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今日の仕事は実にスムーズに済んだ。取り立て先でもめる事もなかったし――まあ、そのうちの1人が行方不明ってのには驚いたが。
煙草を吸おうとポケットを探り、そこでようやく何もない事を思い出す。そういえば今朝支度をしている時に、みさきに取り上げられてしまったんだったっけ。
「え、なにこれシズちゃん煙草なんて吸ってんの?」
そう言うなり、みさきは俺から煙草を箱ごと奪い取ってしまった。「煙草吸ったら肺がんになっちゃうんだよ。危ないよ!」ほんの少し怒ったような口調。全然恐くなんかなかったけど。が、みさきが「将来子どもつくる時に支障出たらどうするの!」なんて言った時には、思わず口にくわえていた煙草をポロリと落としてしまった。そこでようやく自分の口から出た爆弾発言に気付いたみさきが、慌てて言葉を付け加える。
「……えッ、と……あの、そういう変な意味じゃなくて……ほ、ほら!やっぱり将来的にはシズちゃんもそういう立場になるんだろうし……と、とにかく、煙草は駄目だよ!」
「え (こ、子どもって、……いや、考え過ぎか)
……お、おう」
ごみ箱に投げ捨てられた煙草のパッケージを見つめながら、ぼんやりとそんな事を考えた。今、煙草税とかで高ぇんだぞ、煙草。それを知ってか知らずか躊躇なく捨ててしまったみさき。
そういや煙草を始めたキッカケもみさきだ。みさきのいない生活があまりにも寂しくて、早くみさきのいない生活に慣れようと始めたのがこれだった。みさきのいた時と違う自分になりたかった。今思えば、ただ単に早く大人になりたかっただけなのかもしれない。
――さて、禁煙から始めてみるか。
以前までの――まだ歪んだ感情を知らずにいた、純粋な恋心を抱いていたあの頃の自分を取り戻す為にも。
心の中で密かに決意を固め、再びトムさんの方を見る。
「ただ逃げてるだけじゃないっすかね」
「んーそうかもなあ。もしかしたらヤバめの事件に関わってるってのも考えられるべ」
「借金踏み倒すような奴ならあり得ますね」
「だろ?」
この池袋で人が消える事はそう珍しくはない。物騒な話だ。そんな会話を交わしながら、俺らはひとまず休憩時間中に昼食を摂る事にした。勿論、仕事中にはいつも世話になっている某ファーストフード店で、だ。
たまたま近くで目にした店の自動ドアを潜ると、まず耳にしたのは活気溢れる定員の掛け声。それから店内のざわめき。そして――
「……おい、静雄」
「はい?」
「ほら、あそこ」
トムさんが指差す方向を見る。そこには見渡す限りの人、人、人。それこそ老若男女問わずたくさん。「違う違う。こっちこっち」トムさんが改めて指し示した方向には、恐らく来良学園の制服を着た少女の姿。向かいの席には見知らぬ男。
「あれって……この間の嬢ちゃんじゃね?」
そこでタイミングよく少女がこちらを振り向き、その背中をガン見していた俺とは必然的に目が合った。その少女というのが紛れもなく正真正銘みさきな訳で。
まさか仕事中に出会うとは誰が予測できただろう。唐突過ぎる出来事に、お互いポカンと口を開いたまま数分の沈黙の時が過ぎた。
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「しっかし、何だか悪い事しちまったなあ。さっきの、嬢ちゃんの彼氏さんだったりしたんじゃねぇの?」
「い、いえ!彼はただのクラスメートで……別にそういう関係ではなくて……」
「隠さなくていいべ?いいねえ、若いって!」
トムさんの言葉を必死に否定しているはものの、その言葉は何故か俺に向けられているように感じる。顔色を伺うようにチラチラと盛んに視線を送るみさき。一方対する俺はというと、その視線を一切合わせようともせず、トムさんの隣で頬杖をつきながらシェイクをキュイキュイ飲んでいた。
ちなみにトムさんの言う『嬢ちゃん(※みさき)の彼氏』とやらは、俺らを見るなりそそくさと帰ってしまった。気を利かせたのか、それとも俺の事を知っていて、単なる俺への恐怖心か。
「若いうちに色々と経験しとくべきだよなあ。お前もそう思うだろ?静雄」
――ここで普通俺に話題を振りますかトムさん!?
