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「調べる、って、何?」

「そのままの意味だよ」



ポカンとした顔でみさきが訊いて来るもんだから、その鈍さに思わず笑ってしまった。こういう子には行動あるのみ。『百聞は一見に如かず』ってね。ちょっと意味が違う気がするけど。

みさきの服に手を掛ける。それでも頭の上に?マークを浮かべていたみさきだけれど、部屋着のボタンをプチリと外されて、とうとう今の自分の状況を理解すると顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせた。こういう初な反応は嫌いじゃない。



「ひゃあ!?ちょッ、臨也さん!?」

「ほら、ちょっと調べさせてもらうよって予め言っておいたじゃない。それなのに悲鳴をあげるなんて、人を痴漢扱いしないで欲しいかなぁ」

「ッ!!す、すみません!つい……」

「なぁに?それとも……そういう事を期待していたのかな?」

「!!?」



可愛いな、と純粋に思った。そしてこの反応を見る限り――みさきはまだ汚れていないのだろう。人間観察ならお手のものだ。「みさきちゃんさ、もしかして処女でしょ?」からかい半分で訊いてみるとみさきは更に顔を赤くして呟いた。



「せ、セクハラです」

「いやぁ、俺はてっきりシズちゃんと毎日ヤッちゃってたのかと……」

「そ……!そんなんじゃありません!!」



あの馬鹿みたいに自分の感情に従順で、まさに獣的なシズちゃんの事だ。てっきり性的欲求に任せてガバーッと襲っているのかとばかりに考えていた俺は、意外な事実に頬が緩むのを意識せずにはいられなかった。

ここで1つ、シズちゃんにそれなりの敬意を示そうじゃないか。俺は少し侮り過ぎていたよ。君は間違いなく人間だった。人間は本当に大事にしているものほど大事に大事に時間を掛けて愛でていくものだ。大切に思う気持ちこそが唯一、一瞬間の血迷いを妨げてくれるのだから。……今ならその気持ちが解る気がする。



「!」



服の裾を捲ってやると、みさきが両手を使って必死に身体を覆い隠そうとする。初めは恥じらっているだけなのだろうと思ったがどうやらそれだけではないらしい。まるで何かを隠し通そうとしているような――

目を合わせようともしないみさきの様子を見て確信する。みさきは意図的に、俺から何かを隠そうとしているのだ。



「やっぱり、何か隠してるね」

「……」



みさきの目が懇願する。これ以上は見ないで欲しい、と。それでも俺はやめようともせずに、興味に駆られて見てしまった。そして気付いてしまった。みさきの身体に刻み込められていたものは、刀で斬り付けられた跡なんて生易しいものなんかじゃないという事を。

それはまるで、殴り付けられたというよりは押さえ付けられた時にできるような痛々しい痣の数々。肩には掴んだような指の跡がくっきりと残っており、つい最近できたようにも見える程に鮮やかだ。並大抵の力を加えたくらいじゃあこれほどの痣は残らないだろう。



「……これ……」



一瞬はシズちゃんを疑ったが、みさきがシズちゃんと暮らしていたのは今から2ヶ月も前の過去の話だ。もしかしたら、と思いみさきの左腕から包帯を取り捨てる。そこには同様、痛々しい皮下出血が起きていた。

ここまで酷い痣が残る怪我をする事も滅多にないだろう。少なくともここ2ヶ月間でみさきが事故に遭ったり事件に巻き込まれたりした事はない。彼女は常に俺の監視下にあったのだから。だから俺以外の人間がみさきに少しでも触れる事すら、一切あり得ないのだ。



――やっぱりここまでの怪我を負わせられるのはシズちゃんの馬鹿力くらいだ。

――……という事は、2ヶ月以上前にできた痣が未だに完治しきれていないというのか。



しかしみさきは俺に身体を見られてしまった途端こう言うのだ。「シズちゃんにこの痣の事は言わないで」、と。「シズちゃんはたまに力の加減が出来ない時があって……でも、わざとじゃないんです!私の事を本当に大切に思ってくれてて……」――ああ、まただ。

これで2度目。この子はまた、アイツを庇うのか。ブルースクウェアとの紛擾時と同じだ。みさきは何も悪くないのに自分が悪いのだと自虐し、結果1人で責任を負おうとする。何1つ真実を知らぬままに――みさきの態度に加えてこの痣跡といい、何だか俺の介入出来ない2人の仲を、形にして見せつけられた気分だ。



「もういいよ。君がシズちゃんを庇うのはもう、聞き飽きた。……じゃあ聞くけど、"コレ"は、なに?」

「……」

「まただんまり?」



俺は1度、親に見放され家庭内暴力を受け、心を閉ざしてしまった少女と会話を交わした事がある。あの時もそうだった。身体に痛々しい傷を残しておきながら当時の事を一切口にしようとはしない。少女は、親に虐待されたという事実を思い出す事が怖かったのだ。

だけどみさきの場合は違う。傷を負う事を恐れず、逆に加害者側であるシズちゃんを必死に庇おうとしている。自分が傷を負う事が、仕方がない事とでも思っているのか。「痛いのはもう嫌だ」と思うのが、普通の人間の反応じゃないのか。



