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人との巡り合わせとは不思議なものだ、と私は最近つくづくと思う。シズちゃんとの件もそうなのだが、もう2度と会わないであろう人物との再会はなかなかのインパクトがある。例えるのならそう、今みたいな。
今日は体調が優れていたので、溜まっていた書類を片付けようと隣の事務所へと足を運ぶ。しかし、そこにいたのは臨也さんではなく黒髪を靡かせた女性の姿。
「!」
「あら、貴女は」
私の顔を見るなり彼女――矢霧波江さんは純粋に驚きの表情を浮かべた。彼女を忘れるはずがない。臨也さんの取引先であり、捕獲対象であった私に逃げろと告げた矢霧製薬の責任者。且ある意味で臨也さんを危険視している人物。だからこそ私は驚愕した。まさかそんな彼女が臨也さんの元で雇われるなんて事が……?
部屋の中であるにも関わらず、ふいに生じた僅かな風が彼女の長くて美しい黒髪を揺らす。途端に蘇る過去の記憶。ふと脳裏に浮かんだ人物の名前を、私は無意識のうちに口にしていた。
「あの、矢霧波江さん……ですよね?」
♂♀
「驚いたわ。あいつから話は聞いていたけれど、まさか貴女がここの秘書だったなんて。……ええと、苗字みさきさんでよかったかしら?」
「はい。まぁ実際は、私も最近秘書に就いたようなものですけど」
ここは臨也さんの事務所だ。しかし当の本人の姿はない。私が目を覚ました時には既に姿を消していたのだ。ここ最近多忙な彼のことだから、きっと仕事の都合で出掛けているのだろうけれど「私が今日来ると知っているくせに、どうして事務所にいないのよ」と視界に映らぬ臨也さんに向かって波江さんが毒を吐いた。
確かに彼女の言うことは言えていると心の中で同意しつつ、とりあえず秘書という役柄なため波江さんに紅茶を煎れる。本当はコーヒーと紅茶どちらがいいかと訊くべきなのは知っているが、臨也さんと私は共に断然紅茶派なので生憎コーヒー豆は備え持っていない。
「すみません、紅茶でいいですか?」
「お気遣いなく。それよりも1つ、貴女に聞きたいことがあるんだけれど……」
「?」
来客用のティーカップにお湯を注ぎ、波江さんの目の前のテーブルに置く。私が向かい合うようにしてソファに座るなり波江さんは口を開いた。短く且簡潔に。
「今回の件、貴女はどこまで絡んでいるのかしら」
「……はい?」
今回の件、といういかにも何かを仄めかしているような単語に全く聞き覚えのない私は、純粋に意味が分からなくて言葉の代わりに首を傾げる。波江さんはそんな私を見て「そう」とだけ短く告げると目の前のティーカップに手を伸ばした。
「知らないのならいいわ」
それからお互い紅茶を1杯程飲み終えた頃、事務所のドアが音を立てて開く。反射的に振り返ると、そこにはいつものフード付コートを身に纏った臨也さんがいた。しかしよく見ると、以前来ていたものより丈が数十センチ短い事に気付く。
まじまじとコートを見つめる私の視線に気が付いたのか、臨也さんは「今日は暖かいからねぇ、いつもの丈じゃあ暑いだろ?」と言って悪戯っぽく笑った。それからくるりとその場で身を翻し、波江さんの方へと身体ごと向けると大袈裟な素振りで一礼をする。
「おっと波江さん。すみませんねぇ、急用が入ってしまったもので」
