>90
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「……腰、痛い」



昨夜(というより今朝)の無理な行為のせいか、腰痛が酷い。それなのにシズちゃんは至って健康体。腰痛どころか傷跡もナシ。どんだけ身体が丈夫なんだろう。シズちゃんはそんな私を心配して、仕事を休むと言い張っていたけれど、私の為にそこまでして欲しくなかったから「私の事はいいよ。トムさんに迷惑掛けられないでしょ?」そう言うとシズちゃんは渋々了解した。

年寄り臭く腰を擦りながら、浴室へと向かう。身体中の新しい傷口は水にしみて痛かった。だけど今ではその痛みが返って愛しい。シズちゃんに愛されている証だと実感出来るようになったから。私は、幸せ者なんだ。



お風呂を上がってから身支度を済まし、何か腹ごしらえをしようとした時だった。インターホンが鳴り響いたのは。一瞬、臨也さんではないかと出るのを躊躇う。今臨也さんと話してしまったら、考えが変わってしまいそうで怖かったのだ。しかし、恐る恐るドアの向こう側にいる人物を確認して――愕然とした。そこにいたのは、黒く綺麗な長い髪をなびかせた――彼女。



「贄川……さん?」



なんと、そこにいたのは贄川春菜ではないか。彼女は私の事を深くは知らないだろうし、そもそも学校の人間が私の家を知っているなんてあり得ない。なぜならここはシズちゃんの家なのだから。まさか誰も私がシズちゃんと暮らしているなんて思わないだろう。

なんの為にここまで来たのか?どうやってここを突き止めたのか?怖くて、すぐには問えなかった。しばらくその場に立ち尽くしていると、再びインターホンが鳴り響く。ハッとする。



「ねぇ、苗字先輩。私、今日こそは先輩と話がしたいんです。ほら、この間は邪魔が入ったから……。それに苗字先輩、最近学校に来ていないらしいじゃないですか。だから、私から先輩のところにお邪魔しなくちゃって」



――この子は、私を知りすぎている。

――なんで……どうして?



自分に問い掛けたって分からない。駄目だ。話してみなくては。意を決して扉を開く。私を見るなり、贄川さんは小さく笑った。「お久しぶりです」、と。一見すれば笑っている風にも見えるのだが……目が全く笑っていない。赤く赤く綺麗に染まった、その"眼"が。



「贄川さん……どうしたの?こんなところにまで」

「薄々、気付いてるんじゃないですか?私がわざわざ話しに来た事くらい」

「……」



きっと、那須島先生に関係する事なのだろう。いくら鈍くても、あの先生が私に気がある事くらい誰の目から見たって分かる。それくらいあの人が分かりやすいという事だ。そして彼女は那須島に好意を抱いている。私を敵視しているのだろう。もっとも、私は先生の事が好きではないのだが。

家から歩いてすぐの路地裏で、お互いに顔を見合わせる。シズちゃんには勝手に人を家に入れちゃ駄目って言われていたから、仕方なく人目のつかない場所まで歩いて来た。話の内容からして、どうやら一筋縄じゃいかないだろう。贄川さんはしばらく私の顔をじっと見つめた後、淡々と言葉を紡ぎ始めた。



「……隆志の事なの」

「那須島先生、だよね?誤解されないうちに言っておくけど、私、あの人とは別に何も……」

「ええ、知ってます」



誤解されているのであろう事を否定しようと口を挟むが、すぐに遮られてしまう。しかし彼女は怒りに狂って怒鳴り散らすどころか満面の笑みを浮かべたのだ。



「隆志は苗字先輩の事が好きみたいなの。……でもね、私は誰も恨んでなんかいないわ。隆志の事も……苗字先輩の事も。むしろ先輩には感謝しているんですよ?だって、私が隆志と出逢えたのは先輩のお陰でもあるんですから」

「……え?」



――感謝している?

――私、恨まれるような事も感謝されるような事も、何もしていないと思うんだけど……



想定外な反応に内心戸惑いつつ、彼女の穏やかな声に耳を傾ける。ここに来た彼女の目的を知る為に。



「隆志が私をいじめから救ってくれた日の事……覚えてますか?」

「ああ……あの時の」



確かに覚えている。那須島先生にしつこく付きまとわれていた矢先に、私は贄川さんがいじめられている現場を目撃したのだ。那須島先生はそれを見るなり助けに入ったのだが――



「今でも鮮明に思い出せるわ。本当に嬉しかったもの。……例え裏で糸を引いていたのが、隆志本人だったのだとしても」

「!? ……つまり、あのいじめは那須島先生が予め計画していた事だったって事……なの?」

「隆志は多分、先輩にいいところを見せたかったんだと思います。その為に私を使って……でも、そんな事、今はどうでもいいんです。それがキッカケで、私は隆志と出逢えたんですよ?この上ない幸せです」

「ッ、 そんな……そんな事って……」



――どうりであの時……

――教師として、それはあまりにも酷過ぎる……



この話が仮に本当だとして、すぐに教育委員会にでも訴えるべきだ。しかし被害者である彼女が首を縦に振らない限り、それは極めて難しい。この様子じゃあ贄川さんはどんなに理不尽な事であろうと、那須島先生を庇い続けるだろうから。

まっすぐな彼女の目を見て分かる。本気で那須島先生の事が好きなのだ。その異常な恋を快く応援すべきなのか、私にはよく分からない。果たして彼女にとって那須島先生と結ばれる事が一番の幸せなのだろうか?



