>扉1枚の隔たりの先で
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※裏は臨也





長い時間操作せず放置されていたが故に自動オフ機能が作動し、自動的に電源の切れた何も映さぬテレビ画面。然程大きくない小さな部屋で、私と彼は言葉を交わす事なく長い時間を過ごしていた。初めは窓から射し込む日の光で明るかったこの部屋もいつの間にかぼんやりと薄暗い。部屋の明かりを点けようとスイッチに片手を伸ばすも、それさえも彼の手によって呆気なく絡め取られてしまった。



「い、ざや」

「いいじゃん。電気なんて点けなくても、俺の顔さえ見えれば」

「でも、もうこんな時間……あんッ」



繋がったままの結合部からぐちゃりと卑劣な水音が響く。そんな彼の意地悪にカァッと顔が熱くなる。それを誤魔化すように咄嗟に顔を背ければ、臨也は強引にこちらを向かせた。

一体これで何度目になるのだろう、始まってしまった負の連鎖。駄目だ駄目だと分かっていても、私にはこの繰り返される悪循環をどうする事も出来やしない。



「こっち向いて」

「……ッ」

「へぇ?逆らうんだ。それじゃあアイツに言っちゃおうかなぁ……?はは、どんな反応するだろうね。まさか自分が仕事で留守にしている間、愛するなまえが別の男とこの部屋で……」



彼の唇に己のそれを重ね合わせ、言葉の先を遮る。自分で自覚しているからこそ他人の口から聞く事が酷く恐ろしかった。臨也は私の反応に満足げに目を細めると、ゆるやかに私からの口づけを受理し舌をにゅるりと挿入する。言葉を遮る為でしかなかったそれが、次第に性的な意味合いを兼ね合い始める。唾液が溢れ零れ落ちるのもお構い無しに、彼は執拗に求め続けた。

1度禁忌を犯し何度後悔に襲われた事か。今の彼に不満がある訳ではなく、寧ろ十分過ぎる程に私は幸せ者だった。彼は私を他の何よりも大事に想ってくれていたし、ただ一緒にいるだけで幸せだった。決してプラトニックとまではいかないが、まるで初恋のような淡い恋心を私に抱かせてくれたのが今の彼――静雄。このアパートも同棲する静雄と共に借りている部屋だ。



「幸せにしてやる」



耳まで顔を真っ赤に染めてぼそりと呟く彼の表情を今でも鮮明に思い出せる。罪悪感はあるものの、こんな時だからこそ大好きな彼の事を想った。早く帰って来て欲しい、だけど今このタイミングで帰って来て欲しくはない。こんな醜い自分の姿を静雄だけには見られたくない――矛盾した私の心情を察したのか、臨也が笑いながらこう告げる。



「大丈夫、なまえは何も悪くない。敢えて言うのなら……そうだなぁ。君のその淫乱な……身体?1度覚えてしまった快感はなかなか忘れられないのさ」

「! やッあ……!」

「ねぇ、気持ち良いだろう?アイツとのセックスと、どっちがイイ?」



耳を塞ぎたくなるような台詞にただただ首を振って拒絶する。嫌なのに反応してしまう自分の身体が酷く憎たらしい。緩く浅く繰り返されるピストン運動と、イけそうでイけない焦れったい感覚がもどかしくて、それでも決して声を漏らさぬ私に臨也は笑みを深めて言った。「質問に答えないとイかせてあげないよ」と。

きっかけは単純。情報屋である彼にとって他人の弱みを握る事など容易い。そして1度身体の関係を持ってしまっては最後、次はそれを脅しのタネに延々と繰り返されるのだ。自分の力で抜け出す事など出来やしない、少なくとも彼がこの悪質な遊びに飽きるまでは。



