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季節は春。色々とどたばたしていたにも関わらず無事に進級する事が出来た私は、今年、大学受験という苦い1年を迎える事となる。

進路なんて考えている余裕もなかったし、先を見据えて考えるのは苦手だ。このままエスカレーター式に行けば来良大学に自動的に入学する事になるだろうが、だからといって私立は多額のお金が掛かる。親の事を考えれば、国立もしくは就職か……そんな事を考えるようになった今日この頃。



「……、みさき!」

「!! ご、ごめん!呼んだ?」

「もー大丈夫?軽く休みボケでもしてるんじゃない」

「なに言ってんの。みさきは私達みたいに、呑気に春休み中遊んでばかりいた訳じゃないんだから!」

「担任から聞いたよ?みさきがずっと休んでた理由。留学してたんだって?」

「……あ、はは」



――ああ、そういえば

――そういう『設定』にしてあるんだったっけ。



設定――周りから怪しまれないように臨也さんが流した偽の情報。本当に上手くいくのかは正直半信半疑だったのだが、どうやら誤魔化せているらしい。友達を騙すなんて気が引けるけど、だからと言って本当の事を話す訳にもいかないし。その後、周りからは口々に何処へ行ったのだとか何をしたのだとか、激しい質問攻めに遭うハメに。「えーと……」これが結構難しい。下手に嘘を吐くと自ら墓穴を掘りかねないので、華麗にスルーさせて頂いた。

クラスはほぼ去年と変わる事なく今日はロングHRのみに終わった。友達と他愛のない会話を楽しんだ後、帰路につく。周りには初々しい新1年生の姿。自分の2年前を思い返し、思わず微笑ましい気持ちになる。



「君、3年生だよな」



下校時に、下駄箱で声を掛けて来たのは『那須島』と呼ばれる教師だった。今年度から男の新人教師が入るとは今朝の朝会でも耳にしていたが、多分この人がその新人教師とやらだろう。



「え?……まぁ、一応」

「ああ、丁度良かった!実は未だに道が分からなくてだなぁ……君、名前は?」

「苗字、みさきです」

「ふぅん、苗字かぁ……よかったら先生を職員室まで案内してくれないか?」


"彼"を待たせると何を言われるか分かったもんじゃない。内心断りたい気持ちもあったのだが、今は心遣いを優先する事にした。しかしこれが、後に自分の首を自ら絞める事になる。



「ここです」

「ああ、助かったよ。ありがとうな、苗字」

「いえ」

「そうだ!よかったら礼をさせてくれないか?なに、道さえ教えてくれれば先生が家まで送ってやろう」

「あの……お気持ちだけで……」



――困った。



別に教師を信用していない訳ではないのだが、だからと言って今日出会ったばかりの人間に自分の情報を口外する事に抵抗があったし、そもそも自分の家は存在しない。敢えて言うのなら、新宿にある臨也さんの事務所兼自宅が、現時点での私の家といえる。

それに加え、しつこく「送る」の一点張りで迫ってくる那須島先生の不審な態度が逆に私の不安を煽った。



「遠慮なんていらないぞ?ほら、来なさい」

「え、……あの!」



強引に腕を引かれ、いよいよ後には引けなくなったその時、那須島先生に掴まれた右腕ではない方の左腕が何者かの力によって、後ろへと優しく引っ張られる。



「那須島先生。それ以上は、立場的にヤバいんじゃないですか?」



――……え?

――この声もしかして……



「!」

「い、臨也さん!!?」



そこにいたのは、にこやかな笑顔を浮かべる臨也さんの姿。「やあ」なんて、にへらと笑いながら左手を挙げてるけれど、私の左腕を掴む右手の力は強い。



「あまりにも遅いもんで、迎えに来ちゃった」

「え……あ、あの」

「それより、早くみさきの腕、離してくれませんかね?せーんせ」

「! な、なんなんだお前は!先生に向かってその態度とは!どこのクラスだ、言いなさい!!」



動揺を隠しきれないのだろうか、慌てて私の腕から手を離すと言葉を捲し立てる那須島先生。ようやく解放された私の身体を引き、臨也さんは私の左腕を掴んだまま那須島先生の怒鳴り声を背に、あろうことか逆方向へと走り出した。

さっきの力とは比べ程にならないくらいの力でぐいっと身体を引っ張られ、思わず転びそうになったのを何とか耐える。そんな事よりも、私が今1番気になっている事はというと――



「なんで来良の制服なんか着ちゃってるんです!?」

「ああ、これ?だって制服じゃないと敷地内まで入って来れないじゃない。言わなかったっけ?実は俺も来神出身なんだよね。まだ制服が残ってて良かったよ」

「校門前で待ってればよかった話じゃないですか!」

「だってそれ、なんだか怪しい人みたいじゃん」



21歳のいい大人が高校時代の制服を着ているってのが余程怪しい。そして無駄に似合っているというのがなんだか腹立たしい。「流石に無理があるとは思ってたけど、案外なりきれるもんだねえ」終始笑顔の彼の言葉に、ほんの少し頭痛がしたのは言うまでもない。

