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3時間前 池袋
来良学園 3年B組教室前


「……あ」



帰りのHRの終わりを告げるチャイムが鳴る。厄介なテストも終わり、今日は寄り道せずに早く帰る予定だった。しかし早くも予定は覆され、とんでもなく波乱な展開を迎える事となる。

クラスメートに別れを告げ教室を出た時だった。彼女の――贄川春奈の充血した赤い目が私を貫く。



「こんにちは、苗字先輩」



そう言ってニッコリと笑う彼女の瞳は、既にもう赤くはなかった。口端を歪ませて笑ってはいるものの、瞳は一切笑ってなどいない。まるで感情のないロボットのような、それでいてどこまでも憎しみに満ちた色。



「私、苗字先輩に話があるんです」

「……えと、今じゃなきゃ駄目かな?」

「はい、今すぐにでも」



第三者から見れば、無邪気で可愛らしい後輩。しかし彼女の素性を知っている私から見れば、要注意人物。

昨日の、電話越しの臨也さんの言葉が頭を過る――



♂♀



一日前 夕方
静雄のアパート


『やあ、みさきちゃん』



極限、今は聞きたくない声の人物が、私の携帯に電話を掛けてきた。「今、夕食の支度中だったんですけど」遠回しに話したくない事をアピールすると、臨也さんはそれに全く動じる事なく小さく笑って言った。



『まだ怒ってるの?言っておくけど……取引に応じたのは君なんだからね』

「……」

『ま、いいや。本題に移ろう。この間提供すると言った情報の件だけどね……』

「え、今話すんですか?」

『なに?俺と会いたかったの?』

「そんなんじゃ……」

『俺も直接話したかったんだけど……ほら、俺忙しいし、君ん所の"ペット"の監視の目も怖いしさあ。それに今、直接会っちゃったりなんかしたら……俺、次は何するか分からないよ?』

「!」

『あはは、冗談だってば』



臨也さんが口にする言葉1つ1つが信用出来そうで出来なかったり。逆に冗談めいてるフリをして、実は本気だったりとか。私はそんな口車にいつも上手い具合に乗せられてしまうのだ。



『……いや、正確には違うかな。だって君は、俺の可愛い玩具なんだから』

「ッ、し、シズちゃんが帰って来ちゃうんで……!話がないのなら、切りますよ!?」

『おっと、それじゃあおふざけはここまでにして』



臨也さんとの事は絶対にシズちゃんにバレてはいけない。だから私は罪悪感を感じつつも、隠し通さなければならない。シズちゃんが帰って来る前に話を済ませようと、話の先を促した。

やむを得ず1度でも身体の関係を持ってしまった以上――弱みを握られてしまった私は彼に逆らう事は出来ないのだ。シズちゃんと過ごす平凡で幸せな日々。全ては、そんな自分の日常を守る為。だからこそ後にその障害になるであろう『罪歌』の件を片付ける必要が私にはある。その為にはどうしても情報屋である臨也さんの助けが必要なのだ。



『前に話した事、覚えてる?以前に新宿でも切り裂き魔事件があったって話』

「はい」

『実は来良学園にね、今年新しく入学した子の中にいるらしいんだよ。その事件当時の被害者が。そして同時に……俺はその人物が怪しいんじゃないかと睨んでる』

「!」



――私以外の……――

――他にも、同じ体験をした人が……?



脳裏に浮かぶのは、以前知り合ったばかりの贄川春奈という名の後輩の姿。知り合ったと言っても親しい間柄ではなく、ほんの少し顔を合わせた程度なのだが。

あの時に見た赤い眼が未だに忘れる事が出来ない。今思い返してみれば、あれはどう考えたって尋常じゃなかった。そしてあの赤い眼光が、昔見たものとよく似ている。まるで同じなのではと錯覚を覚える程に。



『身に覚えがあるのかい』

「まだ、確信は出来ませんけど……」

『気を付けなよ』

「え?」

『絶対に忘れちゃいけないのが、罪歌は人間ではないという事。つまり、今の君は見えない敵を相手にしているようなものさ。相手は俺たち人間の常識を大きく覆すような能力を備えているかもしれないし……』

「……はい」

『その子の名前は?』

「あの……まだ本当に罪歌と繋がりがあるのか分からないので、分かり次第でもいいですか?」

『構わないけど、1人でどうにかしようと思わないでよ?みさきちゃん』



そう言って臨也さんはほんの少し間を置くと、引き続き言葉を紡いだ。



『これは強要ではないけれど……俺だって純粋にみさきちゃんの事を心配しているんだって、知っていて欲しいかなあ』



♂♀



自分を犠牲にしてでも手に入れたかった罪歌についての貴重な情報。もしこの話が本当ならば罪歌に関わる人物はきっと――そして今、私は確信に限りなく近いものを感じつつある。

ならば何故、被害者であるはずの彼女が『罪歌』を持っている可能性が浮上するのか。臨也さんはそこまで教えてはくれなかった。



「ね、苗字先輩。少し場所を変えません?」



贄川春奈は首を傾げるようにして笑うなり、私の右手を手に取った。途端――まるで静電気のようなバチバチとした感覚が、私の右手全体を駆け巡る。しかしその不思議な感覚を感じたのは私だけではなかった。



