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夜 みさきの部屋
ダラーズ初集会の日、私はあの場にいた。サンシャイン60階通りの――首なしライダーが現れた場所に。
"ダラーズの一員"として放っておけなかった。多分あの場にいた全ての人がそう思って集まったのだと思う。首なしライダーに首がないと判明した後も「ああ、やっぱり」と思う程度で特に驚きはしなかった。それは非日常に慣れてしまった私だからであって、普通の感性の人間は皆逃げてしまったのだろうけれど。
『人がごった返しているだろうから、あの路地裏を通っておいで。俺は少し遅れるだろうから』
臨也さんからの電話に従い路地裏に入った私。それからは指示通り、臨也さんの事務所に戻るつもりだった。だけど私は出逢ったしまった。1番逢いたくて、且逢いたくなかった人物に。
電話の着信音でハッと目を覚ます。暗い部屋でチカチカと点滅する青色の光。着信履歴があった事には気付いていたが、誰からの着信なのかまでは確認していなかったし、そもそも誰かと会話する気にもなれなくてそのままにしていたのだ。
初めは電話に出るか躊躇ったが、臨也さんの用意してくれた氷枕のおかげで頭痛も酷くはなかったし、気分も眠る前よりは優れていたので電話に出る事にする。
――誰からだろう……
机の上の携帯に手を伸ばしディスプレイを見る。画面に映し出されたのは、埼玉で馴染みの深い彼の名前。
「ろっちー?」
純粋に驚いた私は、部屋に誰もいないにも関わらず、思わず声を漏らしてしまった。受話器の向こう側にいるであろう、彼の名を。勿論、その声に答える者は誰もいない。私は通話ボタンを押すと、ゆっくりと携帯を耳へと押し付けた。鼓膜に響く久方ぶりの彼の声に、安堵の笑みを浮かべながら。
ろっちーこと六条千景と初めて知り合ったのは、今から1年前。私が埼玉に戻って来て間もなくの事。あの時は咄嗟に逃げてしまったけれど、まさかあの時のナンパ男とこんなに親しい仲になれるなんて、全く予想だにしていなかった訳で。同時に彼は、私のことをよく知る数少ない友人のうちの1人だ。とはいえ、罪歌に関しては全くのノータッチだし、シズちゃんや臨也さんの名前も一切出していない。ただ、シズちゃんと臨也さん以外の人間で、最も私の秘密を知る人物であるということだけは確かだ。
『おーみさき久しぶり!』
「びっくりしたぁ……ごめんね?電話出れなくて」
『いいっていいって!最近みさきの姿見掛けねーからさぁ。なんつーか、ちょっと心配になって』
「あぁ……うん。私今、池袋にいるんだ」
『……もしかして、アレか?池袋にいる、記憶喪失中の想い人ってヤツに会いに行ったとか』
「うーん。まぁ、結果的にはそうなっちゃうのかな」
『……へぇ』
途端に、不機嫌そうな声になるろっちー。
私は彼からの告白を受けたことがある。私は「池袋に想い人がいるから」という理由で断ってしまったが、それでも気まずくなるようなことは決してなかった。きっと明るく振る舞おうとする彼の気遣いがあってこそだと思うし、ろっちーの周りには常に女の子たちがいる事を私は知っていた。
「それじゃあ諦めるからさ。その変わり、これからも友だちとして頼ってくれよな!」
ろっちーが私に言ってくれた言葉。その言葉にどれほど救われたことか……あれ以来、こうして気軽に話せる友人として慕っている。
本当は気付いてた。ろっちーが私を本気で好きでいてくれている事に。だけど恋愛に臆病な私は未だに素直に向き合うことができない。ろっちーとは変わらず今の関係でいたい。こんなの、ただのわがままだって分かってる。それでも「傷付きたくない」「傷付けたくない」という気持ちがあまりに心を占め過ぎていて。
「やっぱり私のこと、忘れたままだった」
『……』
「ご、ごめんね!なんか愚痴ぽくなっちゃって」
『ん?いやいや、俺が聞きたいだけだから。てか、みさきが1人小さい身体に溜め込むには、ちょっとばかし重荷っしょ?ほら、俺男だし、支えになってやりたいとか思っちゃう訳よ。つーかいっそのこと、俺と付き合っちゃえばよくね?』
「あはは、また冗談ばかり言うんだから」
