>渇いた獣は愛を欲す
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すぐ隣で眠るなまえの頭にそっと触れる。壊してしまわないようにと1度躊躇するが、指先で触れた瞬間柔らかななまえの髪が俺の指と絡まり合った。途端にふんわりと、俺と同じシャンプーの香りが鼻を掠める。

俺は眠るなまえの頭を優しく何度か撫でてやると、そっとベッドの中から抜け出した。そしてその小さくて華奢な身体に掛け布団を掛け直し、次いでふらりと窓際へと向かう。早朝の空気はほんの少し肌寒い、ふるりと身体を震わせつつ、俺は白み始めた空を仰いだ。



「……はぁ、」



つい零れる溜め息。胸ポケットからお気に入りの煙草の箱を取り出し、なかなか火の点かないライターで何度も試行錯誤し、ようやく煙を上げ始めた煙草を1本口にくわえる。目一杯に吸い込んだ煙草の煙が身体中に浸透してゆくのを感じ、健康の為にとはいえ到底禁煙は無理そうだと思った。

またやってしまった、昨日も喧嘩してしまった。あれは仕事を終えてトムさんと別れた後、1人路地裏を歩いていた時に何処ぞのチンピラに絡まれたのだ。今となってはそれも日常化しつつあるので、そこまでは特に問題はない。自慢出来ることでもないが、俺はこの先も喧嘩に負けることはないだろうと自負している。



――問題は、その先だ。



軽い擦り傷程度の軽傷で済んだはいいが、チンピラ共が逃げてしまった後も俺の苛立ちは続いた。他の何にも手につかないほど、とにかくイライラして仕方がなかったのだ。器物に当たってしまえば賠償金を立て替えてくれている社長に更に迷惑を掛けてしまうことになるし、何より俺は暴力が好きではない。そして暴力で解決出来ない不満や怒りは次第に性欲へと変わる。

頭の中は無だった。何にもない、真っ白のままだ。しかし無意識のうちになまえに電話を掛けてしまったあたり、俺はやはりなまえの温もりを求めていたのだろう。始終無言のまま携帯を耳に押し付け、なまえの問いかけにも答えない。だけどなまえは事情を無理に聞き出そうとはせず、ただ一言「分かった」とだけ答えた。なまえが来たのはそれから10分も立たないうちだった、恐らく怪我を治療するためであろう薬用品を手に持って。俺にそんなものは必要ないというのに。



「大丈夫だよ、静雄」


そう言って優しく微笑むなまえの言葉が、やけに胸に響いた。それから適当なホテルに連れ込んで、愛し合って。今思うと昨夜の俺はなまえを想うがあまりに、身体を求め過ぎてしまっていたかもしれない。無理をさせてしまった、なんて今更後悔したってもう遅い。



窓際に両腕をつき、煙草を口にくわえたまま視線を空から下方へと落とす。意外と高い、しかもさすが池袋というのもあり早朝から車の通りも激しかった。大型のトラックが遠い彼方へ走り去って行くのをぼんやりと見届け終えるなり、今度はなまえの眠るベッドの方向をチラリとだけ見やる。

なまえは、俺なんかを恋愛対象として好きになってくれた初めての女だ。大切にしたい、出来ることならこの先もずっと一緒にいたい。それなのに俺はいつも彼女に助けられてばかり、無理だってさせている。逆に俺はなまえのために何か出来ているのだろうかと、最近は不安を覚えつつある。



「……ん、」

「起きたか?」

「んー……」



眠たいのであろう、未だに開ききっていない瞼を擦りながらなまえが上半身だけをむくりと起こす。なまえは煙草の臭いが苦手だ。俺はすぐに煙草を灰皿の上に擦り付けて火を消すと、ベッド脇へと腰を下ろした。



「シャワー浴びるか?」

「えと、腰痛くて……まだ立てないや」



照れ臭そうに笑う。そんななまえが可愛くて、俺は堪らずベッドに乗るとなまえの唇にそっとキスした。1回きりで終わらせるつもりだった、だけどなまえが好きだという感情が止めどなく溢れ出て、それだけじゃあ物足りなくなっていた。

なまえの上に跨がる。ギシリと木の軋む音。高鳴る鼓動。なまえの全てが、愛しくて愛しくて堪らない――



「なまえ」

「なぁに、静雄」

「好きだ」

「……私もだよ」

「本当に、か?」

「?」



好きだからこそ、時々不安になる。きっと俺はなまえが思っている以上になまえが好きだ。なまえがいないと胸がはち切れそうな想いになるし、ずっとずっと繋がっていたいとも思う。それに対してなまえはどうなのだろう。どのくらい俺を好きでいてくれているのだろう。こうして一緒にいてくれているだけでも有難いのに、次第に欲張りになっていく自分に気が付いた。



「すげー不安なんだよ」

「……静雄?」

「なまえは、俺は見捨てたりしないよな?俺、なまえがいなくなったら、どうなるか分かんねぇ……」



正直な話、今はなまえさえいてくれればいい。だけどもしなまえがいなくなってしまったら、その空虚感に耐えきれず自分を壊してしまうだろう。今までに数えきれぬ程の人間を傷付けてきた、人ならぬこの力で。

俺は、弱い。誰かと繋がっていないと、生きていくことさえ出来ないのだから。



「……泣いてる、の?」



なまえが心配そうに、俺の顔を見上げてくる。



――泣いてる?誰が?

