>あいつが愛するきみが嫌い
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「さて問題です。どうして俺は怒っているんでしょうか?」



事務所に着き、部屋に入るなり臨也は私を壁へと追い詰める。顔には偽物の笑顔を貼り付かせて、口調こそはにこやかに問い掛けた。

だけど私は知っている。この態度こそが、彼が怒っているという決定的な証拠なのだということを。臨也は次いで淡々と言葉を紡ぐ。



「ヒント1。君は数十分前までシズちゃんと一緒にいました」

「! ……どうしてそんなことまで、」

「ストップ。今訊いているのは俺であって、君じゃないから。ねぇ、答えてよ」

「……」



臨也と私は恋人同士だ。しかし同時に私は、臨也が最も嫌う人物である平和島静雄と友人関係にある。何も恋人に咎められるようなことなどしていないし、さっきだって此処に来る際たまたま静雄に会ったものだから、ただ公園のベンチに座って話していただけだ。確かにいい友人ではあるが、それ以上でもそれ以下でもない、と私は思っている。



「でも、臨也に言えないような疚しいことは何も」

「なに言ってんの。俺以外の他の男と、しかもシズちゃんと口をきくなんて、それはもう立派な裏切り行為だよねえ」

「そんな……」



どこからどこまでが浮気だなんて、それは人それぞれの価値観から生まれてくるもの。その基準がどうであれ、少なくとも友人と話をすることくらいは許されるべきではないだろうか。臨也は私に対して、どちらかというと放任主義者だ。ただし恋愛事情を除いては。

最近こういうことが増えてきたのだ。まるで私の行動全てがお見通しだと言わんばかりに、少しでも彼以外の異性と口をきけばこうして理由を迫られる。まるで浮気を疑うかのようなその口調に内心嫌な思いをしつつも、私は必死に言い訳を模索した。『久々に会ったから、つい話し込んでしまった』なんて使い古された言い訳はもう通用しない。



「……ごめんなさい」

「へえ、謝るようなことをしたんだ?なまえは」

「ちッ、違うよ!何もしてないけど……でも、謝らないと臨也が……」

「俺、が?」

「……」

「そうだよねぇ、だって悪いのはなまえだもんねぇ」



顔に張り付かせた笑顔をほんの少し歪ませ、そっと私の唇に人差し指を押し当てる。ふにふにと唇の弾力を指先で楽しみつつ、臨也はずいと顔を近付けてきた。



「じゃあさ、なまえからキスしてよ」

「!!?」

「これで許してあげるって言ってんだから、安いもんだろ?キス1つでさ」



ここまでくると臨也は絶対に引いてはくれない。恋人同士なのだから決してこれが初めてのキスではないけれど、やはり今となっても羞恥心は捨てきれない。おまけに自分からとなると躊躇しがちだ。私の目と鼻の先にまで顔を寄せ、口づけを促すかのように視線を送る臨也。明らかに私をからかって楽しんでいるのだ。

そんな彼の余裕たっぷりの平然とした態度にかちんときた私は、顔がだんだんと熱くなるのを感じながらそっと唇を重ね合わせた。互いの唇が軽く触れるだけのキスをして、チュッ、と音を鳴らしながら静かに離れる。思わず気恥ずかしさから顔を俯かせるが、これで取り敢えずは難を逃れられたかと溜め息を吐く。しかし臨也はまだ物足りなさげで、形の良い眉を潜める。



「これだけ?」

「え」

「そんなんじゃあ、1回としてカウントしてあげられないなぁ」

「な、なんで!?」



しかし臨也はすぐには答えず、私の腕を強く引くとソファの上へ押し倒した。体勢を取り直す間もなく臨也が私の身体へと跨がり、またもやニヤリと不敵な笑みを浮かべる。こういう顔は何か良からぬことを考えている時の顔なのだ。いくら臨也が細身とはいえ、私が胸板をぐいぐいと押し返そうと全く動じてくれない。

すると臨也は私の顎を右手でくいと持ち上げたかと思うと、やけに甘く色っぽい声音でこう言葉を紡いだ。



「俺が今からお手本を見せてあげるから、それを真似してごらん」



俺が優しい彼氏で良かったねえ、ケラケラと笑いながら私の顔を見下ろす。徐々に2人の距離が縮まり、目閉じて、なんて言うもんだから思わずきつく目を瞑ってしまった。途端に柔らかい感触が私の唇全体を包み込む。上唇から下唇までペロリと舌を這わせ、次第に開きかかってきた唇の隙間からすかさず舌を入れる。



「! いざ、……ッ」

「……ん」



臨也の舌は器用にも私の舌を絡め取り、呼吸する時間さえ与えてくれない。上から下まで歯列をなぞり、何度も唇を交わらせる。まるで獣のような本能的なキスに驚きつつも、私は必死にそれに応えた。普段から落ち着いた雰囲気を纏っている臨也にしては、やけに必死で激しいと思ったのだ。

