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とても騒がしい夜だった。バイクの騒音や若者たちの怒号、それよりも胸のざわめきが何より酷かった。罪歌の子やその持ち主本人との距離が近ければ近いほど、数が多ければ多いほど、比例するようにそのざわめきは激しさを増す。これまでに幾度かそれを察知することはあっても、これほどまでの違和感を感じたことはまずない。よほど多くの人数の罪歌の子が集まっているのか、それとも行く先に罪歌の大元そのものが待ち構えているのかーーどちらにせよ危険であることは明白だ。騒音が遠くで鳴り響くのを聞きながら、私とシズちゃんは車通りの少ない道路の真ん中に立っていた。

時折吹く風が前髪を揺らし、ひゅうひゅうと風音を鳴らす。とても静かだ。互いに言葉を発することもない。そんな中、私はふとこんなことをぽつりと口にしていた。どうして突然こんなことを言うのか自分でもよく分からなかったが、こう改まって聞く機会というものもそうないと思ったのかもしれない。



「ねぇ、シズちゃんは後悔してない?」

「何を」

「私と出会ったこと」

「なんだそれ、どういう意味だよ」

「色々なことがあって、振り回されて、きっと私がいなかったら……シズちゃんにはもっと平和な日常があったのかもしれない。そう考えたこと、ない?」



名前こそ出さないが、もしかしたら臨也さんとの仲がここまで拗れることもなかったかもしれない。ここ最近、そんなことばかり考えている。



「みさきは後悔してるのか?俺なんかと出会っちまって」

「そ、それはない!」

「はは、それ聞いて安心したわ。俺だって同じだ。みさきと会って後悔したことなんて1度もない」



はっきりとそう言い切る彼の言葉からは迷いなんてものは一切感じられず、だからこそ信じられた。しかし、その自信は一体何処から湧いてくるというのだろう。



「言っておくが、俺はみさきのいない平和な日常なんて望んでねぇし、もしそんな世界があったとすれば……きっとつまらない人生なんだろうな」

「……」

「夢を見たんだ。真っ白な世界で、1人の夢。ふわふわしてて、心地良くて、けど、幸せだとは思えなかった。なんつーか……心にでっかい穴が空いたというか……多分、寂しかったんだと思う」



遠くを見据えたまま、その視線で何かを捉えたシズちゃんがゆっくりと前へ歩み出る。そして私に下がっているよう手で指示すると、胸ポケットからおもむろに取り出した煙草を口に咥えた。ぼんやりと薄暗い中、仄かなライターの青い炎が彼の手元をゆらりと照らす。



「平和に越したことはねぇが、それが幸せだとは限らねぇだろ。ま、色々事が済んだら田舎に引っ越すってのも悪くねぇかもな」

「田舎……」



田舎=大自然というのも漠然としたイメージではあるが、田んぼや畑、山々や動物たちに囲まれた長閑かな生活を想像する。それはあまりにも極端で、今の生活から大きくかけ離れているからこそ思わず笑ってしまった。



「あは、山へ芝刈りにでも行くの?」

「それじゃあみさきは川で洗濯だな」

「シズちゃんなら鉈なんか使わなくたって、大きな桃も割れそうだね」

「桃を割るのは婆さんの役目だろ」



ま、そのぐらいの年齢まで生きていればの話だけどよ。そう最後に付け足したシズちゃんの言葉がやけに耳に残った。彼にとっては何気無い一言でも、なんだかとても意味のある言葉のような気がした。自分たちは果たしてどのくらい生き永らえていられるのだろう。生きたいとは思う。が、それだけの年月を経た未来の自分を想像できない。私だけでなく、彼らのことも。しかし「なんてツラしてんだ」とシズちゃんに小突かれ、きっと深い意味なんてなかったのだと思い直す。ククク、と笑みを溢す彼の横顔はそんな私を安心させてくれた。

その時、一際大きな叫び声が辺り一面に響き渡る。地鳴りのような音と共に車の発進音が耳を劈く。急発進、急カーブ、急降下ーーかなり無理な運転をしているのだと音だけで分かる。その無謀で強引な運転をする輩はどうやらこちらへ向かっているようで、音はもうすぐそこまで迫っていた。この辺りの工場通りは閑散とした長い直線が続いており、方向転換などと融通の利かない構成になっている。間違いないと自信をもって断言できるほど、ここを通過する可能性は極めて大きい。



「!?」

「おっ、来たな」

「あ、危ないよシズちゃん!そんな真ん中に立ってたら轢かれちゃうよ!」

「大丈夫だって。みさきはそこから動くなよ?怪我するかもしんねーから」



こちらを指差してにやりと笑う表情からは余裕すら感じ取れる。そして次に取った彼の行動とはーー道路標識を文字通り「引っこ抜く」ことだった。そして私は確信する。「鬼に金棒」ならぬ「シズちゃんに道路標識」。武器を手に入れた今の彼に怖いものなんて何1つないのだ、と。