――俺?……俺、が?



何か温かなものが一筋だけ、俺の頬を静かに伝ってゆくのを感じた、確かに感じた。それでもその涙を拭おうとはせずに、涙で濡れた双方の目でただただなまえを見つめている。今はそんなことよりも、なまえの本当の気持ちが知りたい。知って、今すぐ確かめたい。

なまえは俺の頬にそっと触れると、優しく涙を拭ってくれた。そして、微笑む。



「私はいなくならないよ」

「……ほんと、かよ。本当にそう断言出来るのかよ……!」



今までだって皆俺の周りから遠ざかっていった。大切だった人、大好きだった人――いや、もしかしたら俺は自分から背を向けたのかもしれない。それでも誰も自ら歩み寄る人間はいなかった。誰だってそうだ、デミリットしかない人間を誰が好き好んで愛するというのだ。俺でさえ、自分で自分を愛せないというのに。

こんなの八つ当たりだって分かってる。だけど左の胸が痛くて痛くて――ただなまえの口から愛してると言って欲しかっただけなのかもしれない。愛されている実感が欲しかった、何らかのカタチにして欲しかった。なまえは困ったように微笑み、そして言葉を紡ぐ。



「だって、静雄が好きだから」

「!」

「これは同情なんかじゃないよ?本当に本当に……静雄が大好きだから。だから私は静雄といるんだよ」



なまえの伸ばした両手が俺の首へと回され、引き寄せられる。なまえの温かな体温が伝わってくる――



「俺、本当に自惚れてもいいのか?」

「?」

「なまえにちゃんと愛されているんだって」



なまえは暫くきょとんとした表情を見せた後、すぐに口元を緩めて笑った。



「愛してるよ、静雄」



♂♀


そして俺は日々この手で人間を傷付ける。今日は10人も傷付けた。拳は痛まない、しかし心は痛む。正当防衛だったと自分に言い聞かせ、それでもやり場のない怒りは積もりに積もる。



「なまえ」



そうだ、なまえに連絡しなくては。脳が勝手にそう判断する。俺は今日もなまえを傷付けようとしている。

頭の何処かで、それを痛い程理解していた。それでも右手は携帯を取り出し、無意識のうちになまえの携帯番号を打ち込む。俺はただその右手の動きをぼんやりと見つめていた、まるで他人事のように。電話の呼び出し音が2、3度鳴り響いた後、受話器の向こう側からは聞こえてきたのは愛しいなまえの可愛らしい声。



『もしもし、静雄?』

「……」

『……怪我、してるの?』

「……」



何故だろう、今日はいつもに増して破壊衝動が沸き上がるばかりだった。足りない、心がカラカラに渇いている。早くなまえに触れたくて触れたくて――到底我慢出来そうにない。なのにこういう時に限って、今日のなまえはいつもと違う。



『ごめんね、静雄。私、今埼玉に来てて……池袋に戻るまで、まだ時間が掛かりそうなの。用が済んだらすぐに行くから……』

「……どのくらい、掛かるんだ?」



何とか絞り出した声は、ほんの少し掠れていた。自分でも驚くくらいに、その声音はいつもと比べて低い。



『えっと、駅に戻るまで時間があるから……少なくとも2時間は……』

「……」



――……ああ、駄目だ。



一方的に通話を切り、再び携帯電話をポケットへとしまう。殺気を感じた方向へと視線を向けると、そこには先程殴り飛ばした奴等の仲間であろうたくさんのチンピラ共が、思い思いの様々な武器を手にこちらを見ていた。ニヤつかせた口元が堪らなく不愉快で、俺は思わず舌打ちをする。今日は、本当に運のない日だ。

リーダーらしき男が一歩前に歩み出て、手に持った鉄パイプで己の肩を軽く叩く。その鉄パイプは先端がぐにゃりとひしゃげていた。



「さっきはよくも俺達の仲間を可愛がってくれたじゃん?」

「……」

「この借りはきちんと返さなくちゃ、……なあ?」



やむを得ず大嫌いな力を振るう度に俺の心は痛み、傷付き、渇ききったその心を癒せるのはなまえだけ。今夜も俺はなまえを強く求めるだろう。俺の心の持ちようが弱いが為に、なまえの身体を日々傷付けていることを知っていて、それでも俺はなまえのことを手放せない。今日も心は傷付く。

俺は強くなりたい、そしていつしかなまえを守れるように。そうすることが出来たなら、きっと自分のことも愛することが出来るだろうから。だから、今はこんな俺を愛して欲しい。必ず、強くなってみせるから。

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