こんな人でも、このようなお茶目な一面があるものかと初めは驚いたものだ。(今ではもうすっかり慣れてしまったのだが)だからこそ"取引中"のあの非情さは時々演技なのではと疑ってしまう。……いや、もしかしたら取引時以外の普段の顔こそが彼の創造物(レプリカ)なのかもしれない。考えが読めない人程恐ろしいものはない。だからこそ、私は臨也さんの事を侮れないのかもしれない。色々と複雑な気持ちを抱えながらも、私は臨也さんに連れられて、いつの間にか久方ぶりに池袋の街へと足を踏み入れていた。



「大丈夫かい?」

「つ、疲れた……ていうか、走る必要がどこに……」

「駄目だなあ、みさきちゃん。あんな変態教師に色目使っちゃあ」

「つ……、使ってませんから……」



それから「少し街中を歩かない?」と提案され、2人で当てもなく歩く。特に行きたい場所がある訳ではない。ただ、本能のままに。ぶらぶらと、ぶらぶらと。

そういえば、以前にもこうして池袋の街中を全力疾走した記憶がある。あれは確かクリスマス。あの時はシズちゃんがいたんだっけ。



「香水」

「!」

「俺がクリスマスにプレゼントしたの。ちゃんとつけてくれてるんだ」

「……だって、臨也さんがつけろって言ったし」



後で聞いた話だが、どうやら私がもらった香水は臨也さんが使っているものと全く同じものらしい。私がシズちゃんにあげた香水と対照的な香りだ。香りに酔いやすい私だけれど、この香りは別に嫌いじゃない。

そういえば、シズちゃんは私があげた香水をつけてくれているのだろうか。私がシズちゃんからもらったネックレスは、今もラッピングされた小箱の中に再び封印されたまま、常にこのバックの中に入っている。もう2ヶ月間もそのままだ。



――だって、もし落としちゃったりしたら嫌だし。

――シズちゃんからもらった、大切な宝物だもん。



バックの中の小箱に軽く触れようとしたのだが、指先に触れたのは長財布の感触。もっと奥に入り込んでいるのだろうと思い、更に探り手をバックの奥へと進めるが――



「……」

「ん?」

「……ない」

「ない?」

「ない!ずっと持っていたはずなのに……!!」



――なんで!

――なんでないの!?

――落とした!?

――いつ!?何処に!?



どうしようどうしようどうしよう!私は本当に大馬鹿者だ!軽くパニック状態に陥りかけている私の両肩に、臨也さんが落ち着かせようとポンと両手を乗せる。



「何をなくしたの」

「……ネックレス」

「さっき走った時に落としたのかな……だったら代わりのものを買ってあげるよ。俺の責任でもあるしね」

「……」



ーー駄目なのに……あれじゃなきゃ駄目なのに。

ーーあれがシズちゃんとの唯一の繋がりだというのに……!



「みさきちゃん?」臨也さんに応じる事なく、黙って下を俯く私。臨也さんの気遣いは嬉しいけれど、あれは私が自分で必ず見付け出さなければならないものだ。



「ごめんなさい、臨也さん。……ちょっと捜して来ます!」



臨也さんの返事を聞く間もなく、私は回れ右をすると元来た道に向かって駆け出した。あんなに小さなものを、池袋という大きな都会の中から捜し当てる事ができるのか。多分、それは難しいと思う。だから私は奇跡に賭けてみる事にした。

もう、待つだけじゃ駄目なんだ。奇跡は待っているだけじゃ起こらない。自らの手で起こすものだと、昔誰かからそう教わった。当時は現実味のない言葉だと思っていたが、今ならその言葉の意味が解る気がする。



――この広い広い池袋の街で、"1"を捜し当てる事はとても容易な事ではない。

――だけど、時に常識は気持ち次第で呆気なく覆す事が出来るのだ。

――……ああ。ほら、ね。



「……シズちゃん」



心の中でずっと追い求めていた大切な人を、私はこんなにも容易く見付け出す事が出来るのだから。



♂♀



「いつになったら、気付くんだろうね」



本当に、彼女は呆れるくらいに鈍感な子だ。片手に収まる輝く"それ"を何度も何度も宙に舞わせ、その度にパシリと片手で受け取る。

ああ、"これ"がいけないんだ。これがあの子の心を繋ぎ止めている。あの子の心を狂わせている。所詮、自分を忘れさせない為の束縛用の首輪じゃないか。内心散々と言い捨てながら、俺はそれを忌々しげに見る。



――随分と高価なものを買い与えたじゃないか、シズちゃん。

――だけどね、甘いなあ。

――そんな勝手な行動を、俺が許すとでも思っているのかい?



あまい考えだ。首輪なんていつかは錆びれ、朽ちてゆく。そんな形だけの証明なんて、新しい主人の手に掛かればいくらでも壊す事が出来るのだ。どうせなら、一生残る証でなくては。

この感情を俺は知っていた。これは『嫉妬』。他の何物でもない。嫉妬に狂う人間の末路を俺は何度も目にしてきた。実に哀れな生き物だ。人間がこうも感情に呑まれやすい生き物とは。だから俺はその感情を圧し殺し、敢えて冷静さを保ってきた。勿論手荒な真似なんかしない。常にクールに、紳士的に演じてきた。俺は狂ってなどいない。そんなはずはない。あいつのように歪んでなど、断じて、決して――ない。



「そぉれ」



手に持つそれを投げ捨てようとして、やめた。それはあまりにも酷過ぎるかなあなんて、嘘。俺ならやりかねないよ。今はただ機嫌が良いだけ。だから今はまだ捨てないでおいてあげる。

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