていると、振り向いた若者とばっちり視線が合ってしまう。途端に怪しげな笑みを浮かべ、此方を見る黄巾賊の面々。直感でヤバいと感じた私は咄嗟に近くのお店へ入った。

しかし――



「ねぇ」

「!!?」



ぽんと軽く肩を叩かれ、心臓が大きく跳ね上がる。もしかしたらさっきの黄巾賊のメンバーかもしれない。

恐る恐る振り向いた視線の先に映るものは――見覚えのある洒落たストローハットに、綺麗に染め上げられた赤茶色の髪。そして何処かあどけなさを残した笑みが私の緊張の糸を解した。



「あ、やっぱしみさきじゃん」

「! ろっちー!?」



思いがけない友人との再会に私は思わず彼の身体に抱きついた。ほんの少しよろめくものの、ろっちーは笑いながら私の頭を撫でる。



「ぅお!……ととッ、なんだよみさき。随分と積極的なアプローチだな」

「久しぶり!どうして池袋にいるの?」

「あー……まぁ、ちょっとな。それよりみさきこそ1人でなにフラついてんだよ?今の池袋すげー治安悪ぃみたいだからさ、みさきみたいな可愛い女の子はガラ悪ぃ連中に襲われるぜ?」

「連中?もしかして……黄巾賊のこと?」

「お?知ってんのか。ま、そりゃそうだよな。池袋住んでれば嫌でも聞くわな」

「ろっちーこそ、よくチーム名まで知ってたね」

「お、おう。ほら、俺ってば意外に情報通だったりするからさ!」

「ふぅん?」



一瞬ろっちーの視線が泳いだような気もしたが、そんなことよりも今は友人に会えたことが何よりも嬉しい。それにろっちーは私と同じ埼玉出身であり、埼玉以外で顔を合わせることが何だか不思議な感じがした。

しかし今日のろっちーは何かが違う、直感でそう思った。ろっちーはいつもおちゃらけてて、だけど決して適当な人ではない。仲間思いの優しい人だ。そういえば今日はいつも彼が引き連れている女の子たちがいない。いつもいることが当たり前だったから、すぐに気付くことが出来なかった。



「今日はいないんだ?女の子たち」

「ま、まぁな……そんなことより!みさき、今暇?」

「? 特に用はないけど」

「なら丁度良い!そろそろ昼時だし、昼飯でも一緒に食べに行こうぜ?久々に色々と話したいしさ」



時計をチラリと見やる、12時まであと約10分。きっとここ周辺のレストランも客で溢れ返る頃だろう。

誘いを断る理由なんて無かった。何よりろっちーは頼れる友人だし、この機会に色々と話しておこうと思ったから。『池袋にいる記憶喪失の彼』が私を思い出してくれたのだという事を。

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