「も……、やだ……ぁ」

「嫌?こんなにぐちゃぐちゃにしといて言う?説得力に欠けるなぁ」

「じ、時間……」

「あぁ、そろそろシズちゃんが帰って来る頃だっけ」



臨也の声が心なしかワントーン下がる。すぅっと赤い瞳を細め、一瞬だけチラリと窓の外を見やる。私もつられてそちらを見るが迫り来る臨也の顔に遮られた。

ぐちゅぐちゅと生まれては消えていく気泡の卑劣な音が部屋に響き渡り、耳から全てが犯されてゆく。快楽の頂点なんてものはとっくの昔に通り越したような気さえするのに、彼から与えられる快楽は限り無く続き先の見えない終わりに意識が朦朧とする。必死に言葉を紡ごうとすれば口から出るのは涙混じりの喘ぎ声。



「あっ、ああ……、いざや……ァ」

「そうだよ。今、なまえの事を抱いているのは俺。だから、俺以外の事は考えないで」



なまえは何も悪くない――これが言葉の語尾に付け加えられるお決まりのフレーズ。確かにセックスを仕掛けてくるのはいつだって臨也の方からだった。当然弱みを握られた人間が拒絶する事など許されないし、臨也がこの部屋にやって来るのは静雄が仕事で不在中に限る。だからこれは仕方がないのだと、ことごとく自分以外のせいにして責任を押し付けたいのだと思う。

いつだって考えてる。私は今でも静雄が好きで、彼との円満な関係を壊したくないと思うが故に許されたいと願っている。そんな時に臨也から掛けられる言葉の1つ1つが、こんなにも都合の良い酷い私を肯定してくれているようで。私が背負うべき罪の数々を、彼は進んで引き受けてくれる。



「全部、俺のせいにしていいから」

「んっ…う……で、でも」



唇の薄い皮膚を噛んで、少しでも彼からの甘い誘惑に揺らいでしまう自分を責める。彼の放つ言葉の1つ1つは、この行為への都合の良い言い訳に成りうる。自分が流されやすいのは大概自覚していたが、この時ばかりはそういった面を更に強く意識させられていた。

その時、私の言葉を遮るように鳴り響くインターホン。この時間帯にアパートを訪れる人間はかなり限られてくるが、それが仕事から帰って来た静雄であろう事に気付くまでそう時間は掛からなかった。はっと目を見開き、蕩けきった脳髄がようやく機能を取り戻す。



「あ…… し、静雄」



この時私の頭の中を占めたのは、バレてしまってはマズイという焦りよりも早く迎え入れてあげたいという気持ち。きっと今日も仕事でクタクタに疲れて帰って来た事だろう。途端に静雄の事ばかりが気掛かりになって、立ち上がろうと床に手をつくも臨也によって阻まれてしまった。太ももを更に高く持ち上げられ、バランスを崩した私は成す術なく天井を仰ぐ。扉1枚の隔たりの先に愛しい彼がいるというのに、私は一体何をしているのだろう。静雄以外の男と淫らに身体を交え合い、素直に感じてしまう自分を認めたくなくて現実から目を背けてしまう。



「ま、待って、だめ臨也」

「……」

「静雄、が」



臨也の胸元をぐいぐいと押し返し、必死になって抵抗する。しかし静雄の名前を口にした途端セックスは激しさを増す一方で。緩やかだった先程までとは違い何度も何度も良いところを突かれ、律動に合わせて上がる声は他人のものみたいだった。息が出来ない程の強烈な衝撃に足の甲がぴんと張る。強く揺さぶられ、もう何も考えられなかった。



「お願、い……ッ、やめて臨也……!」



先程までの余裕ある表情がまるで嘘であったかのように、いかにも不機嫌そうな顔で上方から私を見下す臨也。暗闇で赤く光るその瞳は酷く冷たい。そして鬱陶しげにうるさいなぁと呟くと、無防備な私の喉元をねっとりと舌で舐め上げた。



「いいから、黙って喘いでてよ」

「アイツの事なんか忘れられるくらい、気持ち良くしてあげるからさ」



♂♀



全て知っていた。俺が仕事でアパートを留守にしている間なまえが男を連れ込んでいる事、それがなまえの意思ではないという事、そして頻繁に出入りを繰り返すその男の正体が臨也なのだという事も。俺は全て知った上で敢えて知らないフリを貫き通してきた。もしなまえが臨也との関係を俺が知っていると知ってしまったら、罪の意識に耐えきれず俺の前から姿を消してしまうような気がして。

