>愛しい君を道連れ
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※来神時代





「せんせー絆創膏ちょーだい」



ガラリと音を立ててドアを開けると、そこは薬特有の匂いが漂う白い個室。入ってすぐ視界に入るベッドには薄いカーテンが掛けられており、白衣を来た教師の姿はない。とりあえず本来の目的を達成すべく辺りをキョロキョロと見回してみたけれど、絆創膏を見つけ出すことは出来なかった。

別に大した用事で来た訳ではない。ただ、シズちゃんが投げ飛ばしてきた教卓の角が運悪く当たってしまったのだ。うっかり油断していたのが悪かった、滅多に怪我をするようなヘマはしないのに。そんな自分に軽く舌打ちをし、俺は気だるい身体を休めようとベッドのカーテンを開いた。先に言っておくが俺は決して授業をサボるような不良ではない。確かに問題児扱いされているというのは否めないが、ぐちぐちと文句を言われるのが面倒なので、とりあえず学生として強要される最低限の事柄は徹底的にこなしているのだ。だからテストの順位なんかはそこそこ上位に安定しているし、お陰様でしつこく生徒指導を受ける事もない。



――……おや?



ベッド脇、綺麗に揃えられた上履きに記された名前に見覚えがあった。勿論この学校に通う全生徒の名前なんてものは既に脳にインプット済みなのだが、この名前には特別な思い入れがある。断りもせずにカーテンを開き、ベッドで眠る人物を確認する。ああ、やっぱり彼女だ。思わず口端が緩んでしまった。一方当の本人はスヤスヤと眠ったまま己に注がれる視線に気付く事なく、それを良い事に俺は隣でゴロンと横になる。

彼女――苗字なまえは俺の現観察対象者だ。何故かって、答えは単純。彼女をもっと深く知りたくなったから。なまえを見ていると柄にもなく胸がほんわかと温かくなるのだ。それは大好きな人間が悩み苦しむ様を見て愛しいと感じる時とは違う、もっと柔らかで優しいもの。そして不思議なことにこの感情はなまえを見ている時にしか得られない。これが所謂『初恋』なんてものなのだと気が付いたのは、つい最近のこと。



「いいご身分だよねえ」



俺が柄にもなく悩んでるってのに、当の本人は暢気にスヤスヤと眠っているんだからさ。そんな寝顔が憎たらしくて、頬をツンツンと突っついてみた。



「む…―― う?」

「あ、起きちゃった」

「! い、臨也!?」



なまえはとろんとした目を此方に向けるなり、がばりと勢いよく起き上がる。しかしすぐに枕へと頭を埋めると同時に、具合の悪そうな呻き声をあげた。どうやら何処かが痛むらしい。

性格は至って真面目な彼女の事だから、初めからサボりでない事くらいは分かっていた。周りの状況から察するに、今日保険医は休暇を貰っているらしい。保険医(ちなみに女)が愛用しているブランドもののバッグが何処にも見当たらないのだから。いつもは無造作に広げられた机の上のノートや日誌も、今日は小綺麗に端の方で並べられている。



「具合悪そうだねえ」

「……昨日から、食欲なくて……」

「学校休めばいいのに」

「……んー……」



答えになっていない曖昧な返事を返され、俺はやれやれと肩を竦める。きっと1日中無理をしてでも授業を受けたかったのだろう。



「ねえ、絆創膏知らない?切っちゃったんだけど」

「絆創膏?私ので良ければあげようか?」



そう言ってなまえは手元のバッグの中をごそごそと漁り出す。はい、と手渡された絆創膏は、何の可愛いげもないごく普通の絆創膏。



「よかった。ここで可愛い柄ものとか出されたらどうしようって思った」

「キティちゃん柄ならあるよ。どっちがいい?」

「……なまえさ、俺が顔怪我してるの知ってて言ってるだろ」

「ふふ、きっと可愛いと思うよ?」



別になまえがくれるものなら何だっていいんだけどさ、心の中でそう呟いた。だけど口には出さない。それは人より常に優位な位置に立っていたいという、つまらない意地があったから。

もし俺が普通の高校生だったら惜しみなく愛の言葉をなまえただ1人に囁けたのだろうけれど、今やそれは叶わぬ夢。しかし決して普通に戻りたくなった訳じゃあない。そもそも今の俺にとって非日常こそが日常であり、凡人が過ごすような日常こそが非日常の対照なのだから。多少厄介なくらいが丁度良い。だってその方がずっと楽しいだろう?



「ねぇ、貼ってよ」

「……へ」

「ここ、鏡ないし。顔見ながらじゃないと、傷の位置分からないからさ」

「か、鏡なら私、持って」

「いいからいいから」



布団の上に座り、ずいッと顔を突き出してニコリと笑う。なまえはほんの少し赤くなりながら、戸惑いつつも絆創膏を貼ってくれた。

そんな時コンコンと扉をノックする音。2、3度繰り返され、何の反応もなしにシンと静まり返る。俺は内心舌打ちをし、出来るだけ何食わぬ顔で誰だろうねと言ってみせた。今の時間帯なら普通生徒は授業に興じている頃だろう。授業中に急に具合の悪くなった生徒か、もしくは体育の授業中に怪我を負った生徒か――



「なまえ ……いるか?」



そんな予想は、扉の向こう側から発せられた声によって打ち砕かれた。俺がこの声を聞き間違えるはずがない。なんたってその声の持ち主は、俺が唯一忌み嫌う人間――化物なのだから。



