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※今宵の立入禁止区域の続き





喧嘩ではなく、平和的な解決策ーーそんなものがこの男たち相手に存在するのだろうか。少女は尚も今いかにも怪訝そうな顔で男の顔をじっと睨み続ける。常識が通用する相手でないことくらい理解している。もしかしたら何かとんでもないことを提示してくるかもしれない。相手が只者でないことを知っていたが故、ある程度の覚悟は決めていた。

彼女には所謂ヤクザと呼ばれる輩に対する偏見があり、彼らの言うケジメというのは例えば小指を詰めることだったり全ての指の爪を剥ぐことだったり、そんな血みどろなことを想像していた。それは小説や漫画から得た誤った知識が多少混ざっていたりもしたが、そんなことを知る術もなし、もしかしたら痛い思いをすることになるかもしれないと現実味のない頭の片隅で考えていた。



「勝負しよう、おいちゃん達と」

「勿論喧嘩じゃなくて、もっと平和的なやり方でさ」



そう言って赤林がそっと懐から取り出した”それ”。それを使った勝負方法とは、プレイヤーに同じ枚数のそれを振り分けることから始まる。同じ数字の札が2枚揃ったものから場に捨ててゆき、手札をゼロとした者が勝者となるーーこれを人はババ抜きと呼ぶ。それは彼女が考えていたよりもずっとずっと平和的で、拍子抜けしてしまう程に健全な勝負であった。血が流れることもなく至って安全、ルールも簡単子供にだって出来る。

そしてーー



「ほら、早く引いてくださいよ赤林さん」

「いやいや、だってそれを引くってことは負けを認めるってことでしょう?それはおいちゃんの美学に反するっていうか、やっぱり勝負に負けるってのは格好悪いっていうか……」

「私からしてみれば、素直に負けを認めず駄々をこねるガキにしか見えませんけどねぇ。いい歳した大人が」

「……」



ーー何故、私はこの人たちと平和にババ抜きをしているのだろう。

ーーそもそも、どうしてトランプなんて持ち歩いているのだろうこの赤林って人は。



残り1枚の手札を真っ直ぐに突き出す四木と、それを引きたがらない赤林。手札に残ったスペードの4とハートのクイーンを見つめながら、なまえはそんなことを考えていた。「何故」と考え始めては霧がない。どこからどう見てもシュールな光景である。

それから20分ほどしてようやくカードを引いた赤林の手持ちは残すところ2枚。1番に上がった四木が見守る中、なまえと赤林1対1の勝負の終盤へと差し掛かっていた。今の状況に対する疑問を打ち払えぬまま、なまえは赤林の手持ちのカードを大して悩むこともなく引き抜く。その淡々とした態度に赤林は「面白みがないねぇ」と口を挟むが、次に彼女がその表情を崩したのは赤林の次の次のターンだった。巡り巡って己の元へとやって来たババ、そしてもう1枚はスペードの4。初めは淡々と感情の起伏もなくゲームを進めていたなまえであったが、終盤へと迫るにつれ心の何処かで焦りを感じ始める。トランプといえど勝負は勝負。負けたら何かペナルティがあるかもしれない。そんな不安が増幅し、表情となって表へと滲み出る。



「おやぁ?今になって焦り出しても遅いんじゃないかい、なまえちゃん」

「そういうあんたはガキ過ぎるんですよ……そうやってすぐ調子に乗る」

「なんて言いつつもゲームにはちゃっかり参加するんですよねぇ、四木の旦那は」

「不戦敗という言葉が気に食わなかっただけです」

「どうせ詐欺紛いのことでもしたんでしょう?ま、今となってはどうだっていいんですけどね……っと」

「!」



するり、私の視界から消えていったのはスペードの4。残されたババのカードに描かれたピエロは敗者となった私を嘲笑っているかのようにも見えた。



「はい、あがり」

「……」

「それにしても最後に残ったのがスペードの4だなんて、かなり不吉だと思わないかい?はてさて、一体どうなることやら」



呆気なく敗北してしまい、色々な意味で緊張の糸がぷつりと切れる。トランプなんていつぶりだろう。この歳になってそう遊ぶものでもない。「そんで、負けたからには何かやってもらわないとねぇ」その一言で忘れ掛けていた恐怖が一瞬にして蘇った。



