>3
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※今宵の立入禁止区域の続き





赤林とはかれこれ長い付き合いだ。表面上飄々とした彼には分かりにくい部分が多々あるものの、それでも1つ、これだけは確かだと言えることがある。それは『彼が興味を示す人間には何かしらの事情や理由(ワケ)がある』ということだ。つまり言い換えれば一筋縄ではいかない面倒な輩だということである。そして、そういった連中とは関わらない方が身の為だということもまた事実。何も自身に降り掛かるかもしれない危険やリスクを今更怖がっている訳ではないが、面倒なことには極限関わりたくないというのが結局のところ本音だった。

己の腕っ節だけが全てだという世界に長いこと身を置き、結果得たものは「余計な感情は捨てろ」という自身への警告じみたものばかり。それ故、心の底から湧き上がるような強い感情を抱くことがなかった。いや、正確には”出来なくなって”しまった。徐々に薄れていった感情の色は、もはや何色であったかさえ覚えていない。この薄汚れた世界が嫌いなのかと聞かれたらそうでもないし、寧ろ今となっては居心地の良さすら感じる程だが、唯一心残りだと思えることと言えばそれはーー



「おやおや、随分と早いお帰りで」



相変わらず茶化すような口調の赤林を一瞥し、四木は入ってきた扉を閉める。再びしんと静まり返る部屋。まるで死刑判決が告げられるのを待つ罪人のような思い詰めた表情をしたその少女は、四木の姿を見るや否やぴくりと眉を寄せた。こちらに向けられた大きな瞳には不安や恐れといった様々な感情が入り混じっており、複雑な色を醸し出している。なんて相性の悪い色の組み合わせだろう。だが、嫌いではない。



「そんで、強烈なラブコールのお相手は?」

「……つまらないものですよ。取引先とトラブルがあったとかなかったとか。無論、相手先を砂にすることで事は綺麗に片付きましたが」

「つまらない、ねぇ。確か今日のはかなりデカい取引だったんでしょう?そんなこと言っちゃっていいんですかい。まぁ、おいちゃんは上に告げ口なんて格好悪いことはしませんから、そこらへんは安心してくだせぇ」

「別に心配などしていませんよ。なに、最近弛んでいた相手です。利益云々以前に取引先として使えないと判断した……それまでです」

「ははっ、相変わらず怖いねぇ。ご機嫌取らねぇと消されちまうなんて……ねぇ?なまえちゃん」

「へ……ッ!?」



突然話を振られ、戸惑いを隠せないなまえ。ハッと視線を上げたはものの、すぐにふいと逸らしてしまった。そんなあからさまな態度に不機嫌になる訳でもなく、赤林は「相変わらずつれないねぇ」と苦笑する。寧ろ振り回されているのは赤林であるかのようにも見えるが、無論立ち位置的に優勢なのは言わずもがな。いくら裏の世界に詳しくない輩でも、彼らの風貌を一目見れば「逆らってはいけない」と本能的に理解するものだ。中にはそれすら理解出来ない輩がいるのもまた事実で、裏の世界を知らない若者たちが無作為に足を踏み入れている現状がその要因の1つである。(赤林はそれを「昼と夜の区別がつかない連中」と呼んでいる。)

それでも組の名前というものは絶対的な勢力を持つもので、その名を口にした途端、どんなに無知で愚かな若者も顔を青くさせるのだった。そして次の瞬間には身体を平伏せ、許してくれと懇願する。態度も図体もデカいだけのはみ出し者が、顔を大きく歪ませて縮こまるその姿の滑稽さと言ったらどう表現したらいいものか。



「なまえさん、と言いましたか。私は何も貴女を取って食おうとしている訳じゃあない。ただ、少しお話をと思いまして」

「いやいや、四木の旦那。初対面で”あんなこと”しでかした時点で、もう色々と誤解受けちまってるみたいですよ。おいちゃん等」

「誤解、とは」

「ほら、例えば身代金目当て……だっけ?」

「身代金?これはこれは笑えない冗談を」

「そうかい?おいちゃんはつい笑っちまいましたけどね」



笑えない冗談だと言いつつも口端を歪ませたその意味は、単にその発言を面白いなどと思った訳ではなく、少女に対する期待を内心膨らませていたから。この時、男は久方ぶりの高揚感に満ち溢れていた。だからこそ、つい色々と試してみたくもなった。



「私がいない間にどこまで話しましたか」

「いんや、特に何も。ただちょっとした世間話をね」

「……」



表面上、特に動揺した素振りもない。それでも「何もなかった」と証明する根拠としてはかなり弱い。少女の複雑な表情を見る限り、やはり自分が不在の間に何かあったと考えるのが妥当だろう。とは言え赤林が口を割るとは思えず、かといって少女自ら教えてくれる可能性もないと考え、俺のいない数十分間の詮索は当分諦めることとする。



ーーしかし、この様子では恐らく組の名前も口にしていないはず……

ーーはてさて、どうしたものか。



彼は内心、悩んでいた。今も悩み続けている。彼女に自分らの正体を明かす理由があるのか否か。単純にビビらせたいだけなのなら言ってしまえば済む話。ただ、すぐに終わらせてしまうのも勿体無い。焦らしたい。格好の獲物であればあるほど時間を掛け、より自分好みに仕上げた頃合いにぺろりと食すのが良い。そんなえげつないことを考えているとは露知らず、なまえはチラチラと男たちの様子を注意深く伺っていた。無論、男たちも自分たちが必要以上に見られていることをとうに理解している。しかし視線を感じるからと言って「なにガン飛ばしてんだ」と胸倉を掴むようなそこらのチンピラとは訳が違う。その只者ならぬ雰囲気をなまえも少なからず感じ取っていた。