「俺は人間の事が大好きだ。……ああ、自負してた。人間の事なら、自分は誰よりも理解しているんだって思っていたつもりだった」



――好きな相手の事ならば何でも知りたいと思う事も、また必然。

――……だからこそ、



「だからこそ、俺は君が理解出来ない。もしかして、痛いのが好きだったりするのかな。みさきちゃんはマゾヒストなのかい?」

「そんなんじゃ……ないですけど」



――ああ、イライラする。

――分からなくなってきたよ君の事。そして、もっともっと知りたくなった。



「シズちゃんは多分、気付いてないんだと思います」

「君を傷付けている事にかい?それは君が無意味に隠し続けているからだろう?……痛いよねぇ、そんな痣が残るくらいならさ。ならヤツを咎めればいい話じゃない。その痣が立派な証拠になる」

「でも、シズちゃん凄く責任感じる人だから。こんな痣見せたら……」

「……で、その傷はいつできたの?まさかシズちゃんの誕生日に――君がわざわざケーキを作りに戻った時にシズちゃんとバッタリ会って……なんて言う訳?」

「そ、それは……」

「俺、言わなかったっけ?あの日、シズちゃんとは会うなって」

「……」



――図星、か。



つまりみさきの意思はどうだったであれ、誕生日ケーキを作ってから帰る途中にシズちゃんと"たまたま"会ってしまったと。話を聞くと、どうやら路地裏で壁に勢いよく押し付けられてしまったらしいとか。加減しないシズちゃんの力なんて、余程痛かっただろうに。

ヤツはもう、歪んでる。今みさきのいない生活をどう過ごしているのか――想像しただけで笑いが込み上げて来る。「ざまぁみろ」今のアイツにこう言ったら、さぞかし怒り狂う事だろう。それも結構。実に滑稽。



「いずれにせよ、君は俺との約束を守れなかった事になる。……それなりの罰ゲームは覚悟しといてね」



あくまで今のみさきは取引先だ。個人的な情を一切込めずに、冷たくそう吐き捨てた。敢えて笑顔は絶やさない。笑顔は相手を安心させる効果があるが、時に相手に不信感を抱かせる原因にもなる。扱いにくい事この上ない、厄介な品物だ。

罰ゲームと称した――所謂"お仕置き"をどうしようかとほくそ笑みながら、みさきの身体の痣を指でなぞり上げる。やはり未だに痛むようで、鋭痛に顔を歪めるみさきが何だか愛しい。



「ま、安心してよ。君が約束を守る限り、俺も君に極限協力してあげる。俺は君の事が大好きだからね」



そんな口説き文句のような言葉を口にしながら、剥き出しになった腹部の痣をペロリと舐めてやる。ピクリと反応するみさきの身体。



「……臨也さんは、私が人間だから、そんな事も口に出来るんですよね」

「さあ、どうだろう」

「茶化さないでください」



いつになく強気なみさきの口調に思わず舌の動きを止め、顔を上げた。やっぱりみさきは期待通り、俺を楽しませてくれそうだ。勿論、いい意味で。……こうでなくちゃいけない。一方的なのはつまらないからねぇ、少しは抵抗してくれた方が弄り甲斐があるものだ。

苗字みさき――一目見たその瞬間から、ただならぬものを感じた少女。何の興味も湧かないような人間ならば顔も疎か、名前すらすぐに忘れてしまっているだろう。だからこそここまで興味を惹かれる人間に出逢ったのは随分と久々だと直感的に感じたのを、今でも鮮明に記憶している。



「私は、臨也さんが分からない」

「具体的には何が、かな」



みさきの言いたい事には何となく気付いていた。だからこそ、敢えて知らないフリをした。みさきの顎をくいっ、と持ち上げ、顔を更に近付ける。息のかかる程の至近距離で、柄にもなく思わず興奮してしまう。

顎を引き、ほんの少し口を開かせると衝動的に舌を入れた。彼女の舌を絡め取ろうとした瞬間、ガリ、と唇を軽く噛まれる。一旦口を離してから己の唇をペロリと舐める。鉄の味がした。



「酷いなぁ。いいじゃん別に、キスの1つや2つくらい。セックスはともかく、キスくらいまではしてたんでしょ?」

「す、好きでもないくせに……やめてください」

「へぇ、俺がみさきちゃんの事が好きだって可能性は微塵も考えてくれないようだねぇ」

「人間だったら、誰でもいいんじゃないんですか」



――ま、確かに全ての人間が好きだと言ったのは確かに俺だけど。

――こうもハッキリ言われるとなぁ。



「みさきちゃんだけは特別だよ。嘘なんかじゃない」

「だから、からかわないでくださ……」

「本気だよ」



唇の出血を指で拭いながら、みさきの潤んだ瞳を見つめ返す。おまけに羞恥で頬がほんのりと赤い。今の誰かさんだったら、きっと我慢出来ずに襲っちゃうんだろうなと馬鹿にしてみる。

正直……俺も例外ではないか。現に欲情し、その気になってしまっているのだから。ここ数年間女をそんな風に見た事なんて1度もなかったのに。人間を愛する事に見返りを求める事なんて、1度もなかったのに。



「臨也さんは、どうしてシズちゃんの事が嫌いなんですか?」



ピタリ、突然投げ掛けられた質問に思わず顔の表情が固まる。



「……なにを、いきなり」



内心聞きたくもない名前がみさきの口から出てきた事に動揺しつつも、出来るだけ普段通りに淡々と、言葉を引き続き紡いでゆく。



「だって、俺が愛しているのは人間だよ?化け物なんかに興味はない」

「ただ……シズちゃんがこれからどうなっていくのかは、ほんの少しだけ興味があるかな。情報屋としてではなく――折原臨也という、1人の"人間"としてね」

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