「!?」



その感覚を振り払うように贄川春奈が勢いよく手を離す。彼女自身その感覚の意味が分からないようで、忌々しげに自らの手の平を不可解そうに見つめている。

手の平をグーにしたりパーにしたり、彼女はしばらくその動作を繰り返していたが――ふいに視線の先に何かを捉えたようで、パァッと至福の表情を満面に浮かべると急に駆け出して行ってしまった。今やまるで私なんてものは眼中にない。



「隆志先生……ッ!」



私が振り返って見ると、そこには私に話し掛けようとしていたらしい那須島先生の姿があった。そんな彼の元に駆け寄る贄川春奈。那須島先生の腕を取り、彼女はチラリとだけこちらを見ると、口元に余裕の笑みを浮かべた。まるで自分が勝ち取ったとでも言いたげな、勝ち誇った顔で。



――もしかして、この子は何か勘違いしてる?

――少なくとも私の方は、那須島先生なんかに興味はないんだけどな……



そんな事を内心思いつつも目の前に那須島先生がいる事もあった手前、口に出す事は出来なかった。本当ならば今すぐにでも彼女のその勘違いを解きほぐしてもらいたかったのだけれど。

那須島先生は「お、おいおい贄川。そんなにくっつくんじゃあない」とオドオドとした表情を見せながらも満更ではないようだ。いっそのこと、この2人で仲良くやっていてくれれば良いのにとさえ思う。立場が教師と生徒だという事もあって、波乱万丈な恋愛に発展しそうにもあるのだが。



――……帰りたい。



そんな事を思うようになった頃、私の肩をトントンと叩く人物がいた。同じクラスの、隣の席の男の子。席が近いので会話を交わす事も多く、そこそこ仲の良い男子クラスメートだ。



「何してんだ?苗字」

「え ……えーと」

「何も用ないんなら帰ろーぜ」

「へ?」

「なッ、苗字!?」



那須島先生に危うく引き止められそうになるも、私はクラスメートの男の子に手を引かれながら、そそくさとその場を後にした。始終、贄川春奈に睨まれたままであったような気もするが、そこは敢えて触れないようにしておこう。





「お前、那須島に狙われてるらしいじゃん?」



その流れで、お昼を近くのファーストフード店で一緒に摂る事になった私達。時間も時間だった為、店内が人で溢れている。やっとの事で席を確保し、座るなり彼はそんな事を口にした。



「この前、俺のダチなんか『那須島にお前の事色々と訊かれた』って気持ち悪がってたわ」

「(なるほど……つまり私の事を周りに色々聞き回ってたって事か。どうりで話してもいないような事を知っていた訳ね)」

「それにしても、あの贄川春奈?って後輩。どうして那須島なんかの事が好きなんだろうな」

「……確かに。やっぱり何か変だよね……」



彼女が余程男に飢えているというのか。性格に問題はありそうなものの、パッと見『美人』の部類に入るだろう。そもそも教師にまで手を出そうなどと考えるような子には到底見えない。そんな彼女が那須島先生に好意を抱くというのは、何だか滑稽な風にも思えた。

1時間ほど那須島先生への鬱憤や世間話を交わし――彼は「これからダチと約束あるから」と言うと、静かに椅子から立ち上がる。これまでの話によると、どうやら埼玉に住む友達が池袋に来ているらしく、久々に会って遊ぶんだとか。



「へえ、埼玉の友達かあ」

「ま、悪友ってヤツ?それが女好きな野郎でさ。多分お前なんかストライクゾーンなんじゃね?」

「あはは、何それ」



同年代の異性とここまで話し込んだのは随分と久しぶりの事に感じる。普段からよく話すシズちゃんと臨也さんは、いずれも自分より4つ以上も年上だし。高校生と社会人の差は大きい。

先程話の話題に出た『埼玉』――自分の育った故郷の都会じゃ見れない田舎風景を頭の中に思い描きながらふいに後ろを向いた――その時だった。彼の、サングラスの奥に隠された瞳とバチリと視線が合ったのは。



――ッ!!?

――やば……ッ!



何がヤバいのか自分にも分からない。特に疚しい事をしていた訳でもない。ただ、反射的にそう思う。今のこの状況を見られてしまった事は、とても都合の悪い事なんじゃないかって。

タイミングが良いのか悪いのか、たまたま居合わせた人物と言うのが、恐らくトムさんと休憩中であろう正真正銘シズちゃんだった。



「ほら、やっぱりあの時の」



トムさんがフレンドリーに話し掛けてくれる隣で、シズちゃんはチラリと私のクラスメートの顔を見、不機嫌そうにそっぽを向いた。

普段は穏和な人程、怒らせてしまった後が怖い。嫌な予感を感じつつも、私はシズちゃんの顔を恐る恐る見た。シズちゃんは視線さえ合わせてくれなかった。

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