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「どうしたんだよ。そのマフラー」



次の日、出勤したエクボが事務所に足を踏み入れると、霊幻は開口一番、彼の首に巻かれたマフラーを指差して言った。

そのマフラーは、薄いグレーを基調としており、確かに大人びたシックなデザインではあったが、男がするようなものではない。ましてや、今エクボが憑依している、万年黒スーツでピシッと決めたような輩では、なおさら。霊幻が訝しげにそう言ったにも関わらず、エクボはそれを指摘されるなり、機嫌が良いことを隠そうともせず、嬉しそうにこう話した。



「あぁ、これか?なまえに昨夜借りたもんで、今日返そうかと思ってよ」

「おいおい、なんだよそれ。そこまで親しくなったの?お前。まさか、あの美人な彼女にヤラシイことでもしようって魂胆じゃねぇだろうな」

「だから、霊に性欲は......って、もう何度目だよこの下り」



どうせ、霊幻も本気で言っているわけではないのだ。エクボはいちいち反応するのも面倒になって、胸ポケットからタバコの箱を取り出すと、一本口に咥える。



「おい。モブが来るまでに換気しとけよ」

「わぁーってるって。......チッ、めんどくせぇから、窓際で吸うか」

「俺にも一本」

「吸うのかよ」

「モブの目の前で吸うわけにはいかねぇだろ?今のうちに一服、な。俺、毎朝吸ってくるんだけどさ、今朝ちょうど切らしちまったんだよ。くれ」

「......」



エクボが吸っているタバコは憑依元の男の所有物であって、自分のものではなかったが、相変わらず図々しい態度をとる霊幻に若干苛立ちを覚えながらも、彼はその言葉に従った。

アルコールに加え、タバコはエクボの趣向品である。これといって銘柄に拘りもないし、特段好きでもなかったが、ふと口寂しいと感じた時、こうしてタバコ特有の苦味を嗜む。口から吐き出した紫煙が空気中を漂い、空に消えてゆく様を、ただただぼーっと眺めている時間が、彼は好きだった。そうしているうちは、面倒なことなどなにも考えずに済む。



「どうだ、例の案件は。順調か?」

「一応、毎日会うようにはしてるぜ。帰りは時間帯的にも危ねぇから、できるだけ同行しようと思う」

「ふぅん。お前にしては、ちゃんと真面目にやってるな。やっぱ、あの依頼主が気になるんじゃねぇの?」

「それは俺様の意思じゃねぇ。憑依元のこの男が、なまえのこと好きっぽいんだよ」

「は?え、どういうこと?」

「そのまんまの意味だよ馬鹿野郎。世界って案外狭ぇのな」

「はぁ......まじか。この強面のおっさんが、あの美人な姉ちゃんをなぁ......」

「やっぱ美人だと思うか?お前さんも」

「いや、どう見たって美人だろ。可愛い系よりは綺麗系だよな。俺も30手前にもなると、そっち系が好みになったりするんだが......そこんとこ、どうなんだ?エクボ」

「俺様に聞くなよ。達観したようなこと言ってるが、30なんてまだまだガキだぜ」

「なんだかジジくさいな。んなこと言ったら、お前何歳だよ」



若者が恋愛話に花を咲かせるのとは訳が違い、このふたりがそういった話をすると、盛り上がりに欠ける。どこか廃れた感が否めないものの、こんな話ができるのも、相手がそれなりに歳を食っているからであって、まさか中学生の茂夫相手にこんな話ができるわけがない。エクボからしてみれば、今時の子どもはずいぶんとませているが、茂夫に関しては、むしろ心配になるくらい、そういったものに疎かった。以前、明らかに罠でしかないラブレターを受け取り、まんまと騙されたり、モテたいが為に「肉体改造部」に入部したり。そういえば、エクボが創始者として立ち上げた宗教団体『(笑)』にやって来たのも、彼が「モテたい」と悶々と考えていた矢先、信者のひとりが声を掛けたのがきっかけだったと後に知る。



「てことは、お前、完全に身体乗っ取れてるわけじゃねーの?」

「......」



結論から言ってしまえば、そんなことはない。彼は確かに、この男を心身共に乗っ取っていた。なんせ、エクボは上級悪霊。憑依元の精神崩壊も容易いが、それをしないのは、彼なりの美学ゆえ。だから、この男の身体が勝手に反応するだとか、言うことを聞かないだとか、そんなことは決してありえない。では、なぜ?



「おう、来たかモブ」

「こんにちは。師匠」



そうやってエクボがぼんやりと考えごとをしているうちに、いつの間にかやって来たらしい茂夫の姿に、思わずぽろりとタバコを落としそうになる。慌ててそれを持ち直し、彼は何でもないような顔をして「よぉ」なんて言ってみせるが、誰がどう見たって、エクボは動揺していた。



