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そして違う場所で、また同じように思わぬ怪我を負う者が1人ーー





「(……最悪だ)」



拳銃の回収。罪歌への宣戦布告。全て思惑通りに進んだとばかりに思っていた矢先の思わぬ出来事。仮に突然何者かに襲撃されたとして、それを避ける為の反射神経には自信があった。今まで化け物相手に培ってきた瞬発力に加え、いかなる場合においても的確な決断を下す冷静さが自分にはあるものだといい気になっていたらこのザマだ。

園原杏里ーーみさきと同様、その身に罪歌を宿した少女。しかし罪歌との関係性に決定的な違いが2人にはあった。園原杏里に関しては自分の意思で罪歌を振るい、自分に足りないものを補完するための術としている。恐らく罪歌の子を通し、今回の抗争を裏で操っていた糸を辿り、黒幕の存在に気付いた彼女は俺を支配しようと試みたのだ。無論、俺はそれを何となく察していたし、ならばこちらからも仕掛けてやろうと強気の行動に出る。



「刀如きに、人間を渡してたまるか」

「人間はーー俺のものなんだから、さ」



何も言い返せず立ち尽くす少女を尻目に、俺は声に出さずにざまあみろと呟いた。いい気味だ。俺を差し置いて調子に乗っているからこうなるのだ。罪歌を都合のいい言い訳にする少女の方も気に食わないが、何より、みさきにしつこく纏わりつく罪歌そのものが目障りだった。だから、これは俺からの最初で最後の忠告ーーそれからたった15分後の出来事。



『笑える程に、卑怯な奴だなお前は』



今日だけで何度人から卑怯者呼ばわりされただろう、と自虐的に笑う。強烈な一撃を食らわし、ロシア語で散々と説教してきたのはサイモンだった。話を聞けば、沙樹から電話で助けを求められたのだと言う。普段の日本語からは到底想像もつかない程に冷たい笑みを浮かべる黒人を前に、俺は自然とこみ上げてくる笑いを隠せずにいた。そんな彼女の裏切り行為を聞いても尚、俺は楽しくて仕方がなかった。

街を荒らすなとの忠告を残し、彼が去ってからも暫しの間、俺はその場で塀に背をもたれさせていた。激痛のあまり立ち上がることができなかった、というのが正しいのかもしれない。殴り飛ばされた際に打ち付けた背中は痛むし、血管が破裂しそうな痛みと痺れは未だに手足の末端に残っている。それを少しでも緩和すべく手の平でグーパーを繰り返しつつ、改めて自分が本物の卑怯者であることを痛みをもって痛感した。しかし、果たして自分のやっていることは正しいのだろうかなどと悔い改めようとは思わない。そもそも初めから正しいなんて思っていないし、かといって間違っているとも思わない。ただ、これでいいと暗示のように呟き、俺はようやく腰を上げる。あれだけ強く殴られたというのに、実に晴れやかな気分だった。



ーー俺の最期なんて、きっとこんなロクでもないものなんだろうなぁ。

ーー今回はサイモンだったから命あったものの、きっと俺のことを心底怨む輩にでも刺し殺されるのだろう。

ーーあるいは、何処ぞの組の幹部に砂にされるか……



あらゆる人物の顔が思い浮かんでは消え、その度に口端を歪ませくつくつと笑う。しかし、あの喧嘩人形にだけは殺されてたまるかと内心舌打ちをした。そこで必然的にみさきの顔が頭を過ぎりーーどうせなら彼女に殺されたいものだと思ってしまうあたり、どうやら俺は思っている以上に心身共に疲れ切っているらしい。普段こんなことを考えるなんてことはまずない。情報屋たるもの、人に弱みを見せてはならないのだから。だからこそ俺は常に1人、池袋という名のゲーム盤を蚊帳の外から眺めてきた。わざわざ自らがプレイヤーとなってリスクを負う必要などない。ある一定の距離感を保ちつつも各々のプレイヤー達に干渉し、あるいは誘導し、自分の思うがままに操るーーそれだけで良かったはず”だった”。



