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AM1:30 路地裏の一角



「(……飲み過ぎた)」



今から2時間前――トムさんに注意された時点で、飲むのを止めておくべきだった。みさきのいない生活や仕事でのストレスによって、俺の身体はとうとう限界値を超えてしまったらしい。その溜まりに溜まった鬱憤を、俺は平和的にひたすら酒へと向ける事にした。

そんな俺を見て、トムさんなりに気を利かせてくれたのだろう。同年代もしくは歳上の落ち着いた雰囲気の女が、何人か隣に座って飲んでいたような……気がする。確かトムさんの知り合いなのだとか。ほんの少し前までの俺なら、まさにどんぴしゃなタイプの女が。



「ほら、お前中学ん時に言ってただろ?美人で色気がある歳上がタイプだって!ヘコんだ時は女に慰めてもらうのが1番!な?」



――中学ん時……。

――あーそういえばそんな事言ったかもしんね、俺。



しかしそれはあくまで過去の俺の言葉であって、今の俺ではない。「恋の特効薬は新しい恋だべー」なんてトムさんは冗談半分に言ってくれたけれど、やっぱりみさき以外の他の女を好きになれそうにはなかった。

そんな具合で、俺はひたすら酒を飲み続け「家まで送ろうか」というトムさん等の有難い誘いも断り、現にフラフラになりながら1人で帰路についている訳だ。自分が酒に弱い事は知っていたのに、調子に乗って飲み過ぎた結果がこの有り様。



「(……タイプ、かぁ)」



昔の俺は――歳上かもしくは同年代。色気があって、面倒じゃなくて、駆け引き上手な、できれば美人な奴。そんな奴が好みだった。

みさきは真逆だ。4歳も年下で可愛いらしい奴で。色気なんかねぇし手が掛かる。不器用過ぎて、だけどそれが堪らなく愛しくて……うん、全てが新感覚。『理想と現実は違う』とはよく言うが、今や俺の理想像はみさきそのものだった。



――あーもう駄目だな俺。

――完全に末期状態、ってヤツか。



今までみさきに依存して来た俺は本当に本当に限界で、みさきの事を考えるだけで胸が抉れるようにして痛い。どうしてこんなに苦しいのだろう。みさきのいない世界はこんなにも残酷過ぎる。月日が経つにつれ感情が薄れるどころか、どんどん濃く強くなる一方だ。

酒や負の感情に呑まれ、本格的に気分が悪くなってきた、その時だった。俺の全細胞が告げる。みさきがいる。それもすぐ、近くに。



――見つけた!!



もう迷わなかった。もし再びみさきと出逢うような事があれば、もう2度と手放しはしないって。そんな強い決意を胸に、みさきの気配がする場所へと向かって走る、走る、走り続ける。

勘を頼りに行き着いた場所は2ヶ月前にみさきと別れた、あの路地裏だった。しかしそこにいたのは会いたいと強く願うみさきの姿ではなく、心底殺したい程に世界一大嫌いなヤツの姿。



「やぁ、シズちゃん」

「……臨也」



イライライライラ。途端に込み上げて来た感情は、紛れもなく『怒り』という名の爆発的な強い感情。フツフツと煮えたぎるその感情に必死に蓋をしながら、1度瞼を閉じ深呼吸をする。



「……なんで、手前からみさきのにおいがするんだよ」

「におい?つくづく思うけど、本当にシズちゃんは人間離れした嗅覚をその鼻に備え付けているようだねぇ。いつも俺をにおいとやらで見付け出せるようにさ」



臨也が自分の腕の服の裾に鼻を近付けて、においを嗅ぐような仕草を冗談っぽく真似て、笑いながら言う。

確かに俺は、臨也の居場所を本能的に鼻で感じ取る事ができる。しかし先程感じ取ったあのにおいは、間違いなくみさきのものだった。臨也からみさきを感じる理由、それは――



「まさか、手前んところにみさきが……い、る?」

「ご名答!よく分かったね。補足させてもらうと、それも2ヶ月も前から、ね」

「!!」

「あっはは!いいねぇ、その表情!で、どうするの?俺を今ここで殺しちゃったら、みさきちゃんの居場所は分からず終いだよ?」

「……とりあえず死なねぇ程度に殺してやるよ。それからみさきの居場所を吐かせてやる」



口では「おー怖い怖い」なんて言っている割には、面白可笑しく笑う臨也。その態度が激しく気に食わなくて、俺は言葉の代わりに拳を向けた。――が、やはり軽々と避けられてしまう。



