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見知らぬドレッドヘアの男の隣で、シズちゃんが何やら怒鳴っていた。勿論私に対してではない。現に私の存在に気付いていないだろう。そこには、私の知っている以前までのシズちゃんとは違う彼の姿があった。あの優しい瞳を覆い隠すように、分厚く濃いめの色のついたサングラスを掛けている。よく見れば、以前ショップで一緒に見た商品ではないか。一瞬誰だか分からなかったけど、バーテン服の金髪といったら彼しかいないに違いない。何より彼がシズちゃんだという1番の根拠となる事は――

最後に見たのは、宙を舞う自動販売機。そしてドレッドヘアの男が慌てて駆け寄ってくる姿に、物を投げる体制のまま固まってしまったシズちゃんの姿。サングラスに瞳が隠れてうまく表情が見えないけれど、きっと物凄く驚いているんじゃないのかな。勝手に出て行ってしまったはずの私がこんな場所にいるのだから。私も正直、驚いた。ネックレスを探しに来てみたはずが、まさか本人に逢えるなんて。他にも想定外であった事態が、私の身に降り注いで来たのだけれど。





「……う……?」



目が覚めて、この天井を見るのは2度目だろうか。1度目はいつであっただろう。黄巾賊とやらのゴタゴタに巻き込まれた時だっけ。

ズキン、と頭が痛む。そういえば身体の至るところに新しい傷が出来ていて痛い。ふと左手の甲から鮮やかな赤い血が流れ出ている事に気付き、それよりも身体に掛かっている白い布団に血が付きやしないだろうかと心配していた。洗濯しても、血はなかなか落ちてくれないものだ。おまけに布団は非常に洗いにくい。



「……よぉ」



声のした方を向くと、そこには居心地の悪そうな表情をしたシズちゃんが腕を組んで椅子に腰掛けていた。



「……あれ、私……」



夢を見ている気分だ。もうシズちゃんとは会えないとばかり思っていたから。ほんの少し首を傾げて、互いに視線を合わせる。分厚いレンズの向こうには、優しい彼の瞳が見えた。話を聞けば、どうやら私はシズちゃんの投げた自動販売機に偶然にも見事に的中し、当たり所が悪かったせいか暫く気絶してしまっていたらしい。きっと見覚えのない数々の傷も、その時に出来たものなのだろう。常識的に考えれば自販機が飛んでくるなんてあり得ない話なのだが、今の私は特に驚きもしない。これまでに様々な異質の存在をこの池袋で見てきたせいか、すっかり非日常への耐性が身に付いてしまったようだ。



「お、目ぇ覚めたみたいだな」



ガチャリ、と響くドアの音に目を向けると、そこにはあのドレッドヘアの男がコンビニの袋を片手に立っていた。「どーも」男は右手を挙げて軽く挨拶をしながら、シズちゃんの隣に腰掛けると袋の中を漁り出す。



「いやー悪かったなあ。まさか静雄のぶん投げた自販機の先に嬢ちゃんがいたなんて、俺も気付けなかったからよ。こいつも嬢ちゃんに悪気はねぇし、まぁ、許してやってくれな」

「い……いえ」

「そうそう、適当にコンビニで色々買って来たんだけどよ。何か食うべか」





その後、男は自らを田中トムと名乗った。シズちゃんが敬語で話しているところを見る限り、どうやら仕事先の上司であるらしい。そして様子から察するに、恐らくトムさんは私とシズちゃんの関係を知らない。

冗談半分で「嬢ちゃんがもし今回の件で傷物になったってんなら、静雄が嫁に貰ってやれよなー。こんなに可愛い子なら不足はねぇだろ」なんて口を開いた時には、気恥ずかしさから思わず俯いてしまった。



「ト、トムさ……!」

「おっと、もうこんな時間か。悪ぃな。俺、そろそろ帰るわ」



赤面して身を乗り出すシズちゃんを他所に、腕時計に目をやりながら立ち上がるトムさん。「ま、適当に食えよ」シズちゃんに袋を押し付けると、トムさんは片手をズボンのポケットの中へと突っ込み、もう片方の手をヒラヒラさせながら部屋を出て行ってしまった。

後に残された2人だけの空間がやけに息苦しく感じる。前はあんなにも心を許せる相手だったというのに、2ヶ月の月日はこんなにも大きいものかと実感する。



「えと……久し、ぶり」



長い沈黙に耐えきれず、やっと出てきたのはあまりにも的外れな言葉。



「トムさんって、仕事の上司かなんかだよね?」

「……まあな」

「どんな仕事?」

「ッ……、まぁ、料金の収集みたいなもん」



要するに、借金の取り立て先の相手がなかなか料金を払わず渋った為に、怒ったシズちゃんが自動販売機を投げつけた、と。その矛先が私になってしまったわけだが、その脅しがよく効いたのだろう、結果的には料金収集に成功したらしい。合法の範疇に入る職業ではあるようだが、とてもじゃないが、柄のいい仕事とは言い難い。



「……」

「……」



そんなたどたどしい会話はすぐに終わってしまい、再び沈黙がこの部屋の空間を支配する。あんな別れ方をしてしまった手前、なかなか顔を見る事ができない。



――ど、どうしよう。

――なにか、会話の話題を……。



いっその事このまま寝てしまおうかと思っていた矢先――突然シズちゃんが立ち上がったかと思うと、私の上から跨がるようにして膝をつく。そして私の上半身を引き寄せると、やんわりと身体を抱き締めてきた。

久しぶりに感じるシズちゃんの香りに包まれて、自然と心拍数がはね上がる。するとシズちゃんは私の怪我をした手をとり、傷口にゆっくりと舌を這わせた。傷口への刺すような刺激と舌特有のぬるりとした感触に、身体が素直に反応する。