互いに踏み込めないまま時間が過ぎる。ここで容赦無くヅカヅカと土足で踏み込めるのが彼ーー赤林という男である。



「ま、黙り込んでてもつまらないでしょう。さっそく始めましょうや」

「始めるって……何、を」



恐る恐る尋ねる彼女に向かって、男は傷のある目を緩め笑顔でこう答えた。



「拷問」

「!?」

「いやいや、嬢ちゃんはラッキーな方だよ?何度も言うがおいちゃんは拷問が苦手でねぇ。いつもなら若い衆に任せるんだけど、なまえちゃんは優しいおいちゃん相手で済むんだから。ほら、ここの若いのは強面が多くて、きっとなまえちゃんも怖いだろうと思って」

「どの面下げて言ってるんですか。やはり貴方だけに任せる訳にはいきませんね」

「別に頼んでないんですけどねぇ。ま、美味しいところを独り占め出来るとは思っていませんでしたけど」



にゅっ、と伸びてきた男たちの手がなまえの手首を掴む。その握力は強く、さすが多くの数を葬ってきただけの手と言えよう。その血濡れた手で一体何をされるのか、考えただけでおぞましい。必死に抵抗するも敢え無く身体を押し付けられ、両手を拘束されたまま彼女は天井を仰ぐこととなった。男2人相手ではもはや逃げようもない。

ふと天井にぽつんと点いた黒い染みの存在に気付き、あれは何だろうと考えてすぐにハッとする。あのどす黒い色の正体は人の血で、怒らく時間の経過と共に黒く変色していったのだろう。しかし壁や床ならともかく、何故天井に?返り血ではないのか?天井という高い位置に、しかも飛び散った風でもなく染み渡るように広がった血痕。それが上の階の床から滲んで出来たものだと気付いてしまった途端、サァッと冷たい何かが頬を伝った。普通そんなことはあり得ないが、もしそれだけの大量の血が流れたとすれば、木材で出来た床に染み入ってしまうのも考えられない話ではない。「拷問」と聞き、一方的に殴られたり蹴られたりする暴力行為を連想したなまえは、次に来るであろう痛みにぎゅっと目を閉じて応じる他なかった。しかしーー



「……ッ、!!?」



彼女を襲ったのは痛みではなく、ふわりと柔らかな感触。四木の大きな手の平は裕に彼女の頬を包み込み、その小指の爪先でつつ、と下唇をなぞった。相手を見下すような冷たい視線に背筋がゾクゾクする。まるで獲物を狙う肉食獣を彷彿させるその切れ長な瞳は、恐ろしくも綺麗だった。不覚にもその瞳に魅入っていた自分に気が付き、なまえはほんの少し悔しくなる。まさか自分よりひと回りもふた回りも歳上の男を「美しい」と思うとは。



「いつまで仏頂面しているつもりですか。私はそろそろ貴女の違った顔も見てみたいところですが……」

「おっと。1人で口説こうったって、そうはいきませんよ四木の旦那。俺だってなまえちゃんと仲良くなりたいねぇ」

「どうせもう既に何か吹き込んだのでしょう?私のいない間に」

「あっはっは、この際隠し事はなしにしましょう。えぇ、まぁ、ちょいとばかし」

「……。で、何と言われたんです?」



そう言った四木の視線はなまえを捉えて離さない。彼は赤林ではなく、確かに彼女に向かってそう訊いていた。

赤林はこう言った。「欲しい」ーーつまり、俺のものになれ、と。それを意味するものが何なのかは未だ確かでない。まさか彼女になれとでも言うのか。この裏の世界を渡り歩いてきた屈強の男が、まだ出逢って間もない少女相手に。困惑したまま何1つ状況を上手く飲み込めず、更にはそれを説明しろとでも言うかのように四木が言葉で畳み掛ける。自分ですら理解していないものを他人に説明するなど出来る訳がない。「ええと」と言葉を濁すものの、赤林は至ってへらりとした笑みを貼り付けたまま助け舟など出す気もさらさらなさそうだ。なんせ出逢って間もない間柄。助けてくれるなどと期待する方が可笑しな話だが、そもそも話をややこしくしたのは間違いなく赤林のせいであって、多少のフォローや付け加えがあってもいいではなかろうか。



ーー何故。どうして、私がこんな目に。

ーーたまたま通り掛かっただけで、ただの偶然の巡り合わせではないか。



言葉に出来ない不服、不満。外からも内からも蝕まれてゆく彼女の心情は決して穏やかではない。この突拍子のない出来事があまりに日常から隔離されていたことも加え、やや自暴自棄になっていたなまえはたった一言こう言い放った。



「うるさい」



普段の彼女なら口にしないような、完全なる相手への否定的な言葉を。



「……〜〜ッ!何なんですか一体!!私は何も知りません!確かにお取込み中失礼しましたけども……!だって、ああいう場合どうしろって言うんですか……!!」

「ぶっ」

「……」

「あっはっは!やっぱ面白いよなまえちゃん!ほんと最高」

「……は、」

「いいよ、白状しよう。ただ単においちゃん達がなまえちゃんを”気に入った”から。ただそれだけの話さ。見たか見てないかなんて、正直どうだっていいのさ。ただの動機付けって話」

「……意味が分かりません」

「分からなくて当然。普通の感性の人間には難しいかもしれないねぇ。じゃあ、もっと分かりやすく説明してあげよう」



すると、赤林は四木に「ちょいと失礼」と言って押し退け、彼女の細い腕を取る。そのままぐいっと引き寄せ楽々と身体を起こしてやると、今度は自分がその場に屈み込んだ。下方から彼女の顔を覗き込むように、まるで小さな女の子に言い聞かせるような態度で。



「勝負しよう、おいちゃん達と」

「勿論喧嘩じゃなくて、もっと平和的なやり方でさ」

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -