>嘘つきはだあれ
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今日は朝から早々、最悪な1日になりそうな予感――

ガタンゴトンとテンポ良く揺れる帰宅ラッシュ時の電車の中、私はつり輪に手を掛けたまま視線だけをチラリと向けた。しかし人がかなり密集している為、今の自分の状況を上手く把握出来ずにいる。ただ1つだけ言える核心的な事実――それは背中を駆け上る嫌な感覚が私に物語っていた。都会、しかもこうして人が密集する時間帯にはよくある事だ。勿論しょっちゅうあっては困るのだが。再び前方の車窓へと目を向け、景色を眺めつつ溜め息。目まぐるしく変わる景色に酔いそうになって、慌ててそこから視線を外した。



――……痴漢、とか



どうしよう。精一杯のヘルプの意味合いを込めて視線を巡らせてみたけれど気付いてくれる人は誰1人としていなかった。もしかしたら気付いているのかもしれないが、とにもかくにもこの場に先陣を切って助けてくれる頼もしい勇者はいない。それが私にとっての不運の始まりであり、日本人という名の比較的大人しい人種の性質を身を持って実感する事となる。そもそも痴漢という卑小な行為をする時点で大人しいとは言い難いのではないか。どんなに考えても人間という生き物を理解するのは難しい。

勇者、といえば。ふと懐かしい人物を思い出す。もうしばらく会ってはいないけれど、私には同い年の幼なじみがいた。所謂、友達以上恋人未満。少なくとも私にとっては。しかし当時私達は高校生だったという事もあり、彼とちょっとでも親しくすれば、次の日には色沙汰となってクラス中に広まっていたものだ。今思い返せば、私は彼につくづく助けられていたっけ。そんな、今となってはちょっぴり甘酸っぱい青春時代の思い出。どっぷり浸りたいのは山々だが、今は生憎それどころじゃあない。



「! ……ぁ」



漏れてしまった自分の声で我に帰り、周りに気付かれてしまったのではないかと口を塞ぐ。ただ撫で回すだけだった行為は徐々にエスカレートし、男はあろうことか私のスカートを躊躇なく捲し上げてきたのだ。助けを求めたくても、今の状況を他の人に知られたくないと思う気持ちの方がどうしても勝ってしまう。

するり、と下着に入り込んできた指先がひんやりと冷たい。どうしよう、まじで洒落になんない。ここまできてしまっては尚更助けなんて求められない。口を両手で覆い、額を自動ドアに密着させる。此方側の自動ドアが開くのは、もう数個先の池袋駅だったはず。それが不幸中の幸いか。こんな姿、真っ正面から見られてしまえば一溜りもない。



「んぁッ、ふ……ぅ」



そんな事を考えているうちに、か細い指はゆっくりとした動作で割れ目を何度も往復し始めた。必然的に漏れてしまう声を出来るだけ最小限に抑えようと、ただただそれだけに全神経を注ぐ。見られているかもしれない、そう考えるだけでたくさんもの視線を痛い程に感じた。ただの被害妄想なのかもしれない、それでも感じてしまうのは何故?

その時、ふいに過去の記憶が頭を過る。昔、痴漢から私を助けてくれたのが彼だった。当時何も知らなかった私は、自分が今何をされているのかまるで理解出来ていなくて。背後から聞こえる下品な笑い声にただ怯えてた。しかし今、頼れる彼はいない。少しでも気を抜いたら身体が崩れ落ちてしまいそうで、何も出来ずに耐え続ける。それを良い事に男の指は、とうとう私の中にまで侵入してきた。



「!!?」



既にたっぷりと潤っていた性器は男の指をすんなりと受け入れ、私の意思とは裏腹にヒクヒクと悦びの反応を見せる。強引に奥まで挿入され、私がその痛みに肩を震わせようとも、どんなに嫌々と首を振っても解放される事はなかった。下半身に鈍痛が走り、中の異質感に眉を潜める。それでも私は我慢した。願わくば男が1秒でも早く私に飽きてくれますように……その為にも男が喜ぶような反応は絶対にするものかと心に決めたが、身体はどう足掻いたって正直だ。その痛みすらも快感に変えてしまう。