「……まぁ、いいわ。あなたのところの優秀な秘書が美味しい紅茶を煎れてくれたことだし」
「彼女の煎れる紅茶は格別美味しいでしょう?みさきちゃん、俺にも1杯もらっていいかな?」
「! は、はい!」
思わぬところで誉められてしまい頬が熱くなるのを感じたが、私は空になったティーポットを片手にキッチンへと足を向けた。まだ温かいやかんの水を注ぎ、さっき多めに水を沸かしておいて良かったと内心思う。
ティーカップとミルクを小皿に添え、臨也さんへと手渡す。臨也さんは気分でストレートかミルクに分かれるから、彼に紅茶を煎れる時にはミルクも付けるという習慣が無意識のうちに自分の中で根付きつつある。
「ありがとう。……ていうかさ、今更なんだけど身体の具合は大丈夫なの?」
「お陰様で、昨日よりは大分よくなりました」
「それは良かった。一応波江さんに風邪薬を持って来てもらったんだけどね」
「え?」
そう言うなり波江さんが手元のバックから取り出したのは、風邪薬が入っているのであろう小ぶりの紙袋。
「臨也に頼まれたのよ。大事な秘書が風邪をひいたから、風邪薬を調合してくれないかって。まったく、人を何だと思っているのかしら」
「そりゃあ、かの有名な矢霧製薬のお偉いさん……いや、"元"、かな?」
「……で、本題に戻して頂戴」
「はいはい」
一瞬ぴりりと張り詰めたような空気がこの部屋を包むが、それを解きほぐすように臨也さんがわざとらしく笑う。頬杖をつきながら片手で紙袋をひょいと取り、私の手のひらにそっと載せた。私が紙袋をまじまじと見つめていると、臨也さんが小さく声を出して笑う。
「怪しい薬なんかじゃないよ?今回は」
「! 違ッ、別に怪しんでいた訳じゃあ……!」
「あはは、ほんとにみさきちゃんはからかい甲斐があるねぇ」
「……!」
からかわれていたのだと知った途端、何も言えなくなった私は静かに顔を俯かせた。臨也さんはさて、と話を切り変えると波江さんにカードのようなものを手渡す。どうやらこの事務所のキーカードらしい。臨也さん曰くこの部屋は臨也さんと私の指紋にしか反応しない為、他の者が出入りする際には鍵となるものが必要らしい。ふうん、と納得したように相槌を打ち、受け取ったキーカードをバックの中へとしまう波江さん。
スラッと長い足を組み、波江さんは身体を背もたれに預けると不機嫌そうに眉間にしわを寄せて言葉を紡いだ。その声音には諦めと妥協を僅かに滲ませており。
「いいわ。あなたの言う『天国』とやらまで付き合おうじゃない。ただし、あの首があなたの手元にあるうちは、ね」
「それは有り難い。……さて、場所を移ろうか。みさきちゃんもおいで」
「……?」
臨也さんに手招きされ、今ひとつ状況を掴みきれてはいないが、素直に従ってみることにした。それが1番賢明だと思ったからだ。それから終始無言になる波江さんからはひしひしと緊張感が伝わってくる。一体なにがあるというのだろう?
向かった先はリビングから歩いてすぐの、たくさんの情報が納められている書斎にあたる部屋だった。秘書である私は以前何度も書類整理をやらされたので、既に見慣れた場所となっている。とりあえずキョロキョロと辺りを見渡すが、特に変わったところもないようだ。ただ1つを除いては。
――……え?
――これは……なに?
