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※Welcome to the irrational world!の続編





耳を劈くような音に反射的にがばりと上半身を起こす。発砲音はすぐそこの森の茂みの中から聞こえてきた。なんて目覚めの悪い寝起きだろう。自身の安全を案ずるより先にまず頭を過るのはなまえのこと。今、彼女が何処にいるのかは定かではないが、森の中には小動物を狙う狩人がいると何かのお伽話で聞いたことがあるのをふと思い出した。



ーーもしかして、継母の命令で白うさぎを狙いに……

ーーいや、もしかしたら変装した狼が、白うさぎを食べようと企んでいるんじゃあ、



そもそも不思議の国の物語から根本的にズレ始めているのだが、この時の俺は動揺のあまり気付くことすら出来ていない。白うさぎに継母なんて聞いたこともなければ、狼が狙うのは可愛らしい赤頭巾の女の子。だが、うさ耳のなまえは赤頭巾の少女に負けないくらいに可愛らしいし、狼や狩人相応に危険な存在はこの世界じゃあそこら中ごろごろいる。特にチェシャ猫なんて以ての外。

いても経ってもいられず、俺はベッドから飛び起きると威勢良くばぁん、と大きな音を立ててドアを開けた。そこにはリビングのソファで並んで座る公爵様とその夫人。現実世界と何ら変わりない2人の姿に一瞬安堵するが、今はそれどころの話ではない。しかし新羅に至っては息を切らした俺を見ても特に動じる素振りは見せず、呑気に「やぁ、悪い夢でも見たのかい」なんて言ってみせる。これが夢ならどんなにいいかーーあ。いや、そもそもこれ自体が夢だっけ。なんだか色々とややこしい。



「聞いたか!?今の、銃声だよな!!?」

「うん、確かに銃声だね」

「……驚かねぇのか……?さすがに銃はやべぇだろ」

「うーん、やばい……んだろうねぇ。だけど家の中にいる僕らには関係のない話さ。とりあえず僕はセルティさえ無事なら他は
どうだっていいし」

「……」



夢の中でも、セルティ絶対主義なところは健在だ。滅茶苦茶なことをさらりと口にする新羅のことはひとまず置いといて、俺はまともな話をすべく、セルティの方へと向き直る。



「なぁ、セルティ。今の銃声……」

『恐らく帽子屋かイカれうさぎの仕業だな。この世界で拳銃を持っているのは奴らくらいだ。帽子屋はともかく、イカれうさぎは……まぁ、”イカれてる”から、何をしても不思議じゃない』
「なんだよ、それ。もしなまえに当たったりでもしたら……」

『いや、それはない』



これに関しては、やけにきっぱりとそう断言するセルティ。



『イカれうさぎはイカれちゃいるが、人殺しはしないよ。勿論、相手がうさぎだろうと猫だろうと。奴は無暗に人を殺したりはしないのさ』

「でも、死なない程度には撃つかもね」

「!!?」

『新羅!なに不安を煽るようなことを……!』

「私は本当のことを言ったまでさ。だって、事実だろう?確かに殺しはしないけど、動けなくなる程度には撃つんじゃないかな。イカれうさぎだし」

『……まぁ、確かに。否定はできない』



語尾に『イカれうさぎだし』とお決まりのフレーズを付け加え、それ以降セルティは俯いたまま黙り込んでしまった。どうやらこの世界では「◯◯だから」という根拠のない理由付けに弱いらしい。なまえの身を案じる俺に、セルティは暫し悩み込んだ後1つの提案をした。