内心声を大にしてそう叫ぶが、その声が誰かに届くはずもない。トムさんはみさきとの面識がほんの少しあるけれど、俺らの関係までは知らなかった。多分トムさんの頭の中では『静雄の投げた自販機がたまたま当たった運の悪い女子高生』という認識なのだろう。
俺とみさきが気まずい空気を醸し出す中、トムさんだけは至って普通。それもそうだ。俺がトムさんに何も話していないのが悪いのだ。だが、今ここで事情を話す気にもなれない。
――さっきの男……
――俺の知らない奴だった……
「……ああ、そうっすね」
目を背けたままぶっきらぼうに答えた。視界の端でみさきが悲しそうな表情をするのが見えたが、敢えての気付かないフリを通す。
「つか、静雄。なにお前そっぽ向いてんだ?」
「別に……なんでもないっすよ。興味ねぇっすから」
――……なんだよ、みさきのヤツ。
――俺の知らない所で、他の男と楽しそうに……
悔しかった。そして妬ましかった。俺の干渉する事の出来ないみさきの学園生活に、俺以外の男が関わっている事は当然の事。なんせ共学なのだから。そしてその中にみさきへの好意を抱く人間も少なくはないだろう。こいつ、可愛いし。
俺はみさきの事を誰よりも知っているつもりだった。だけど、全然そんなんじゃない。学校でのみさきを俺は知らない。俺以外の男と楽しそうに接して、笑顔を見せるみさきなんて――ああ、見なきゃ良かった。
「あー……ごめんな嬢ちゃん。きっと若さに嫉妬してるだけなんだ、こいつ。そういや、あの傷はもう大丈夫なのか?」
「……」
俺から漂う険悪な雰囲気を感じ取り、空気を読んだトムさんが慌てて話題を変えようとする。しかし、しばらく経ってもみさきからの返事はない。
――やべ、さすがに言い過ぎたかな。
急に罪悪感に襲われ、チラリとみさきの顔を見る。
「……ぅ……」
「!!?」
――な、泣いた!?
みさきは目尻に涙を浮かべて、黙り込んだまま静かに涙を流していた。そんな思わぬリアクションに驚きつつも、トムさんが必死にみさきを慰めようと試みる。
「ど、どうした嬢ちゃん!俺、なんか悪い事聞いちまったか!?」
「…ッ、す、すみませ……トムさんのせいじゃ、ないです……」
「じゃあ、どっか痛むのか!?病院行くべ!?」
――はあ……、
盛大な溜め息を吐き、俺は椅子から立ち上がるとみさきの腕を強引に引いた。その衝動でみさきの座っていた椅子が音を立てて倒れる。周囲の客や店員が音に反応して此方へと視線を向けるが、そんな周りの目なんか気にしてられない。
「お、おい、静雄!?」
「……すみませんトムさん。こいつ泣かせたの、俺の責任です。シェイク代ここに置いていくんで……今日はもう仕事抜けてもいいっすか?」
「……は?」
何が何だか分からないといった困惑な表情を見せるトムさん。俺は手際よく財布を取り出し500円玉をテーブルに置くと、みさきの腕を引いたままその店を後にした。
トムさんはしばらくポカンとした表情で俺らの背中を見つめていたものの――テーブルの上の500円玉の存在に気が付くと「……シェイク、こんなに高かったべか?」と冷静な言葉を返し、シェイクの値段を確かめるべく何事もなかったかのようにその席を立った。
「ははーん、静雄。お前そういう事ね。トムさん、分かっちまったわ」
スタスタと、ポケットに両手を突っ込みながら常にみさきの先を歩く。みさきは黙って後ろからついてくる。少し足取りを速めれば慌てて走ってついてくるし、ほんの少し緩めれば俺を追い越す事なくついてくる。
