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※Welcome to the irrational world!の続編





ハートの女(?)王に導かれ、アリスが次に訪れたのは森の中の一軒家。そこに住んでいたのは仲の良い公爵様とその夫人でした。愛妻家である公爵様は大変夫人を愛していましたが、夫人には首から上が存在せず、公爵様は首無し好きの奇人ではないかと妙な噂もちらほら。中にはハートの女王の特別な鎌を使ってわざと切断したのではないかという恐ろしい説も存在しました。それ故、自ら進んで近付こうとする物好きな輩は早々いません。しかし公爵様もその夫人も大変人が良いものですから、久方ぶりの来客に大層喜びました。夫人が本当に『人』であるかは別として、とにかく彼らは世話好きだったのです。



「という訳でアリス!今夜はゆっくり寛ぎたまえ!」



ようこそ僕たちの愛の巣へだとか意味不明なことを言われながら、新羅もとい公爵に無理矢理連れ込まれた一軒家。部屋の中には最新型パソコンが2台とその周辺器具その他諸々、当然ネットワーク環境は完璧に整っており、正直森の中に立つ可愛らしい風貌(例えるのならシルバニ◯の赤い屋根のお家)からは全く想像もつかぬ内装ではあった。

外はもう暗い。森には道を照らす街灯もないし、生い茂った木々たちは頼りない月光の溢れ灯すら遮断してしまう。視界の悪い中、慣れない土地での我武者羅な行動は避けるべきだ。本当は1秒でも早く白うさぎを見つけ出したい気持ちをぐっと堪え、ひとまず今夜は一晩だけ世話になることにした。何より、セルティ(この世界では公爵夫人)がいることに安堵感を覚えたというのが正直なところ。



「一応聞いておくが、白うさぎについて何か知ってることはあるか?」

「白うさぎねぇ……僕が知っていることといえば、彼女の血は極上のワインに匹敵するってことくらいかな」

『私には鼻がないから分からないけど、よくチェシャ猫が鼻をヒクヒクさせながら美味しそうだと言っていたな』

「チェシャ……って、ノミ蟲のことか。やっぱりアイツ、前からなまえのこと狙ってやがったのか……!」

「猫だけじゃないよ。みーんな白うさぎが大好きだからね」

「……」



未だに世界のルールを把握しきれていない気もするが、いくら悩んだってどうにもならない。ただなまえに会えないもどかしさばかりが募ってゆくばかりだった。原作のアリスも不思議の国で数々の住人たちに翻弄され、それはもう労えない程の大変な思いをしてきたのだろう。物語に出てくる架空の人物相手にここまで同情できる日が来ようとは……人生何が起こるかなんて分かったもんじゃない。

2人の用意してくれた部屋の明かりも点けず、俺はベッドにごろんと横になる。そういえば夢の中で眠ることなんてできるのだろうかと疑問に思いつつ、酷使した足はそこそこ痛いし、それなりの疲労感はある。気だるい身体では考えることすら面倒で、俺は大波のように襲い来る睡魔にそのまま身を委ねてしまった。



♂♀



白うさぎは長い耳を傾かせ、頭を悩ませていました。このままチェシャ猫といていいものか、と。猫を疑っている訳ではありません。ただ、はぐれたアリスのことが心配で堪らなかったのです。アリスは外の世界から訪れし者ーーそれは様々なルールや掟を覆すことのできる唯一の存在であると同時に、この世界のことは全くと言っていいほど無知なのだということに他なりません。とはいえ、白うさぎ自身が物知りであるかはさておき。

辺りを見渡せばそこは見知らぬ樹海の奥底。いつの間にこんなところまで歩いてきたのでしょう。白うさぎはこの場所を知りません。急に怖くなった白うさぎは、前方を歩くチェシャ猫に向かって恐る恐る尋ねました。




「あのぅ……臨也さん。ここは何処なのでしょう」

「さぁ?猫は物知りだけど、こんな場所は知らないなあ」

「でも、それじゃあ帰れませんよ?」

「なまえちゃんは帰りたいのかい?」

「それは……よく、分かりません。あの世界が私のいるべき世界なのか、それさえもよく……分からないんです」

「そっか。なまえちゃんは外の世界に興味があるんだね」

「! やっぱり!外の世界はあるんですね!?アリスがこの世界にやって来た時、確信したんです!こことはまた別に、違う世界があるんだって……!」



きらきらとつぶらな瞳を輝かせる白うさぎ。そんな彼女の様子をチェシャ猫は複雑な心境で見つめていました。何故なら彼は白うさぎの夢が決して叶わないことを知っていたからです。なにしろ猫は物知りですから、自分の意思とは無関係にこの世界の全てを知っていたのです。知りたくないことまで知ってしまった故に、彼は少し自暴自棄になっていたのでしょう。だからこそ猫はこのまま白うさぎと永遠に1つになることを望んだのです。彼女の肉を喰らい、血を啜るーーそれは言葉の綾ではなく、本当の意味で1つになることを強く願ったのです。

しかし、猫は何も言いません。こんなにも純粋な彼女の夢を真っ向から否定できるほど、猫は残酷ではありませんでした。仮に相手が白うさぎではなく他の誰かであったなら、寧ろ蔑み哀れむ素振りでも見せたのでしょう。本来猫はそういう生き物なのですから。