「贄川さん。あんな人……もう、やめよう?きっと贄川さんなら、他にもっといい人が見つかるよ?」

「いいえ、私には隆志しかいないわ」

「……どうして、そこまで言えるの?」



不思議で堪らない。あの人のどこを好きになったのか。彼女は変わらず微笑んだまま、最も単純な答えを述べた。恍惚とした表情で。



「愛してるから」

「……愛?」

「そう、愛。理屈なんかじゃないの。私は隆志を愛してる。愛する理由なんて、それだけで十分なの。例え隆志が私以外の女を見ていたとしても」



贄川さんは一瞬だけ悲しそうな顔をして、私を見つめる。ズキリ、胸が傷んだ。

こんなにも想っている相手が自分以外の他の人を見ていたら――きっと物凄く悔しいし、哀しいと思う。そんな状況を頭の中で想像してみた。シズちゃんが私以外の女の人と、なんて……そんなの、耐えきれない。



「私……苗字先輩の事が大好きですよ?隆志の事もあるけれど……私と隆志を出逢わせてくれて、本当に感謝しているんです」

「そんなの、感謝されるような事じゃないよ」

「それでも、私には先輩を愛する義務があります」

「……義務?」



贄川さんがゆっくりとした動作で立ち上がる。フラフラと、覚束なく。赤い眼光がより一層鋭く光り、私の身体を射抜く。その右手に握られていたのは、これまた鋭い光を放つ、包丁。逃げようとして後ずさるが次第に距離を縮められていく。背中にトン、と冷たいコンクリートの壁が当たり、とうとうこれ以上逃げられなくなってしまった。

ぞくり、この一瞬にして過去の記憶が蘇る。頭の中に流れ込む大量の言葉。この嫌な感じはやっぱり……彼女の本当の正体は……!



「もう……愛するだけじゃ足りないわ。最ッッ高に愛してあげる!アナタの事も、"アナタの大切な人"も!私の……この『罪歌』の力で!まとめてみーんな愛してあげる!!」



高く振り上げられた包丁は鈍い光を纏いながら、私の頭上に勢いよく振り下ろされ――

視界が、赤く染まった。



♂♀



2時間後 チャットルーム



      ・
      ・
      ・



田中太郎さんが入室されました



【あの、お久しぶりです】

【ちょっと聞きたい事がありまして……】

【先程のニュース、見た方っていらっしゃいますかね?】



セットンさんが入室されました



[お久しぶりですー]

[先程のニュースって、もしかして切り裂き魔の事ですか?]

【ああ、ご存知でしたか】

【ちょっと気になりまして……私が借りる予定のアパート付近で起きた事件らしいので、不安になって】

[ああ、そっか。池袋の学校を受験するんですよね]

【はい!だからこそ池袋の情報はなるべく把握しておきたくて……】

【しかもその被害者が、女子高校生だとか】

[現場に残されていた血痕は確かに被害者のものらしいんですけどね……噂によると、犯人も被害者も見つかっていないらしいです]

[犯人は脱走したと考えられるのですが、果たして被害者は一体どこに行ったのやら……]

[迷宮入りしそうですよね、この事件。なんせ目撃証言もないものですから]

【物騒な話ですね……】



甘楽さんが入室されました



《やほー☆》

《みんなのアイドル甘楽ちゃんですよーっと!》

【……ツッコミませんよ】

《もう!久々だって言うのに相変わらず冷たいんだから太郎さんは☆》

《志望校決まったんですね!頑張ってください!》

【ありがとう御座います】

【……て、そんな悠長な事言っていられない状況になってきたんですけどね】

《何かあったんですかぁ?》

[甘楽さん、先程のニュースはご覧になりました?]

《ああ、もしかして切り裂き魔ってヤツ?》

[そうそう]

【その切り裂き魔が現れた辺りなんですよ。私が借りる予定だったアパート】

【安かっただけにショックです……安いところ、他にありますかね?】

[うーん、東京は土地代が高いからね]

[なかなか難しいかも]

【ですよね……】



《大丈夫ですよ》



【?】

《だーかーら、もう大丈夫ですって!もう切り裂き魔はしばらく現れませんよ》

[その根拠はどこに?]

《私が嘘吐いているとでも!?》

[いえ、そういう訳ではありませんが……]

【大丈夫でしょうか……】

《私が言うんだから間違いありませんって!私の勘は百発ニ百中ですからね☆》

【百発ニ百中ってwなんか増えてるじゃないですか】

《そのくらい的中しやすいって例えですよう!》

[池袋の治安が心配です]

[まぁ、しばらく様子見でしょう]

[そういえば、あひるさんは大丈夫なんでしょうか。最近顔を出しませんが]

【きっと忙しいんでしょう。今年受験生だって聞きました】

【さて、そろそろ私も勉強に戻るとしますかね】

[大変そうですねぇ]

《息抜きには是非、来てくださいね☆》

【はい。では!】

[おつかれー]



田中太郎さんが退室されました



[それでは、私もこれで]

[甘楽さんも気を付けて下さいね]

《ありがとう御座いますう><》

[では]


セットンさんが退室されました



      ・
      ・
      ・





内緒モード《さーてと》

内緒モード《あなたがもうとっくの昔にログインしていた事くらい、管理人には全て分かっちゃうんですよー?》



内緒モード《……ね?あひるさん☆》



      ・
      ・
      ・

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -