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結局、霊幻の言うがままに事は運び、エクボはなまえの送迎を任された。事務所から出る際に、ちらりと霊幻の方を振り返ってみると、彼はにっこりと満面の笑みで、こちらに向かって手を振っていた。その胡散臭い笑みがやけに腹立たしくて、エクボはチッと舌打ちをする。この野郎覚えてろよ、なんて捨て台詞を視線で訴え、そのまま相談所を後にした。
なまえは、社交的な女性であった。美人ほど取っ付き難いと言うが、彼女はむしろ人懐っこい性格をしており、挨拶以外に会話を交わすのはこれが初めてだというのに、そんなことを微塵も感じさせなかった。かといって、妙に馴れ馴れしくもなければ、人見知りもせず、おまけに礼儀正しい。エクボは、自分の目つきが悪いことを自覚しており、それは憑依先の顔にも影響してしまうのだが、なまえは少しも怯えることなく、常ににこにこと笑顔を浮かべているのであった。
「なぁ、お前さん」
「なんですか?えくぼさん」
「その......えくぼさんっての、やめてくれねぇかなあ。慣れねぇ呼び方なもんで、どうも落ち着かねぇ」
「あっ、それは大変失礼致しました......!では、なんとお呼びしたらよいでしょうか」
「そうだなあ」
エクボはそこで、自分の呼び名について考えてみるも、もう何百年も前に身体は朽ち果て、霊体となり、人から認識されなくなってから、以来、名前を呼ばれることが格段に減ってしまったことに気づく。『(笑)』の教祖だった当時、信者からは「エクボ様」だなんて呼ばれていたが、純粋にご近所さんとして親しげに接してくれるこの女性に対し、まさか、様づけで呼べ、だなんて口が裂けても言えやしない。エクボは暫し迷った挙句、どうしたらいいのかわからなくなってしまったので、ま、なんでもいいか、なんて我ながら曖昧な言葉を返した。案の定、なまえはやや困ったように苦笑した。
「それは困りますよ。いざという時に助けを呼べないじゃないですか」
「......そういえばお前さん、どうしてあんな胡散臭い相談所を選んだんだ?霊幻のヤツが、悪霊、とかなんとか言っていた気ィするが......にしたって、他にも相談できる場所はあっただろう?」
「自分の勤め先だというのに、随分な物言いですね」
「このご時世、どこの企業も社員の不満はあるもんだぜぇ」
「あはは......でも、そっか。まだ、えくぼさんには詳しく話していませんでしたよね」
なまえは変わりなくエクボをさん付けで呼んだが、今はこの際置いとくとして、エクボは彼女の言葉に耳を傾ける。
「いつからだったか......視線、のようなものを感じるようになったんです。初めは思い過ごしかと思いましたが、もう何度も同じ経験をしているうちに、さすがに怖くなってきて......」
「そりゃあ、ストーカーだな。あんた美人だから、そこらの男からしてみれば、憧れの存在なんだろうよ」
「び、美人!?いえいえ、そんな......私は......」
「謙虚だねぇ。となれば、相談すべきは警察ってわけだ」
「警察......そうですよね。普通は」
「?」
どうやら事情があるらしい。エクボが続きを促すと、なまえは続ける。
「実は、視線以外にも......物音がするんです。私以外誰もいないはずの、ひとりの部屋で」
「ネズミじゃねぇの?なんなら、試しにネズミ捕りでも仕掛けてみるか?」
冗談交じりにそう言うと、なまえが細い目でこちらを見てきたので、エクボがすまん、と言って軽く頭を下げると、なまえはそのまま話を再開した。
「じゃあ、それは今度やって頂くとして......」
「(まじでやるのかよ)」
「私の勘違いかもしれませんけど、留守の間、部屋のものの位置が変わっていたり......でも、勝手に侵入できるわけがないんです。私、家族と実家暮らしなんですけど、変化があるのは私の部屋だけで......しかも、二階。普通、泥棒だったら、もっと他に金目のあるものを狙うでしょう?二階に侵入するとしたら、もうハシゴを使うしかありませんし......あらゆる可能性を吟味した上で、霊幻さんはやっぱり悪霊のせいだ、と」
「それを言ったのが霊幻ってわかった途端、一気に胡散臭くなっちまうんだよなあ」
「それで、幽霊かもって思ったんですけど、除霊って、ものすごくお金かかるんですね。その面、『霊とか相談所』は価格設定が良心的で......とりあえずは、と」
なるほど。今のなまえの話を聞いてみる限りだと、少なからず、霊が関与している可能性があることは確かだ。しかし、もしかたら正体は害のない守護霊かもしれないし、完全にそうと決まったわけではない。ここは一旦様子を見て、状況を整理する必要があるだろう。
エクボは腕を組み、夜空を仰ぐと、うーん、と唸り声を上げる。ただ単に依頼を解決する分には、なんら問題はない。今までだって何度もそうしてきたし、エクボも口では文句を垂れるものの、それなりに仕事に貢献してきた。だが、今回に関しては話は別だ。なんたって、依頼主の女性は、憑依先の想い人。下手に干渉していいものかと悩むが、一度こうして顔を合わせてしまった以上、今更どうもこうもない。エクボはやがて考えることを放棄すると、なまえへと向き直る。
「仕方ねぇな。一度引き受けたからには、きっちり解決してやるよ。俺様も後味悪ぃしな」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
「あぁ。それと、俺様をエクボって呼ぶのは、業務中の時だけだからな」
「では、もしまた近所でお会いした時には、どう呼べば......?」
「そん時はそん時だ。俺様はオンオフ切り替えたい質なんだよ」
エクボは適当な理由をこじつけると、それ以上の追求は受け付けない、とでもいうかのように、ポケットに両手を突っ込んだまま、ずんずんと先を歩いた。
厄介なのは、なまえと憑依先との間に少なからず関係があるということだ。当然ながら、エクボが憑依している間の記憶が、この男にそのまま受け継がれることはない。もし、エクボが憑依していない状態の男となまえが接触し、記憶がちぐはぐな点に気づいてしまったらーー依頼解決どころの話ではない。もう二度と、この男の身体を拝借することもできなくなるだろう。なにより、任務失敗は茂夫たちからの信用に大きく関わる。茂夫の力を利用するためにも、それだけはなんとしてでも避けたい。
ーーずいぶんと厄介な案件だぜ。
ーーこりゃあ、報酬は高くつくな。
「なぁ。明日、時間つくれるか?」
「明日......ですか?うーん、仕事終わりなら......」
「うしっ、そんじゃあ決まりだな。ちゃんと予定空けとけよ」
「あの、私の職場、ここから結構遠いんですけど」
「あー......了解。職場の近くの、適当なカフェで待ってるわ」
「なんか、すみません......遠いところまで、わざわざ」
「いいってことよ。お前さんの護衛も仕事の一貫だからな」
交通費はあとで霊幻に請求しよう。そんなことを考えながら、エクボは今回の依頼に関して、様々な考察をしてみたものの、やはり解決には至らなかった。
◇◆
「で、どうだったんだ?」
「どうって?」
「依頼主のことに決まってんだろ」
「あー......」
エクボは暫し考え込んだあと、きっぱりと、至って真面目な顔でこう答える。
「......胸が、デカかった」
「よし。いっぺん死んでこい」
「残念でした。俺様、もう死んじまってるもんね」
「今の発言は教育上良くない。実に良くない。モブがいたらぶん殴ってたぞ」
そう言って拳を握りしめる霊幻に向かって、エクボは、こわいこわい、なんて心にもないことを口にしながら、ソファの背もたれへと全体重を預け、だらしない格好で天井を仰いだ。
「冗談だよ、ジョーダン。霊体に性欲はねぇんだから。だいたい、生殖機能がねぇだろ。......ん?前にもこんなこと話さなかったっけか?」
「お前とそんな話はしたくないって、一度は区切っちまったんだけどな。性欲が残ってる霊は、結構レアなんだろ?エクボ、お前はどうなんだ?」
「俺様かぁ?そりゃあ......」
そこまで言って、エクボは黙り込み、首を傾げる。そういえば、そんなこと考えたこともなかった。
「レアっつっても、いないわけじゃないんだろ?お前って、一応、自称上級悪霊なんだし、そこらの霊とは色々違うんだろうし」
「自称霊能力者には言われたくねぇが......まぁ、俺様ほどになると、他の霊にできないことができちまうわけだ。こうして普通に会話しているが、そもそもな話、俺様のように強い自我を持った悪霊ってのも、かなーりレアなんだぞ」
「ふぅん。ま、どうでもいいが」
「じゃあ聞くなよ」
霊幻が、自分から話題を振ってきたにも関わらず、こうして無責任に話を放棄することは、そう珍しくはない。そんな身勝手な彼に対し、今更まともな返事は期待していなかったので、エクボもまたいつものように軽く受け流したのだった。
こうして、この話は終わったかのように思えたーーが、エクボは釈然としないまま、頭の中でぐるぐると考え続ける。確かに、死んでも尚、性欲の残っている霊はかなりレアなケースであり、霊体としてこの世に何百年も留まり続けているエクボでさえ、そういった輩を目にしたことがない。しかし、それは、自分以上に強い悪霊に出会ったことがないからであって、存在自体の否定はできないのだ。
「あ、でもよぉ」
「どうでもいいんじゃなかったのかよ」
「いや、俺も気になってさ。今のエクボって、確かに霊なんだけど、霊体ではないだろ?人間に憑依してる状態だと、そこんとこどーなの?」
「......まぁ、色々と感じ方は違ぇが......霊体だと、暑いとか寒いとか、わかんねぇし......あぁ、それと、どきどきもするな。霊体には心臓がねぇから、それは新鮮......」
「は?どきどき?......ぶはっ、なに可愛いこと言っちゃってんの?」
「どうやらお前は俺様に呪い殺されたいらしいな」
霊幻の言葉の端々にもムカつくが、エクボは自分の言っていることに、徐々に疑問を抱き始める。
「(......おやおやぁ?こりゃあ、どういうこった)」
なまえと初めて出会った時の胸の高鳴りは、決して嘘なんかではなかった。それも、きっと憑依先の感情やらなにやらが影響しているのだろうけれど。