「ねぇ、本当にシズちゃんってにおいとか分かるの?シズちゃんってにおいフェチなんだっけ」

「うるせぇ、死ね」

「暴力で解決しようとするところは、相変わらず変わっていないようだねぇ」



普段よりアルコールを摂り過ぎたせいか、腕にうまく力が入らない。5、6発拳を振り上げたところで頭痛が急激に悪化し、どうしようもない吐き気に思わず口元を押さえて膝をついた。



「……ゲホッ、ゴホッ!」

「シズちゃんが俺の前で膝をつくなんて、かなり貴重な光景だなあ。ていうか、ヤケ飲み?酒弱いくせに」

「ゲホッ……うっせ、ぇ」



肩を大きく上下させ、必死に乱れた呼吸を整える。たくさん飲んだはずなのに何故だか喉がカラカラに渇いて痛い。噎せ返るようにして何度も何度も咳をする。

すると臨也がどこか嬉しそうに、感情の読めないその目を薄く細めて言った。



「……今の君は、実に人間らしいね。池袋最強と呼ばれる男が、女1人でこんなになっちゃうなんてさ」

「……」

「ま、せいぜい想い続けるといい。俺は今のうちに逃げる事にするよ。元々シズちゃんなんかと会う気はさらさらなかったし……みさきちゃんが家で俺の帰りを待っているだろうしね」



みさき――久々に耳にするその単語に、思わず身体が反応してしまう。



――……なぁ、みさき。

――どうして臨也なんかのところにいるんだよ。

――いつ何処で、臨也なんかと知り合ってたんだよ。

――どうして俺になにも相談せずに……俺はみさきにとって、そんなに頼りない存在だったってのかよ!?



問い掛けても問い掛けても、答えが返って来る訳もない。ならば、その答えを見出す為に今度は俺が動かなくてはいけない。もう1度みさきと逢う為に。逢って、話をする為に。



「……俺は、決めた」



胸のあたりをぐっと掴みながら、覚束ない足取りで立ち上がる。いつまでもこんなノミ蟲野郎の目の前で這いつくばってなんかいられなかったから。「もう手加減なんかしねぇ。そもそも手前が関わってると分かった時点で、手加減なんか必要なかったんだよな」独り言のように、そう呟いて。



「手前がいくら邪魔しようと、俺は絶対ぇ手前からみさきを奪い取ってやる……!」

「……なにそれ、今度はみさきちゃんを物扱いするの?酷い話だ」

「手前には関係ねぇんだよ」



挑発的にニヤリ、と笑うと感情をあまり顔に出さない臨也が珍しくピクリと顔をしかめる。高校時代から今に至る約6年間で、多分初めて俺に見せる顔だった。

以前から薄々と感じていた。臨也はきっと嘘でも冗談でもなく、本気でみさきの事が好きなのだ。それは俺にも言える事だから臨也の気持ちが分からなくもない。だからと言ってみさきを譲る気もさらさらないが。



「仮に、みさきちゃんが君を拒絶したらどうするの?それでも君は、身勝手に自分の意思だけを尊重すると言うんだね?……へぇ、よーく分かったよ」



全てを悟ったようにも、諦めたようにも取れる態度で臨也が小さく溜め息を吐く。スゥ、と目を閉じ、次に見せたヤツの顔は――紛れもなく、清々しいくらいに満面の『笑顔』。まるであの時と同じような表情で。



「ハッキリ言わせてもらうけど、君なんかにあの子を理解する事は出来ないよ」

「あ?」

「そして、シズちゃんなんかには勿体無い。肝心な事に気付いてやれないようなら、その資格もない」

「……どういう意味だ」

「いずれ分かる時が来るさ。君のその単細胞脳でもね」



クスクスと、人を嘲笑うような笑い声を残して、気が付くと臨也の姿は闇夜に紛れて消えていた。途端に脱力感と疲労感が身体中を支配する。全体重を壁に預け、顔を自らの右手で覆う。

人工的なコンクリートの壁からは温かみなんてものは一切感じられず、密着した背中からは冷え冷えとした感覚だけが痛い程伝わってくる。酔いで火照った身体を冷ますように。次第に頭が覚めてきた頃、俺は無意識のうちに"笑っていた"。



「……はは、」



理由なんてない。ただ可笑しくて可笑しくて堪らなかった。一切り1人で笑ってから、色々な事を考えてみた。この2ヶ月間は俺にとって一体何だったというのか。それは今までの生活を懐かしみ思い返すには、あまりにも無駄で長過ぎる期間だった。

もう、容赦も躊躇もしない。逃げもしないし隠れもしない。くよくよするのは俺らしくもない。思い立ったら即行動――なら思い切り『壁』とやらに立ち向かってやろうじゃないか。伊達に今までの波乱万丈な人生を送って来た訳じゃない。



「上等じゃねぇか」



そうだ、これが俺の宣戦布告。

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