>空中楼閣
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どうしたら彼女を本当の意味で自分だけのものにできるだろう。ここ最近、彼はそんなことばかり考えていた。いっそ腕を?いでしまうのはどうだろう。いや、両足をへし折ってしまうのも悪くない。そんな歪んだ感情を胸の内に秘めながら、彼は今日も何食わぬ顔で彼女に笑い掛ける。

彼は彼女を愛してた。
それは確かに愛だった。
美しくも歪んだ愛であったーー



「(そうだ、わ俺はこの幸せを守るためなら、何だってやってやる)」



元より化け物扱いされ、忌み嫌われてきた孤独な男。そんな彼が何よりも恐れたのは、自分に愛情を向けてくれる者を失うことだった。それは血の繋がった家族であったり、数少ない友人たちであったり。だが、彼にはそれ以上に失いたくない者がいる。全てを捨て去ってでも守りたい人がいる。その彼女の名はーー苗字みさき。彼女と過ごすひとときは掛け替えのない幸福感を彼に齎した。それがなんとも愛おしく、また、なんと居心地の良いことか!1度味わってしまった極上の蜜を到底忘れ去ることも出来ず、その甘味は渇ききった彼の舌へと十二分に行き渡った。

愛情に飢えた孤独な化け物は、やがて彼女を独り占めにしたくなった。彼女が他の男に笑い掛けることも、接点を持つことさえも嫌がった。まるでわがままな子どものようだろう?そんなこと、願っても叶いっこない。それでも彼は本気だった。自分が如何に馬鹿げたことを考えているのか理解した上で、それでも彼は願ったのさ。これだから己を冷静に客観視出来る奴ほど厄介なものはない。



♂♀



「……なにこれ」



みさきが怪訝そうな顔で、そう一言。俺はそれに対して「見たまんまだ」とだけ返す。あまりに短過ぎる言葉のキャッチボールであったが、今の状態ではたった二言だけで片付いてしまうものだった。

想像して欲しい。小学生男児が憧れる、俗に言うヒーローとやらを。そして、爆風に身を投じながらも悪の組織と勇敢にも闘う勇ましきその姿を。鍛え上げられた逞しい腕に装着されたバズーカー砲ーーこれを想像して欲しいのだ。まるでそれの如く、みさきの手首から指先はバズーカ砲の代わりに白い包帯で綺麗に包み込まれていた。五本指は疎か、手の原型すら分からない程に何度もぐるぐる巻きにされているが故、その包帯で巻かれた部分はみさきの腕3本分までに膨張している。これがバズーカ砲に例える所以である。



「そのくらい念入りにしておかねぇと、お前はすぐ無茶するだろ」

「いや、これ無茶するどころか生活すら出来ないレベルだよね?ペンすら握れないし、ていうか、私の手がどのあたりにあるのかさえ認識できないし」

「だから、俺が全部世話してやるって言っただろーが。飯も作るし、風呂だって俺が……」

「!? ななな何言ってるの馬鹿じゃないの!!?」



赤面したみさきに肩をバシンと叩かれるものの、何層にもなった包帯がクッション代わりとなって衝撃を吸収し、元より大して強くもないみさきの力を更に軽減させている。痛くも痒くもないソフトタッチを食らい、俺は平静を装ったままその手首(があるであろう包帯で巻かれた部分)を掴み返す。普通包帯越しでも人の肌の感覚や体温は感じられるものだが、この厚みでは何も感じられない。単なる包帯の塊と化したその両手は、手としての機能を全く果たせないだろう。実はそれこそが俺の真の狙いである。今のみさきは両手不自由ーーいや、極端な話、両手首を?がれたと言っても過言ではない。なんせそれ同様の状態なのだから。



「あとは……そうだな、食事なんかも食べさせてやるよ。箸なんて持てないよなぁ?その手じゃあ」

「あぁもう、言葉が出てこない……シズちゃんに手当てを頼んだ私が迂闊だった。ほんとお願いだから包帯解いてよ。切実に」

「何言ってんだ。少なくとも2日はこのままな。ほら、新羅にも言われたろ?しばらくは安静に、ってさ。医者の言うことは絶対だもんな?なんせ、その為に人に鎮静剤食らわすくらいだもんなぁ……?」

