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なまえの家に上がるのは、今回が初めてだ。そもそも出会って間もないし、彼女との関係に名前をつけるとしたら、せいぜい「依頼主」と「請負人」といったところ。こういった経緯になったのも仕事が関わっているからであって、決して私情があるわけではないが、霊幻に変に茶化されたせいで、エクボはどこか複雑な感情を抱えている。それにしたって、なまえもなまえだ。あまりに危機感がなさすぎる。もし、彼女に招かれたのが自分ではなく、下心丸出しの変態男だったらーーなんて、考えるだけでゾッとする。



「で、物音がするってのはどこなんだ」

「具体的に、ここ、って言えるわけではないんですけど。ひとりでいると、気配を感じるんです。それで、急に怖くなって、家族のいるリビングに逃げ込んで」

「なるほどな。お前さんがひとりでいることが多いっつーと、やっぱ自分の部屋か?」

「そうですね。あとは、たまにお風呂とか......トイレ、とか」

「まじかよ。覗きが趣味ったぁ、とんだ変態幽霊だな」



階段を上ると、外から見てちょうど窓のあった位置に、彼女の部屋はあった。綺麗に片付けられた部屋は、しっかり者の彼女のイメージそのものであったが、ベッド脇へと視線を移せば、可愛らしいぬいぐるみが飾られており、意外にも可愛らしい趣味してんじゃねーか、と、口には出さないものの、心の中でそう思う。



「見える位置に設置してもあからさまだろうし、ベッド下にでもひとつ置いとくか?部屋自体そんな広いわけでもねぇから、ねずみ捕り設置するっつっても、場所は限られてんだよなぁ」



エクボがその大きな身体を縮こませ、ベッド下へと長い腕を伸ばす。ねずみなんかよりも、むしろアレが捕まるんじゃねーの。ほら、あの黒光りしてて、やたら触角が長いヤツ。遠回しにそう伝えると、なまえは一瞬にしてその表情を凍りつかせた。どうやら虫は苦手らしい。



「これでよし、と。残りは適当に置いとくか。見られちゃ困るような場所はあるか?」

「特にそのような場所は......タンスの中、くらいでしょうか」

「......」

「......あの、私の言っている意味、分かってます?」

「いや、なんつーか、見ちゃいけないって言われるほど、見たくなるのが人間の心理だよな」

「!?」

「へへっ、冗談ジョーダン。ま、他人に見られたくないものの一つや二つ、誰にだってあるよな」

「べっ、別にやましいものなんて、何もないですからね!?その......し、下着とか......そういうのがしまってあるからって意味で......!」



エクボが少しからかってやると、なまえはその顔をみるみる真っ赤にさせ、慌ててあたふたと両手を振って弁解した。

外で会うのとは違い、今の彼女はどこか開放的であるようにも見える。自分の部屋にいるから、普段よりもリラックスしているのだろうか。ころころと表情が変わる様は見ていて楽しいもので、第一印象は大人びた女性だと思っていたものだから、それが覆されたというか、実はこんな一面もあったのだと気付かされる度に、とても新鮮な気持ちにさせられた。



「お前、結構可愛いとこあるんだな」

「へっ!?」

「あー......いや、今まで可愛いと思っていなかったわけじゃねぇんだが、お前さん、見た感じ取っ付きにくいからな。美人ってのは、なかなか声掛けづらいんだとよ。世の男どもは」

「......別に、モテたいだなんて思ったこと、ありませんから」

「そのセリフ、俺様の知り合いには聞かせられねぇな。世の中にはな、モテたくてモテたくて、必死に筋トレしてるヤツもいるんだぜ」

「筋トレするとモテるんですか」

「さぁな、俺様にはよくわからん。ただ、人間ってのは本質が一番だ。......と、俺様の知り合いの霊能力者は言いましたとさ」

「じゃあ、エクボさんはどう思いますか」

「ああん?」

「人間にとって、一番大切なものって、なんだと思いますか」



やけにしっかりとした口調だった。先ほどまでとは打って変わって、今のなまえの表情からは感情の色が伺えない。怒っているのか悲しんでいるのか、それさえもわからず、エクボは彼女からの無言の視線を、そのまま黙って受け止めた。

暫し見つめ合い、やがてあきらめたように、ふぅ、と先にため息を吐いたのはなまえの方だった。彼女はまるで糸の切れた操り人形のように、重力に従い、がくん、とベッドを背に座り込む。張り詰めていた空気から開放され、安堵のため息を吐いたのは、エクボも同じである。