心臓が脈打つ。それを抑え込むように胸元をぎゅっと掴み、私は目の前の得体の知れないものを真っ正面からじっと見つめた。そこにあったのは紛れもない、まるで人形のように整った美しい女性の首だった。それは今まで見てきたどんなものよりも現実味が沸かなくて、赤い眼をした切り裂き魔なんてごく一般的だと思わせてくれるほどに神秘的で、自然と惹き付けられるほどの魅力を持っていた。
私のすぐ隣で波江さんが忌々しいとでも言いたげな表情で首を見るが、すぐにその刺々しい視線を外す。臨也さんは私の肩それぞれにそっと手を置くと、自慢げに綺麗だろうと口にした。
「えと……生、首?」
「まさか。まぁ、これはこれで1つの生命体と言っても過言ではないかな。一応みさきちゃんには見せておこうと思って。ある日偶然この首を目にした君に、悲鳴あげられても困るしね」
「悲鳴、なんて」
仮にそんな状況だったとしても、私は決して悲鳴なんてものはあげないだろう。この感覚を例えるなら、美しくて神聖なものを見た瞬間の感動によく似ている。
しかしいざその首を目にして、思い浮かぶ人物が1人だけいた。もっとも人物と言えるのかは定かではないし、そもそも人間と言えるのかも曖昧なところだが。
「あの、臨也さんは首無しライダーさんを知っていますよね?」
「勿論。彼女とはそれなりに長い付き合いだし、仕事の依頼先でもあるからね」
「……その、私の勘、なんですけど。この首の持ち主って、もしかして……」
首無しライダー。その名を口にするよりも先に、臨也さんは口元に人差し指を添えると薄く笑った。しかしその行動は同時に、肯定の意味をも兼ね揃えていた。
そして、波江さんが秘書としてここで働くことが正式に決まり、彼女が帰った後、私と臨也さんは首のある書斎にいた。臨也さんは、ガラス製の透明な容器から首を丁寧に取り出すと、触ってごらん、と言って私に差し出す。どこを持てばいいのかと戸惑ったが、私は首の頬に両手を添えて受け取ると恐る恐る視線を向けた。その瞳は閉じてはいるものの、頬の肌はほんのりと温かく、日本人離れした茶色い髪はさらさらでとても触り心地がいい。ホラー映画は苦手だというのに、不思議と恐怖は感じられない。
「首無しライダーさんって女の人だったんですね」
「確かに見た限りじゃあ分からないよねぇ。全身ライダースーツだし。そんな彼女も、人間並に恋をするのさ。1人の異性相手にね」
「……」
人間でない彼女の目に、世界はどう映っているのだろう。私たち人間をどう思っているのだろう。私は以前首無しライダーに助けてもらった恩があるし、未だにそのお礼も言えていない。
ダラーズ初集会の日、彼女は堂々と人々の目の前でその姿を晒した。それを私は間近で見ていた。ただただ嬉しかったのだ。あの胸の高鳴りは今でも鮮明に覚えている。再びかの有名な都市伝説を目にし「ああ、私はこの池袋に帰って来たのだ」と、改めて実感することが出来たのだから。今や私にとって首無しライダーは池袋の象徴なのである。
「首無しライダーさん……また会いたいなぁ」
「池袋に行けば、またいつでも会えるさ。あの日を境に吹っ切れたようだからねぇ。君も見ていただろう?彼女が大鎌を片手に大暴れしていたところ」
「……そういえば、首無しライダーさんが斬り伏せていたあの連中……矢霧製薬の下っ端ですよね?」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって……」
あの感じに見覚えがあったから。目前までそう言いかけて、すぐに喉の奥へと追いやった。以前私は、臨也さんに依頼された矢霧製薬に追われた経験がある。結果として私が波江さんと初めて顔を合わせるキッカケとなったのだが、その後の余計なことまで思い出してしまったのだ。墓穴を掘るとは正にこういうことだ。
「そっか、みさきちゃんは前に1度奴らに会ったことがあるからねぇ」
口元をニヤつかせながら臨也さんが言う。恐らく彼は私の考えていることを薄々感じ取ったのだろう。意地の悪い人だと心の中で思ったが、それをわざわざ口にしようとはせず、私は両手に抱え持っていた美しい首を、元あったガラス製の透明な容器へと再び戻した。
この首が目を覚ますことはあるのだろうか、そんなことをぼんやりと考えながら私は臨也さんと共にこの部屋を後にする。扉のドアノブに右手を掛け、もう1度だけ首のある方向を振り返る。もしかしたらただの錯覚かもしれないし、首までの距離があっただけに強く断言は出来ないが、私の目には首の瞳がうっすらと開いているようにも見えた。