ーーそうだ、これは遊びじゃない。

ーー勝つか負けるかを決める勝負だった……



「それは、1番にあがった私が決めることでしょう」

「へぇ、一体どんな罰ゲームを?」

「そうですねぇ」




にやにやと次の言葉を待つ赤林に対し、四木は至って真面目な顔でとんでもないことを口にする。もっとも、これにいち早く驚きの声を上げたのはなまえではなく赤林の方だったが。



「では、今夜は私の部屋で過ごす、というのはどうでしょう」



♂♀



生活する上で最低限のものしか置かれていない四木の部屋は綺麗に片付けられており、唯一テーブルの上に積まれた情報誌の山がやけに目立つ。壁にはいかにも高そうな絵画が飾られており、部屋の隅には観賞用の植木鉢が。プライベートの部屋というよりは事務所の一室という表現の方がしっくりした。ここまでの道程は若干煙草臭かったものの部屋の中はそうでもなく、煙草の臭いが苦手な彼女はほんの少し安堵する。



「……随分と綺麗な部屋ですね」

「はは、なんせ普段は大して使っておりませんから。組の幹部以上となると忙しさのあまり自宅に帰るのも面倒でして、ここに来るのも数時間仮眠する時くらいですよ」

「そんなに忙しいんですか?その、組の仕事って」

「貴女が想像しているよりは忙しいかもしれませんね。裏の世界もビジネスですから。なにも人を焼いたり煮たりするだけの物騒な仕事だけじゃあありません」



まるで一般的に持たれがちな先入観を見破ったかのように、それでも気を悪くした風には見せず対応する。組に属しているというだけで普段からある種の偏見を抱かれがちなのだろう。しかし本人は特に気に留める素振りも見せず、そんな反応にも慣れているようだ。



「貴女はあまり怖がらないのですね。我々のことを」

「……さぁ、どうでしょう。もしかしたら内心かなり怯えているかもしれませんよ」

「その台詞、心底怯えた者の口から出るとは思えませんが」



そう言ってクツクツと笑う彼は多少強面ではあったものの、一見どこにでもいるただの人間であった。その表情は廃ビルで見たものとは全くの別物で、あの時見た光景は夢だったのではないかと錯覚してしまう。今目の前で笑うこの男の笑顔と、廃ビルで見た冷酷な表情があまりにも似つかず結び付かない。

彼らの属する組のことは風の噂で耳にしたことがあった程度で、普通に生活していれば接点すらなかったし、そもそも組の存在すら疑わしかった。だが無知故にイメージばかりが先行し「怖い」「恐ろしい」といった印象ばかりが際立ってしまいがち。だから人は彼らを恐れ、遠ざける。こうして人々から違った目で見られる彼らはそのことをどう思っているのだろう。やはり人並みに傷付いたりするのだろうか。



「さて、これからどうしますか」

「!!」
「はは、そう分かりやすく怯えなくても。私は基本的に紳士な対応を心掛けておりましてね……まぁ、赤林のヤツに煽られてしまったことは認めますが」

「ほ、本当に……?何もしないって誓えますか……?」

「えぇ、恐らく」



正直信用できません、なんて口が裂けても言えまい。四木がソファに腰掛けても尚、彼女は居心地悪そうに隅に立っていることしかできなかった。それでも彼らに対する印象や考えが少しずつ変わってきていることを彼女自身は気付いていない。



