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数時間前
新宿 某マンション


ガスマスクを着けたまま冷めてしまった紅茶をストローで啜る目の前の男は、そのふざけた外見からは想像もつかないような真剣な声で様々なことを語る。互いにデュラハンについての考察を交わした後、彼は帰り際、淡々とした声でこう言った。



「しかし君は……呆れる程に卑怯な男だな」



そんな分かりきったことを言われ、特にどうこう反論するつもりはない。余裕の笑みを浮かべたまま、その皮肉げな言葉を受け流す。どうやら森厳は2年前の抗争の一件に俺が絡んでいたことに気付いたようで、更には沙樹を含む少女達のことまで調べ上げていたようだった。この男は知っていた。俺が少女達を利用し、危険な目に遭うと分かっていた上で指示を下していたことを。確かに俺はその通りのことをした。だが、強要はしていない。彼女達は自ら進み、俺の役に立つことを望んだのだ。例えそれが己の身を滅ぼすと分かっていたとしても。

敢えて否定も肯定もせず、俺は微笑み混じりで話す。



「沙樹達は……あれは、可哀想な子達ですよ。それだけに愛おしい」

「その哀れな君の操り人形がかね。高校生の頃から君はそんな事ばかりしてたらしいな。新羅がよく『あいつは本当の愛が解ってない』とぼやいていたよ」

「首無しフェチの変態には言われたくなかったなぁ……」



少女達には凄まじい過去があった。家族や恋人に強い虐待を強いられ、それでも嫌う事も憎む事もできず、八方塞がりになった哀れな人間。その弱り切ったところに救いの手を差し伸べた俺は「神」のような存在となり、彼女達からの信仰に近い厚い信頼を手に入れた。だからこそ、思うがままに操るのは容易かった。きっと俺が死を望んだとして、彼女達は迷いながらも一緒に死んでくれるだろう。俺の手で殺されることですら本望ーーそうなるように俺が仕向けた。



ーー例外といえば、みさきはそう上手くはいかなかったけどねぇ。

ーーだからこそ、俺は……



「リャナンシー……って、知ってますか」

「アイルランドやスコットランドで伝承として語られる妖精だろう?気に入った男を取り殺すという」

「そう、男を誘惑し、男が愛を受け入れれば才能を与え、命を奪ってしまう。……代わりに、男がその愛を拒めばーー男が振り向くまで、健気な奴隷であり続ける女の妖精……。沙樹達は、そんな存在なんですよ。だけど、今はもう……沙樹は、紀田君の虜になってしまった。だから……紀田君は伝承にある詩人の如く、命を削られるのでしょう。これまでも、これからも」



ーー……いや、待てよ。

ーー俺は誰のことを言ってるんだ?



紀田君を心底哀れむつもりでそう言った。だが、自分で言葉を紡いでいるうちに気付く。これはまさしく、みさきのことを言っているのではないかと。状況は違えど、沙樹とみさきは何処か似ている。だからこそ沙樹はあんなにもみさきに懐いていたのだろう。彼女が俺以外に心を許す相手などたかが知れている。それこそ、紀田君とみさき以外にいないではないか。



「詩人にとって、命を削られた事は不幸だったのだろうかね?」



森厳の問いに、俺は小さな溜息を吐く。そんなことはどうだっていい。だがーー仮に詩人が俺だとして、相手のリャナンシーがみさきだったらどうだろう。彼女からの愛を拒む事などあり得ない。
ーーっていうか、そんな状況そのものがまずあり得ないんだけどね。

ーー……当然、受け入れるだろう。

ーーそれで命を奪われたっていいじゃないか。それだけ詩人も妖精を愛していた……そういう事なのだろう。



「本気でその妖精を愛していたらなら、幸せかもしれませんね。例え、自分が不幸になると気付いても、それすらも含めて……幸せなんじゃないですか?」



♂♀



雨の降る中、シズちゃんと並んで道を歩く。今頃紀田君と話しているであろう沙樹のことを想いながら。

私と沙樹の予想はやはり当たっていたのだ。運び込まれた怪我人というのは正真正銘紀田君であった。それを確信したのは、門田さんの口から事情を聞かされた時。どうやら門田さん達が紀田君を病院まで運び込んだらしく、たまたま空いていた個室が沙樹の病室と同じフロアであった為、廊下で話していた私たちは必然的に彼と遭遇する。



「紀田のやつ、自分からこの病院がいいっつったんだ。待ってる女がいるからってよ」

「えっ……?」

「ちなみに部屋はすぐそこだ。……行ってやれ」



一連の事情を聞いた沙樹は今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべ、それでもその足は真っ直ぐと教えられた病室へと向かっていた。