『そうだ。私のシューターを貸してやろう。きっとなまえちゃんのところへ連れて行ってくれる』

「! いいのか!?」

『勿論だ。当たり前だろう?そもそもアリスは白うさぎを追い掛けるものだと決まっている』

「決まってる……か。決まりだとかルールだとか、この世界の住民はやたらそんなことばかりを口にするが、それは誰が決めたものなんだ?」

「さぁねぇ、僕たちはあくまで創られた存在だから、そこまで深くは干渉できないのさ。それを知るのもアリスの役目。僕たちはただ与えられた役割を果たすまでさ」

「それじゃあ、お前らが俺を匿ってくれたのも、単なる決まり事って訳か……」



そう考えるとなんだか悲しくなった。彼らの行動に意図なんてものはなくて、ただ与えられた台本通りに行動し、台詞を口にする。まるで操り人形のようではないか。この細くて見えない操り糸の先にいる人物こそが恐らくはこの夢の創作者。この世界の住民には決して干渉することなど出来ない世界がきっとそこに存在する。俺もそこから来た余所者であり、この物語の核となる人物ーーそれがアリス。この世界の住民たちにとってアリスとは、近いようで1番遠い存在なのかもしれない。



『アリス。いや、静雄』

「!」

『確かにこの世界は創造者によって創られた。けど、願望そのものを具現化している訳じゃあない』

「? ますます意味が分からねぇ」

「つまり、必ずしも創造者の思惑通りにことが進むとは限らないってことさ。創造者が一体誰なのか検討もつかないし、正直僕には枝葉末節な存在だね」



新羅が口にする四字熟語の意味が分からなくて首を傾げる俺に、セルティは笑うように肩を揺らしながらPDAをこちらへと向けた。



『静雄やなまえちゃんを助けたいと思うのは、私たちの意思さ』





不思議の世界のバランスはとうに崩れていました。もはや創造者ですらコントロールすることは難しいでしょう。住人たちは与えられた役割を従順に全うすることをやめ、それぞれの意思を持って動き始めたのです。しかし、中にはそれを良かれと思ってとんでもない行動に出る輩が現れました。操り糸がプツンと切れた彼らはここぞとばかりに強硬手段へと移ったのです。

それでも彼らが想うのは白うさぎのこと。結局のところ、皆が白うさぎを好きなことに変わりはありませんでした。何故なら「好き」という感情は誰だろうと、そして自分でさえもどうすることができないからです。



「ここらへん……だよ、な?」



足場の悪い森の中を馬車で颯爽と駆け抜ける。首なし馬にそう問い掛けると馬は一旦足を止め、ブルルンと小さく嘶きをあげた。首から上がないというのにこの鳴き声はどこから発しているのだろうーーなんて素朴な疑問はこの際放っておこう。どうせいくら俺が考えたって答えが見つかる訳でもないだろうし、この世界自体が滅茶苦茶なのだから今更何が起ころうと大抵のことは受け入れられる自信がある。感覚が鈍ってきた、というのが正しいのかもしれない。木々の合間から覗く空を仰ぎ「なんだかなぁ」と呟くと、首なし馬はまるで慰めるかのように前脚でちょいちょいと俺を突いた。どうやら意思の疎通が出来るらしい。

森の中は木、木、木。見渡す限りの木で埋め尽くされている。何処を見ても風景に変わりがないので、方向の感覚すら失ってしまいそうだ。まるで1度入ったら抜け出せない樹海の奥地を連想させる。俺に自殺願望はないが、死に場所に樹海を選ぶ自殺者がいるのはこういうことかと1人納得。これでは途中で引き返そうにも抜け出せない。今更ながら何か目印でも残しておくべきだったかと後悔し始めた矢先、再びあの発砲音が辺り一面へと響き渡った。方向は西南。微かな火薬の匂いが鼻をかすめる。



「!!」



俺が方向を指示するよりも先に、首なし馬はすぐさま音のした方向へと駆けて行く。首から上がないというのにどうやって音をーーいやいや、無駄に考え込むのはもうやめようと決めたはずだ。次々と浮かぶ疑問を払うように首を振っていると、首なし馬は突然ぴたりと走ることをやめた。前触れなく急停止するものだから、シートベルトなんて備わっていない馬車から危うく転落しそうになる。その拍子にぶつけた額を摩りながら前方へと目を向けると、そこは小さな窪みになっていた。高さはおおよそ2メートル。屈めば一応通れなくはないが、当然馬車に乗ったまま通れるほど大きくはない。