「エクボ。またその人に入ってるの?」

「ま、まぁな。使い勝手が良いんだよ。こいつ」

「ふぅん。......あ、そういえば、さっきそこで生霊っぽいのを見かけました」

「! なに!?」

「今、それの大元をたどってきたところだったんだけど......おかしいな。事務所に着いちゃった」

「ま、たまにはそういう日もあるさ。そんなことより、たこ焼き食べるだろ?モブ」

「ありがとうございます。師匠」

「それじゃあ、今から茶でも煎れるとするか。タバコはもうやめだ」



まだ半分以上残っていたが、エクボは仕方なく吸い殻を灰皿へと押し付ける。考えたくなんてなかったのに、畜生。霊幻のヤツ、妙に勘付きやがる。



「エクボ。お前も飲むだろう?」

「俺様、今はコーヒーの気分」

「協調性ねぇな。ったく......砂糖は?ミルクは?」

「ブラックでいい」

「おいおい、無理して大人ぶんなくてもいいんだぜ?なんなら、俺がシュガースプラッシュしてやろうか」

「なんだそれ、新技かよ。つーか、まじでいらねぇからな。んなゲロ甘そうなやつ。甘いものは嫌いじゃねぇが、飲みものは基本的に甘くないのがいいんだよ」

「へんなこだわりだな」

「うっせ」



霊には、基本的にあらゆる欲がない。これは紛れもない事実だ。なぜなら、それを感じるための、足りない不備が存在するから。では、身体を手に入れた霊の場合はどうなのだろう。以前、似たような質問を霊幻から投げ掛けられたが、その時はたいして気にも留めず、客観的に今の状況を捉えることのできる余裕があった。それなのに、今の自分にはそんな余裕がまったくない。この違いはなんだ。

エクボに唯一あるものといえば、それは長年持ち続けてきた「神になりたい」という、漠然とした己の夢だけ。しかし、なにをどうやってだとか、こうしたいだとか、この夢には具体性がない。ただ、全生物の頂点に立ち、皆から崇められる存在でありたいと強く思う。これもきっと生前の経験や記憶がそうさせているのだろうけれど、今となっては生前よりも死後の年月の方がはるかに長いので、あまりよく覚えていない。そもそも、自分がどんな人間で、どんな人生を送り、どう人生を締めくくったのか、それさえも。



「エクボ」

「!......っと、悪ぃ。つい、ぼーっとしちまってた」



茂夫に呼ばれ、エクボははっと我に返ると、霊幻の煎れた苦いコーヒーを口の中へと流し込んだ。例え一時的なものだとしても、肉の器を手に入れて、身体を通じて様々な感覚を経験し、そして思い出す。今飲んでいるコーヒーの苦さも、熱さも、人の舌でないと感じることができないものだ。霊にだって舌はあるし、常日頃食わせられる悪霊たちが、決して美味くはないことを理解できる程度の、最低限の味覚はあるが、人のそれには到底及ばないものであった。



「師匠。今日のエクボ、なんだかおかしくないですか」

「鈍感なお前にも気付かれるなんて、あいつ、よほどの重症だな」

「おい、聞こえてるぞ」



◇◆



なまえと出会って、今日で3日目。

なまえは相変わらず元気である。なにか心配かけまいと無理をしているのではないかと勘ぐったが、どうやらそういうわけでもないらしい。しかし、なまえに憑いた霊の気配は弱まるどころかむしろ逆で、日に日にその存在感を強めていくものだから、一向に気は抜けない。今日もエクボはなまえに会うなり、まずは、彼女の身体にひっついた生霊のカケラを取り除いてやることから始まった。



「今日もたくさん付き纏われてやがる。お前さん、もともと霊に憑かれやすい体質してんだなぁ」

「それ、なんだか嫌ですね。どうにかして改善できないんですか?」

「そうだな......他の霊が寄りつけなくなる方法なら、なくもないが」

「本当ですか!?」

「機会があったら教えてやるさ」



エクボは決して彼女を焦らしたいというわけではなかったが、彼の知るその方法というのは、それなりの荒技である。故に、エクボはできるだけなまえにそれを勧めたくなかったので、本当にいざという時のための最終手段として、今はまだ胸のうちに留めている。



「よし、全部取れた」

「ありがとうございます。それで、今日はエクボさんにお願いがありまして」

「ん?どうした」

「実は、今日、家族が皆留守にしておりまして......その、」

「(......んんん?)」



なんだ、この妙な流れは。エクボはわずかに首を傾げたあと、なまえの顔を覗き込む。心なしか、彼女が少し恥じらっているようにも見えてきた。言葉を濁すなまえの横で、エクボは暫し考え込んで、はっとする。まさか、これが所謂お泊まりイベントとかいうやつではないだろうか。それは、世の中のありきたりな少女漫画で使い回されたような展開であったが、今のエクボにそれを笑う余裕などない。なぜなら、現に彼は意識していたから。仮にそんな展開を迎えてしまったとして、自分はどうすべきだろう。やはり、事前にフラグをへし折るべきか。それは非常に惜しい。がーー、って、なにが惜しいだよ。それが正しいだろーが。

表面では冷静さを装い、悶々と考えるエクボに向かって、なまえが放ったひとことはーー



「ねずみ捕りを......」

「ねずみかよ!いや、そうだったな。お前さんが物音がするっつったから、なんならねずみ捕りでも設置してやるって、俺様が言ったんだった......!」

「は、はい。家族がいないうちの方が、色々な場所に仕掛けやすいかなって......第一、エクボさんのことも、どう紹介したらいいのか分からなかったので、ちょうどいいかなって思ったんです。あ、もちろんエクボさんの都合がよろしければですけど」

「俺様なら問題ねぇぜ。確かに、家族に霊のことは話してねぇんだろうし、俺様も霊能力者の部下ですなんざ、口が裂けても言えやしねぇ」



内心、色々と考えてしまったことは、この際、黙っておこう。エクボはほっとしたような残念なような、複雑な気持ちを抱えつつ、その日の帰りはなまえと一緒に、ねずみ捕りを数個買って帰った。

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