「どうしてなまえちゃんは外の世界へ行きたいんだい?」

「どうしてって……だって、色々なものを見てみたいとは思いませんか?」



猫は口を開き、しかしすぐに出し掛けた言葉を喉の奥へと追いやります。猫は何でも知っていました。彼女が現実を知ったところで結末は皆同じだということも。ならばいっそ、知らないままでいる方が幸せなのかもしれない。知って後悔するか、何も知らぬまま無謀な夢を抱き続けるかーーどちらがいいかなんてそんなことは物知りな猫にも分かりませんでしたが、無知な白うさぎはそんな選択肢が迫られていることすら知る由もありませんでした。



「知らない方がいいこともあると思うんだけどなあ」



この時猫は白うさぎが全くの無知なのだとばかりに思っていましたから、つい油断してしまっていたのでしょう。うっかり本音が口を吐いてしまったのです。とはいえ、猫は動じません。聞かれたところで彼女には理解出来ないものだと思っていたからです。ところが白うさぎは長い耳をぴくりと反応させ、悲しそうな顔をしてこう言いました。



「白うさぎは、食べられることが最上級の幸せ」

「!!」

「やだなぁ、臨也さん。何を驚いているんですか?まさか私が知らないとでも?うさぎの耳は長いんですから、噂話には結構敏感なんですよ?……まぁ確かに、あまり知りたくないような話も聞こえちゃうんですけどね……あはは」

「……」



白うさぎは知っていました。恐らく猫が知り得る全ての情報を知っている訳ではないのでしょう。しかし、少なくとも自分が最終的に食べられてしまうという結末を知っていたのです。



「怖くないの?」

「そりゃあ、ちょっとは怖いです。けど、それは食べる人にとって私という存在が永遠になるってことなんでしょう?それって……とても幸せなことじゃないですか。それだけ私を想ってくれるのなら……私、……ッ」



白うさぎの声は震えていました。何でもないように振る舞うつもりが感情を堪え切れず、それ以上は何も言えなくなってしまったようです。チェシャ猫は白うさぎを哀れむと同時にとてつもなく愛しく思えました。そして、純粋に助けてあげたいとも。しかし猫には何もしてあげることが出来ません。なにしろ彼はこの世界に創られた存在ですから、世界のルールに背くことも、況してや否定することも許されないのです。

そして猫は察しました。白うさぎは己に与えられた運命と向き合うことを選び、そしてもう既に心は決まっているのだと。自分のことを世界で1番愛してくれる人物に食べられることーーそれがなまえの最初で最後の願いでした。




「俺なら残さず最後まで、綺麗に食べてあげられるよ」



ならばその願いを叶えてあげましょう。例えそれがどんなに残酷な結果しか伴わないと分かっていても、愛しの白うさぎがそれを望むのなら猫はそれに従います。それは猫だけに限らず、この世界の住民なら誰しもが彼女を迷わずに食べるでしょう。それがこの世界において最大級の愛情表現なのですから。

猫が白うさぎの肩に触れようとしたまさにその瞬間(とき)ーー視界がぐにゃりと歪みました。猫は一瞬目眩がしたのだと思いましたが、どうやらその原因は感情の歪みにあるようです。『強い思いほど歪みやすく、感情の歪みに囚われし者は我をも失う』ーーそんな言い伝えがこの世界にはありましたが、末期に至るまで歪んでしまった者の末路を未だ誰も知りません。それは前例がない故か、あるいはかつて歪んでしまった者はもうこの世にはいないのでしょう。




ーーまさか、俺はもう歪んでいる?

ーーいや、まさか。この俺に限ってそんなことがあるものか。


猫は認めたくありませんでした。認める訳にはいきませんでした。感情の歪みとは、己の欲に溺れてしまった者に見られる兆しだと言われていたからです。なにしろ猫はプライドの高い生き物ですから、それを「はいそうですか」と素直に認める訳がありません。ただ、そうなってしまったことに大して驚きもしないのは、きっと心の何処かでそうなることを分かっていたからなのかもしれません。そして自分だけに限らず、この世界の住民ならば誰もが例外なく歪んでしまうという可能性は否めないのです。チェシャ猫の異変に気付き、心配そうに顔を覗き込む白うさぎに対し「大丈夫だから」とだけ伝え、猫は頭が割れそうな程の頭痛を意識の外へと追いやりました。彼女にバレてしまわぬよう何食わぬ顔で笑ってみせたのです。歪みからくる頭痛は耐えられない程の痛みを伴うと言われていますから、これは笑顔を偽れるチェシャ猫だからこそ成せる術なのかもしれません。

この様子を近くの木陰から伺っていた2つの怪しげな影。彼らは顔を見合わせると口元をにぃっと歪ませて笑い、懐から黒くて固い物体を取り出しました。カチリと小さな音を立て、引き金を引き、それを躊躇なくチェシャ猫へと向けーー




「!!!」



ぱぁん、と乾いた銃声が辺り一面に響き渡りました。次の瞬間白うさぎの視界に映ったのは、ばさばさと羽音を立てて飛び交う小鳥たち、そして、じわりじわりと一面に広がる『赤』。これが一体何なのか、一体何が起こったのか、それを完全に理解するまでにはまだまだ時間が必要のようです。

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テーマ「人外ファンタジー」
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