『んー……結構まじな提案なんだけどなぁ』
初めて交わした会話もこんな調子だったっけ。そんなことを思い出しながら、私は小さく微笑んだ。大して歳の離れていない彼とは物凄く気が合うし、もし私が普通の女の子だったならどんなに良かったことか。
だけど、私はもはや普通ではない。だから、ろっちーをこちら側の非日常に巻き込む訳にはいかないのだ。
「ありがとう。ろっちー」
『俺はなにも感謝されるようなこと、してないぜ?』
「ううん、こうやって話を聞いてくれるだけで十分だから」
『こんなことでいいなら、俺はいつだって話聞いてやるからな』
それから近々埼玉で会う約束を交わし、私は1度電話を切った。ろっちーが何を考えていて、これから何をしようとしているのか――そんな事を知る由もなく。
自分の意思なんて無関係に、様々な場所で様々な思考が交差していることにすら気付けぬまま。
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同時刻 静雄のアパート
イライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラ……
俺は今、どうしようもなくイライラしていた。だからといって怒りの矛先を見つける事も出来ず、ただただひたすらにイライラする。
「……不味ぃ」
大嫌いなビールを口に含みその苦味に舌を出す。これはいつだか幽が大量に送り付けてきたものだ。なんでも『ビールのCMに出たら企業側から貰った一部』らしい。一部とは言うが、その数はかなりの多さである。おおよそ凡人の半年分はあるんじゃないだろうか。
お裾分けするにも俺が勤めている会社の社長やトムさんたちくらいで、他に譲る宛てもない。仕方なく残り3分の2ほどは自分で片付けなくてはならないのだが、ほとんど減っていないのが現状である。ただでさえ小さい冷蔵庫がほぼビールで埋まっていて、更に物のスペースが失われている。
――どーするかなぁコレ。
――いっそのこと、ヤケ呑みでもしてしまおうか。
――……いや、明日の仕事に支障が出たら悪ぃよな。
缶を片手にウウム、と唸る。しかし、今日の出来事を思い出し、再びイライラが蘇ってきたせいで、無意識のうちにビール缶を握り潰してしまった。ポタポタと右手を滴るアルコールをペロリと舐め取り、やはり苦いので眉間にしわを寄せる。結局、ほとんどビールには手をつけず、いつしか買った賞味期限間近のプリンを食べてから、布団に潜った。足の怪我がズキズキと疼いたのを機に、ついこの間起こった衝撃的な出来事を思い起こす。
あれはセルティと公園で雑談をしていた時、首に傷のある女を見掛けて……追い掛けたらいきなり騒ぎ始めるもんだから、落ち着かせようとなだめたものの、見知らぬ男に足をボールペンで何ヵ所も刺されるやら。あの時、男に言い放った自分の言葉を思い出す。今思えば、俺なんかがあんな大口を叩けたもんじゃなかった。
「……俺の方こそ、みさきの事なんも知らねーもんなぁ」
それなのに、こうも彼女を気にかけているのは何故だろう。これじゃあ自分の発言を撤回せざるを得ない。
どうしてみさきはあんなに切なげな表情で俺を見たのだろうか……俺はあの子の名前以外はほとんど無知だと言ってもいい。他に知っていることと言えば、もしかしたら臨也の女だということだ。敢えて「もしかしたら」と言うのは、まだ『違う』という可能性を心の何処かで信じているから。
――臨也の野郎があの子を無理矢理襲っていただけかもしれねぇし……
――まだ決めつけるには早すぎる。
布団に潜ったはいいものの頭は完璧に覚めていて当分眠れそうにない。ゴロンと1つ寝返りを打ち、暗い窓の外へと視線を向ける。ぼんやりと、夜空を見た。
普段よりも多く摂り過ぎてしまったアルコール分が、俺の思考回路を狂わす。そして近々もう1度みさきに会いたいと願うあたり、もしかしたら俺は案外前向きな人間なのかもしれない。
――甘いもの食いてぇな。
――ていうか、俺がビール嫌いなの知らなかったっけか?幽のやつ。
しばらくベッドの上でモゾモゾとした後、俺は浅い眠りに就いた。閉じた瞳に映るのはいつもの夢。誰かと楽しげに話す、幸せな夢。