「すみません。変なこと言っちゃいましたね。忘れてください」

「いやいや。どうしたんだよ、一体。なにか他に悩み事でもあるのか?」

「大丈夫です。なんでもないです」

「大丈夫?その顔で?なぁ、なまえ。お前さんよぉ、ひとりで抱え込むのもたいがいにしろよ。弱音を吐くことがかっこ悪ぃことじゃねぇんだぞ」



そこまで言って、エクボはふと、あることに気が付く。



「......なまえ。お前、顔色悪いぞ」

「......」

「おい、いつからそうなった。ったく、無茶しやがって。こりゃあ、のんきにねずみ捕り仕掛けてる場合じゃあねぇぞ」

「すみません。安静にします、から。もう、大丈夫。ひとりでなんとかします」



大丈夫、と連呼する者ほど、その言葉に信憑性はない。エクボはなまえの身体をひょいと持ち上げると、そのままベッドに横たわらせた。突然具合が悪くなったり、身体がだるいと感じるのは、生霊に憑かれた人間の典型的な症状。いくらエクボが定期的にそれを取り除いてやったところで、エクボの目の届かない場所で、なまえの身体は確実に蝕まれていた。しかも、思っていた以上に事態は深刻である。それにいち早く気付くことができなかったのは、普段なまえが気丈に振る舞っていたからであったが、結果、彼女の辛抱強さが逆に仇となった。

この時、エクボは本気で自分を殴りたくなった。依頼を受け、必ず解決すると大口を叩いておきながら、この有り様だ。すぐ近くにいたにも関わらず、どうして気づいてやれなかったのだろう。まさかこの上級悪霊エクボ様が、たかが一匹の生霊を見逃すわけがない。そこで、エクボが様々な考えを巡らすと、結論はすぐに出た。生霊は、人間と同じように類を呼ぼうとする性質を持つ。自分と同じように、周りの人間をターゲットに執着させ、さらに生霊を呼ぶのだ。となると、今、なまえの身には大元を特定できないほどの複数の生霊が憑いており、このまま放っておけば大変なことになる。



「なまえ。ちょいと手首、見せてみろ」

「? 手首が、どうかしたんですか」

「クビと名の付く部位はな、人間として死に直結する重要なところなんだよ。だからこそ、一番ダメージが起きやすい」



エクボがなまえの左手を取り、袖を捲ると、案の定、そこには手跡のような痣がうっすらと残っていた。これが、生霊の仕業であるなによりの証拠である。



「......」



なまえの左手を両手で包み込み、エクボはその場に跪く。結構、手、ちいせぇんだな。女だもんな。そんなことを考えながら、ギュッとその手に力を込める。

今、最も優先すべきことを考えた。それは言わずもがな、なまえの回復。まずは、彼女に取り憑いた生霊らをすべて引き剥がさなくてはならないが、ひとつひとつ摘まみ上げるのは骨が折れる作業だし、それはまるで広い砂漠の中で、ちびちびと砂鉄を集めるのと同様、気が遠くなるような作業である。となると、エクボの知る限り、対処法はたったひとつ。



「なまえ。辛いだろうが、耳だけこっちに向けろ。今、なまえの身体には数え切れねぇくらいの生霊がうじゃうじゃといる。これは、今すぐにでもどうにかせりゃならん。そこで、だ。お前さんは嫌かもしれねぇが、ここはひとつ、荒技を使う」

「荒技......もしかして、エクボさんが言っていた、他の霊を寄せ付けない方法ですか......?」

「それとは別だ。それはあくまで予防法であって、今からするのは治療法だからな。ほら、風邪を引かねぇようにマスクをするだろう?あれが予防法。治療法ってのは、まぁ、座薬使うくらいのもんかな」

