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※今宵の立入禁止区域の続き








薄れゆく意識の中で男の笑い声を聞きながら、少女は全てを理解せずとも残酷な現実を受け入れていた。きっと自分は死ぬのだろう。この男たちに玩具のように弄ばれ、飽きたら捨てられるのだろう、と。ならばいっそのこと抗ってやろうではないか。たかだか小娘風情が裏の世界を征する男2人相手に勝てるとは到底思えなかったし、彼らがいかに強く、そして冷酷であるかはしかとこの目に焼き付けている。足元に転がる無数の屍はもはや人ではなかった。思い出すだけで寒気がする。まるで自分もいずれそう変わり果ててしまうようでーー敵わない相手だと分かっていても尚、彼らに対して言い放った「人殺し」という言葉に疑念も後悔も何もなかった。だからこそ、受け入れた。自分に訪れるであろう終焉をーー

もしかしたら次目覚める時は訪れないのかもしれない。そんなことを考えながら意識を手放した少女が次に見たものは、真っ白な天井に1つだけ点在する染みだった。それが昔からそこにあるものなのか、つい最近着いたものなのかまでは分からなかったが、あれは恐らく上の階の床から滲んで出来た血痕ではないかと思う。あの血を流した者は今、どうしているのだろう。顔も名前も知らない誰かへの思いを馳せていると、その思考に割って入るように突然声を掛けられた。





「おはようさん。……いや、時間的にはこんにちは、かな?なまえチャン」

「……あなたは」





気を失う前までの記憶を辿り、私は静かに男の名を口にする。赤林。その砕けた口調は相手を油断させる意図があるのかもしれないが、目元に深く刻み込まれた斬り傷や怪しげな笑みが只者ならぬ雰囲気を醸し出している。目は嘘を吐けないというものの、真意を映し出しているであろうその瞳は色眼鏡で覆われてよく見えなかった。もしくは、相手に悟られぬようわざとそうしているのかもしれない。





「いいねぇ、記憶力が良くて。それじゃあ、おいちゃんともう1人の強面の男の名前も覚えてるよねぇ?」

「なっ……、何なんですか!急にこんな、まるで誘拐みたいな真似を……」

「ははっ、そりゃあ、だって誘拐だし」

「!!」





悪びれもなくケロリと言ってみせる目の前の男を、まるで信じられないとでも言いたげな顔で見つめる。正直、こうもキッパリと言い切られてしまうと反論の余地もない。





「いやねぇ、おいちゃんたちの立場上、見られちゃいけないもんってのがある訳。だから例えなまえちゃんが運悪く”たまたま”あそこに居合わせたのだとしても、その口封じは念入りにしなくちゃいけないって話」

「……話しませんよ、誰にも。というより、一体誰にどう話せと……私だって、血生臭い事件には巻き込まれたくないです」

「あっはっは!そりゃあ正論だ!ますます君が気に入ったよ」





ひとしきり声高らかと笑ったその男は、色眼鏡の奥の瞳を細ませて笑う。





「まったく、悪い子だなあ。こんなおいちゃんみたいなおじさんを誘惑するなんて」





少女は男を誘惑しようなどとは思っていない。寧ろ、敵対心を露わにしていると言ってもいい。にも関わらず赤林はヘラリと掴みどころのない笑みを口元に張り付かせたまま、少女の元へと歩み寄る。カツカツと杖の音を響かせながら。





「……参ったねぇ。四木の旦那には手を出すなって釘を刺されちゃあいるんだが……」

「な……ッ、!?」





赤林はベッド脇に片膝をつくと、余裕たっぷりの態度からは想像もつかない程の力で私の腕をぐいと引いた。ギシリ、とベッドが軋む音と同時に、掴まれた箇所がミシリと悲鳴を上げる。思わず「痛い」と口を吐いた言葉に対し、赤林は動じる素振りすら見せない。ただ「ごめんよ」と上辺だけの謝罪を発し、覗き込むようにして至近距離まで顔を近付けてきた。こうもジロジロと見られると、まるで蛇に睨まれた蛙の如く何も言えなくなってしまう。頬を伝う冷や汗にひやりとしながら、私は負けるものかと視線を投げ返した。ここで目を逸らし続けていたら、きっとこの男の思う壺だ。このまま赤林の思惑通りに事が進んでしまうのが何だか悔しかった。