「ごめん。また、傷つけた」



ポツリと小さく言葉を溢しまるで犬のように身体中の傷跡へと次々に舌を這わせていった。手の甲から腕へと舌を滑らせ、丁寧に傷口を舐めていく。痛いような、くすぐったいような感覚に次第に頭が麻痺していく。次に首元。そして頬。ピリピリと傷口は痛むのに、それが何故だか心地よい。

ひとしきりそれを繰り返した後、シズちゃんの舌はとうとう私の唇へと到達した。下唇をねっとりと舐め上げ、そのまま噛み付くようにキスをする。今まで以上に荒々しいキスに、思わず背中が仰け反ってしまう。



「んん…、……ふ」

「はぁ……、みさき」

「! ……ぁ」



遠慮がちに背中へと回されたシズちゃんの手にギュッと服の裾を引っ張られ――シズちゃんに押し倒される形で身体がそのままベッドへと再び沈み込んだ。



♂♀



「俺、あんたの事色々と知ってるんだぜ?平和島静雄さんよお」



今日の取り立て先の男は、いつもの野郎に増して更に厄介な奴だった。

大抵の奴は俺の顔を見た瞬間に怯えて大人しく支払いに応じる。不本意ながら、俺もすっかり『池袋最強』の名で有名になったもんだ。最近じゃあ『敵に回しちゃいけない奴』の内の1人に入っちまったらしいから俺からしてみれば迷惑以外の何物でもない。



「あんた、静雄を知ってんのか。なら尚更早く金を払うのが利口なこった」



トムさんが淡々と言葉を口にする。しかし男は動じない。動じるどころか、むしろ自慢気にニヤリと笑う。



――やれやれ、今回の取り立て先は随分と厄介だ。



仕事中だという事もあって、出かけた欠伸を必死に噛み殺す。さてこれからどうするかと、とりあえず会社に連絡くらいはしておくべきかと携帯を開いたその時だった。男が予想外な言葉を吐き捨てたのは。



「あんた、女がいるらしいな」

「……」



ピタリと文字を打つ指が止まる。トムさんも初耳だと言わんばかりに、俺を見て目を丸くする。そんな俺の反応を見て確信したのか、ますます良い気になった男が更に言葉を続けた。



「聞いたぜぇ?なんでも年下で、結構可愛い子らしいじゃん?」

「……」

「な、どうよ?その子に手ぇ出されたくなければ、俺の代わりに金を……」



次の瞬間、男のニヤけ顔は次第に驚愕の表情へと変わる。トムさんが隣で「あーあ」と溜め息を吐くのが分かった。俺の右手に握られていた携帯電話は、一瞬のうちに粉々に握り潰されてしまったのだ。代わりに携帯に内蔵されていた数々の小さな部品だけが、今も尚俺の手の平に残っている。



「……で、なんだって?」

「え、……な、なんで携帯を、素手で……」

「誰の許可を得て、誰に手を出すだって?」



底知れぬ殺気を感じ取り、わなわなと震え出す男の身体。そんな事もお構い無しに、俺は1歩前に出た。



「……ま、いいや」

「……え?」



俺の言葉に、一瞬表情を和らげる男。きっと条件を呑んでくれるのかと期待したんだろうが、生憎そんな気は一切ない。そもそも俺がそんなに金持ちに見えるのか、この男は。金があったら真っ先に、みさきを捜し出す為に費やすだろうに。



「手前をここで殺しちまえば、要らん心配をしなくて済む訳だからなあ」

「え……へッ!?」

「誰から聞いたかは知らんが、手前が死ねば当然手出しもできねぇもんな?」

「なッ、ちょ、待……」



男の言葉を最後まで聞く耳も持たずに、近くの自販機を持ち上げる。もう何も考えられなかった。みさきに被害を加えるようなら、俺はその根源を潰すだけだ。

俺はどうなっても構わない。問題はみさきの身の安全だ。俺のせいで、みさきが俺"以外"の誰かに傷付けられるのはもう嫌だから。名前も知らないような奴等がみさきに触れて、触って、傷を付けるなんて事は2度とあってはならない。俺がそんな事、させるものか。



「お、おい!静雄!」



トムさんの静止の声も聞こえないくらいに、ただ、今の俺には「目の前の邪魔者を消す」事しか頭になかった。こういう奴等は早めに潰しておくに限る。みさきに危害を加える可能性が少しでもあるような奴は特に――特に、特に、特に!

本気で殺すつもりで、投げた。遥か上空を飛んだ自販機は、数秒後男の隣スレスレに落ちる事になる。そこで予想外だったのが、あまりにも高く飛んだ為か、自販機が跡形も無くなるくらいにバラバラになってしまった事。中の缶ジュースが周辺に散らばり、部品が音を立てて辺りに飛び散る。その飛び散った部品のうちの1つが、まさか近くにいたみさきに当たってしまうなんて。俺は"また"大切な人を巻き添えにしてしまったのだ。あのパン屋のお姉さんにしてしまった時のように。もう2度としないと誓った過ちを俺は犯した。



だけど、あの時とは違う決定的な違いが今はあった。



みさきの身体に刻み込まれた傷1つ1つが、何故だかとても愛しくて。みさきを傷付けてしまった後悔の念よりも、至福の方が遥かに強かった。これは束縛。所有の印。もう2度と離しはしない、俺だけのみさき。



「……ごめん。また、傷つけた」



今の表情を悟られぬように顔を少し俯かせ、その所有物の証を愛でるように、傷口1つ1つに口付ける。きっと何よりも純粋で、歪みきったこの感情はもう誰にも止められない。それが例えみさきであっても。

今思えば長い悪夢のようだった、あの2ヶ月間を取り戻そう。……一緒に。

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