「座薬!?」

「例えだ、例え。それはないから安心しろ。ただ、ちょっとばかし我慢しろよ。酸欠で多少苦しいかもしれねぇが、死にはしねぇ」

「???」



始め、なまえは一体何を言われているのかわからなかったが、その意味をすぐに理解することとなる。



「いいか、なまえ。これはノーカンだ」



エクボがベッドに上がり、なまえの身体へと覆いかぶさる。右手を彼女の左手に絡ませたまま、左手を彼女の顔の真横につくと、ギシリ、とベッドが軋んだ。



「のーかん?」

「おぅ。ノーカウントの略だ。わかったか。わかったなら、ほら、さっさと目ぇ閉じやがれ」

「目、閉じて、なにするつもりですか」

「じ......っ、除霊だよ。除霊。別に変なことしようだなんて思ってねぇぞ。即終わらせるから、動くなよ」

「でも、これって......キス、ですよね」

「だーーっ!言葉にするんじゃねぇ!」

「そんなので、本当に除霊できるんですか」

「あぁ、確実に楽にしてやるさ。一匹残さず、食い尽くしてやんよ」

「霊って食べられるんですね」

「......俺様限定だからな。間違っても、他の霊能力者とするんじゃねぇぞ。他にそんなことを言う輩がいたら、それは間違いなく偽物だ」



ムードもへったくれもないような会話を交わしながら、ふたりの距離は徐々に縮まってゆく。その間にも、なまえの容態は急激に悪化し、もはや息も絶え絶えで、恐らく、意識も定かではない。一方エクボはというと、これは除霊だこれは除霊だ、と、まるで呪文のように同じ言葉を繰り返しながら、自分に強くそう言い聞かせていた。まるで、今の自分の行いを正当化するかのように。いや、そもそもこの行為は合法的(?)であって、彼女を救うためには致し方ないことだ。なにも特別な意味なんてない。ただ、その除霊方法というのが、互いの唇と唇がくっつく、というだけで。それにしたって、今のなまえは妙に色っぽいではないか。唇から漏れる吐息は熱っぽく、頬をわずかに赤らめ、その瞳を潤ませーーだぁっ、くそ、この俺様がなんて様だ。

何百年もの長い時間、他人よりも永くこの世に留まり、その間、たくさんの人の生を見届けてきた。時には悪事へと誘導し、また、時には気まぐれで救いにもなった。それらの行いに個々への思い入れなどない。ただ、本当に気まぐれだったのだ。そうすることで、多少なりともこの世への執着や未練に繋がるのなら、なんだってやった。この世は楽しい、捨てたもんじゃない、と、そうやって思い続けていられる限り、彼はまだ消えない。



ーー消えたくない。



夢なんて、正直なところなんだってよかった。だが、「夢を見ること」は誰にでも隔たりなく平等に与えられた、ひとつの権利である。生者だろうが、死者だろうが関係ない。ならば、どうせなら馬鹿でかい夢を見てやろう。凡人が思いつかないような、決して叶いそうもない夢を。

だからこそ、ありえないのだ。彼は心の底から神になることを願っていて、そのためならなんだってできると思っていたにも関わらず、今、彼は躊躇している。



「......はは、」



思わず笑みがこぼれる。浅はかな自分の考えを、心の底から嘲笑う。そうだ、俺様は悪霊だった。しかも、とびっきり上級の。欲しいものはなんだって手に入れなければ気が済まない。例え、それがどんなに手の届かないようなものであっても。夢を叶えるための過程だというのなら、俺様はなんだってやってみせよう。

だから、他人の心をどう踏みにじろうとも、俺様にはなんの関係もない。



「エクボさん......?」

「あぁ、悪ぃ悪ぃ。ちょっとな、考えてたんだ。色々と」



唇まで、あと数センチーーすぐ間近まで迫ったまま、ぴたりと静止してしまったエクボを不審に思ったなまえが声をかけると、ようやくエクボは口を開いた。



「なぁ、なまえ。お前、本当にこんなんでいいのかよ。俺様が除霊だっつったら、なんだってやるのか?」

「え......違うんですか......?」

「いや、違わねぇけど。俺様のこと、信用しすぎだろ。まだ出会って間もない、どこの馬の骨かもわからねぇ男だぜ?」

「でも、エクボさんが嘘をつくとは思えなかったので」

「......買いかぶりすぎだ。俺様はそんなにいいヤツじゃない」

「そんなこと、ないです。だって、本当に下心しかなかったら、家に招いた時点でなにかあってもおかしくないでしょう......?それに、わざわざこうして私の意見を尊重してくれる」

「......」

「まぁ、通常の状態でいたら、躊躇くらいはしていたかもしれませんね。その......初めて、ですし」

「まじかよ」

「けど、今はそんなこと言ってられないくらい、正直言ってしんどいです」



そう言って、弱々しく笑うなまえの顔が徐々に青白くなってゆく。確かに、このままでは非常にマズイ。しかし、彼女の口から初めてなのだと聞いてしまった手前、とてつもなくやりづらくなってしまったのだが、エクボはやがて意を決したようにカッと目を見開くと、ごくりと固唾を呑みながら、なまえの顎をくいっと持ち上げた。そう、これは除霊なのだ。

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