「! シズちゃん!?」

「なあ、入ってもいいか?」

「え、ええと」



なまえが遠慮がちに俺の顔を見て言葉を濁す。俺とアイツが犬猿の仲だというのはこの学校じゃあかなり有名だし、勿論なまえだってそれを知っている。だからこそこうして俺に気を使っているのだろうけど、そんな事どうだってよかった。

激しく気に入らない。俺の知らないところで、いつの間にシズちゃんなんかがなまえと親しくなっていたのだろう。2人で話しているところなんて今まで1度も見た事がない。しかしアイツがなまえを呼び捨てで呼んでいるくらいだし、やはりそれなりに仲は良いのだろう。なまえの方も恐れる様子を全く見せない。なんだよこれ……不愉快だ。



「……いいよ。俺、バレないように隠れてるからさ」

「えッ。で、でも」

「大丈夫だって。シズちゃん意外と鈍いから」



いいや、これは嘘だ。アイツは化物並に勘が鋭い。本人曰く俺の居場所は臭いで分かるのらしいし。失礼しちゃうよねえ、まるで俺が不潔みたいじゃあないか。



「でも、隠れる場所なんて何処に……」

「入るからな」

「ち、ちょっと待……!」



ガラッ



保険室の扉が開くのと俺が布団の中に潜り込んだのは、ほぼ同時だったと言ってもいい。なまえはそんな俺の行動に驚きを隠せずにいたものの、シズちゃんの姿を確認するなり平然とした態度を保とうとする。だけど俺にはバレバレ、声音がほんの少し上擦っている。



「どうしたの?今、授業中でしょ?」

「抜けてきた」

「! だ、駄目だよ!今すぐ戻らないと……!」



それでもシズちゃんは帰らないの一点張りで、なまえはとうとう諦めたように溜め息を1つ溢した。こんな奴、最初から放っておけばいいのだ。元々成績は良くないのだし、それ以前に遅刻や早退で明らかに必要日数が足りていない。俺のせいと言えばそれまでなのだけれど。しかし学校側としてもシズちゃんみたいな問題児をこれ以上留めていたくないのが本音で、きっとヤツも留年する事なく来年度卒業してゆくのだろう。

布団の中はほんの少し息苦しくて、それでも不快に思う事はなかった。なまえにとっては手に汗握る事態だとしても、俺にとっての今の状況は心底楽しくて仕方がない。きっと今俺が少しでも動いたりしたら、シズちゃんは俺の存在にいち早く気付くだろう。



「なまえがいねぇとつまらないんだよ。授業なんざ」



あーあ、馬鹿みたい。なんで俺がシズちゃんなんかの口説き文句を聞かなくちゃならない訳。いっそのこと大笑いでもしてやろうか。



「俺のせいなんだろ?……その、身体痛ぇの」

「ッ!」

「俺、昨日……なまえの事……」

「し、シズちゃん!」



なまえが慌ててシズちゃんの言葉を遮る。勿論シズちゃんは俺の存在に気付いていないのだし、今も2人っきりの空間なのだと思い込んでいる。だからこそプライベート筒抜けの会話も躊躇なく出来る訳で。しかしなまえは俺が今ここにいる事を踏まえて敢えてシズちゃんの言葉を妨げたのだ。

ヤツは今何を言い掛けたのだろう。想像するのは容易いが想像したくもない。だってそれを俺が知ってしまったら、それはもう――



「早く来いよ。俺、教室で待ってるから」

「……うん」



もうじき6限目も終わり放課になる頃、シズちゃんはぼそりとそう言った。次いで授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、途端に賑わしくなる窓の外。保健室は校舎の1階にあるから、窓からは帰宅する生徒達の姿をたくさん見る事が出来るだろう。俺はいつもその様子を屋上から眺めていた。

ガラリ、と再び扉の音。また誰かが教室に来たのではなくて、アイツが保健室から出て行こうとしているのだろう。俺はそれを確認するなり布団から出て、上半身だけ起こしたなまえの身体を無理矢理押し倒した。



「ひゃあッ!?」



同時にどさりとベッドへ雪崩れ込む音。声と物音両方に気付いたシズちゃんの背中が僅かにぴくりと反応した。そうさ、気付いてもらわなければ困る。だってこれはヤツに気付かせる為の意図的なものなのだから。



「ッ、臨也……!?」



まるで今まで何処に居たと言いたげな、不意を突かれたような顔。とんだアホ面だと内心嘲笑いながら、俺は勝ち誇ったように薄く笑ってみせた。振り返るヤツの目をしっかりと見て。

君って案外鈍感なんだね。



「いざ、や?」



不安げななまえの顔、ぞくぞくする。だけどなまえが1番気にしているのはシズちゃんの事。今の俺等を第三者的な立場で見れば、それこそ今にも行為に至りそうな雰囲気のカップルにしか見えないだろう。年頃の男女が同じ布団の中でする事なんて限られている、きっとシズちゃんの目にもそう映っているに違いない。

ざまあみろ、そして失望してしまえ。今まで自分を愛していると信じ込んでいた彼女が自分以外の男と――



「ねぇ、なまえ」



愛してるよ。声には出さずに、口の動きだけでそう告げた。なまえが目を大きく見開く。そして俺はヤツが見ている前で、なまえの唇に己のそれを躊躇なく重ね合わせてみせた。……そうそう、その顔。俺は君のその顔が見たかったんだ、受け入れがたい現実を全否定しようとするその瞳が。どうせなら一緒に堕ちてしまおう、もう後戻りの出来ない地の底まで。

さぁ、シズちゃん。君はどうする?目の前の現実を素直に受け止め、俺を殴る気力が今の君にある?それとも彼女に裏切られたと落胆し、誰も信じられなくなるかい?黙ってないで何とか言いなよ。そんな呆けた顔してないでさ、ほら早く。

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