「……ねぇ、もしかしてまだ根に持ってる?」

「怒ってないぞおー。ただ、みさきが心配なだけさあ」

「うわ、相当怒ってる」



顔ではにこりと笑ってみせるが、少なくとも爽やかな笑顔からは程遠いであろうその表情にみさきが顔をヒクつかせる。実際引きずっていたことも事実だが、決して怒っている訳ではない。寧ろ楽しくて楽しくて仕方がない。両手を負傷したみさきからしてみれば不幸中の不幸、度重なる災難。これも運命なのだ諦めろだなんて適当なことを言っておきながら、俺は不謹慎にも口元が緩むのを意識せずにはいられなかった。感情を隠し切れずニヤける俺を一瞥し、みさきが拗ねたようにそっぽを向く。そんな小憎たらしい仕草や行動さえも愛しくて、思わず彼女を背後から抱き締めてしまった。言葉通り、がばり、と。その勢いのあまり抱き締めるというより、プロレスでいうバックドロップ技のような形になってしまった。



「ひゃあッ!?ちょっと、シズちゃん!私怒ってるんだからね!?」

「あー、悪ぃ悪ぃ。俺が責任持って世話してやるからなー」

「だからこの包帯をどうにかしてくれればいいんだってば!」



何度も言うが、俺はこの絶好のチャンスを逃す気は毛頭ない。みさきは他人に頼ろうとはせず、いつだって自分の力でなんとかしようとする。だから例え両手が使えなくなろうとも、はたまた両足で歩けなくなろうとも、極力自力で解決しようと必死に足掻くのだろう。正直、俺としてはもっと頼られたい。彼氏としてーーいや、それ以前に頼れる存在として、みさきに頼られる存在でありたい。自慢出来るほどの知識や頭脳はなくても、その気持ちの強さなら誰よりも勝っていると自負していた。無論、妙にきな臭い池袋の噂話だとか、その筋に精通しているあのノミ蟲野郎への尽きぬ対抗心も一理ある。

まぁ、結局のところ、俺は彼女の全てを独占したいという訳だ。綺麗事を言うつもりはない。そして、このありのままの素直な気持ちを打ち明けることも多分ーーない。だが、もし俺が彼女の全てを欲しいと言ったとして、果たしてみさきはどんな顔をするのだろう。言っておくが、俺の言う「全て」とはそんなに生半端なものではない。文字通り、本当に「全て」である。それはつまり、彼女の行動の自由すらも奪うことに他ならない。



ーーこれは果たして”愛”なのか。

ーー……いや、そうなのだと思いたい。

ーー例えどんなに歪でも、これも一種の愛なのだ、と。



言葉にせず、胸の内で密かに思い描く。俺の一方的なわがままで、彼女の腕を、足を?いでしまえたら、きっとみさきは俺なしでは生きていけない。誰よりも何よりも必要としてくれるーーそんな、ただ残酷でしかない俺の夢物語。



♂♀



願うことは誰にでも許される。
それは老若男女、何1つとして問わず。



「そう、例え君の弟に対する気持ち悪いくらいの愛さえも、肯定される」

「……何が言いたいの?」

「価値観の違いって怖いよねぇ、って話。前に古い知り合いから言われたことがあってね……輪廻って知ってる?」

「輪廻?あぁ、あの生まれ変わりがどうのってやつ?生憎、私はそんなもの信じちゃいないけど」

「俺だってそうさ。神とかさ、信じてないし。なんだか胡散臭いよねぇ」

「貴方の古い知り合いとやらは何処ぞの宗教の回し者なのかしら」

「まぁ、これは神様がどうこうっていう難しい話じゃなくて、俺たち人間は例外なく苦しみの世界をぐるぐる回ってるって話らしいよ?しかも俺に関してはもう何年も抜け出せてないって話らしいから、ほんと困ったもんだよね」