何かが違う、直感でそう感じた。しかしそれを臨也に伝える術なく、どんどんと彼のペースに巻き込まれてゆく。酸素すら吸い上げられてしまう程のキス。酸欠で頭がぼんやりとしてきた頃、ようやく唇は解放された。途端に必死に呼吸を繰り返す私とは対照的に、臨也は己の濡れた上唇をペロリと艶かしく舐め取るだけで至って平然としている。



「はい」

「ケホッ、 ……?」



くいっと唇を再び寄せ、瞳を閉じる臨也。意味が分からずどうしようかと躊躇っていると、待ち兼ねた臨也が片目を開いた。



「だから、今のはお手本だから。やってみて?」

「!? むッ、無理!無理だって……!」

「だーめ。なまえからしてくれないと許さない」



ようやく呼吸が整ってきたというのに、そんなことお構い無しにねだられる。一瞬本気で彼が悪魔に見えた瞬間――実はと言うと、これが初めてのことではないのだが――せめてもの抵抗でいかにも嫌そうな顔をしてみるが、臨也は更に嬉しそうな表情を浮かべると私の首筋に口づけた。



「俺、なまえの嫌がってる表情がだぁい好きなんだよね」



苛めたくなっちゃう、なんてサディストめいた発言を口にしつつ、その細い指先で身体のラインをなぞる。

きっとこのまま何もせずには済まされないだろうと半分諦め、ゆっくりと臨也の唇へと己のそれを重ね合わせた。臨也が先程したように唇の僅かな隙間から舌を入れ、口内の温かく柔らかな感触を感じる。臨也の舌に触れた瞬間思わず舌を引っ込めてしまうも、恐る恐る再度舌先に触れてみた。



「んッ、 ……ふ」



必死に先程の臨也を真似ようと、慣れない動きで舌を動かす。互いの唾液が混じり合う水音、濃厚に絡み合う舌先。しかし上手く舌を動かせずにいると、臨也が私の頭をぐいと掴んだ。そして強く引き寄せたかと思うと更に深く舌を絡める。

すっかり主導権を握られてしまい、されるがまま幾度もキスを繰り返した後、臨也は満足げにこう言った。



「なまえは本当に良い子だねえ」



まるで可愛い飼い猫にでも話し掛けているような、いつもより優しい声音。おまけに頭を撫でられてしまいカアッと耳が熱くなった。



「……臨也は、ずるい」

「どうして?」

「これが終わったら文句の1つでも言ってやろうと思ってたのに……いきなり優しくされると、言えるものも言えないじゃん」

「俺はいつだって優しいよ。なまえが俺の言うことを聞いてくれさえすればね」



ケロリと、それでいてはっきりとそう断言する臨也。逆に何も言い返せなくなってしまった。それはきっと私が心底この男に惚れてしまっているから。惚れた弱味とはこういうことか、なんて自虐的に笑った。結局私が彼に逆らうことなど出来やしないのだから。

臨也がゆっくりと、まるで私を宥めるように言葉を紡ぐ。表情や口調はとても穏やかで、しかし何処か威圧感をも含んでいる。三日月のようにニヤリと歪んだ口端から、真っ赤な舌がチロリと覗き見えた。彼の瞳がうっすらと赤い光を放ったような気がして、束の間の穏やかな空気が一変する。



「そう、だけどなまえは俺の言うことを聞いちゃくれない。つまりは約束を破ってしまったも同然だ。約束というものは守るためのものであって、破るものじゃあないよね」

「……いざ、や?」

「もっともっと愛し合わなくちゃ。俺に強要されてやっとディープキスするくらいじゃあ、なまえの愛は感じられないなあ。……気付いてた?試したんだよ、なまえのこと。君に罪の意識がどのくらいあるのかなって。まるで駄目だね」



ゆっくりと、ゆっくりと。



「まあ、とりあえず俺の言うことが聞けた分だけ良しとしようか。口に出しさえすればやってくれることは分かったし、これからに期待ってことで」

「……何を言ってるの?」

「何って、なに?逆に俺が聞きたいくらいだ」



変わりゆく空気を肌で感じつつ、背中をじっとりとした嫌な汗が流れる。臨也は私の顔をじっと見据えたまま独り言のように呟いた。



「無知って罪だよねぇ。そう思わないかい?」

「シズちゃんなんかに愛されるなまえなんていらない。俺は、俺だけのなまえが欲しいなあ。いっそのこと、俺以外の誰にも愛されなければいいのにね」

「なまえは、俺だけを愛せばいいんだから」





ねえ、なまえ。君は分かっていないだろうね、君がどれだけ周りの人間に愛されているのかということを。

君は真っ白過ぎた。その白さはまるで汚れを知らない子どものようで、そんな君を俺の手で汚してみたくなった。なまえは白で、俺は黒。ぐちゃぐちゃに混ざり合って灰色になることが出来たなら、なんて幸せな事だろう。だけど強過ぎる黒は全てを呑み込む、例えどんなに綺麗な白だろうと。



「ヒント2。シズちゃんはなまえのことを――

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