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「"不可逆"っていうのかな。今の静雄は」

『ふかぎゃく?』

「もう、歪んだものを元通りには直せないんだよ。自分の力じゃあどうにも」



新羅が悲しそうな表情をしながらそんな事を呟いた。

静雄が出て行ってしまってから、もう小一時間は経過しただろう。窓の外を見る。ここ最近は優れない天候だったが、今日もまた一段と悪い天気だった。



「でもさ、人間なんて、みんなそんなものなんじゃないかな。デュラハンである君にだって、執着しているものくらいある」

『私が?そんなもの、あるはずがな――』

「あるよ。セルティにもあるじゃないか。何年も飽きずに探し続けるものが」



首――そう、新羅は遠回しに首の事を言いたいのだ。

『だけど私は、人間じゃない』ムキになってそう言い返すと新羅はほんの少しだけ笑ったような気がした。



「ごめんって、セルティ。怒らないで!……ま、そう言う僕にも執着しているものくらいあるって事さ」

『なんだ?』

「君だよ」

『……』



そして同居人(新羅)が私に好意を抱いているという事にも――気付いている。その『好き』という私への感情が、果たして家族愛から成るものなのか恋愛感情であるのかという疑問はさておき、私には人間の言う『愛』とやらを未だに理解できていない。日本に来てからもう20年が経とうとしているにも関わらず、だ。

確かに私は、新羅の事を嫌いじゃない。それでは好きなのかと問われれば、私は上手く答える事ができないだろう。それでも新羅は昔から私の事を好きでいてくれる。例え何があろうとも。だから今の静雄を見ていると、そんな新羅の姿と重なって見えてしまうというのも事実。歪んでいるのか或いは――それこそ、恋は盲目とかいうヤツなのか。



「だからこそ僕には、あのみさきちゃんの身体の傷が静雄の愛のカタチに見えるんだよ。大好きな人に自分の愛のカタチを永遠に残したいっていうのは、ごく普通の感覚なんじゃない?」

『別に私は、静雄を咎めようなんて事は全く考えちゃいない。ただ……ちょっとだけ、考えていただけだ』



――私には、人間が分からない……

――やっぱり池袋(此処)は私のいるべき場所ではないんじゃないのか……?



それでも私が池袋から離れられないのは、首の存在がすぐ近くに感じられるから。……ああ、そうだ。私は首に依存して、だからこそここを離れられない。新羅も静雄も、きっと似たような気持ちなのだろう。それに関して妄信的というか、忠実というか。ただし静雄の場合は少しばかり、歪んでしまってはいるのだが。



「そういえば、ねぇセルティ。みさきちゃんの様子はどうなんだい?」

『ああ、ちょっと様子を見て来る』



そして――みさきちゃんの姿がいつの間に忽然と消えてしまっていた事に気付くのは、もうすぐ後の話。



「傷と言えばさ、確かにみさきちゃんの身体は傷だらけだったんだけど、明らかに人の手によるものではないものも見られたんだよね。かなりの古傷だけど」

「あの傷は一体、いつできたものなんだろうね?」



♂♀



メールの着信音で目が覚める。そこは見た事もない部屋の中だった。真っ白な壁に覆われた空間。薬特有の独特な臭い。蛍光灯の光が眩しくて、両目を何度かしばたかせる。ポケットの中から手探りで携帯を探し出し、画面を開いた。

電波が3本全て立っている。どうやらここは病院ではないようだ。



「(……メール?)」



携帯に1通のメールが届いている事に気付き、内容を確認するなりベッドから飛び降りる。部屋を出て廊下に出ると、男の人が誰かと会話をしている声が聞こえてきた。だが、肝心の話し相手であろう人物の声は一切聞こえてこない。

男は電話をしているのだろうか、もしくは首なしライダーと会話をしているのかもしれない。首なしライダーがPDAを使って自分に話し掛けてきたように。半開きになった扉からそっと中を覗き込むと2人分の人影を確認できた。顔はここからじゃあよく見えない。



「出て行ったのかい?静雄」



――えッ!!?

――静雄って……シズちゃんの事だよね?



シズちゃんの名前を聞いた途端、心拍数が跳ね上がるのを感じる。シズちゃんがここに来たという事は、恐らくあの医者らしき白衣の男もシズちゃんの知り合いなのかもしれない。その場に止まり、引き続き2人の会話を聞く。次に男の口から出たものは、意外にも臨也さんの名前だった。



「どこに行くって?……ああ、やっぱり新宿か。きっと臨也のところだよね」

「……そっか。うん。やっぱりアレは、静雄が……」



会話の内容はあまりよく理解出来なかったけれど、そろそろ行かなくてはならないと身を翻す。2人に助けてもらったお礼だけは言いたかったけれど、焦る気持ちが私を突き動かした。



――早く、

――早く行かなくちゃ



逃げてばかりじゃ駄目なんだ。自分の足で行かなくてはならない。そう自分に言い聞かせながら、静かに部屋の扉を潜る。あの人達に心配をかける訳にはいかない。気付かれないように音を立てずにドアを閉めた。

外に出て、まず周辺をぐるりと見回す。作業着の連中がいない事を確認してからもう1度メールに目を通した。メールの差出人は私を捜している張本人――臨也さんだった。そこに記されていたのは場所名だけ。つまり「ここに来い」と私に言いたいのだ。



「池袋……、か」



そこで敢えて『池袋』を指定してくるのには、きっと臨也さんなりの考えがあるのだろう。もし作業着の連中と鉢合わせてしまった時も対処できるよう、できるだけ人通りの多い道を選んで歩いた。その甲斐あって、目的地までに連中を見掛けるような事はなかった。