「……ほんと、俺はいつの間にこんな優柔不断な人間になったんだか」



またも同じ台詞を口にし、ここ数日で1番の盛大な溜息を吐く。春の訪れを感じつつも、寒さの残るそんな時期。身体の奥底から吐き出された息は白く、俺はふと思い出したかのように夜間の寒さに身震いした。

我ながら笑える。自分が向かう先に幸せなんてものはなくて、目を細めれば辛うじて僅かばかりの希望が見えるだけ。それは己の欲望を満たしてはくれるが、幸せを確約してくれるものではないのだ。正直、幸せになりたいかと問われればそうなりたいと誰しもが答えるだろう。ただ人間というものは欲深な生き物で、その最限を知らない。あれも欲しいしこれも欲しい。そんな意地汚い生き物を俺はーー愛してしまったのだ。こればかりは仕方がないと諦める他ない。



ポツ、ポツ、ポツ



1度止んだはずの雨が再び降り始める、そんな予感。本降りになる前に事務所へと帰るべく、俺は歩くペースを上げる。きっとそこには仕事を片付ける浪江がいて、俺の顔の痣を見て多少なりと驚くだろう。彼女にはひとまず愚痴の捌け口になってもらうとして、頭の中は既に明日からの別の要件に切り替わっていた。

俺は誰1人とて恨んでなどいない。俺を最後に裏切った沙樹も、殴った挙句散々説教を言い散らしてきたサイモンも、彼女または彼らが人間である以上、俺は皆を平等に愛し続けるのだろう。例えこの先何の見返りがないのだとしても、最終的にはそれが己の欲求を満たしてくれることを信じて。



♂♀



みさき、お元気ですか?……なんて、ついこの間まで会ってたけどね。みさきに話しておきたいことがあるの。ちょっと長くなっちゃうかもしれないけど、ごめんね。

私、正臣とよりが戻りました。これもみさきや門田さんたちのお陰かな。あれだけ正臣のこと信じてるって口では言ってたけれど、本当は私……不安だったの。だって正臣ったら、可愛い女の子に目がないんだもん。まさかみさきにまでナンパしてたなんて、ね?勿論正臣には話したよ、私とみさきの関係。すっごく驚いてた。それから正臣、なんて言ったと思う?「大人の女性の魅力に負けました。ごめんなさい」って、素直に謝ってきたから許しちゃった。だって土下座までする勢いだったんだもん。私も一応正臣よりは歳上なんだけどな、みさきのこと見習わないと。そうそう、正臣もまたみさきに会いたがってた。私としては会わせていいのか複雑だけど……なーんてね。みさきは私たちにとって恩人だもん。いつかちゃんとしたお礼、出来るといいな。



今、私たちは電車の中にいます。ずっと病室にいたものだから、電車なんて久しぶり。今から臨也さんのおつかいに行くの。……臨也さん、私のこと嫌いになってなかった。おめでとうって祝福してくれたの。裏切ったのは私の方なのに、嫌われたんじゃないかって不安だったから……すごく嬉しかった。こんなの、勝手だよね。都合が良すぎるよね。人から嫌われるのって、どうしてこんなに怖いんだろう。だから私、臨也さんがまた私に微笑んでくれて、本当に嬉しかったんだ。正臣は隣で嫌な顔してたけど。

そんな訳で、私たちも臨也さんに雇われることになりました。うちには優秀な秘書が2人いるから、君たちにはおつかいを頼もうかな、って。所謂、出張みたいなものなのかな?もう暫くは帰って来れないと思います。それで私、思ったんだ。どんなに強がったって、正臣も私も所詮まだまだ子どもだね。こうして大人の力を借りないと結局は何も出来ないんだなって、改めて思いました。だけど、不思議。正臣となら何だって乗り越えられるような気がするんだ。どうしてだろうね?これも惚れた弱みってやつなのかな。



ーー欠点すらも、それさえも愛しくて、



幸せって、きっと誰にでも平等にあるものなんだね。私にはずっと無縁だって思い込んでたのに、今はこんなにも幸せです。私、みさきと会えて本当に良かった。みさきがいなかったら何も出来ずに、こうして正臣の隣にいることもなかったと思う。本当に色々なことがあったけど、やっぱり私、臨也さんのこと嫌いになんてなれなかったよ。塞ぎ込んでいた私を救ってくれたのも、正臣やみさきに会わせてくれたのも、全部臨也さんのお陰だもん。だから例え臨也さんが私のことを都合の良い駒だとしか思っていなかったとしても、私はそれでいいと思います。……恨める訳がないよ。臨也さんが私の恩人であることに変わりは無いから。