だが、銃声が聞こえてきたのは茂みからだったはずーーそんな疑問はすぐに打ち消された。窪みの中へと続く、芝に点々と残る血痕。これが誰のものなのかは定かでないが、単純に撃たれたであろう者の血であることだけは俺にも分かる。そして引きずったような跡があることから、撃たれて負傷した者を誰かが担いでこの奥へと逃げたのだと考えられた。



「っと、お前とはここでお別れだな」



馬車から降り、短い間だったけどサンキューな、と頭(だと思われる首の断面)を撫でてやると、首なし馬は寂しそうにその身体をすり寄せてきた。名残惜しくはあるが俺はその場で首なし馬と別れ、腰が痛くなりそうな低い姿勢で窪みの中へと足を踏み入れたのだった。どうかあの血痕がなまえのものではないことを頭の片隅で願いながら。

中は薄暗くて湿っぽい。時折ぴちょん、と音を立てて落ちてくる雫や、うっかりしていると頭をぶつけそうな天井の出っ張りに気を配りつつ、更に奥へ奥へと進む。じめじめとした空気が肌に貼り付いて気持ちが悪い。本当にこんなところになまえはいるのだろうか、そんな根本的なことを疑い始めている自分に気が付く。しかし今から来た道を引き返すのに同じ時間を費やすのも面倒だし、どうせ他に手掛かりはないのだから考えるより先に進むしかない。



ーーそれにしても……



先の見えない道のりに思わず溜め息が漏れる。行く先の闇はどこまでも続いていて、あまりの長さに世界の果てまで続いているのではないかとさえ錯覚してしまいそうになる。ここまで来るまでに幾度も脳天に雫がピンポイントで落ちてきたり、勢いよくごつんと頭をぶつけてしまったりしてきたのだが、夢の中の出来事だというのに冷たかったり痛かったり、現実と同じく感覚神経まで機能しているようだ。



ーーこれは不便というかなんというか。

ーーじゃあ、もし夢の中で拳銃で撃たれたりなんかでもしたら……



この時、普通の人間なら最悪死に至るケースを想定するのだろう。が、俺に限ってはまず鉛中毒の心配が頭にぽんと浮かんだ。まさか夢の中で死んでしまうようなことはないだろう、なんせこれは夢なのだ。朝目覚めればこのしっちゃかめっちゃかな夢の内容も全て忘れているーーはず。それなのに俺はどうしてこんなにもなまえのことで必死になっているのだろう。仮に夢の世界で何が起ころうと、現実世界のなまえには何の影響もないはずだ。所詮妄想の世界だと割り切ってしまえばいいものの、それを否定しきれない自分がいるのも事実。冷たくても痛くても夢から覚める気配が一向にないということは、この可笑しなお伽話を最後まで終わらせなくては一生目が覚めないということだ。この物語がエンディングを迎えなくては、きっと永遠に白うさぎと再会することも叶わない。それだけはなんとしてでも避けたかった。例え夢の中の出来事だろうと、なまえのことを放っておける訳がない。



「どこにいるんだよ……なまえ」



ぼそりと呟いたその時、一筋の光が差し込んだ。ようやく見えてきた出口に希望を見出した俺は、その先の展開に胸を踊らせる。きっとこの先には何でもないような顔をした白うさぎがいて、怪我なんてどこにもしていなくて、さっきの血痕は何かの間違いでーーそんな都合の良いことばかり考えていた。だって、これは夢なのだから。そして物語はハッピーエンドを迎え、夢から覚めた俺は清々しい朝を迎えるのだろう。きっと。



「なまえ!そこにいるん……」



ぱぁん、と3度目の乾いた銃声が鳴り響いた。その後訪れる静寂に鼓動が急激に速まっていくのが分かる。どくんどくん、まるで太鼓のように心臓を棒で打ち叩かれているようだ。



ーー……何が、

ーー一体、何が起きている……?