「ふぅん。貴方が何年もそんなに苦しむなんて、どうせあの子絡みでしょうけど」



苦しんでいるのかと訊かれたら実はそんなこともない。報われない恋をしているという自覚はあったが、それが苦になっているとは思わなかった。

もしかしたら俺は本当の意味で恋愛をしたことがなかったのかもしれない。正直、恋愛なんて攻略法さえ掴んでしまえばどうにでもなるものだと思っていた。今までだって順調過ぎた。そう、全てが怖いくらいに。利用しようとさえ思えば意のままに操れたし、人間の心理的な分野に関してはそれなりに熟知していたはずだ。そんな恋愛を舐め腐った者への天罰か、今の俺は長いこと人生最大の難関に差し掛かっている。その壁を乗り越えることも回避することも出来ぬまま、もう何年も抜け出せずにいる。これがヤツの言う「輪廻」という名の苦しみの世界だというのか。だとしたら出口なんて一向に見えそうもない。そもそも出口なんてないのだろう。どう足掻いたって俺に関しては幸せの糸口なんて存在しない。みさきと結ばれる未来なんてーーそれこそ世界が破滅しようとあり得ない夢物語だ。



「多分、一生抜け出せないんだろうね」

「それはどうかしら。恋愛成就が幸せとは限らないじゃない」

「それ、自分への慰めのつもりかい?」

「可哀想な貴方への精一杯の哀れみよ」



哀れみなのか皮肉なのかどちらとも取れる言葉を言い残し、波江は再び作業へと取り掛かる。途端に辺りはしんと静まり返り、カタカタとキーボードを叩く音だけがやけに大きく響き渡った。俺は大きく仰け反ると背もたれに力無く身体を預け、暫し考えることを放棄する。いくら考えたって意味などない。これは理屈云々で済まされる問題ではないのだから。



「……何が面白いだ。こっちは全然面白くもなんともないっての」



つい先ほど届いたばかりの『彼』からのメールに再び目を通し、その不快でしかない文面を忌々しげに見つめる。目を細め、眉をしかめた俺を尻目に「珍しいわね。貴方があからさまに嫌な顔するなんて」と波江が口を挟んできた。



「自分の知らないところで探りを入れられるってのは、実に不愉快だ」

「いつも貴方がやっていることじゃない。そろそろ自分のやっていることを自覚したらどう?」

「波江さんさぁ、そんなこと言える口?」



人の数ほど見方はそれぞれ。様々な見解、世界、価値観ーーそれら全てを理解しようとは思わない。あくまで俺にとっての世界の全ては俺主観のものであって、それは当たり前のように自分中心に回っている。今日も、そして恐らくこれから先もずっと、この世界はいつだって覆されることなく回り続けるのだろう。



「結局、貴方は何をしたいのかしらね」



諦めのようなものを含んだその言葉に対し、俺は何でもないようにケロリとした口調で答える。



「俺がしたいこと?そんなもの、決まりきってるじゃない」



俺が夢想する世界の実現ーー今はただの妄想に過ぎないかもしれない。こんなこと口が裂けても言えやしないが、それでもいつの日か少しでも近付けるようにと密かに胸の内で願う。なんせ、願うことは誰にでも許されるのだから。例え叶う見込みがなかろうと、その者が救いようもないくらい卑怯者であろうと。



♂♀



俺は少しばかり誤解していたよ。……何がって?そりゃあ色々さ。苗字みさきがただのか弱いヒロインじゃないってだけでも見る分には十分楽しめたが、それだけじゃあ持ち味としてはまだまだ甘いよなあ?それを取り巻く環境、人間相関図ーーここいらは全く問題ない。そうさ、実に面白い。俺は大いに楽しませてもらった。だが、干渉はしない。あんたにも釘を刺されてるしな。苗字みさきに必要以上に関わるな、ってさ。