無理矢理挿れられたせいか初めは痛くて、じわりと目尻に涙が滲む。一方男はもう片方の手で下着を膝の辺りまでずり下げると、そのまま露出された秘部へと手を伸ばした。その間にも挿入された右手の指は円を描くように中をかき混ぜ、その度にクチャクチャと音を立てる。幸い水音は他の人に聞かれる事なく、話し声やら電車の音に掻き消された。しかしここで私が耐えきれずにバランスを崩して倒れてしまえば、きっと周りの者は気付くだろう。私が痴漢を受けていた事、その行為を私はずっと受け入れていた事――きっと痴女扱いされるに違いない。そんな事を頭の中で想像するだけで、じわりと愛液が滲み出るのが分かった。



「ひぁッ!?」



左手の親指と人差し指が陰核をキュッとつまみ上げ捕らえた。ぐるぐると回るだけだった右手の指もやがて激しい抜き挿しを始め、最奥を突く度にぐりぐりと指の腹を擦り付けてくる。指先が中の内壁を掻き分けて入ってくるだけでも痛いのに、何故かそれさえも気持ち良くて。私の身体は一体どうなってしまったのだろう。相手は知らない男のはずなのに、どうして……?



「やだァ……、いざ、や」



無意識のうちに、私は彼の名前を呼んでいた。もしかしたら彼が助けてくれるんじゃないかって、有りもしない希望を抱きながら。



「いざや…、臨也……!」





次の瞬間、男の動作がピタリと止まる。それはまるで夢を見ているかのようで。恐る恐る振り返った先には、私の知っている彼よりも遥かに大人っぽくなった彼が立っていた。背も少し伸びている、だけどあの優しげな笑みだけは変わらない。見間違える筈がない、ホンモノの臨也。驚きのあまり口をパクパクとさせる私を見て、彼は可笑しそうにふふ、と笑った。

にっこりと笑う臨也の右手は、見知らぬ男の腕を掴んでいる。いてて、と情けない悲鳴を上げるサラリーマン風のこの男を私は知らない。容赦なく力いっぱい掴まれているであろう男の腕はあらぬ方向へと曲がっていて、もしかしたら痴漢犯かもしれないこの男相手に思わず同情してしまいそうになった。異変に気付いた周りの乗客がザワザワとざわめき視線を向ける。それよりも早く臨也は私を庇うように前方に立ち、その間にも私は何とか乱れた格好を整える事が出来たのだ。



「ち、違う!俺はやっていない!」

「往生際が悪いなぁ。なまえ見て、興奮してたくせにさ」



それから着々と事態が進行してゆくのを、私はただ呆然と見つめていた。それからもやっていないと一点張りだった男は強制的に最寄り駅で降ろされ、駅員のような人物に連行される。一方私は未だに頭がパニックで。私を気遣う周りの声もあまり耳に届かなかった。



♂♀



「あ、あの!本当に……臨也、ですよね?」

「酷いなあ。忘れちゃったの?なまえって案外薄情なんだねえ」



そう言って冗談っぽく笑う臨也。こうやって私をからかうところも、本当に全部彼そのものだ。何色にも染まっていないサラサラの黒髪も、優しくはにかむ表情も、切れ長の瞳も、何もかも昔のまま。ただ彼の纏うオーラのようなものが何処か大人びていて、思わずドキッとしてしまった。

臨也に案内されて来たこの場所は、見るからに高級そうな高層マンションの一室だった。どんな仕事をしているのかまでは分からなかったけれど、しっかり者の臨也のことだから、きっとたくさん稼いでいるのだろう。本棚にびっしりと隙間なく並べられた資料やファイルの数々、新宿の眺めが一望出来るガラス張りの側面。まるでいつかドラマで見た、いかにも社長がいるに相応しいような部屋だ。はい、と笑顔で差し出されたお茶を一口飲む。こういう、いかにも高級そうな部屋はどうも落ち着かない。