病院を出るまでの数分間、門田さんとの会話は他愛のないものから始まる。



「あんた……みさきだっけか?まさかこんなところで会うなんてな」

「お久しぶりです、門田さん」

「静雄とはどうだ?今は一緒じゃないみてぇだが……」

「外で待っててもらってます。これから私も帰るつもりです」

「そうか。ま、なんやかんや上手くいってるようだな。ここ最近は静雄の荒れた噂も聞かねぇし、黄巾賊の件もひとまず収集が着いたようだからな。もうしばらくは何も起こらなきゃいいんだが……」

「ふふっ、門田さんがダラーズの幹部だって言う人が多いのも頷けますね」

「おいおい、やめてくれよ。俺はそんなつもりはないぜ」



本人はそう言うものの、事実、池袋の治安が守られているのは間違いなく彼の行いあってこそだと思う。2年前も門田さん達が沙樹のことを助けてくれたのだと彼女の口から聞いていたし、会う度にシズちゃんを気遣うようなことを言ってくれるのも彼なりの優しさなのだろう。話をすればするほど、改めて良い人だなと実感する。



「そういや、狩沢には気ィ付けろよ。あんたのこと、まだ諦めていないようだったな。今度イベントがあるからって、色々と計画を練ってたそうだ」

「計画!?」

「どうやらコスプレとやらをさせたいらしい。俺からも程々にしとけと釘は刺すが……興奮した狩沢を宥める自信はない」

「す、すごいですね……門田さんにも止められないなんて……」

「まぁ、もしもの時はチームの連中呼んでなんとかしてやるさ。それこそ、ダラーズ出動ってやつだ」



そんな門田さんとの会話を頭の中で思い返しながら、私はふと、シズちゃんの横顔をチラリと見る。その時互いのタイミングが丁度良かったのか、同時に目が合った瞬間に思わず顔を逸らしてしまった。反射反応というものだろう。しかし「どうして目を逸らすんだ」と突っ込まれてしまい、うっと口ごもる。理由なんてない。強いて言うのなら、ただ少し恥ずかしいだけなのだ。



「本当は色々言いたいこともあるんだが、今は……まだやめとく。みさきが今こうして隣にいるってだけでいい」

「シズちゃん……」

「あ、もちろん薬の件は落とし前つけてもらうからな。お陰で今でも身体が鈍ってやがる」

「……嘘だぁ……鈍った身体であんなに見事なフルスイングできる訳がないよ」

「それとこれとは話が別だ。さて、どうしてもらうかなぁ……」

「ちょっ……!」



私の意見なんてお構いなしに、勝手に話を進めていくシズちゃん。それを止めるべく慌てて彼の身体を揺するが、耳を塞ぎ「聞こえねぇな」と一切聞く耳を持ってはくれない。夜道でぎゃあぎゃあと喚く私たちは、側からしたらただのいい迷惑でしかない。それを一応は考慮し、声量を抑えて訴えを続けるがーー

辺りが暗く、注意散漫なのも悪かった。足元に転がる石ころの存在に気付けず、私の足は見事それに引っ掛かる。ぐらりと傾いた身体を「危ない」と察したシズちゃんが瞬時に支えるも、重力という逆らえない重みは軽減されず、2人の身体は同時に車道へと倒れ込みーーそこへ突如、トラックのクラクションが鳴り響いた。



暗転、暗転、暗転ーー
騒音、衝撃、激痛ーー





それはあまりにも突然の出来事で、暫しの間、頭が着いて行けずにいた。身体中を駆け巡る痛みを感じつつも、幸い意識ははっきりとしている。どうやら車道へと倒れ込んだ私たちはタイミング悪くもトラックに轢かれ、道路の反対側へと転がってきたらしい。仰向きのまま呆然と空を仰ぐ私の身体を、身を呈して包み込むように抱き締めるシズちゃん。その表情は窺い知れず、私の顔の真横で伏せるように埋めている。

サァッ、と血が引くような感覚にひやりとする。私自身、大量に出血しているような目立った外傷はないと思われる。問題は頭部だが、彼の手が頭を庇ってくれたお陰でこれといった異常もない。しかしーー肝心の彼はどうだろう。トラックに轢かれる間際、彼が瞬時に私を庇ってくれた光景が目にしかと焼き付いている。車体は確かにシズちゃんの身体と真正面から衝突し、普通ならば即死してもおかしくない程の大きな衝撃だった。もし彼が庇ってくれなかったら私は間違いなく死んでいただろう。そんな生と死が隣り合わせの現状が未だ飲み込めず、ひとまず私は彼の安否を確かめようと言葉を探すがーー

「……いてぇ」

「!! し、シズちゃ……!」

「……〜〜ッ、馬鹿野郎!ったく、俺がいなかったら死んでたぞお前!!」

「ごっ、ごめんなさいごめんなさいいい!!耳元で怒鳴らないでーー!!」



何故か彼は驚くほどにぴんぴんとしており、全くの無傷。



ーーまぁ、シズちゃんが頑丈なのは知ってたけど。なんせ、銃で撃たれても平気だし……

ーーそういえば以前、新羅さんが「臨也と静雄の喧嘩は何でもありだからね。車や爆弾、薬物なんかも」なんて物騒なことを言ってたっけ。



頭を過ぎった嫌な考えは一瞬にして良い意味で打ち砕かれ、シズちゃんはバーテン服についた土埃を叩きながら「くそっ、幽に貰った服が汚れちまっただろーが」とぶつくさ文句を溢していた。



「そういえば、トラックの方は大丈夫だったのかな」

「ぁあ?……そういや、俺らを轢いたトラック、何処行きやがった?」

「え?」



そう言われてみれば確かに、私たちを轢いたトラックが何処にも見当たらない。それどころか人っ子1人いない夜の小道は私たち以外の存在そのものが感じられなかった。もし轢かれたのが私たちでなかったら、良くて重体、最悪死に至ることもあっただろう。道路側に倒れ込んだ私に非があるのは確かだが、これは轢き逃げという罪に値するのではないか。もしくは運転手が轢いたことに気付いていないケースも考え得るが、あれだけ派手な衝突をしておいて気付かないとは考え難い。

逃げられた、と気付いた時にはもう遅かった。トラックは何事もなかったかのように遥か彼方を走っており、ここからではナンバープレートを確認することもできない。残された私たちにできることと言ったら、土埃を撒き散らしながら走り去るトラックの姿を見送ることくらいだろう。



「!!? あんにゃろ……!」

「なっ、何するつもり!?まさか追い掛けるなんて言わないよね!?」

「当たり前だろーが!みさきに怪我させたこと詫びさせなきゃ気が済まねぇ!!」

「私はこの通り大丈夫だから!ていうか、さすがにシズちゃんでも無理だって!……ちょっ、なに道路標識引っこ抜こうとしてるの!?まさか、また投げつける気!?さすがに2本目は駄目ーー!!!」



私は知っていた。道路標識1本にどれだけのお金が掛かっているかということをーー興味本位で『道路標識 値段』と検索した結果、直後に「知らなきゃよかった」とパソコン画面から視線を逸らしたのは今でも苦い思い出である。



「6万8千円だよ!シズちゃん、6万8千円!それプラス人件費なんて上乗せしたら大変な金額になっちゃうんだからねーー!!」

「ぐっ……!」



必死な説得の甲斐あって、やがてシズちゃんは諦めたように道路標識から手を引く。彼の怒りボルテージはなかなか下がりそうにないが、こうして『最高速度60キロ』の道路標識は一命を取り留めたのである。



「つか、あのトラック時速60とかないだろ。絶対ぇ80は出してたろ」

「シズちゃん、免許持ってたっけ?」

「いや?」

「……そう」

「チッ、とりあえず帰ろうぜ。いつまでこんなとこで寝てるんだ」



そりゃあ私だって、どうせなら堅いコンクリートの道路ではなくふかふかのベッドで眠りたい。立ち上がることすらままならず、ぺたりと座り込んだ私は、差し出された手を取るべく腕を伸ばそうとするがーー「あれっ?」これがなかなか上手くいかず、思い通りに身体が動いてくれないのだ。頭でどんなに動けと命じても、その指令は腕の運動神経にまで至らず、ただじんわりとした痛みだけが遅れて返ってくるだけ。どうやら轢かれて転がった際に両方の腕を痛めたらしい。命に別状はなかったものの、両腕が使えないのは正直堪える。

私の異変にいち早く気付いたシズちゃんが「病院」と言いかけて、すぐにまた口を閉じる。そして何を思いついたのか、にっこりと満面の笑みを浮かべたのである。笑顔は見る者に安心感をもたらすと言うが、彼のこの笑みは全くの逆効果だ。思わず仰け反る私を軽々しく抱き上げ、シズちゃんはとんでもないことを言い出した。



「いやほら、苦労は若いうちに買ってでもしろって言うだろ?人の世話とか介護?とかさ、結構興味あったんだよなー俺」

「うわぁ、嘘くさい。嫌な予感しかしない。病院行くから降ろしてよ」

「却下。行くならこのままの状態だけど、いいのか?」

「!? いやいや、お姫様だっこで病院連れて行かれていいのは少女漫画の中だけだよ!」

「? なに意味分からねぇこと言ってんだお前」



結局、私はされるがままシズちゃんに抱き抱えられて帰宅した。その間、何度「降ろして」と訴えたかは数え切れない程である。災難再来。明日からの生活に不安を感じつつ、私の新たなる怪我人生活が今日から幕を開ける。

この時私たちを轢いたトラックの運転手とは、後にまた別の形で会うこととなるのだがーーそれはまた後先のお話。

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