しかし相手はヤクザだ。終わりのない睨めっこで勝ち目などない。そこで私は相手の顔というより、その瞳の奥底を覗くような感覚を意識した。生き物の持つ『瞳』や『眼』といった類いではなく、水晶体という名の『モノ』として認識してしまえば、それだけで幾分か気は紛れたのだがーー今見つめ返しているその水晶体が、本当にただの水晶体ではないかという疑惑がふと頭に浮かぶ。互いの距離が徐々に縮まっていく中、私はその水晶体の何とも言い難い違和感を薄々と感じ取っていた。





「……義眼?」

「へぇ、こりゃ驚いた。こんな状況であるにも関わらず、そんなことにまで気が付くとは。嬢ちゃん、やっぱり只者じゃあないねぇ」

「別に……貴方たちからしてみたら、私はただの一般人です」

「おいちゃんからしてみたら、なまえちゃんみたいに真っ当な人生歩んでる子ってのが余程貴重に思えるね。世の中には色々な人がいるからさ。例えばイケナイお薬やってたり、当たり前のように人を殺めたり……」

「それは貴方たちのことでしょう」

「おっと、聞き捨てならないなぁ。確かにおいちゃんたちは場合によっては落とし前つけてもらうし、それ相応のことをしてもらうけどさ。まぁ、これは個人的な好き嫌いなんだけど、その手の薬は大嫌いなんだよねぇ」

「……」





一瞬、空気が張り詰める。イケナイお薬というのが恐らく麻薬を指しているのであろうことは何となく察しがついた。そしてどういう訳か赤林がそれを嫌っているのも事実のようで、先程までとは明らかに纏う雰囲気が変わっていた。気持ちの面では何としても負けるものかと思っていたはものの、いざ本気で襲われてしまったら私はきっと何も出来ない。それを今、改めて実感する。張り詰めた空気がピリピリと痛い。





「ま、なまえちゃんには関係のない話か。悪いねぇ、怖がらせちゃって」





無意識のうち表情が強張っていたのか、赤林は私の顔を見てハッと我に返ると、再びヘラリとした笑みを浮かべてみせるのだった。しかし、彼のあの冷たい表情を見てしまった以上、今となってはどれも全て偽りなのだと思えてならない。多少なりとも気にはなるが、私には関係のない話だ。とにかく今は第一にここから逃げることを考えなくては。

そこで私は一旦目を閉じ、頭の中を模索するものの、そんなに簡単に良い案など思い浮かぶ訳もない。仮に思い付いても実用性がない。そもそもこの男相手にどう太刀打ちすればいいと言うのだ。下手な行動を取れば、その先に待つものは『死』のみ。この男にとって私を殺すなど、せいぜい五月蝿いハエを殺す程度でしかない。そんな自分の中にあるヤクザに対する悪いイメージが更に拍車をかけ、もはや私にとって目の前の男は『立ちはだかる大きな壁』でしかなかった。敵と認識してしまった今、これ以上の接触は極力避けたい。私はすぐに視線を逸らすと、男の手を払い除けた。





「おやおや、どうやら嫌われちゃったようだ。悲しいねぇ、なまえちゃんとは仲良くなれると思ったのに」





ヘラヘラ、まるで心にも無いことを。





「でもねぇ、仮においちゃんから逃げられたとしても、この建物から脱出するのは不可能だと思うよ?扉の外にはおいちゃんなんかより怖ーいおじさんたちがわんさかいるし、なまえちゃんみたいな可愛い子が無事でいられる保証はないよ?」