それからの展開は秒読みである。あっという間の出来事だった。車はこちらに向かってスピードを緩めるどころか更に加速し、むしろ轢いてしまえと言わんばかりに突進してくる。仮にシズちゃんの存在に気付いていないとしても、道路の不自然な位置に道路標識なんて奇妙な光景が見えていないとも思えない。つまり彼らはこちらの存在に気付いていて、尚、避けるつもりがないのだろう。そんな確信犯たちを乗せた車との距離は徐々に縮み、残すところ僅かとなったと同時にシズちゃんは道路標識を担ぎ上げーーニィ、と凶暴な笑みを浮かべたのだった。



『うごぉぉおおごごおおおぉぉ!?』



横薙ぎにフルスウィングされた道路標識。形容しがたい破壊音。綺麗にハモった男たちの絶叫ーー屋根が完全に消え去った歪なものへと変わり果てたその車は、その後も止まることなく逃走を試みるも、シズちゃんが当然それを許すはずもなく。



「逃げてんじゃあ……ねえぇぇぇぇぇぇッ!」



槍のように真っ直ぐ投げつけた道路標識は見事車に命中し、深々と突き刺さったのだ。その様子を唖然と眺める私を他所に、シズちゃんは「うしっ」とガッツポーズを決める。そしてやり遂げたような晴れ晴れとした表情で額を拭うと、まるで何事もなかったかのように「面倒事になる前に帰ろうぜ」と言うのだった。彼の鬱憤が晴れたところでひとまず一件落着、のようだ。



♂♀



来良総合病院


病室に向かう途中、自分の足で立つ沙樹と遭遇する。病院内であることに変わりないが、病室ではない場所で会うのはとても久方ぶりのような気がした。沙樹は私と目が合うなり「おかえり」と言って笑う。私たちを取り巻く雰囲気とは裏腹に、病院内はなにやら騒がしかった。場所は同じ病棟の同じフロア。つい先程までの抗争で怪我をした者が運び込まれてきたのだろう。なんとなくその人物には察しがつく。それは沙樹も同じようで、どことなくそれらしい態度が見て取れる。



「気になって仕方ないって顔してるね。会ってきたら?」

「会えないよ。それに、どんな顔したらいいか……」

「今はまだ慌ただしいから、もう少し後の方がいいかもね。……っと、面会時間過ぎそう。人を待たせているし、私もあまりゆっくりしていられないや」

「それって、シズちゃんさん?」

「う、うん」

「上手くいってるんだ。よかった」

「上手く……いってるのかなぁ。課題は多いよ、それなりに。私が変わらなくちゃ、ね……」

「大丈夫だよ、みさきなら。だって私はみさきのことをよく知ってるもん。優しくて、思いやりがあって、涙脆くて……相手の気持ちを汲み取れる人だよ。私ね、過去に色々あって、人間不信なところもあったんだけど……みさきのことは信じられたよ」



沙樹の家庭の事情は臨也さんの口からそれとなく聞いてはいたものの、内容が内容なだけに本人に聞く訳にもいかず、それ以来触れることはなかった。だからこそ今、こうして本人の口からその話題が出てくるとは意外だ。思わず言葉を失う私に対し、沙樹は一切動じない。辛い過去を克服したからこそ、彼女は今こうして強くいられるのだろう。しかし、次に発した彼女の声はとても弱々しいものだった。



「臨也さん、私のこと嫌いになるかな……?私、電話で話しちゃったの。臨也さんに言われていたこと、他の人に話しちゃいけないこと。どうしてもじっとしていられなかったから……助けて、って」

「……それ、誰に話したの?」



私の問いに、沙樹は廊下に設置された公衆電話下の電話帳を指差して答える。



「露四亜寿司」

「へっ!?」



そのあまりにも予想外な答えに、思わず声を出して笑ってしまった。露四亜寿司とはロシア人が経営する池袋では有名な寿司屋のことで、そこで働くサイモンさんとは顔馴染みである。臨也さんがそれなりの頻度で出前を利用していた為、電話番号が電話帳に登録されていたことは知っていたがーーまさか出前用の番号先に助けを求めるとは。しかし、助けを求められるような人物が他にいないからこそ、彼女なりに必死の思いで縋ったのだろう。確かに元軍人だったのではないかという噂は知れ渡っているし、あのシズちゃんと対等に渡り合える数少ない相手であることも有名である。

そうか、と私は1人納得する。誰だって人に嫌われるのは怖い。私も臨也さんに嫌われたくないという思いがあったからこそ、彼との関わりを切ることができずにいた。それは私が優柔不断で強欲なせいだと決めつけていたけれど、私に限った話ではないのかもしれない。それは良い方向に無理矢理解釈し、開き直っているだけだと批判する人もいるだろう。それでも、自分以外に同じことを思い、悩んでいる人がいることを知り、心の何処かで安堵している自分がいた。