手放したくない、どんな状況であれなまえの中の1番でありたい。臨也を許すつもりでは毛頭ないが、彼女の存在を失う事は何としてでも避けたかった。だから多少の事には目を瞑る事にした。例えこの扉1枚の隔たりの先でなまえが臨也と何をしていようと、必要以上に気に掛けては駄目なのだ。これ以上の欲を出してはいけない。俺が少しだけ我慢してさえいればなまえとの今の関係は保たれる。



「なまえ、ソファの上で寝ているよ。ちょっと無理させちゃったかな?」



部屋の扉から出て来た臨也はにやりと不敵な笑みを浮かべながら挑発的にそう言った。逃げも隠れもせず堂々と玄関から姿を現したという事はやはり、わざと俺にバレるように今まで振る舞ってきたという事なのだろう。今更大して驚きはしない。どうせそんな事だろうとは思ってはいたし、悪趣味な奴の事だから俺の怒り狂う様を心底楽しみにしていたに違いない。だから敢えて怒りの感情を噛み殺し、臨也を目の前にしても尚俺は耐え続けた。こんなノミ蟲みたいな野郎の思い通りになってはたまるか。



「へぇ、俺を責めないんだ」



俺の反応を見て案の定臨也はつまらなそうに声を上げる。「なまえに手ぇ出すんじゃねぇ」だとか「こんな時間まで人の家で何してやがった」と怒鳴り散らして胸ぐらを掴む、そんな怒り狂う平和島静雄を期待していたのだろう。多分、普段の俺なら迷わずそうしていた。現に今すぐこいつを殴り殺してやりたいくらい。

我慢しろ、耐えるんだ。呪文のように頭の中で自分に言い聞かせ、それでも目の前に立つ憎くき対象への嫌悪感を露に顔を歪ませる。



「可哀想に。君はなまえとの関係を壊したくないが故に、そうやって何も知らないフリをし続けるんだね」

「……」

「心はともかく、あの子の身体はもうとっくに俺とのセックス無しでは生きられなくなってる。なんたって俺がそう仕組んだんだから」



声を耳にしているだけでも不愉快だ。何も言い返さず無言のまま奴のすぐ隣を通り過ぎる。通り過ぎ際に一瞬だけ赤い瞳と目が合った。真意の読めないその瞳を睨み返す。扉に手を掛け、一言だけ言い放った。



「このまま手前の好きにさせる気はねぇよ」

「ふぅん?どうだか」



わざとらしく大きな音を立てて扉を閉める。早く顔を見て安心したくて、ネクタイも取らずになまえが眠っているであろうソファへと向かった。すやすやと眠るなまえの寝顔を見るなり1つため息を漏らす。俺が帰って来るまでの間臨也と何をしていたのだろう。臨也の言う事を鵜呑みにすればやはりなまえは臨也と――

ふいになまえの喉元へ目がいく。その正体を確認するとカッと頭に血が昇った。



「……ッ!!」



それは一見虫刺されのようにも見えた。しかし見れば見る程虫刺されではない事に気付く。なまえの白くて綺麗な喉元に無数に咲き誇る赤い花。その存在を主張するかのように花の如く赤いキスマークは鎖骨にかけて無数に散らばっていた。

その中でも一際目立つ所有の印を親指の腹でぐっと押す。喉元の丁度動脈が流れている辺り、どくんどくんと流れる血液はなまえが生きている何よりの証拠。出来る事なら食いちぎってでもして、今すぐアイツの印を消し去ってしまいたかった。そんな事をしたらどうなってしまうかなんて分かりきってはいるけど、自分のものに他人の名前が記されているというのはどう考えたって挑発でしかない。



「あいつなんかに渡してたまるかよ」



例え何度臨也がなまえに触れようと、その何倍もの愛をお前に注ぐから。なまえが俺の側にいてくれるのなら、多少の事は目を瞑ってやるから。そうまでもしてなまえを必要とする俺はきっと誰よりも弱く脆い。





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