「!! ……それじゃあ、私はどうしてこんなところまで……」

「だから言ったじゃないか。誘拐だって」

「……目的はお金ですか?」

「そんなつまらないものに興味はない」





赤林はピシャリとそう言い切ると、再び私の腕を掴み、自分と向かい合うよう強引に身体の向きを変えさせた。





「おいちゃんが欲しいのはねぇ……なまえちゃんだよ」






♂♀





少女が目覚める1時間前


「さて、彼女をどうしましょうか」





四木の言葉に、赤林は「何を当たり前なことを」と言って鼻で笑う。





「色々聞き出すことがあるでしょう。彼女からは」

「そういう名目にしておきたいのでしょう?」

「ははっ、俺に隠し事は向いてねぇや。……ま、正直なところ、その通りですわ」





赤林がやけにあっさりと認めたところで電話の着信音が鳴り響く。発信源である携帯を胸ポケットから取り出し、それでも四木は電話に出ることを躊躇していた。彼の口から確信的な台詞を聞いてしまったその直後、少女と2人きりにするのはあまりに危険だと判断したのだ。チラリと視線を送れば、それに気付いた赤林がちょいちょいと手で払う仕草をしてみせる。俺に構わず電話に応じろとでも言いたいのだろう。しかし、この電話は赤林からしてみればあまりにタイミングが良過ぎた。なんせ自分以外の人間を正当法でこの部屋から追い出すことができるし、今、自分たち以外に彼女の存在を知る者は誰1人としていない。





「彼女は、俺たちにないものを持っている」





そんな突拍子のない赤林の言葉でさえ寧ろ肯定するかのように、四木は薄ら笑みを浮かべてみせた。そして確信する。彼もまた自分と同じように、かつて自分が捨ててきたものを彼女を通し見出しているのだ、と。

今や組のトップに君臨する彼らだが、粟楠会は決して善人たちの集まりではない。道徳に反するようなこともするし、所謂汚れ仕事も時として必要に迫られる。普通の感性を持つ人間では到底耐えられない世界だ。しかし、彼らは自分たちの意思で粟楠会に残ることを望み、自ら化け物となることを選んだ。故に、人として大切なものを手放してきた。彼らは自分が人として欠落していることも、そして人として何が足りないのかも知っていた。知っていて、それを取り戻そうなどとは思わなかった。人間として補完されたところで、この世界で生き残ることはできないであろうことも知っていたからだ。





「……貴方でも、今更戻りたいとお考えで?」

「まさか!それなら今頃とっくに尻尾巻いて逃げ出してますよ」





着信音は一向に鳴り止まない。それは余程急を要する事態なのか、あるいは目上の人物からの呼び出しか、これ以上の居留守に限界を感じた四木は赤林の言葉に眉を潜めつつ、鳴り止まない携帯を片手に部屋を後にした。言葉にせずとも「手は出すなよ」と目線でそう警告して。

その背中をひらひらと手を振りながら見送ると、赤林は再び少女の方へと向き直る。四木がここまで昇り詰める為に何を捨ててきたかは定かでないが、自分が切り捨ててきたものに限りなく近いものなのだろうと思う。赤林は彼女が欲しかった。彼がここまで執拗に欲しがるのにもちゃんとした理由がある。それは若者たちが抱く恋心だとか「付き合いたい」とかいう憧れだとか、そういった淡い感情とは程遠くて、もっと強く激しく、例えるなら人間が生きる為に「食べたい」と本能的に欲するようなーーそんな欲求によく似ていた。なまえという名の少女には自分にはない何かがある。そう確信させたのは、少女のあの目。





「……人殺し、か。間違いじゃあないけど、どうせなら名前で呼んで欲しいねぇ」





それは自分に対する敵意を剥き出しにした者への要求にしてはあまりに現実味を帯びないものではあったが、実際のところ、彼女に人殺し呼ばわりされるのも悪くはない。寧ろ興奮すら覚えてしまう自分はやはり異常なのだろう。それを真っ向から否定するつもりはないし、初恋の相手が切り裂き魔である時点でそもそも普通じゃあない。かつて心底惚れた女性に斬られ、眼としての機能を永久に失った右の目玉は自分の手で抉り取ってしまった。今は形として義眼が埋め込まれているものの、右目を失った時以上に感じた喪失感はこの先埋まることはないのだろう。何故なら彼女はもうこの世にいないのだから。

ぽっかりと空いた箇所が疼く。あれ以来感じることのなかった、久方ぶりの高揚感。その衝撃は初めて女に一目惚れした瞬間とよく似ていた。これはきっとーーいや、間違いなく恋なのだ。



ーー……ま、相手が結構歳下ってのには自分でも驚いてるんだけどねぇ。



若干犯罪の臭いを感じつつも、ここ最近年の差婚が流行っていることを無理矢理言い訳とし、赤林はベッド脇の椅子に腰掛け、少女の目覚めを待つことにした。ヘラリヘラリ、口元に笑みを張り付かせたまま。

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