「それよりも、沙樹は彼に言わなきゃいけないこと、あるでしょう?なら、絶対に会うべきだよ。直接会って、話さなきゃ」

「それに……ほら!彼、今入院中ってことは逃げられないってことだよ?こんなチャンス、滅多にないんだから!」





それから看護婦さんに面会時間の終わりを告げられるまで、私たちは心の底から笑い合った。帰り際に彼の病室へと向かう彼女の背を押す。私からの、精一杯の後押し。それからのことは本人たち次第だ。きっと互いを深く想い合っている2人ならどんな困難も乗り越えて行ける。

そんな2人を見ていて、改めて思ったことがある。私の本当に大切な人が誰なのかをーー



「シズちゃん!」

「おう、用は済んだのか……って、ぅお!?どうしたいきなり」



病院の中庭にある喫煙所。日が暮れ、ぼんやりと街灯が浮かび上がる中、煙草を片手に一服する彼の背中へと勢いよく抱きついた。突然の出来事に煙草を落としそうになるも慌てて取り繕い、少し照れた様子で首だけをこちらへ向ける。広くて大きな背中は暖かくて、その温もりに安心する。嫌いだった煙草の匂いも今だけは苦にならない。「ただいま」と言えば「おかえり」と返してくれる人がいるーーなんて幸せなことか。



「私、やっぱりシズちゃん好きだなぁ」

「!!?お、おま、そーいうこといきなり言うとか……!!」



途端にぼっと顔を赤く染め、まるでやかんのようにシュウシュウと湯気を上げるシズちゃん。そんな初々しい反応や、時折見せる強気で妖艶な態度も含め、改めて私は彼のことが好きなのだと実感した。

この時の私はまだ知らない。今回の騒動はただの序盤でしかないのだ、と。これから先起こる事件は更に血生臭く、そして簡単に人が死んでいってしまうようなーーそんな非日常が待ち受けているとは夢にも思わず。



♂♀



埼玉 とある廃工場


「……参ったな。こりゃ参った」



荒れた一面、倒れた族のメンバーたち。ひしゃげたパイプ菅やら折れた木材が辺りに散乱する中、俺はここ最近立て続けに起きている夜襲に頭を悩まされていた。犯人の詳細は一切不明。一部では他県のカラーギャングによるものだと噂されているが、あまりにも情報量が少ない為、確信までには至らない。



「俺の責任でもあるよなぁ。なんせここ最近、池袋方面ばかり通い詰めてたからよぉ」

「そ、そんなことないっすよ!総長が留守の間、俺らが無力なばかりに……!」

「いんや、お前らは悪くねぇよ。悪ぃな、俺の個人的な用事に付き合わせちまって」

「いえいえ!……それで、分かったんすか?その……ブクロで流行ってた切り裂き魔とやらの正体は」

「いやなに、俺の想い人がやけに切り裂きを気にしてたから、少しでも力になれたらと思ってはいたが……もう、それどころの話じゃねぇよなぁ?身内が訳の分からねぇ連中に一方的にやられてんだ。それを指咥えて見てるだけってのも示しつかねぇ」

「まさか、これも総長が知りたがっていた切り裂きの仕業じゃあ……!」

「それはねぇよ。ブクロ住みの彼女の話によると、切り裂きの凶器は刃物らしいからな。つっても、ここ最近はそれらしきニュースも見なくなったって話だぜ」



男は女に尽くす生き物だ。それが本気で惚れちまってる相手なら尚更、力になってやりたいと思うのが当然。例え彼女に俺以外の男や想い人がいようと、自分で1度決めたポリシーを曲げるつもりはない。

だが、俺は数多くの彼女たちの彼氏であると同時に、一団の総長だ。チームに属しているメンバーの安全を確保し、管理することを怠ってはならない。そのチームの均衡が危ういと思われた今、それを放って置く訳にもいかまい。



「ま、俺らもそれなりに名が知れ渡ってる訳だし、他県からチームが突然喧嘩吹っ掛けてくることも想定すべきだったな。……そんで、怪我した連中は?」

「えっと、そのことなんすけど……」



若干口ごもりながら彼が告げた実態は、思っていたよりも深刻だった。怪我を負った者の中には病院送りもちらほらいる。まだ負傷者がチーム内だけに留まっていることがせめてもの救いだが、これ以上被害が拡大してしまうことだけは何としてでも避けなければ。仮に暴走族チームに直接の関わりがない関係者、家族、友人、そしてなにより俺の可愛い彼女たちに何かあってからでは遅い。早急に対処する必要性を感じ、俺はひとまず池袋での聞き回り調査を一時中断することに決めた。

果たして犯人の情報源やルーツはどういったものなのか。もし、俺の想い人ーー#名字#みさきにまで被害が及んでしまっては、彼女の身を案じて始めた切り裂き聞き取り調査が全くの意味を成さない。



「はぁーあ、早くみさきに会いてぇなぁ」



1度口にしてしまうと、まるで湧き水のように絶え間なく願望やら夢が溢れ出てくる。自身を奮い立たせる為にも、またモチベーションを保つ為にも、俺は敢えて想い人に当たる彼女の名前を口にしたのだった。

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