着いた先は高級マンションの最上階だった。新宿の事務所も凄いけど、ここも随分と凄い。一体どこにそんなお金があるのだろう。そんな事を考えながらインターホンを静かに押した。臨也さんの声はすぐにマイクから聞こえてきた。



『遅かったね』

「……分かってて言ってるのなら怒りますよ」

『ごめんごめん。でも、おっかしいなあ。俺は確かに傷物にはするなって念を押しておいたはずだけど?』

「……」

『まあ、そう怒らないでくれよ。話の続きは中でゆっくりしようじゃないか。君に話したい事がたくさんあるように、俺にも君に話したい事が山ほどあるんだ』

「入れるんですか?ここ」

『大丈夫。君の指紋にならその扉も反応するはずだよ』



――指紋って……

――いつの間に取ったんだろう、そんなもの。



扉のすぐ隣に取り付けられていたパネルのようなものに指を添えると、ピピッと小さな電子音の後、扉のロックがゆっくりと解除された。これは防犯対策なのか、それとも他の誰にも邪魔されない為の対策なのか。

部屋に入ると中は少し薄暗かった。「随分と防犯対策にお金をかけているようですね」嫌味を込めてそう言うと、驚く事に返事はすぐ背後から聞こえてきた。



「最近の池袋は物騒だからねえ。大抵のマンションはこれくらいの防犯対策、当たり前だよ」

「……」

「どうしたの?今日は随分と機嫌が悪いじゃない」

「当たり前じゃないですか!……お陰で散々な目に遭いました」

「おっと、それはいけないなあ。波江さんにも十分言っておかなくちゃ。君の会社の連中は、野蛮な奴しかいないのかってね」



促されてソファに座ったものの、さっきまでの事もあった手前完全に油断はできなかった。臨也さんは普段と何の変わりもない落ち着いた態度で、私に温かい紅茶の入ったマグカップを差し出してきた。スプーンとミルクと、それからガムシロップも2つ程。

私がミルクとガムシロップを紅茶に入れて混ぜる様子を見て、臨也さんは頬杖をついて笑った。「相変わらず甘党だね」、と。私は口を尖らせて反論した。



「臨也さんは砂糖、入れませんよね」

「紅茶は好きだけどね。それにしても……紅茶を見ると思い出すなあ。君と初めて出逢った時の事」

「今思い返すと、初対面の人の部屋に躊躇いなく入り込む臨也さんの神経を疑いますよ」

「あはは。何やかんや言って、入れてくれたのは君だろう?」



こんな他愛のない会話を交わしていると、彼に怒りをぶつけるどころが、その怒りの原因さえ忘れてしまいそうになる。だけど不思議と憎めない。この人は物事を誤魔化すのに長けているな、と内心苦笑した。

ミルクティーを一口だけ飲み込む。肝心の本題を持ち掛けたのは臨也さんの方だった。元はと言えば自分の仕業だというのに、まるで世間話をするかのようなあっけらかんとした態度で。



「本当は新宿の事務所でも良かったんだけどね、あいつが来るかと思って。あいつとは長ーい付き合いだから、長年の勘ってヤツ」

「……シズちゃんの事ですね」

「そ。……正直な話、昨夜はシズちゃんのところにいたんだろう?ヨリが戻ったってところかな?」

「ヨリというか、『また一緒に暮らさないか』とは言われましたけど……この先の事はまだなにも」

「で、君はどうしたいの?」

「……私、ですか」



しばらく考え込むように俯いた後、両手の握り拳をギュッと握り締めながら視線を上げる。臨也さんと改めて視線を合わせてから、ありのままの気持ちを正直に話そうと口を開いた。



「私は……シズちゃんと一緒にいたい」



人を愛してもいいんだと知った。これがシズちゃんへの愛なのだと知った。昨夜シズちゃんと1つになれた時、言葉には上手く言い表せないけど、何だか満たされた気持ちになれた。

だからと言って、トラウマが解消しきれた訳ではない。今だって本当は怖い。『罪歌』の件も何1つ解決できていないままだし、このままじゃ駄目なんじゃないかとさえ思う。臨也さんにも勿論、反対されるものだと思っていた。だけど彼は私の予想を覆すような意外な反応を見せる。満面の笑みでこう言ったのだ。



「心から祝福するよ」

「! あ、ありがとう御座いま――」



次の瞬間、私の手から紅茶の入ったマグカップが滑り落ち、床に落ちて粉々に割れた。中身があまり残っていなかった為、火傷する事はなかったが――呼吸はだんだんと荒くなり、身体にじわじわと熱が広がる。



「ッ! なに、これ」

「ああ、祝福するさ。折原臨也としての俺からはね」

「?」

「だけど……そうだなあ。情報屋としての俺からしてみれば、それは立派な規約違反。前に話した罰ゲームの件もあるし、何より報酬を受け取れなくなるじゃない。大損だよ」

「……あ……」

「駄目だよ、決まりは守らなくちゃ。いくら君がまだ高校生でも、社会のルールくらいは分かるよね?」



私は、すっかり忘れていた。彼と交わした契約を。波江さんの警告を。自分がどんなに危険な世界に足を踏み入れていたのかという事を。途中で引き返す事など出来ないと言うのに。今この瞬間、確かに私は完全に油断しきっていたのだ。



「油断したね、みさきちゃん」

「ッ ……なに、入れたんですか……ッ」



次第に荒くなる呼吸をこらえてそう訊ねると、臨也さんは口端を歪ませて笑いながら――小さな小瓶を懐から取り出した。そして小瓶の中の怪しい液体をチャポチャポと鳴らしつつ。



「イケないお薬、て言っちゃえば分かるかな?それも効き目が強いやつ」

「……!」

「速効性だからね、もうそろそろ自分の力じゃ立てなくなってくると思うよ」



「さあ、一緒に楽しもうか?みさきちゃん」

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