別に拗ねてなんかないさ。俺はこの立ち位置が気に入ってるんだ。そんなことより、あんたは一体どうしたいんだ?折原臨也。卑怯なのは今も変わりないが、なんだってそんなに中途半端なんだ?どうせなら徹底的に悪者に徹するのも悪くないじゃないか。上手くやれば正義の味方にだってなれるだろうに。ズル賢い脳味噌と、その無駄に良過ぎる顔でさ。そうしたらあの子もあんたの方に傾くかもしれないぜ?……なーんて、それを言ったらあんたは怒るんだろうから言わないけどな。だから俺は今こうして文字を打つに止めているのさ。うっかり送信でもしちまわない限り、これはただの独り言ってやつだ。俺は思ったことを言わなきゃ気が済まない性格なんでね。仕事柄あまりにお喋りなのも信用に関わるからな、こうして文字にすることで多少の発散になるんだよ。



折原臨也「聞きたいことがある」

九十九屋「!」

九十九屋「よぉ、なんてタイミングだ」

折原臨也「? 何の話だ」

九十九屋「気にするな、こっちの話さ。……それで、本題は?」

折原臨也「例のロシア人の動向について聞きたいことがある」

九十九屋「あぁ、そいつは恐らく哲学する殺人機械のことだろうな。ヤツは確かもう日本に来てるって話だぜ」

折原臨也「そんなことは知っている」

折原臨也「……あんた、最近俺を舐めてないか?」

九十九屋「はは、そう怒るなって。ここ最近のお前の動きを見させてもらってたよ。どうやらひと段落ついたようだが、さて、次の火種は何処にやら」

折原臨也「茶化すのはやめてくれ」

折原臨也「俺は殺し屋のことを聞いたんだ」

九十九屋「分かった分かった。とりあえず順を追って説明させてもらうと、事を遡る必要がある。まずは……そうだな、苗字みさきが車に轢かれたってのは知ってるか?」

折原臨也「……は?」

折原臨也「その話、本当なのか?」

九十九屋「そりゃあ初耳だろうよ。なんたって彼女は怪我を負ってから”1度も”家の外に出ることを許されていないんだからな。どうせ平和島静雄に何か言われてるんだろう」

九十九屋「黄巾賊の件が落ち着いたのがつい3日前。ロシアから殺し屋が来日したのも3日前。そして、苗字みさきが車に轢かれたのも3日前」

九十九屋「……この意味が分かるか?折原臨也。あんたは今度こそ苗字みさきを巻き込みたくないと思っていたようだが、手を打つにはもう遅過ぎた」

九十九屋「既にあの子は嵐の中心にいるって訳さ」

折原臨也「……」

九十九屋「だが、これだけは安心していい。ロシアの殺し屋はあくまで来日したってだけで、”まだ”次の事を起こそうなんて考えちゃいないと思うぞ。暫くは様子見といったところさ。奴は頭がキレるからな。3日前だって、ただこの街を用事ついでに通り過ぎただけで、今はもう池袋(ここ)にはいないだろうよ」



ロシアのとある殺し屋が来日する一方、また別の化け物がこの街で目覚めようとしていた。それは首無しライダーや妖刀と同じく異形の存在であったにも関わらず、今の今まで人間世界に馴染み溶け込み、今日まで人間としての生活を営んでいたのだがーーやがて彼女は牙を剥く。今まで自分が生きてきたこの街も、所詮蜃気楼に過ぎなかったのだと。そしてある種の羨望にも近い幻想がことごとく打ち砕かれた彼女は、静かにその身を血で染めてゆくーー

人々が抱える幻想や空想。それは必ずしも悪意ではないと言い切れぬものにまで至り、恐ろしくも人々を様々な衝動に駆らせる。何もかもが不確かで、それでも池袋は存在する。確かにここで生きている。街は思考し、人々を受け入れてーーつまりは生き物と同様なのだ。ただ街と人の異なることといえば、前者はいつだって受け身であるということなのかもしれない。



人々は、そんな池袋を愛していた。










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