最後に、ずっとみさきに言えなかったことがあります。言ったらみさきがすごく悩んじゃうと思ったから、なかなか言えなかったの。ごめんね。臨也さんのことなんだけど……臨也さんは本気でみさきのことが好きだと思う。私、臨也さんとはそれなりに付き合いが長いから、そういうの、すぐに分かるんだ。確かに臨也さんを慕う女の子はたくさんいるし、本気で恋してる子も中にはいたけど、私が知る限り臨也さんが誰かを例外に好きになることは1度もなかった。これってすごいことなんだよ?みさきにはシズちゃんさんがいるから、きっと臨也さんの恋が実ることはないんだろうとは思うけど……私にとってはどっちも大切な人だから、どちらかだけの応援は出来ないと思う。ごめんなさい。みさきにはシズちゃんさんと幸せになって欲しいと思う反面、臨也さんにも同じことが言えるんだ。……ううん、違う。私は単なる八方美人で、誰にも嫌われたくないだけなのかもしれない。やっぱり、卑怯者なのかもね。



だけどーー





「沙樹」

「……何?正臣」

「お前、よく酔わないな?さっきから真剣に何してんだよ」

「みさきにメールしてたの」

「メールって……長ッ!まさか、俺への不満を……!だから悪かったって!でも、沙樹も友達なんだから分かるだろ?みさきさんにはこう、醸し出される大人の色気が……!」

「ふふっ、違うってば。でも、確かに……ちょっと長過ぎるかも」

「向こうに着いたら電話すればいいじゃんかよ」

「声聞いたら、帰りたくなっちゃいそうなんだもん。誰かさんと同じようにね」

「うっ……それを言われるとお終いだな」

「ねぇ、正臣。悪いところ、一緒に直していこうって言ったけど……私、もう1つ見つけちゃった。欠点」

「? なんだよ」

「卑怯者なところ……かな?」

「沙樹が卑怯者なら、俺もだな。それも全部ひっくるめて、全部直してけばいいじゃんかよ。一緒に」

「……そう、だね」



ーー『一緒に』ーー



みさき。また会おうね。いつになるかは分からないけど……それでも、約束しよう。約束があれば、私はまた池袋に帰って来られる気がするの。これからまだまだ大変なことがたくさんあると思う。だけど、どうか本当に大切なものを見失わないで。大切なものは時に重みにもなるけれど、糧にもなるものだから。

また会える時までーーじゃあね。



ガタンゴトン、列車は進む。小さくも大きな思いを2つ乗せ、都会の謙遜から離れた長閑かな景色を車窓に映しながら。流れ行く山々の風景を眺めながら少女は思う。人は誰しもが何かを恐れていて、自分を守るために偽り、時には卑怯者になったりもする。しかし、それは当たり前のことなのだ。開き直る訳ではない。それを理解した上で補える何かを探せばいい。完璧な人間などいないのだから、人はこんなにも弱く、そして強くもなれる。これまでの道のりは決して楽なものではなかったが、全てが今の幸せを築くための基盤となったのだと振り返ってみてそう思える。これからはこの幸せを守る努力をしよう。今度は待っているばかりではなく、自分自身の力で。



♂♀



「……それで?ひとまず一件落着といったところかな」

『まぁな、色々と世話んなったな』

「本当にそう思うのなら、血液の1滴や2滴サンプルとして頂戴よ。……てのは冗談で。いや、結構本気なんだけど、今はそういうことにしておこう。今、受話器越しに血管切れる音が聞こえたよ?……それにしても、君は相変わらず滅茶苦茶だよねぇ。セルティから聞いたよ。なんでも、道路標識を車に向かって投げ飛ばしたそうじゃないか。恐らく警察の一部は君の仕業だって勘付いてるだろうけど、きっとチームの抗争の件でそれどころの話じゃないんだろうね」

『これからは少し気ィ付けるわ。みさき曰く6万8千円らしいからな」

「6万8千円?それ、何の話……?」

『あ、そうだ。一応医者であるお前に聞くけどよぉ、両腕の関節が動かない時の対処法ってのはどうすりゃいいんだ?』

「脱臼!?静雄が!!?いやいや、一体どんな無茶してそんなことになったのさ!道路標識引っこ抜くなんて日常茶飯事だし、だとしたら余程のことを……まさか落下してきた隕石でも素手で受け止めたかい?」

『お前、それマジで言ってんのか……?つか、俺じゃねぇよ。みさきがさ、転んだ拍子にどうやらやっちまったらしい』

「あぁ、なんだみさきちゃんね。それは心配だなぁ。痛みはあるのかい?」

『痛みはそれ程でもないらしいが、見た感じ今のところ腫れてもねぇな』

「腫れは時間差で現れるものさ。とりあえずは何かで固定して、安静にしておくことをお勧めするよ。1番良いのは病院に行くことだけど、なんなら僕が診てあげても……」『いや、いい。俺がどうにかすっから』

「えっ」

『なんだよその反応』

「いやぁ……傷口は瞬間接着剤つけとけばどうにかなるとか考えてる時点で、君に人の手当てとか無理でしょ。言っとくけど、突き指は引っ張れば治るなんて荒治療は迷信だからね?」

『そっ……!んなことは……、知ってるに決まってるだろーが』

「うわぁ、みさきちゃんが物凄く心配。分かった分かった。君がみさきちゃんにいいところ見せたいのは分かったから、1度本人に代わってくれない?専門知識もないのに下手なことしたら、症状次第では後々大変なことになり兼ねないよ?」

『ッ……、分かった』



『えーと、あの……新羅さん?』

「やぁ、みさきちゃん。ようやく落ち着いた矢先にとんだ災難だねぇ。話したいことはたくさんあるけど、ひとまず腕の症状を聞こうか。ちなみに今、受話器はどうしてるんだい?」

『シズちゃんに持っててもらってます。けど、痛みは随分引いてきたので……』

「もしかしたら亜脱臼かもしれないねぇ。それなら外れた関節も自然と元に戻るんじゃないかな。ていうか、もう元に戻ってるかも。ただ、しばらくは安静に……出来るだけ動かさないでね」

『わ、分かりました』

「まったく、静雄も静雄だよ。そうやってすぐ自分の力でどうにかしようと思うんだから。好きな人の前で格好付けたい気持ちは分からなくもないけど、まずはそれ相応の常識的知識を……」

『悪かったな、常識なくて』

「あれれ?いつの間に代わってたの?ていうか、一体どのあたりから聞いて……」

『ま、あとは俺がどーにかすっから。身の回りのことは全部俺が引き受けるからさ。そうすりゃあ、例えみさきが”両手を一切使えなくても”誰も困らねぇよな』

「……うん?」

『あぁ、そうだ。俺が銃で撃たれた時に使った包帯、あれまだ確か残ってたよな。ほら、新羅からもらったやつ。あれ、使わせてもらうわ』

「えっ、ちょっと待って静雄。君、まさかロクでもないこと考えてない……?」

『……』

「……」

『さぁ?』

「なに今の時間差」

『そんじゃ、そろそろ切るわ。今からしなくちゃいけねーこと、たくさんあるし。俺が責任持って療養させるわ」

「あぁ……うん。お大事、に……?」



『上がったぞ、新羅。今日の風呂の湯加減は最高だった……って、受話器片手にどうしたんだ。そんなところで突っ立って』

「やぁ、おかえりセルティ。いやなに、ついさっきまで静雄と話しててさ。どうやらみさきちゃんが怪我しちゃったようで」

『みさきちゃんが!?それは心配だな。お前が診てやらなくても大丈夫なのか?』

「本当は医者に診せた方がいいんだろうけど、静雄がねぇ……何もなけりゃいいけど」

『なんだか意味深な言葉だな』

「まぁ、その、結論から言うと……」



「拘束プレイが好きなのは僕だけじゃなかったって話さ」

『ほぉ?なんなら今からその口を縛ってやろうか』

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