「次はないよぉ?チェシャ猫。さぁ、早く白うさぎを渡してもらおうか」



そこにいたのはーー銃を構えるイカれうさぎと、そのすぐ横に立つ無表情な帽子屋。銃口を向けられた先にはじんわりと赤く染まった脇腹を抑えるチェシャ猫と、探し求めていた愛しのーー

彼女の名前を叫ぶよりも先に、俺の存在に気付いた帽子屋がすぐさま懐から銃を取り出した。無駄のないその俊敏な動きに思わずたじろぐ。きっと彼らは躊躇なく撃つのだろう。その狂気染みた目がそれを物語っている。



「し、シズちゃん!」

「おやおや、アリスじゃありませんか。これはなかなか面倒なことになりましたね」

「はっ、心にも無いことを。そんなことより、おいちゃんは早く可愛い白うさぎちゃんと遊びたいねぇ」



この状況はーーなんだ?あまりにも大量の情報量が脳に流れ込んできたが故に、俺の頭は重量オーバーでパンクしてしまいそうだ。くらくらと眩暈がする中どうにか状況を整理しようと試みるも、とりあえず分かったことといえばこの状況は「危険」だということ。俺自身がではなく、なまえが。いくら夢の中だろうと、銃で撃たれるなまえの姿なんざ見たくもない。俺は自分に対して銃口が突き付けられているにも関わらず、いてもたってもいられずになまえの方へと駆け出した。次の瞬間ひゅんっとすぐ顔の真横で何かが猛スピードで過り、背後の脆い岩の壁がガラガラと音を立てて崩れる。再び鼻をかすめる火薬の匂いは外で嗅いだものと全く同じものだった。立て続けに足元、そして脇腹を狙って次々と弾が撃たれるものの何とかしてそれを避け続け、ただ視線だけはなまえだけを捉えて離さない。今ここで彼女を見失ってしまったらもう2度と会えないような気がして、自分が銃で撃たれるよりもそれが酷く恐ろしかった。

チッと舌打ちした帽子屋が繰り出した3発目の弾が向かった先はーー眼球。こればかりはどうなるかなんて分かったもんじゃない。どんなに強靭な身体を持った怪物でも目だけは鍛えられなかったという。そんないつしか聞いた話がふと頭を過り、俺は咄嗟にその場に屈み込んだ。頭上を掠める銃弾に冷や汗をかきつつ再び体勢を立て直そうとするが、その一瞬の隙をスナイパーは見逃さなかった。連続で発砲された弾は俺の膝あたりを貫き、その衝撃に体重を支えきれなくなった身体はかくんとその場に崩れ落ちた。



「ぐっ……!」

「!! ひ、酷い!シズちゃんを撃つなんて……!シズちゃんは関係ないじゃないですか!!」

「酷い?いやいや、アリスなら大丈夫ですよ。なんたって彼は”特別”ですから。私たちと違って、ね」



蔑むような冷たい視線が向けられる。その言葉には妬みと憎しみの意味合いが込められているように感じた。彼の言う『特別』とは一体何を意味するのだろう。大して痛くはないが撃たれた膝は間違いなく酷く損傷しており、どくんどくんと大きく脈打ちながら破損した血管から血液が流れてゆく。鮮明で、赤い赤い血。自分の身体から溢れ出る血を何処か他人事のように眺めていた。関節部分を撃たれたせいか思い通りに足が動いてくれない。きっと帽子屋は俺が特異であることを知っていた上でわざと足を狙ったのだろう。こんなにも近く目の前にいるというのに手が届かないもどかしさが募り、それは次第に苛立ちへと変わる。ふつふつと湧き上がる憤りの感情が心の中で煮え滾るのが分かった。



「手前ぇら……どうして白うさぎを狙う?」

「やだなぁアリス。そんなの、決まりきっているじゃあないか。あんただって、そのつもりなんだろう?」

「……何の話だ」

「惚けるなよ。今更何も知らないだなんて言わせないぜ?おいちゃんたちに限らず、この世界の住人たちは白うさぎが大好きでねぇ……それこそ、食べちゃいたいくらいに。……なぁ?チェシャ猫さんよぉ」



ヘラヘラとしたイカれうさぎの言葉に否定も肯定もせず、チェシャ猫もとい臨也は引き攣った笑みを浮かべる。奴の表情からは何を考えているのか全く見当がつかない。



「さぁて、どうする?」



挑発的なイカれうさぎの問い掛けに、俺はーー

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