「しかし、貴女と2人きりでいられるせっかくの機会ですから、何かお願いしましょうか」

「お願い、ですか?その……あまりにも難しいことは避けて頂きたいのですが……」

「あぁ、その言葉」

「?」

「堅苦しいんですよねぇ。まぁ、私が言えた口ではありませんが……もう少し崩してもらって構いません」

「崩すって、さすがに貴方たち相手に下手な口調で話せませんよ」

「それじゃあ、こうしましょう。貴女には私を1人の男として見て欲しい。粟楠会なんて肩書きなど一切抜きにして」

「それが……四木さんの望みですか」

「えぇ」

「そんなことで良ければ……まぁ、一応努力はしてみます……」



それを聞いた四木は心なしか満足気に笑い、ジャケットを脱いだラフな格好でシングルベッド脇に腰掛けた。ギシリと軋む音が静かな部屋へと響き渡り、その動作1つ1つに意識せずにはいられない。ボタンを上から2つ外し、胸元がはだけたその姿からは大人な色気が醸し出されている。これで緊張するなと言う方が無理のある話だ。そこでなまえはひとまず部屋の中をぐるりと見渡し、人が横になるスペースが明らかに1つしかないことを改めて認識してしまう。



「あぁ、失礼。普段私1人で使っているものですから、つい……どうぞベッドはなまえさんが使ってください。私はそちらのソファを使いますから」

「ぇえっ!?……っと、その……」



内心、彼女は絶叫していた。この如何にも男女モノ漫画では定番のやり取りが訪れることを密かに恐れていた。ここで遠慮してしまえばその先の結果は見えている。「私は床で寝ます」なんて言って通用するだろうか。そんな様々な葛藤を続けている様子を四木が面白そうに眺めているが、その視線になまえは気付いていない。その眼差しがどんなに暖かく、そして優しいものであることも。それは親が子の成長を見守るものや、片思いの相手を羨望の眼差しで眺めるものとはまた別種の、特殊な意味合いを含んだものだった。



「……あぁ、やはり一緒にベッドを使いましょうか。少し狭いかもしれませんが」

「い、いえ!私がソファで……むしろ床でもいいですから!」

「まさか招き入れた客人にそんなことをさせる訳にはいきません。とはいえ貴女は勝負に負けたのだから、私の言うことには従って頂きますよ?なまえさん」

「ッ!……」



それを言われると何も言い返せない。なんせ勝負に負けたのは紛れもない事実なのだから。

灯りを消した暗い部屋の中、なまえは四木が横になっている方とは逆を向いて身体を小さく縮込ませていた。シングルベッドは思っていた以上に質も寝心地も良かったが、何しろ大人2人で使うには狭い為、すぐ背後には彼の存在を間近で感じられ、それが結果として眠りの妨げとなった。まさかこんな状況で眠れるほどの図太さが彼女には備わっていない。



「寝ましたか?」

「……いえ、まだ」

「そうですか。確かに、こんな状態で無防備に眠れるはずがありませんね。そもそも私はこうして横になること自体珍しい」

「まさか、寝ないなんてことはありませんよね」

「そりゃあ我々も人間ですから、寝もしますし食べもします。しかし、睡眠に関しては移動中の車内であったり出先のホテルの一室だったり……そんな生活をしているから、きっと自分が帰るべき場所を見失ってしまったのでしょうな」

「自分が帰るべき場所……」

「私に限らず赤林だって、きっと貴女に同じものを見出している。だからどうかなまえさんには”そのまま”でいて欲しいんですよ。我々を特別視することもなく、自然体で接してくれるような……」



そこで言葉が一旦途切れ、2人の間には再び沈黙が訪れた。四木は言葉をどう続けるか迷っているようでもなく、はたまた諦めたようでもなく、単にその先を口にするつもりが元からなかったようだった。

短いやり取りの中でなまえは思う。この人は案外とても人間らしい人なのかもしれない。自分にないものを求め、一般的に「普通」と呼ばれる日常を手の届かぬ存在だと勘違いしている。世の中にあり溢れた日常を何故自分に見出しているのかは未だ理解出来ずにいたが、同じ池袋という街に暮らしているにも関わらずこんなにも認識の違いがあるものなのかと驚いた。



「最後に1つ、よろしいですか」



暗闇で互いの表情すら確認できず、ただ1つだけ気付いたことがある。それは額にそっと触れただけの柔らかな感触。その正体に気付いても尚、彼女は気付かないフリをした。何も言わず、そのまま寝てしまったことにしてしまおう。私と同様、恐らく彼も何も見えていないのだろうから。

その夜、彼女は深い眠りに就いた。得体の知れない男の隣で、不思議と安堵感に包まれながら。

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