「そんなにキョロキョロしたって、なにも面白いものは置いてないよ」

「え?い、いや……そういう訳じゃなくて。臨也も立派な大人なんだなぁって」

「どうして?」

「こんなに立派な部屋まで持ってて、私なんかと全然違う。すっかり大人だよ」

「そうかな、俺はなまえも変わったと思うよ。なんだか、大人っぽくなった」



容姿を褒められて嬉しいはずなのに、私は違和感に首を傾げる。臨也の創る笑顔が偽物に思えて仕方がないのだ、まるで紙で切って作った仮面を被るような――



「さ、さっきは……その、ありがとう……」

「良かったねぇ、俺がいて。駄目だよ?ちゃんと抵抗しなくっちゃ。それとも羞恥プレイとか……好きだったりしちゃうワケ?」

「!!? な、何言ってるの臨也!?」

「あはっ、冗談だよ。ジョーダン。でも……さ、俺の名前呼んでいたの、空耳なんかじゃあない、よね?」

「……う、」



そこに流れるのは久方ぶりであるにも関わらず、とても居心地の良い温かな雰囲気。高校を卒業して以来私は大学へ、そして臨也は自立へと別々の道を歩み始めた私達。臨也の学力でならきっとレベルの高い大学にでも入れただろうに、と当時の私はそう思ったのを今でも鮮明に覚えている。それっきり連絡を取るようなこともなく疎遠になっていたが、不思議と気まずいなんてこともない。



「臨也、変わったね。雰囲気、というかさ」

「それは、良い意味で?俺は喜ぶべきなのかな?」

「勿論、良い意味で」



言ってから何だか照れ臭くなって、すぐに視線を窓の外へと向ける。そこから見える夜の景色は、街中の騒々しい光にさえ染まることはない。何処までも、夜の闇は空全体を覆っている。
気付いたら私の視界には臨也がいて。なまえ、と穏やかに私の名前を呼ぶ。そして臨也は語り出す。思いもがけない真実を――



「俺ね、好きなんだ。なまえのこと」

「……え?」



唐突な愛の言葉。それは私を動揺させるのに十分過ぎるくらいの言葉だった。



「この数年間で、俺はたくさんのものを切り棄ててきた。情も、哀れみも。家族や友達、あとは……そうだなぁ、他人との信頼関係とか。でも、そんな俺にも棄てきれないものが1つだけあった」

「俺は考えた。棄てられないのならいっその事、自分の所有物にしてしまえばいいんじゃないかってね。例えば……そう。君、とか」



刹那、目の前の風景がぐにゃりと歪んでゆらゆらと揺れた。船酔いの際感じるような不快感に口元を両手で覆う。目眩、或いは偏頭痛だろうと思ったのだ。時が過ぎるのを待ちさえすればいい、しかし暫く経ってもその症状が和らぐどころか次第に悪化してゆく。助けを求めるように臨也を見るが、彼は相変わらず口元に笑みを張り付けている。背筋を冷たい汗が流れる、少なくとも『今の彼』は私の知っている臨也じゃない。



「あぁ!最ッ高にいとおしいよ!何も知らない!疑わない!純粋で無垢な君のことだから、幼なじみってだけでこの俺を心底信用しきっているんだろう?いいよねぇ、無知って!」



背筋が凍り付く。化けの皮を脱いだ、この男は――誰?



「……まぁ、そこがなまえの盲点でもあり、愛すべき点だよねぇ。俺はそんなところもひっくるめて、ありのままのなまえが好きだ」



相変わらず揺らめく視界の中、私は両手を此方へ差し伸べる臨也を見た。その手は私の後頭部へと確かに回され、ゆっくりと彼の胸へ引き寄せられてゆく。どうしようもない吐き気、頭痛が増す。気持ち悪い、だけど臨也の腕の中はとても心地良い。臨也の甘い声が囁き掛ける。直に鼓膜を震わすような、その声音がなんだかとてもくすぐったい。

臨也のか細い指先が内腿に触れる。この感覚を私は嫌と言う程味わった。それもついさっき電車の中で――



「夢にも思わないだろうねぇ。"真犯人が俺"、だなんて。身代わりになったあの男には悪い事しちゃったかな?……ま、喘ぐなまえを見て助けずに興奮してたのは事実だし」

「俺以外の人間がなまえ相手に欲情するなんて、正直不愉快だったからねえ」






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