それでも俺は終始無言を貫き通す。みさきも何も口にしなかった。しかし――俺の足がふいにピタリと止まったのを機に、みさきは静かに言葉を紡ぎ始める。
「……怒ってるの?」
「(そりゃ、そうだ)」
「あの人はただのクラスメートで……たまたま帰りに会っただけだよ?」
「(ほぉ?ただのクラスメートのくせに、たまたま帰りに会っただけで、どこに一緒に昼食を摂る必要性があるってんだ)」
「……あの、」
「……」
あのモヤモヤとした嫌な感じが、俺の胸を支配した。
俺は再び歩き始める。みさきは何か言いたげな顔をして腕を伸ばし――すぐにその手を降ろした。相変わらずみさきは従順についてきた。俺が今どんな気持ちで、今向かっている先に何があるのかも知らないくせに。
「……え、」
ようやく目的地に着いた時――みさきは意志的にその歩みを止めた。そんな気配を感じ取った俺は、振り返りもせず背後に向かって不機嫌そうに言葉を返す。
「なんだよ」
「だ……だって、ここ」
みさきの言いたい事にはすぐに察しがつく。この建物が、恋人同士の為のホテル(所謂ラブホ)である事に気が付いたのだろう。
ちょっとした意地悪のつもりだった。みさきはどこまで俺に従って来るのかを試してみたくなった。案の定、みさきはついてきた。俺に許してもらいたいが為にどこまでも、ここにまで。
「俺に許してもらいてぇんだろ?なら……それなりの態度、示してみろよ」
そんな気はなかった。少なくとも始めのうちは。だけど自分に従順過ぎるくらいのみさきを見て、服従させてみたくもなった。みさきは俺の服の裾を掴むと、小さくコクンと頷いた。途端に心地よい快感が身体中を駆け巡る。ゾクゾクと込み上げてくる感覚を悟られまいと押し殺すが、それでも口端が緩むのを意識せずにはいられない。
実は俺も、こういった場所に入るのは初めての経験だったりする。部屋の中は実にシンプル。無駄にデカいダブルベッドが部屋の中央に設置されていて、手前には少し広めのシャワールーム付。まさにヤるだけの為の部屋だと言ってもいい。みさきが部屋に入ったのを確認すると、決して邪魔が入らぬよう扉の鍵を閉めた。このホテルのセキュリティー性を疑う訳ではないが念には念だ。みさきは部屋一面を見渡した後、居心地が悪そうに身をすくめた。
「……どうしたら、いいの?」
「分かってんだろ? ……来いよ」
強引に腕を引き、ベッドに押し倒す。ネクタイを外し、バーテン服をズボン以外全て脱ぎ捨てるとみさきの上に覆い被さった。
「ちょッ、やめてよ!私はこんな事をしにここまで来たんじゃないんだから!」
「こんな事?こんな場所にまで来てヤる事なんて、1つしかねぇだろ」
「……私はただ……シズちゃんと、ちゃんと話したくて……」
「だから、それを態度で示せって言ってんだろーが」
制服を脱がそうとした途端みさきは今までにないくらいに激しく抵抗した。逆に普段とはまた違うその反応が、今の俺に火を点けるキッカケとなったのだが。
「や……やだ……他の事なら何でもするから……、だから、今だけはやめて……お願い、だから」
今にも泣き出しそうなみさきを見て、俺の理性は完全に崩壊した。今までこうなる事をあんなにも恐れていたというのに、それはあまりにも呆気なかった。
今朝固めたはずの決意さえも、今となっては頭の隅。